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むささびの鳴き声
048 英語で英語を教えるってホントですか!?

12月23日付けの朝日新聞に「高校英語、英語で授業」という見出しの記事が出ていました。読んだ方います?2013年度から全面的に実施される高校の学習指導要領案というものが発表され、その中に「英語の授業は英語で指導することを基本とする」と書いてあるのだそうです。

この日は、社説でもこの問題が取り上げられていました。見出しは『英語で授業・・・really?』というもので、「高校の英語の先生たちの中には、頭を抱える人も少なくないだろう」という出だしになっている。really?(ほんまかいな)というわけで、余りにも突拍子も無いお達しで、高校の先生はもとより、この社説を書いた人自身が面食らっているようなのがおかしいのですが、社説のポイントと思われる部分をそのまま書き出してみると次のようになる。

日本人の英語下手はよく知られるところだ。ノーベル賞を受賞した益川敏英さんのスピーチは、その象徴といえるかもしれない。中学、高校と6年間学んでも、読み書きはともかく、とんと話せるようにならない。<中略> だから英語教育を変え、会話力を育てたい。それはその通りだ。そのために授業を英語での意思疎通の場と位置づける。その発想もいい。

つまり、英語で英語を教えること自体は「悪くないじゃないか」と言っているように思える。しかし、朝日の社説は、

文法を英語で分かりやすく説明したり、生徒の質問に英語で答えたりすることは簡単ではないだろう。できたとしても、どれほどの生徒が理解できるだろう。

という疑問を呈したうえで、

いきなり英語で授業、と言われても現場は混乱するばかりだ。使える英語を身につけるためには、どうすればいいのか。そのために英語教育をどう変えるべきなのか。その道筋と環境作りを大枠で整えることが先決であり、文科省の仕事ではないか。

と言っております。要するにアイデアとしては悪くないけれど、「そんなこと、いきなり言われても困るなぁ」と言っているようです。

それにしても、日本人は「中学、高校と6年間学んでも、読み書きはともかく、とんと話せるようにならない」ということ、何年言われてきましたっけ?5年や6年のハナシではない。20年、30年も前から同じようなことが言われて来たのではありませんか?

にもかかわらず、相変わらず「英会話が上達するような環境」を作ろうってことですか?どんな環境を作ろうというのですかね。これだけ同じことを言ってきて、それでもダメだというのなら、何をやってもムダってことなのではありませんか?つまり日本人には、外国語が出来ないという民族的DNAのようなものがある・・・!?あるいは、日本人は実はこの社説や文部科学省の人が考えるほど「英語下手」ではないのでは? にもかかわらず誰かが何かの利益になるので、ダメだ・ダメだを繰り返して我々を騙そうとしているのではありません!?英語教材業界の企業とかが・・・。

朝日新聞によると「英語で授業」という案に賛成という意見ももちろんある。例えば全国英語教育研究団体連合会(全英連)なる組織の会長さんという人が、次のようにコメントしています。

英語で授業をしたら生徒が分からなくなると言う人がいるが、それは違う。言葉は使うもので、多用すれば生徒の意識も変わる。

この部分だけとると、全英連の言うことの方が当たっていますね。言葉というものは使って身につくものだということですよね。朝日の社説は、文法を英語で分かりやすく説明するのはタイヘンだ、と言っているけれど、そもそも「英語で行う英語の授業」に英文法なんてあるんですか!?This is a penという英語を教えるのに、Thisは主語で、isは動詞、aは冠詞で、penは補語だ・・・などということを「英語で」説明するんですか?「This is a penはThis is a penなんだ。ガタガタ言うんじゃねえ!」というのが、英語による授業なのではないのですか?

▼実は私の妻の美耶子は、中学・高校の6年間を「英語の授業は全て英語で」という環境で育っております。彼女の学校の場合、アメリカ人(日本語が殆ど分からない)と日本人が英語教師であったそうなのですが、両方とも英語で授業をしたのだそうです。いまからほぼ半世紀も前のことです。で、彼女によると、それでも英語が苦手という状態で卒業する人の方が多かったはずだとのことであります。

ところで、今回のことについてあるフィンランド人に話をしたのですが、あの国では小学校3年から外国語の授業がある。ほとんどの子供が英語をとるけれど、スウェーデン語、ドイツ語、フランス語などもありなのですね。教師は小中高いずれもフィンランド人だそうです。フィンランド語による英語の授業ということですね。それと中学校になると「最低3言語」を習う。それにはフィンランド語も含まれているので、外国語は2つってことです。それは「最低限」の話であって、実際にはあと一つか二つの外国語は習うとのことであります。

このフィンランド人によると、自分が知っている日本人でWe do not speak English as we are Japaneseという意味のことを言う人が余りにも多いのだそうです。日本人には、英語を身につけることに対する「眼に見えないバリヤ(障壁)」のようなものがあるようだ、と申しております。

最後に、朝日新聞の記事によると、文部科学省の「幹部」なる人物が、高校の英語教師は「専門として英語を教えているんだから、能力は高いはず。(英語で英語を教えるについても)先生がパニックになるようなことはないだろう」と語ったと伝えています。教員が本当に対応できるのかどうかについては、内部で殆ど議論にならなかったのだそうです。

▼この記事に出てくる「幹部」とは誰のことなのか?何故、名前を明かさないのか?不思議だと思いませんか?それから、この学習指導要領案を考えた人たちは、何故「英語で授業」がいいと考えるのかを彼ら自身の言葉で語るということはやらないのですよね。全て朝日新聞の記者が文科省から配布されたペーパーと「幹部」による匿名説明会に基づいて書いた(としか思えない)記事なので、英語でやる英語の授業がどのようなものであるのかというイメージが全く浮かんでこない。

▼教育問題はどの国でもいろいろと議論がある。英国でもいま授業内容についての見直しが行われているけれど、見直し案を発表する記者会見が、案を考えた有識者の代表によって行われています。その案についての賛否両論がいろいろとメディアで取り上げられています。今回の「英語で授業」については、そのようなパブリック・ディスカッションが全く行われていない。本当にひどい話で、英語だの日本語だのという以前の問題ですよね。

▼きりが無いので、このあたりで止めておきますが、私の結論だけ言わせてもらうと、「英語で授業」をやったから、英語で自己表現を出来るようになるということには、もちろんならない。英語が話せるということと、(国際会議などで)しっかり自己表現ができるということは全く別の問題だと思っているのであります。国際会議のような場で、英語で発言できる日本人が少ないと嘆く人がいるけれど、英語以前の問題として、日本には、言葉による自己表現そのものを抑制しようとする風習のようなものがあると思います。「男は黙って・・・」などという態度が前向きに評価されるような雰囲気を持った国からは、国際会議で自己主張をすることの出来る人はまず出てこない、と思ったほうがいい。「黙々と正しいことをやる」のではなくて、いろいろとしゃべりながら間違いもやるし、正しいこともあるという態度の方が貴重なのだと思いますね。 (2009年1月4日)