拍手を贈りたい宮崎学さんのエッセイ
2005年5月15日
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アタマの中で考えていてもそれを上手に表現できないでいるときに、それを代弁してくれたような文章に出会うと、とても嬉しいものですよね。私にとっては、東京新聞5月12日付け25面に出ていた宮崎学という作家の短いコラムもそんな例の一つでありました。ご本人の了解なしに半分だけ転載します。話題はJR西日本の事故。
- JR西日本の尼崎の事故とそれへのJRの対応について、特に事故直後にJRの社員が救助活動に加わらないばかりか、自粛もせずに遊んでいたとして、メディアによるバッシングが行われている。これを本末転倒という。
もともとメディアが企業や人の「道義」についてとやかく言えるご立派な存在だとは思えないということもあるが、今回の報道はあまりにもお粗末である。事故原因について取材力を持たなくなったメディアの思考停止状況を、事故の犠牲者家族への取材と「JR社員の無責任ぶり」への取材という、取材力がなくても比較的容易にできることで糊塗しているように見える。
(ここで宮崎さんは、今回の事故が国鉄の民営化に起因している部分もある、と批判して次のようにコラムを結んでいます)
- ・・・そして「民営化」を無批判に賛美してきたメディアは、自らの責任を棚に上げ、手近な「悪者」づくりに血道をあげている。この姿に、この国の絶望を見る。
というわけです。私が一番ピンと来てしまったのは”手近な「悪者」づくり”という表現でした。自分も読者であり、視聴者であるわけですが、マスメディアの独りよがりに辟易することがある。ありませんか、アナタも!?(2005年5月15日)
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