中谷巌という人が書いた『資本主義はなぜ自壊したのか』という本が話題になっているようです。いろいろな新聞や雑誌に出ています。この人は細川・小渕内閣で、いわゆる新自由主義的な発想に基づく経済改革を積極的に進めたブレーンであったのですが、この本は、そのことが間違っていたという「懺悔の書」であることで話題になっているようなのです。私は未だ読んでいない。一冊1800円(正確にいうと税込みで1785円)もするからです。それでも、私でさえ聞いたことがある有名な経済学者が「自分は間違っていた」と「懺悔」をしているということに興味があった。そんな人でも自らの過ちを認めたりするものなのですか・・・?
で、本を読まずに、中谷さんという人が何を考えているのかということを知るためにインターネットをあたってみたら、「中谷巌のページ」というサイトに行き着きました。そのサイトで、何故この本を書いたのかということをご本人が説明しています。A4で一枚程度の簡単なエッセイなのですが、書き出しの文章がすべてを語っているように思います。
(この本を書いた)意図は、国の方向性は市場参加者の意図が反映される「市場メカニズム」に任せるべきだという「新自由主義」的な考え方で進んできた日本の「改革」路線では、日本社会の良いところが毀損していくのではないか、マーケットだけでは日本人は幸せになれないのではないかという疑問を率直に示すことにあった。
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中谷さんによると、「改革そのものを否定するつもりはない」けれど、「なんでも市場に任せるべき」という新自由主義的な発想のお陰で、日本はアメリカ同様の格差・貧困社会になり、医療難民が発生し、異常犯罪が頻発し、食品偽装が横行するような荒れた社会になってしまった。そして・・・
「日本の奇跡的成長の原動力であった中間層の活力を回復しないと日本の将来はない」と考えるからである。日本が富裕層と貧困層に2分されてしまえば、社会は荒み、日本の良さが失われるだろう。
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と訴えております。中谷さんのいわゆる「日本の良さ」の中身ですが、『東洋経済』という雑誌とのインタビューの中で次ぎのように語っています。少し長いのですが引用します。
日本は鎌倉時代ごろからずっと庶民が主役になるような社会風土をつくってきた。中でも江戸時代は歌舞伎や浮世絵を含め、町人層が担い手であり、貴族階級や武士階級が担い手だったわけではない。こういう庶民層が主人公になる、そういう社会は世界的にもユニークであり、ほかの国々はどこも過酷な階級社会だ。日本だけがわりと庶民社会で、中間層がそれなりの当事者意識を持っていたからこそ、西欧諸国と伍す経済大国になれた根本的な理由があると判断している。
それが新自由主義路線に乗っかったために壊れてきた。石炭産業のようにどうにもならなければ別だが、人員削減をそんな簡単に行っていいのか、経営者は悩みに悩む。ところが、最近はアメリカ流にすぐクビだとか内定取り消しだとか、する。これでは日本の強さは奪い去られてしまう。
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ここでいう「新自由主義」とは、あのサッチャーさんや小泉さんらが推進した(とされる)「小さな政府」「民営化」「規制緩和」に代表される考え方のことですよね。自分のことは自分で面倒見よう・・・という、あれ。中谷さんのメッセージは、ただただ「小さな政府」を推進すればよろしいという考え方が間違っているのであり、「日本のよき文化的伝統や社会の温かさ(コミュニティ)」を大切にしよう、ということのようであります。
▼中谷さんのこのような「転向」について「何をいまさら」とか「中谷は守旧派になったのか」という批判が寄せられているのだそうです。池田信夫さんという人(エコノミストのようです)はプロの立場から批判しています。
▼自分の考えが間違っていたと思うのであれば、それを変えること自体は何も悪いことではない。ただ、1億人以上の日本人を統治する政府のアドバイザーとして「このやり方が正しいのだ」と言った人が「やっぱ間違っとった」と言っても、彼が推進した政策のお陰でリストラにあってしまったサラリーマンや会社が倒産してしまった経営者のような人たちから「何をいまさら」と言われるのはある程度仕方ない。
▼ただ、そのようなことは別にして、私が中谷さんのエッセイを読んで気になったのは、鎌倉時代や江戸時代から受け継いできた「平等社会」とか「中間層の強み」とかいう「日本の良さ」が、「新自由主義路線に乗っかったために壊れてきた」と言っている部分です。新自由主義路線のお陰で社会に貧富の格差が生まれ、人々が孤立化し、それが理由で社会が荒れて、犯罪が増えて・・・と言いますが、たかだか貧富の格差が生まれた程度のことで、異常犯罪だの食品偽装が増えたということは、もともと日本人がその程度の人たちであったということなのではありませんか?日本人も「人並み」ってことであります。
▼新自由主義を否定して「日本の良さ」「日本の強さ」なるものを守ろう、という中谷さんのアタマの中に「世界をよくする」というアイデアがどこまであるのでしょうか?日本社会から派遣切りをなくし、貧困を追放し、不平等をなくせば、日本人はそれなりにハッピーでしょうが、そのことは(例えば)アフリカの飢餓を撲滅することにどのように繋がるのでしょうか?繋がらないのだとしたら、その種の「日本の強さ」など大して長続きするとは思えない。 |
中谷さんは郵政民営化について『東洋経済』とのインタビューで次のように語っています。
郵貯のおカネが自動的に道路建設に行くのを遮断したことは、いまでも高く評価しているし、必要だったと思う。だが郵政改革では、人の減った過疎地で郵便局が唯一の人間的接触の場所になっているところまでばっさり廃止してしまっている。こうしたことにどれほどの意味があるのか。
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▼「唯一の人間的接触の場」である郵便局を取り上げられたのなら、工夫して何か別の人間的接触の場を作ればいいのではありませんか?お寺だって神社だってあるでしょうが。
▼中谷さんのエッセイを読んでいると、かつては新自由主義という「合理」の世界で1億の日本人をまとめようと考えていた人が、今度は鎌倉時代だの江戸時代だのという霧の彼方のようなハナシで、私たちをまとめようとしている、と感じてしまう。政策立案というような立場にいる人は「まとめる」という発想しかしないものなのでしょう。私は、「まとめられる」側にいるわけですが、中谷さんの言う「平等社会」とか「中間層の強み」には窮屈さと排他性しか感じないのであります。 |
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