むささびの鳴き声


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newspaperかviewspaperか?
2007年6月

ブレアさんが首相退任前の2007年6月12日にロンドンで行った講演で、英国のメディア批判を行ってちょっとした話題になりました。講演のテキストはBBCのサイト に掲載されています。

ブレアさんが特に強調したのは、事実報道(news)と評論・意見(comments and views)などの報道は本来別けられるべき(should be divisible)であるのに、この二つが一緒くたにされて扱われているということ。つまり「事実」を報道しているのに、記者の「意見」が入っているような記事が多いということです。newspaperではなくてviewspaperだと言っています。この点でブレアさんが唯一名指しで批判したのがthe Independentという新聞で、次のように言っています。
  • まず最初に言っておきますがthe Independentは編集もよくできているし、活気に満ちた新聞であります。またこの新聞が、中東問題であれ他のことであれ、それが望むことを望むやり方で活字にする権利は完全に認められています。しかしながらthe Independentは「事実」(news)ではなく「意見」(views)を伝えるジャーナリズムという思想で始められた新聞であります。だからこの新聞はthe Independent(独立新聞)と呼ばれたのです。今日、この新聞は間違いなく単なる新聞(newspaper)ではなく、意見新聞(viewspaper)となっています。その結果として、今日ではバランスのとれたメディアの存在はまれになっています。(Let me state at the outset it is a well-edited lively paper and is absolutely entitled to print what it wants, how it wants, on the Middle East or anything else. But it was started as an antidote to the idea of journalism as views not news. That was why it was called the Independent. Today it is avowedly a viewspaper not merely a newspaper. The final consequence of all of this is that it is rare today to find balance in the media.)
▼the Independentのことを、まず「よく編集されている」だの「活字にする権利は完全に認められている」だのと、親切風なコメントから始まって、あとはメチャクチャこきおろし、というのはブレアさんの常套手段のように思えます。

▼The Independentという新聞の名前は、ブレアさんの言うように「事実ではなく意見を言うジャーナリズムという思想で始められた新聞」だからつけられたのではないと思いますが・・・。Kelner編集長も言っているように、それは政府や政党から極力、距離を保つべきという思想で発刊(1986年)されたことに由来していたはずです。そういう意味での「独立」(independent)です。その点で、政治色・政党色が強い他の新聞とは違うということを売り物にして発刊された。現在はどうか知りませんが、The Independentの発刊当初は、首相官邸などにロビー記者(日本でいう番記者)を貼り付けることはしなかった。それが政治との癒着を生むと考えていたからです。

The Independentはブレア政府のイラク政策を最も強硬に批判してきた新聞です。特にRobert Fiskという中東専門の記者などは、「事実の報告」をするにしても、ほぼ必ずといっていいほど、ブレア、ブッシュのイラク政策を批判するトーンで報道していました。とはいえ、首相の座にある人が、特定の新聞を名指しでこきおろすのは、異例であるだけでなく賢くもない、と思っていたら、案の定、The IndependentのSimon Kelner編集長が反論を載せた。記事のタイトルは
  • Would you be saying this, Mr Blair, if we supported your war in Iraq?(ブレアさん、アンタは我々がイラク政策を支持したとしても同じことを言ったんですか?)
というかなり挑発的なもの。

Kelner編集長が主張するのは、ブレアさんがこの新聞を批判するのは、viewspaperだからではなくて、イラク政策に反対してきたからだ、ということです。賛成ならviewspaperでも非難はしなかったろうということです。

Kelner氏によると、ブレア政府の10年は、政府による情報操作(spin)の10年であり、イラクにおける大量破壊兵器の問題を始めとして、政府の公式見解をそのまま受け入れるわけにはいかない10年であった。
  • 政府による公式見解を我々なりに解釈し、それにコメントを加えることが、これまで以上に必要であると感じている(we feel that the need to interpret and comment upon the official version of events is more important than ever.)
ニュースとコメンタリー(評論)が混同されている、というブレアさんの批判には次のように応えています。
  • 我々の読者は、ニュースとオピニオンを区別するだけの能力を有していると信じているし、我々の読者は自分の考えは自分で決めるということも確かなことだ。というわけで、本紙は(我々を批判している)ブレア氏の講演テキストを全文掲載するものである。そうすることで、読者に対して「別の考え方」を紹介するわけである(we are confident that our readers can differentiate between news and opinion. We can also be sure that our readers will make up their own minds, and with this in mind we are printing the full text of Mr Blair's speech (there we go again, offering another viewpoint).

