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人生は宝くじみたいなもの
2003年3月23日
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英国という国に興味のない人にとってはどうでもいいことであるが、英国は「階級社会」であると言われている。詳しいことは英国という国で暮らした経験がないので私自身にも分からないし、そもそも「階級」がどういうものであるのかさえよく分からない。が、今から10年ほど前のこと、ジョン・メージャーという人が首相であった頃に、政策スローガンとして「階級のない社会(classless society)を目指そう」というのがあった。ということはその頃の英国には「階級」なるものがあったということなのだろう。
尤も2年前の調査によると70%に近い英国人が自分を「どの階級にも属していないし、今の英国では階級は重要ではない」と答えている。つまり大多数の英国人が、階級を意識していないということになるけれど、ややこしいのは「今日の英国は階級のない社会である」と考えている人はたったの17%で、76%もの人々が「無階級社会ではない」と考えているという数字が出ているということである。
それから例えば「労働階級」(working class)とか「中産階級」(middle class)などという言葉がわりと日常的に使われる。あのパブはworking classの人たちが行くところだ、とか、私の両親はどちらかというとmiddle classなの・・・といった具合である。新聞もworking classはセンセイショナルな見出しとスキャンダル中心の「大衆紙」(popular papers)を、middle classの人たちは分析記事だのエッセイだのが多い「高級紙」(quality papers)を読むとされている。ある「高級紙」のジャーナリストに聞いたところでは「普段高級紙を読んでいる人がたまに大衆紙を読むことはある。が、大衆紙を読むことを常としている人が高級紙を読むことは絶対にない」とのことであった。
その英国で特にmiddle classの人々に読まれている週刊誌The Spectatorは英国の保守的な人々の考え方を知るのには非常に参考になる。古い話で申し訳ないけれど、2000年7月8日号にDOWN WITH MERITOCRACYというエッセイが掲載されていた。MERITOCRACYは「実力主義」という意味だから、このタイトルは「実力主義反対!!」という意味になる。このエッセイはアメリカで暮らした後、英国へ帰国したばかりのトビー・ヤングという英国人が書いたもので、次のようなイントロで始まっている。
- A society based on class is kinder and gentler-and more generous to those who fail-than one based on ability alone.
英国とアメリカを対比して前者を「階級社会」、後者を「実力主義・能力中心主義社会」と定義し、英国のほうが「失敗者に対して親切で優しく寛大」であると主張している。アメリカ社会では能力と実力のある人が尊敬されるのに対して、階級社会の英国ではどの家柄の出身なのかが問題にされる。どのような家柄の出であろうと実力があって一生懸命努力することによって成功者となる…これがアメリカン・ドリームというものだろう。それに対して英国の場合は、家柄によってその後の人生が決まってしまうようなところがあり、人生とは宝くじみたいなもの、自分の努力でどうなるものでもないという考え方が定着している(とこの筆者は言っている)。
アメリカでは実力とハードワークによって成功した人は尊敬を集めるが、その裏返しとして「失敗者」は能力もないし努力もしなかったヤツとして、世の中のツマハジキ的存在に成り下がってしまう。それにひきかえ英国では、失敗者(失業者も含む)はたまたま運が悪いだけで人格とは関係ない。世の中どのみち不公平なものなのだ、失敗したからってアンタが悪いんじゃない…というわけ。筆者の結論は「"完全にフェアな社会"などというものはこれからもできっこない。それが分かっている英国の方が、いわゆる"成功者"でない人にも住みやすい社会だ…」というわけである。
トビー・ヤングという人のアメリカ観が正確かどうかはともかく、階級社会を「本人の努力や能力以前に家柄で人生が決まってしまう社会」と定義すると、日本は「階級社会」ではない。しかし日本が、一人一人の努力や能力を大いに尊重する「フェアな社会」なのかというとこれも疑問ではある。有名大学を出て一流企業に職を得ることで、生活上の安定が保障される(と思い込む)という「寄らば大樹の陰」主義(企業階級社会といってもいい)は、以前に比較すれば少なくなったとはいえ厳然としてある。「ジャイアンツとの試合さえ確保できれば、我がチームは安泰」という哀しい「現実主義」も根っこの部分では同じようなもので、結果として残るのは「世の中強い者が勝ち」という諦め感覚である。
この間、オックスフォード大学の先生から「現代の英国社会」について話を聞くチャンスがあった。彼によると、英国はサッチャーさんが首相になってから変わってしまったという。いわゆる「古き良き英国」は永遠に無くなったのだそうである。この場合の「古き良き英国」はトビー・ヤングの言う「失敗者に対して優しい階級社会」と同義語である。個人の持ち家が増え、個人で株をやる人の数が非常に増えた・・・即ち「金儲け」を悪いことと思わなくなったというのである。
「で、英国の人たちはサッチャー以前に比べて幸せになったのでしょうか?」と聞いてみると、その教授は数秒間の沈黙後「幸せにはなったけれど、楽ではなくなったな」(happy but uncomfortable)と奇妙な答えをした。私が怪訝な顔していると「金で幸せは買えないからな」(money can't buy happiness)と続けたので「でもある程度は金で幸せは買えるのはありませんか?」と、(悪い癖が出て)しつこく聞いてみた。すると教授は「ある程度はな」と煩そうな顔をした。「人生、アンフェアな宝くじみたいなもの」というトビー・ヤング的達観よりも「努力すれば何とかなる」という方が単純な意味での説得力はある。けれど肩も凝るということだ。
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