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むささびの鳴き声
015 国際社会の定義が気になる
つい言葉にこだわってしまうけれど「国際社会」というのが気になる。「国際社会が一致団結して・・・」とか「そのような暴挙は国際社会が許さない」とか言ったりする。この言葉は英語のinternational communityの日本語訳で、先日小泉首相が国連で演説した時にもこの言葉を使っていた。普通communityという英語は「共同体」と訳すはずなのに何故か「国際共同体」といわない。EUがまだEC(European Community)であった頃に、日本ではこれを「欧州共同体」と言っていたのに、である。国際社会という日本語をinternational societyと英訳したら入学・入社試験ではバツを貰うのだろうか?逆にinternational communityを「国際共同体」とやったら落とされてしまうのだろうか?

There is no such thing as...

その昔、英国にマーガレット・サッチャーという首相がいた。彼女は在任中にいろいろと話題になる言葉を残している。その一つに「There is no such thing as society(この世に社会なんてない)」というのがあった。老人介護の問題をめぐって女性雑誌とのインタビューの中で言った言葉で、国民のことを考えない独裁者の言いそうなことだ、というわけで新聞にさんざ叩かれた。

彼女は自伝の中で「マスコミはいつも私の発言を歪曲して伝える」と文句を言っており、この発言についても「この言葉のあとに『この世にあるのは家庭であり、個々の人々である』と言ったのに、この部分は無視された」と怒っている。 老人介護について彼女はCommunity Careという政策を進めていた。お年寄りの面倒を見るのは政府ではなくコミュニティの責任だというわけで、この場合のコミュニティとは家族とかお隣さんのような具体的な人々のことを指していた。

彼女は「社会(society)」という言葉を「インテリの作りだした抽象的な概念」として嫌っていた。極めて熱心なキリスト教徒の父親のもとで育った彼女にとってコミュニティは、教会を中心にした隣近所のようなものであったのかもしれない。いずれにしても「この世に社会なんてない」というのは「自分たちのことは自分たち面倒を見なさい。社会(政府)などに頼ってはいけない」という意味であったらしい。

国際共同体主義

現在の英国首相であるトニー・ブレアという人は、サッチャーさん以上に「コミュニティ」という言葉を口にする。彼の場合は「お隣さん」どころか世界全体を「コミュニティ」と考えている。1999年にシカゴで演説したときに「国際共同体主義(doctrine of international community)」なるものを持ち出した。それによると「ある国の内部で大量虐殺などのような人権蹂躙が行われている場合、そこへ軍隊を送り込んででもこれを止めさせるのが国際共同体の責任だ。何故なら人権蹂躙の結果として(例えば)難民が流出して近隣諸国にも影響を与えるからだ」という。 現在の世界では国と国との相互依存の度合いがきわめて深いので、昔ながらの「内政不干渉」を決め込むことができなくなっているというのである。

この理屈によると、英国や米国がイラクを攻撃したのも「サダムのような残忍な独裁者を倒してイラク国民を解放し、国際社会への脅威も取り除いた"正しい戦争」(just war)"」ということになる。もちろん小泉首相もイラクに自衛隊を派遣することで、「正しい戦争」のために破壊されたあの国の復興を支援しようというのだから「国際社会の一員」としての役割を果たしているというわけである。

「社会」の定義

私自身の定義によると「社会」(society)はさまざまな考え方や価値観を持った沢山の人が集った押し合いへしあい状態のことをいい、「共同体」(community)は同じような価値観とか理想などを共有する人々や国が集った状態のことを言う。ブレア首相のいわゆるinternational communityの中に北朝鮮は入っているのだろうか?パレスチナは?スーダンは?ミャンマーは?キューバは?いずれも現状のままでは入れてもらえないだろう。おそらく第二次世界大戦前の日本もダメだろう。イラクに兵隊を派遣しなかったフランスは?ドイツは?中国は?ロシアは?途中で引き揚げてしまったスペインは?人質解放と引き換えに軍隊を本国に呼び戻してしまったフィリピンは?

このように見ていくとこの世界にはinternational societyはあるにしても、international communityは「あったらいいのに」というものではあっても、実際には存在しないということになる。今の世の中であえて「それらしきもの」を挙げるとすればニューヨークの国連しかない。その組織の事務総長という人が「米英軍のイラク攻撃は国連憲章違反だ」と言い切ったりしているのである。

米軍がバグダッドに攻め込んでフセイン大統領の像を引きずり倒した時、米軍兵士が星条旗を掲げようとしたシーンを鮮明に覚えている。あのアメリカ兵やブッシュ大統領にとって、イラク戦争は9・11テロに対する「復讐」であって「国際社会」などというもののための戦いではなかったはずだ。

理念の政治家?

しかしブレア首相にとってイラク戦争は、「国際共同体主義」という思想に従って、サダム・フセインという独裁者から「国際社会」を守るための正義の戦いであったわけだ。彼の場合、ブッシュ大統領のように自国の大都市がアルカイダのテロに見舞われたわけではないから(アメリカのように)熱狂的な復讐心に燃えた国民が背後にいたわけではない。あるのはブレアなりの「国際共同体主義」という理想である。

このような政治家を「理念がある」と言って称賛し、返す刀で「日本の政治家には理念がない」と嘆いたりする人がいる。しかし「国際共同体」という存在もしないものを守ると称して、他国に爆弾を落とすことを「理念」と呼ぶのなら、そんなもの要らないし、international communityなどという言葉を安易に使ってもらいたくもない。

というわけで、私が試験官なら「国際社会」をinternational societyと英訳した人には○を、international communityという答には?(×ではない)を与えるだろう。international communityの日本語訳は「国際共同体」の方がふさわしい。「不自然」なのがいい。
(2004年3月21日)