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むささびの鳴き声
031 日本とドイツの「過去」は比較できない

96回目のむささびジャーナルで、アメリカのフランシス・フクヤマという人のブログを紹介しました。その中でフクヤマ氏は日本の小泉首相の靖国参拝やナショナリストと言われる安部首相誕生に触れて 、日本は自らの「過去」を清算していないという趣旨の意見を述べています。むささびジャーナルでは 触れなかったのですが、実はそのブログには、フクヤマ氏の見解を批判するかなり長い投稿が掲載され ていました。投稿したのはSantor Praetorius という人で、多分アメリカ人だと思います。 この投稿の趣旨は「確かに日本は過去の清算をまともに行っていないかもしれないが、日本の罪とドイ ツのそれはとても比較できるものではない」ということであり、日本だけを悪者扱いするのはおかしいということにあります。

非常に長い投稿を短くまとめるのは、私にはとても出来ないので、とりあえず全文を訳して紹介することにします。同じことを繰り返している部分もあって、かなりくどい。また必ずしも私自身がこの投稿者の意見に賛成するものではないのですが、アメリカにもこのような意見の持ち主がいる・・・ということは知っておくのは悪いことではないと思うのです。なおフクヤマ氏の意見とこの投稿の原文はここをクリックすると見ることができます。

注:記事中の見出しは便宜上、私がつけたものです。
日本がドイツのように身を清めていないこと、日本が自らの罪を認めるためにもっとなすべきことがあ る、という点ではフクヤマ氏は正しいのかも知れないが、私は、満州において日本やったことと、ユダ ヤ人の大量虐殺を行ったドイツ人を一緒にして比較するのはフエアでないと思っている。日本による満 州侵略は残酷であったし、満州を搾取したことも事実であろうが、大量殺戮をしたわけではない。何故 日本はその帝国主義的な行いについて、永久に自己批判をしなければならないのか?ヨーロッパ諸国は そんなことはしていないではないか。

共産主義の悲劇の元凶はユダヤ人?

ベルギー人はコンゴについて年がら年中謝罪の念を表わしているか?南アの白人たちは、過去のアパル トヘイトについて、一日中自分を叩いて後悔したりしているか?アメリカ人だって、アメリカ・インデ ィアンを征服して大量殺戮したことについて、本当に心をいたしたりしているのか?ロシア人はアジア における自らの帝国主義について、中央アジアやバルト諸国の無慈悲な支配について後悔したりしたこ とがあるのか?ロシア人は鉄のカーテンについて謝罪したのか?ユダヤ人だって、世界中に貧困や悲惨 をもたらした自らの左翼過激派について謝罪したことがあるのか?何故、日本だけを取りあげるのか?

そもそも誰が日本叩きをやっているのか?中国だろうか?そうだとしたら、蒋介石は日本の軍国主義者 に負けず劣らず残酷であったし、毛沢東が平和時に殺した中国人の数は、日本人が戦争中に殺した中国 人の数よりもはるかに多いのだ。北朝鮮はどうなのか?人災飢饉で300万の国民を殺害した政府は他 の国にとやかく言うべきではない。北朝鮮によって殺されたり奴隷扱いされている朝鮮人は、日本によ 占領時代よりも多い。その北朝鮮の金正日に対して韓国は寛容でありながら、日本についてだけ非難を 集中させるのは偽善というものだ。そもそも中国や韓国における日本叩きの殆どが政治的な意図をもっ て行われているのである。日本叩きは、国内の不満から国民の眼をそらせるための安易な方法なのだ。

日本は子供だった・・・

とにかく、私は日本の極右は本当にアタマがおかしい人たちであると思っているし、歴史に直面するこ とを潔しとしない殆どの日本人は恥ずべきであるとも思っている。しかし日本がアジアでやったことと 、ナチの行為を一緒くたにするべきではない。日本人は人種そのものを全面的に消滅させようとしてい たのではない。要するに、日本もフランスやイギリスと同様に帝国主義者であったということなのだ。 それらの国より、日本の帝国主義は残酷な面はあったかもしれないが、それだっていつもいつも残酷で あったというわけではない。

