自動詞を他動詞に換える(またはその逆で他動詞を自動詞にする)にあたって、これさえ知っていれば全て解決する、という文法ルールは無いと言ってもいい。ある種のルールがないことはないのだが、それをルールと呼ぶのには余りにも色々なルールがあり過ぎて、それはルールというよりむしろ<例外>を項目別に分けたものという観があるからだ。
「切ります」(他動詞)と「切れます」(自動詞)というように「り(ri)」、つまり「…ます」のすぐ前の音が「イ音」の場合は他動詞で、「れ(re)」、つまり「…ます」のすぐ前の音が「エ音」の場合は自動詞だという単純なルールであってくれると万歳(!)なのだが、そうはなっていない。「開けます」(他動詞)と「開きます」(自動詞)のように、全く逆になるものがあるのだ。
困るのはそれだけではない。日本人なら「開けますは他動詞で、開きますは自動詞だ」とすぐに判断できるのだが、外国人にはどちらがどちらなのか、判断する手がかりがないのだ。 テキストにこれが出てくる時に練習する「使い方」として、「…テ形+います」は大体自動詞と一緒に使い「ドアが開いています」となり、「…テ形+あります」は例外なく他動詞と一緒に使い「ドアが開けてあります」となると出て来る。どちらが自動詞か分からない外国人の作る日本語は「ドアが開けています」や「ドアが開いてあります」ということになる可能性は十分に想像できるのではないか。
何か間違いを避けるための方法(切り札)はあるのか? 「これはペンです」という文が、英語では何故This /a pen / is.という語順にならずにThis is a pen.となるのかという類の質問に「そう言うんだから覚えるしか仕方がない」というような答え方は、少なくとも日本語を教える教師にあるまじき態度であると、ある日本語教師用のテキストに出ていたのを覚えている。
他の日本語文法事項には確かに理屈に合うルールもあるのであるが、この自動詞・他動詞については「日本人はこのように言うので覚えてもらうしかない」と言わざるを得ないのではないか、と思う。そして、ただひたすらパターン・プラクティスを繰返して貰うしかしょうがないのではないか…。 文法中心の語学教育の限界を見たような気がした。
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