    新聞が単に昨日の出来事を伝える掲示板であればいいという時代は、白黒テレビの時代と同じように時代遅れなのだ。(The days when a newspaper could be simply a notice-board of the previous day's events are as outdated as black-and-white television.)
Kelner編集長はThe Independentがイラク戦争に反対したことについては次のように述べています。
  • イラク戦争に反対したことについて謝るつもりはない。(ブレア政府による)イラク政策は、現代における最大の外交上の愚行であり、我々はブレア氏と彼の政府の責任はこれからも追及していくだろう(We are unapologetic about our opposition to Iraq, the biggest foreign policy folly of our age, and we shall continue to hold him and his government to account.)
▼英語の話をさせてもらうと、この最後のWe shall continue...という文章で使われているshallという助動詞にご注目ください。willではない。willは単純な未来形である場合と意図・意思を示す場合がある。shallも同じようなものですが、非常に強い決意を示す場合に使われる。昔、マーチン・ルーサーキングという人がいて、黒人解放運動についてWe shall overcome(我々は勝利する)という歌で有名でしたよね。Kelner氏のshallも、このshallです。

Kelner編集長の痛烈なブレア批判のエッセイは次のように締めくくられています。
  • もちろん、新聞が提供するもののバックボーンはニュースである。しかし、こんにちでは読者はニュース以上のものを欲していると我々は感じている。それはさまざまな評論であり、活発な議論であり、挑発的な第一面であり、もちろんニュースの背景についての意見・見解である。そもそもブレア氏は、彼の純粋なる天国における新聞とはどのようなものであると考えているのか想像するのは難しい。が、それがThe Independentでないことは容易に察しがつくというものである(Of course, news is still the backbone of our offering, but we feel our readers today want more: a diverse range of commentary, colourful debate, provocative front pages and, yes, the views behind the news. It is difficult to imagine what kind of newspaper Mr Blair envisages in his platonic heaven, but it's probably safe to say that this isn't it.)
▼ところで亡くなったジャーナリスト、Anthony Sampsonによると、現在のThe IndependentのオーナーはTony O'Reillyというアイルランド系の新聞王だそうで1994年に買収した。個人的にはブレア政府のイラク戦争を支持していたのですが、戦争反対の論陣を張る編集に介入することはしなかった。O'ReillyがSampsonに「The Independentはよく戦っとる(The Independent had a very good war)」と言ったことがあるそうです。The Independentは、いわゆる「高級紙」(quality papers)の中でも、発行部数の点ではイチバン小さいもので、約29万部であったと記憶しています。

▼Kelner編集長はブレアさんの講演テキストを全文掲載したうえで、反論のエッセイを掲載しています。私がいつも疑問に思っているのは、日本の新聞には余り政治家自身が記事を寄稿することがないってことです。皆無というわけではないけれど、おそらく英国の新聞よりははるかに少ないはずです。特に首相の寄稿は皆無なんじゃありませんか?例えば安倍さんが「私は何故靖国へ行くとも行かないとも言わない(で結局行く)のか?」というようなエッセイを寄稿するとか・・・。もちろん今では、安倍さんにもメルマガだのウェブサイトだのがあって、そこで彼の考え方は分かるのですが、そのようなものがなかった時代でも日本の新聞には首相の寄稿文はなかったと思いますが・・・。

▼私の観察が正しいとすると、何故、日本の新聞には首相の書いた原稿が載らないのでしょうか?何故か、外国の首相や大統領が書いた寄稿文は載せる。ひょっとして、首相の寄稿文を掲載することで、新聞が政府の広報誌になってしまうなどと考えているのではありませんよね。

▼それから何故、日本のテレビでは安倍さんや小泉さんの単独会見をやらないのでしょうか?これも不思議ですね。少なくとも英国ではやっているはずです。英国でやっているから日本でもやれと言るつもりはもちろんないけれど、新聞に寄稿文が載らない、テレビで単独会見がない・・・何故なのでしょうか?かつて「総理に聞く」とかいう番組があって、そのときの首相が単独でインタービューされていた。ただあれは「総理に聞く」というタイトルからしても、なにやら政府広報というにおいが強いものだったと記憶しています。

▼もちろんこのような疑問を呈するということは、私自身は両方ともやるべきだと思っているということです。それから、寄稿も単独インタビューもないことについて、いろいろと日本的なメディアの習慣のようなものを挙げて「日本と英国では違うから・・・」という「説明」もはっきり言って聞き飽きております。 (2007年6月)