私の考えでは「犯罪に直面」しなければならないというプレッシャーはドイツに対してのほうが強いもの だったはずである。一つには、ドイツが行った大量殺害プログラムがきわめて重大な罪であったという ことがあるが、もう一つ、その当時のドイツは日本などよりもはるかに進んだ近代国家だったのであり 、日本などよりも分別を要求される立場にあったということもある。マッカーサー元帥が言ったとおり 、日本はまだ「14才の少年」のような国であったのだ。

ユダヤ人が被害者だと非難される・・・

もっと重要なことがある。それはドイツ人の犠牲となったのが、世界中に大きな影響力をもつユダヤ人 であったということである。ドイツが(例えば)600万のジプシーやセルビア人を殺したとしても、国 際的な非難は小さかったはずだ。ジプシーやセルビア人には、ユダヤ人のような影響力がないのだ。8 00万のウクライナ人がスターリンに殺されたって、誰も気にはしなかったではないか。ウクライナ人 には国際的な力などないからである。

賭けたっていい、日本が600万のユダヤ人を殺し、ドイツ人が1000万の中国人を殺したとしたら ドイツよりも日本に対する贖罪圧力の方が強いものであったはずであるし、生きていくために日本は身 を清めざるを得なかったであろう。

黒人だって同じなのだ。西欧では黒人差別が他の差別よりも強く非難される。これは「黒人奴隷」に関連 する罪の意識のようなものが、西欧の社会にはあるからなのである。南アのアパルトヘイトと中国によ るチベット人に対する残酷な行為を比べると、アメリカのメディアでは明らかに南アの人種隔離の方が 大きな記事になる。黒人が関連するとアメリカ人は罪の意識を持ってしまうし、アメリカ国内の黒人の パワーが大きいからである。同じくイスラエルによる西岸とガザ地区の占領もインドネシアによる東チ モール抑圧などは、南アにおける白人の行いなどよりもはるかにひどいものであったのに、南アのアペ ルヘイトほどの扱いにはならなかったのだ。

白人が黒人を殺すとニュースになるのに・・・

現在の西欧においては、知識人や政治家の思想が左翼によって支配されているということもあって、白 人が非白人よりも(道徳的な)水準の高さが要求される。南アの白人が黒人を10数人殺すと世界的なニ ュースになるのに、ルワンダの黒人が、同じく黒人を10万人殺したとしても、それは統計上の数字の ようにみなされてしまう。とにかく西欧社会は、大量殺害に関連して、ルワンダ人の道徳的なひどさ加 減を認めるのが非常にスローである。そもそも「大量殺害」(genocide)という言葉そのものを使うのにた めらいがあるのだ。そのような罪を犯すのは白人だけ、高貴な黒人は絶対にやらない、というわけであ る。

ドイツと日本の比較についてもう一つ覚えておくべきことがある。第二次大戦後のドイツの隣国は、い ずれも自由主義・民主主義の精神が進んだ国であったということだ。ドイツには真の民主主義国からの 圧力や影響、コンタクトがあった。つまりドイツがそのような「穏健で正常な国」のクラブに加わるべ きだという圧力が強くかかっていたということである。

それとは対照的に、日本は第二次大戦後のアジアにあって唯一のホンモノの民主主義国家であった。そ れ以前の日本の「罪」がどのようなものであったにせよ、南北朝鮮、中国、台湾、その他のアジア諸国に おける政治や社会生活に比べると、日本のほうが、より自由主義的、先進的、人間的な国であったこと は間違いないのである。多くのアジア諸国は自分たちが生んだ不寛容な軍国主義者によって支配されい たのである。

ともかく、日本は大人になって歴史の真実に直面しなければならない。しかし、日本とドイツを一緒く たにすることで問題を混乱させてはならない。確かにドイツは例外とも言える(謝罪の)態度をとってき たことは本当である。他のどの国もそんなことをしていない。しかしドイツの犯した罪は真実ひどいも のであったのだ。が、それではロシアにおける共産主義の罪はドイツのそれよりもひどさ加減が少ない とでもいうのか?共産主義という怖ろしい体制について、ロシアや左翼的ユダヤ人に対して、非難の声 があがったことはあるだろうか?

