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むささびの鳴き声
008 ブレアのコミュニティ
「国際社会」という言葉がある。これを英語に直すとinternational communityとなるのが普通である。何故かinternational societyとは言わない。ブレア首相は演説の中でたびたび「コミュニティ」という言葉を使う。国内問題のみならず国際関係を語る時もである。ブレアという人が「国際社会(international community)」という言葉を使うとき、彼は何を意味しているのだろう。

以下はこの問題について2003年2月のLe Monde Diplomatiqueという雑誌に掲載されたTom Bentleyという人の論文の一部。この論文は2003年のイラク戦争直前に書かれたもので、ブレアのいわゆる「コミュニティ」という考え方に疑問を呈している。筆者はロンドンのthink-tankであるDemosの理事をつとめている。Demosは、ブレア政権が出来た頃に行われた「新しい英国」キャンペーンのブレーン的な役割を果たした組織でもある。

これは論文の4分の1にも満たない部分であると同時に私(春海二郎)が勝手に日本語にしたものなので、はしょってもいるし、意訳もある。が、誤訳はないつもりである。その気のある人は原文Tony Blair, issue by issue を読まれることをお薦めする。 またこの論文が引き合いに出しているブレア首相のシカゴにおける演説 Doctrine of International Communityの原文も併せて読むともっとはっきりするかもしれない。

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相互依存の新時代 トニー・ブレアの世界観は「コミュニティ」という考え方を中心にしている。この考え方を最もよく表わしているものに、彼が1999年シカゴで行った「国際社会の原則(doctrine of international community)」という演説がある。この演説は、戦争というものを領土的な野心 (territorial ambitions)ではなく価値観(values)を基本として正当化しようというものであった。

この議論の本質は、環境保護・グローバルな金融システムの発達・国境を越えた犯罪対策・難民問題などなど、今の世界が新しい(これまでになかったような)相互依存の時代に入っているのであり、そこにおいてはいわゆる「対外的な問題」(external affairs)にも干渉するだけの新たな能力が必要とされている。そこではある種の抑圧とか不正義は無視してはならない・・・という良心や賢明なる自己利益(enlightened self-interest)が支配しなければならない。

大国の孤立主義を排する

つまりブレアは「富裕国・軍事大国といわれる国々が孤立主義に走ることで、世界的な危機がますます大きなものになる」と主張しているのである。

こうした考え方によるならば、(ある国において抑圧や不正義が為されているという)危機とそれがもたらす危険な状態に直面して何もしないでいるということは、「思慮分別」(prudence)という観点から全く受け容れることができないということになるのである。世界のあちらこちらで為される不正とその結果として起こる混乱をそのままにしておくならば、それはいずれは我々にも危害を及ぼす結果となる。またそれらをそのままに放置することは倫理的にも許されないということになる。ブレアは2001年の労働大会における演説で「アフリカの現状は世界の良心にキズをつけるものであるが、世界全体が"コミュニティとして"行動するならば、我々はそのキズを癒すことが出来るのだ」と主張したのである。

原則と自己利益は切り離せない

ブレアのこの考え方は世界の「被支配者」に対する「伝道師的ともいえる憂慮の念」(evangelical concern)の発露とも言えるが、もう一つには植民地というものがなくなった時代(post-colonial era)において英国の影響力を最大限に確保しようとする決意の表れであるとも言える。さらに場合によっては武力紛争にも参加する意思があるということをも意味しており、ブレアはこのような考え方でコソボ、シエラレオーネ、アフガニスタンなど等に英国軍を投入したのである。

しかしながら、ブレアのこうした考え方には問題がある。それは彼の掲げる「原理原則」というものを「自己利益」から切り離すことが困難だということである。シカゴの演説でブレアは次のように主張している。

「国際秩序の問題を考える時、これまで長い間原則と考えられてきたのが"不干渉"ということであり、それを簡単に破棄しようというつもりはない。ある国が別の国の政治制度を変える権利があるなどと考えるべきではない。が、不干渉の原則というものも様々な観点から"正当化"(qualify)されるものでなければならない。(ある国における)虐殺行為は純然たる"国内問題"とみなすことはできない。何故なら抑圧は難民を生み出し、それが隣国の情勢を不安定なものにするからである。そのような場合は(一国における)抑圧行為は国際的な平和と安全にとっての脅威とみなされるべきなのである」

アメリカは善意でイラクに行くのではない

つまりブレアは「他の国の主権といえども、場合によっては(他国からの)干渉を妨げるものではない」と言っているのである。このような主張をするのはブレアだけではない。「国連が国際法を行使するときに国の主権によってこれが妨げられるのは、国連の弱点だ」という意見は多くの左翼系の人々によって語られている。 ただ問題なのは、イラクにおけるアメリカの立場が必ずしも「善意」に基づいているとは言えないということにある。アメリカは英国同様に中東にエネルギー上の利害を有しているし、歴史的にも複雑な関係を持っている。世界の圧倒的な軍事力が、利害関係を有している国々によって支配されている今日、それらの国々が(自らの利害よりも)大きな「国際社会」のためにのみ行動しているのだ、と主張することは不可能なのである。そのような主張は何か別の方法によって証明されなければならないのである。