home backnumbers uk watch finland watch
どうでも英和辞書 むささびの鳴き声 美耶子のコラム green alliance
むささびの鳴き声
034 『キメラ:満州国の肖像』のショック

むささびジャーナルをお受取りの皆様の中で、「満州」という言葉について個人的な想いとかつながりなどをお持ちの方は何人くらいおいでですか?例えば親戚に満州生まれの人がいる、自分は満州からの引揚者だ、学校の先生が・・・という具合にです。私はというと全くありません。父親は徴兵はされたけれど外国へ行ったことはなかったし、親戚でも満州と関係ある人は知らない。

にもかかわらず、最近知り合いから勧められて読んだ『キメラ:満州国の肖像』(山室信一著:中公新書960円)という本にはかなりのショックを受けました。「1932年3月、中国東北地方に忽然と出現し、わずか13年5ヵ月後に姿を消した国家」である満州国の成立過程から没落までを丹念に調べて報告しているのですが、私にとっての驚きの一つは、著者が1951年生まれで、私よりも10歳も若い人であるということでした。私(1941年生まれ)でさえも満州国などには全くの無縁・無関心であったのに、戦後生まれの著者がいろいろな文献を基にこの本を通じて満州国について教えてくれているわけです。いわゆる「告発本」ではなく、むしろ学術書のような感じなので余計に説得力があります。

満州国について、ネット百科事典のWikipediaは次のように定義しています。

満州国(満洲国、まんしゅうこく、Manchukuo)は、1932年から1945年の間、満州(現在の中華人民共和国東北地区および内モンゴル自治区北東部)に存在した国家で、その建国には日本の関東軍が大きく係わっており、今日では日本本土及び当時支配下だった朝鮮半島の防衛と大陸での権益確保のために作った傀儡国家と見なすのが一般的である。第二次世界大戦(大東亜戦争)での日本の敗戦とともに消滅した。

要するに当時の日本人が、あろうことか中国まで出かけて行って独立国家を作ってしまったということですが、そこには朝鮮族、漢族はいうまでもなく、モンゴル族だの満州族だのといろいろな民族が混在していた。そこでは日本人(大和民族)を頂点とする階級社会が厳然として存在していたのだそうです。とにかく食べ物からして違う。日本人は米を食べ、朝鮮族は米と高粱(コーリャン)、漢族や満州族は高粱だけ・・・それを証言する文献まであるのだからどうしようもない。

で、何故当時の日本人が満州国などというものを作ってしまったのか?ということについては、歴史の教科書を読むか、Wikipediaを読んでもらうしかない。むしろむささびジャーナルとしては、当時の日本の指導者たちが、異なる民族が平和裏に共存する「民族協和」を実現しようという大いなる理想と夢をもって満州国の建国に力を尽くしたのだということを強調しておきたいわけです。この本によると満州国は「欧米の帝国主義を拝してアジアに理想国家を建設する運動の場であった、満州国建設は一種のユートピア実現の試みでもあった」と考える人が今でもいるんだそうです。

つまり「理想」はよかったのに、現実はまずかったということなのですが、著者の山室信一さんはその辺りのことを次のように書いています。

たしかに複合民族国家満州国での歴史的体験は、日本人が初めて大規模にかかわった人種、言語、価値観の異なる人たちと共存していくという多民族社会形成の試みであった。しかし、そこで現実に行なわれたことは、異質なものの共存をめざすのではなく、同質性への服従をもって協和の達成された社会とみなすことであった。

著者はまた「真の民族協和」とは、異なる民族や文化が衝突や摩擦を引き起こしながらも、そのぶつかり合いが発する火花のようなもの(スパークス)を活力源として、新たな文化を形成していくことによって、もたらされるのだろうとして、次ぎのように言っています。

そうであるとするならば、自らを他民族に文明と規律を与える者という高みに置いた日本人、多様性を無秩序と捉える日本人によって達成されるはずもなかったのである。


満州国を肯定的に考えた人の代表格とも言えるのが、40年以上も前に首相だった岸信介さんで、満州国は「ユニークな近代的国家つくりであった。直接これに参加した人が、至純な情熱を傾注した」と言っている。岸信介さんは安部晋三さんの「お祖父さん」だったっけ?この人は満州国で役人をやっていたのだそうです。

▼『キメラ:満州国の肖像』は非常に文献引用が多いので、とっつきにくいことおびただしいけれど、我慢して読んでいくうちに、当時の日本人が中国へ出かけて行って、実にとんでもないことをしてくれたのだということが分かってくる。やった本人たちは「素晴しい理想に燃えていた」というのだから余計に始末が悪い。

▼この本については、満州国肯定派からの批判はかなりあるのだそうです。理想そのものは悪くない・・・というわけですが、外国まで出かけて行って自分の「理想」を実現しようとする厚かましさだけでも落第ですよね。さらにこれら「理想主義者」は、アジアに進出して傲慢に振舞う、米国、英国、フランス、オランダのような「西欧列強」に対する「アジアの戦い」という意識もあった。つまり西欧コンプレックスですね。『国家の品格』とどこか似ている。 (2006.8.6)