home backnumbers uk watch finland watch
どうでも英和辞書 むささびの鳴き声 美耶子のコラム green alliance
むささびの鳴き声
017 ウォーキング

かなり恥ずかしいことであるけれど、私はここ約半年間、ウォーキングというのをやっている。眠くてどうにもならないとき以外は、殆ど毎朝6時ちょっと過ぎに家を出て、近所の川べりをウォーキングして7時前に帰ってくるという生活をしている。散歩ではなく、ウォーキングである。

ちょっとだけ理屈を言わせてもらうと、歩くという行為は3種類に分けることができる(と私は思っている)。「徒歩」「散歩」そして「ウォーキング」である。徒歩は「けなげ」である。「XX駅から徒歩3分、格安・豪華マンション」というので行ってみたら10分もかかる場所であったりする、あれ。 散歩は優雅である。近所をぶらぶらしていたら道端に小さな花が咲いているのを見つけ「よく見ればなずな花咲く垣根かな」という俳句を思い出して「やっぱ日本語は美しい」と感じ入ったりする、あれである。

で、ウォーキングである。健康のためのこれを強く勧めてくれた(つまり殆ど強制した)のは私の奥さんである。彼女によると、ウォーキングをすると有酸素運動というが起こって、これが皮下脂肪をとって云々、つまり「身体にいい」というのだった。そのクセ彼女は私が歩いて(いやウォーキングして)いる間、自分は朝風呂につかったりしているのだから、不公平だとは思うけれどユーサンソだのヒカシボウだのという技術用語を使われると弱い。ただ私としては、60年以上も結構不健康なこともしながら好き勝手に生きてきて、今さら健康・健康と目の色を変えるのが恥ずかしいということである。

これを始めてみて驚いたのであるが、私と同じような時間帯に同じような目的で川べりを歩く人が案外多いのだ。40分の間に少なくとも5人には出会う。中には腕を大きく振りながら大またにしかも結構な早足で歩いている人もいる。 「健康の見本」みたいな人たちで、醜い限りである。そんな人に限って私とすれ違いざま「お早うございま〜す!」などと快活・明朗な声をあげたりする。非常に気持ちが悪い。もちろんそのような人ばかりではない。私と同じようにうつむき加減に、そそくさと私と目を合わせることもなくすれ違う人もいることはいる。何か自分がひどく悪いことをしているような風情なのだ。まともな人たちである。

恥ずかしい思いをしながらも、私がウォーキングを続けているほとんど唯一の積極的な理由に万歩計がある。私の知り合いから勧められて買ってしまった「奥の細道」という名前の万歩計で、あの松尾芭蕉が歩いた奥の細道ルートを最初から最後までなぞって歩く。江戸の深川から出て松島・平泉・酒田などなどを通過して最後の「美濃の国・大垣」までおよそ600里(約2400キロ)の行程である。

嬉しいことに然るべき「拠点」に到達すると、その場所で芭蕉が詠んだ俳句がスクリーンに表示される。出発点である江戸・千住の「行春や鳥啼き魚の目は涙」から始まって、平泉の「五月雨の降りのこしてや光堂」、立石寺(山形)の「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」といった具合である。ちなみに「奥の細道」の中で私の一番好きな句は「暑き日を海にいれたり最上川」で、これは山形・酒田まで歩くとスクリーンに出ることになっている。

万歩計などというものを珍しがっているのは私だけなのかもしれないので、多少遠慮がちにその原理を説明させて貰う。自分の歩幅を基準に何歩ウォークしたかを記録することで、それをキロ数に換算する。私の歩幅は大体60cm、毎朝40分ほど歩いて大体4800歩。これを距離に直すと3キロ弱である。

ということは「奥の細道」(2500キロ)を歩き通すためには800日以上かかる計算になる。 私の万歩計によるとこれまでに250キロ歩いたことになっている。これまでに2日ほど万歩計をつけ忘れてウォークしたことがあるので、本当は??キロ歩いたはずなのに「公式記録」としては認められない。未だに悔やまれる。

ちなみに松尾芭蕉はというと、全行程を約5ヶ月で歩いたそうである。ということは、一日も休むことなく歩いて、一日平均16キロ以上ウォークしたことになる。おそらく途中どこかで一晩や二晩は逗留したこともあるだろう。つまり日によっては20キロも30キロも歩いたかもしれないということだ。5ヶ月というのは何かの間違いではないだろうか!?

私は「奥の細道」を歩いているが、これを薦めてくれた知り合いはもっとスケールが大きく「シルクロード」という万歩計をウォークしている。全行程4000キロだそうで、これまでに100キロを「歩破」しているのだから「あと4年で全行程終了で〜す!」と殆どヤケ気味である。 で、二人で「気をつけよう」とお互いに確認し合っていることがある。それは間違っても万歩計のリセット・ボタンを押さないことである。大垣の手前でそれをやってしまうと・・・ということは考えないようにしよう。

こういう我々に対して「あんたら何を考えているのだ。万歩計の記録はどうでもいいだろ。歩くということが大切なんだから・・・」と親切にも注意をしてくれた人がいた。まるで分かっていないのだ、この人は。せめて万歩計の記録でもなければ、ウォークなんて・・・やってらんねぇな。

また「健康ウォーキングをしている間は、恥も外聞も忘れろ」と忠告してくれた友人もいる。しかし人間、恥や外聞を忘れるわけにいかないのだ。先日、東京・六本木を歩いていて、私と同じ様な年頃の男女が群れをなして歩いているのに出くわした。少なくとも50人はいたと思う。あろうことか全員が「XX市ウォーキング協会」と書いたゼッケンをつけていた。恥ずかしいことをするのに、何故わざわざゼッケンなんぞ身に着けるのか・・・わっかんねぇ!

ところで「万歩計」は英語でいうとstep-counterとなるらしい。直訳すると「歩数記録計」で、面白くも何ともない。万歩計とは実に夢のある名前ではないか。さすが日本文化だ。ついでに「孫の手」を英語でいうとback-scratcher(背中掻き)。これも英語の方が余りにも無味乾燥だ。

2500キロを歩数に直すと私の場合で大体420万歩である。420万回足踏みしないと、江戸から奥羽地方を経て日本海側を通過して大垣まで到着することは出来ないということである。何だかわからないけれど凄い数字のようである。