日本の左翼は自虐的

次に日本の左翼についても指摘しておきたい。日本の左翼は軍国主義のみならず、日本という国家や日 本文化までも非難することを行ってきた。彼らは、いわば自虐的日本であり、あまり信頼はされていな い。日本の左翼の多くが共産主義者かその同調者であったのだ。彼らはホーチミンのようなスターリニ ストを支持し、毛沢東のような大量殺人者を尊敬し、北朝鮮を支援してきた人たちなのである。

日本では、右翼が歴史を書き換えることを望んでいるし、左翼は日本の罪をセンセーショナルに扱って 日本的なもの、アメリカ的なもの、資本主義的なるものなどの一切合財をゴミ扱いしてきたのである。

例えば家永三郎氏が、極右勢力に対して自らの声をあげたことは勇敢なことであったかもしれない。し かし彼は彼なりに盲目的かつ妄信的(obsessive)であったのだ。家永氏の新しい宗教は、筋金入りの左 翼主義であり、毛沢東主義であり、ホーチミン主義であったのだ。ヒロヒトを敬うのを止めて毛沢東を 敬うようになったということで、それではダメなのである。

さらに日本人が憶えておくべきことがある。アメリカにおける「政治的正当さ」(political correctness)と反米的「多文化主義」(multi-culturalism)の例からしても、左翼は過去というものを利 用して、国としての団結(unity)、誇り、自信というのものをゴミ扱いする傾向があるということであ る。「過去の悪行」を認識することは大切ではあるが、それらに火をつけて分裂、不信、自虐・自己嫌 悪を生み出すのはあるべき姿ではないのである。

第二次世界大戦は「善と悪の戦い」ではなかった

もう一つ言っておくと、第二次世界大戦は日本が太平洋地域における西欧の支配対して抵抗する戦いで あったという日本人の主張は必ずしも間違ってはいないということである。日本人はアメリカが南北ア メリカを支配したように、日本にもアジアを支配する権利があると考えたのである。日本が帝国主義的 冒険に参加したころには、フランスや英国が、アジアを含めが世界の大半を飲み込んでいたということ なのである。そもそもアメリカそのものが帝国主義による征服が生み出した国なのである。日本とアメ リカの主な違いはというと、アメリカが勝者による帝国主義的企てであったのに対して、日本のそれは 失敗したものなのであり、帝国主義的企てであるという点では同じことなのである。

ある意味、第二次世界大戦は、「確立した帝国主義パワー」対「これから帝国主義になろうというパワ ー」(established imperial powers vs upstart imperial powers)の戦争であったのである。いわゆる 連合国(米・英・仏・露・中)は大きな帝国主義的支配地を有していたか、それらの国そのものが巨大な 帝国の集りであったのである。対照的にドイツ、イタリア、日本のような国々は置いてきぼりを食った か、カスのような残りものしかないと感じたのである。ドイツ、イタリア、日本は、彼らにも自分たち の巨大な帝国主義的支配地を獲得する権利があると感じたのである。要するに(連合国もドイツなども )両方とも間違っていたということなのであるが、スターリンのロシアを例外として、英・仏・米は独 ・伊・日など以上に先進国であり人間的な国であったということなのである。

とはいっても、第二次世界大戦は単純に「善と悪の間の戦争」というようなものではなかったというこ とである。