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原発事故は「第二の敗戦」

2011年8月16日付け東京新聞の「筆洗」というコラムが、故・池部良さん(俳優)の戦争体験について書いています。それによると池部さんは、自分の乗っていた輸送船が米潜水艦の攻撃を受けて撃沈され、12時間漂流したのちに救出されるなどの苦労をした。そして「筆洗」によると、池部さんは東京裁判(極東国際軍事裁判)について「勝者による烙印」であると批判していたのですが、その一方で「戦争を起こした陸海軍指導者の責任を日本人自身の手で追及すべきだった」と語っていたのだそうです。

「筆洗」のコラムニストは「戦後、冷戦が始まり、日本の指導者の戦争責任はあいまいになった」としたうえで次のように主張しています。

新聞は自らの責任に向き合わず、民主主義の礼賛に転じた。「第二の敗戦」ともいえる福島第一原発事故の責任をどう追及していくのか。再び同じ過ちを繰り返してはならない。

おそらくこの部分が筆者のメッセージなのだと思う。「新聞は自らの責任に向き合わず、民主主義の礼賛に転じた」というのは、戦争中にさんざ軍国主義を礼賛するようなことを書いておきながら、戦争が終わった途端に「さあ、皆さん今度は民主主義で〜す!」と明るく呼びかけるようになった新聞の豹変ぶりに苦々しい思いを抱いているようです。

私が最も興味を持ったのは、福島第一原発の事故を「第二の敗戦」と書いている点です。どういう意味なのでしょうか?私が「脱原発」と戦後の「非武装・中立」を重ねあわせて考えていることは何度か申し上げました。その意味で原発事故を「第二の敗戦」と呼ぶ「筆洗」と自分のアタマの間に共通点を見るのですが・・・。原発の安全神話も大日本帝国の完全無欠神話も現実とは程遠い虚構であるにもかかわらず大方の日本人はそれらを信じ込んでいた。

「筆洗」は「再び同じ過ちを繰り返してはならない」と言っているのですが、それはメディアは原発事故の責任追及をいい加減に終わらせてはならないと言っているのだと思います。俳優の池部良さんは「戦争を起こした陸海軍指導者の責任を日本人自身の手で追及すべきだった」と語っていたそうですが、原発の絶対安全神話を振りまいた政官業の責任もまた「日本人自身の手で追及すべき」だと「筆洗」は呼びかけている(と私は解釈しています)。神話を振りまくに当たって大いなる役割を果たしたメディアの責任も追及されなければならず、その意味で決して無罪ではない新聞ですが、それでも「政官業」の責任をきっちり追及していくことで少しは罪も軽くなるかもしれないということですね。[2011/8/28]