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むささびの鳴き声 |
009 オークの細道 | |
当り前のことではあるが、私は面白いことが好きである。「面白い」にも二つある。「可笑しい」という意味と「興味深い」という意味である。私は両方とも好きである。面白いことを嫌いな人間などいないのであるが、私の場合、自分が面白いと思うことは、他人もまた面白いと思うに違いないと思い込んでしまう傾向がある。そうした傾向も私に限ったことではないのかもしれないが、他人よりも強いことはほぼ間違いない。それが故の失敗もあるけれど、いいこともある。 主役はオークと中学生 で、私が最近「面白い」と思い込んでしまっているのが「オークの細道」という計画である。2002年に日英グリーン同盟という活動があって、日本全国約200ヵ所にイングリッシュオークという木が植えられた。この活動についてはここでは詳しく触れないけれど、これもまた私自身の「思い込み」を英国大使館に提案して実施されてしまった活動なのである。 私が他の人も面白いと思うに違いないと信じて疑わない「オークの細道」計画は、イングリッシュオークが植わっている町に住んでいる中学生が、他の町のオークを訪れ、その前で写真を撮ってくるというものである。たったそれだけのことであるが、条件が一つだけある。それは近くであれ、遠くであれ違う町へ行くのは「ひとり」でなければならないということである。何故参加者が「中学生」なのか、何故「ひとり旅」なのか・・・。 「中学生」にこだわるのは、小学生では遠くへひとりで旅行するのは無理だし、高校生では年齢が高いし、私の思い込みによると可愛げがない。大学生はもっと可愛げがないし、車で行ったりすることもある(私としては公共の乗り物を使うことにもこだわっているのである)。と、いろいろ理由は挙げることができるけれど、実はそのどれもが大した理由ではない。自分自身が中学生の頃を思い出してみると、あの頃が最もいろいろなことに「目覚める」時期であったし、苦しいこともあったにせよ、楽しいことも大いにあった時代であったような気がするということである。いずれにしても大した理由ではない。 ひとりになろう しかし「ひとりで行く」ということは極めて大切なポイントであると思っている。ひとりで電車に乗り、知らない町の駅で降り、オークのある場所を探し・・・という作業を「ひとり」でやる。人間というものは、生まれながらにして、家庭・学校・会社・隣近所・クラブ活動などなど、必ず何らかのグループに所属して生活するものである。それに比べると「ひとりになる」という行為は、意識的な行為であって「わざとやる」ものなのである。そうすることによってグループで活動していては見えて来ない、いろいろなことが見えてきたりするものである。 これは極めて大切なことである。見えてくる「いろいろなこと」には自分自身も含まれることは言うまでもない。ひとりで電車に乗って窓から景色を見ていると、時として景色を見ている「自分」を見ているという感覚を経験したりする。それから「ひとり」ならではの不安や寂しさも経験するだろう。いずれにしてもたまには「ひとり時間」というのも経験した方がいいに決まっている。 「個性尊重」って何?! 私の自宅の近くに中学校がある。本当に不可解なのは学校が休みのはずの週末まで、野球やテニスやブラスバンドなどの「部活」のために学校に来ている中学生が沢山いる。彼らには、ひとりでポツンとしている時間というのはないのだろうか。何をするでもなく、ただボーッとしている時間である。まさかとは思うけれど、他人と一緒にいなければ不安というような精神状態にあるとすると本当に事態は深刻である。 ただ可笑しいのは、彼らが「ひとり」でいることが非常に少ない(と私には見える)にもかかわらず、教育の現場では「個性尊重」とか「創造性の育成」などというスローガンが聞えるということである。個性とか創造性というものは「ひとり」であることが絶対的な条件のはずである。やることなすことすべてに矛盾・混乱している。私はというと「個性」だの「創造性」だのという言葉は余り好きではない。この種のことは言葉に出して語るようなものではなくて、そこはかとなく「にじみ出る」という類のものだと考えているのである。 世の中ひとりではない というわけで、オークの細道はひとりに限るのである。が、私が密かに期待しているのは、ひとりで旅をする中学生が全く見知らぬところで他人と接触をするということなのである。「接触」にもいろいろある。ただ単に道を聞くだけということもあるし、オークのあるところまで案内してくれる場合もあるだろう。ひょっとするとお茶のいっぱいもご馳走してくれるかもしれない・・・。 オークの細道について私が「絶対面白い」と思い込んでいる本当の理由はここにある。即ちひとりでありながら他者と接する経験をするという部分なのである。「世の中、ひとりではない」ということを「ひとりで」実感してほしいということなのである。 町と町を繋ぐ「オークの細道」 「オークの細道」は私の「思いつき」であって、いま流行りのNPOのような組織活動ではない。会費なし・会則なし・会報なし・何にもなし。それでもこのアイデアを面白がって、それまで行ったこともない町へ行き、会ったこともない人たちと時を過ごすという経験をした中学生が一人だけいる。東京・板橋に住む正真正銘の中学生で、私の知り合いの息子である。自分が暮しているコミュニティにオークが植わっているが、彼が見に行ったのは鹿児島県指宿市のオークだった。「青春18」という格安切符を使った2日にわたる列車の旅であった。 オークの細道の話を私から聞いた彼の父親は「可愛い子には旅をさせよと言いますから・・・」と今どき珍しいクラシックな格言をもって息子を送り出した。さらに有難いのは、この中学生を指宿で迎えてくれる大人たちがいたということである。市内の案内はもちろんのこと、どうやら「ホームステイ」までさせてくれたようなのである。私の願いは「オークの細道」が、旅行をする中学生にとってのみならず、彼を迎える大人たちにとっても「面白い体験」となってくれることである。そして将来は指宿の中学生が東京・板橋を訪れる(もちろんひとりで)かもしれない。 「活動」ではなく「体験」 オークの細道は「活動」ではなく個人的な「体験」にすぎない。しかしそこから何かが生まれるかも知れないし、そこから生まれる「交流」は「ひとり」が主人公だけに強くて長続きのするものになる可能性もないではない。またこれは「日英友好」というスローガンのもとに、2002年にあちこちで生まれた「イングリッシュオークのある町」をつなげるもので、英国とは直接関係がない。しかし理由が何であれ、遠くの町からわざわざ自分を見に来てくれる旅人がいるとすれば、はるばる英国から「拉致」されてきたイングリッシュオークも悪い気はしないはずだ。オークは正真正銘、一ヶ所に一本しか植わっていない。彼(オークのこと)もまたひとりなのだ。 |