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やらなかったことについての責任
2005年3月6日
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あるラジオ番組で「最近の子供たちはナイフのまともな使い方も知らない」ということについてのディスカッションをやっていた。私自身、ナイフでリンゴや柿の皮をむくことができないことを我ながら歯がゆく思っていたので、この番組も聞き耳を立てて聴いてしまった。番組に招かれたある中学校の教師の話によると、その学校ではかつて生徒がナイフで教師を殺害するという事件が起こった。それ以来、その学校では子供たちにナイフはおろか彫刻刀さえも持たせないのだそうである。
その教師は、過去において殺害事件のようなことが起こったかもしれないけれど、子供がナイフをまともに使ったことがないというのは、彼らの将来にとって良くないと思って、職員会議で「自分のクラスではナイフを使いたい」と提案してみた。結論から言うとそれは許可されなかったのであるが、その時、校長や同僚が口をそろえて言ったのは「ナイフの使い方を教えたりして、何かあった時にキミは責任をとれるのか?」ということだったのだそうである。
で、ラジオ番組に参加したその教師の言ったことが私のアタマにいまでも残っている。
- 責任をとれるのかと言われれば黙るしかなかったが、それ(ナイフの使い方を教えるということ)をやらなかったことについての責任は誰がとるのか・・・と思うのですよ。
その教師は、幼い頃に家庭でも学校でもナイフの使い方を教わらなかった子供たちが大きくなって世の中でナイフに接するようになったときに生ずるかもしれないトラブルのことを言っていたのである。
私、その教師が使った「やらなかったことについての責任」というフレーズが大いに気に入ってしまったのである。うまいこと言うなぁ。そんな責任など誰もとらない。結果として日本中にナイフの使い方も知らない大人が増えたとしても、である。「やったことへの責任」ばかり気にして、何もやらないという風潮なのだとしたら本当に情けない。
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