現在、英国政府が進めている教育政策の一つに「子供たちの計画」(Children's Plan)というものがあります。2007年の12月に、文部大臣が議会に提出したもので、英国を「子供たちが育つのに最高の場所にする(the
best place in the world for children to grow up)」ことを目標にしています。
いまさらこんなことを政策目標にするというのも妙な話で、いまの英国が子供たちにとって最高の環境ではないということを認めているようなものですね。この分野については芳しくないニュースが多いのは事実であります。昨年2月に国連のユニセフが発表した報告書では、英国が「先進国の間では、子供たちにとって最悪の環境(the
worst place for children in the industrialised world)と決め付けられたりしている。この報告書では、例えば「学校友だちが自分に対して親切で、助けになってくれる」と考えている子供の割合が、英国が最も低いということになっている。
むささびジャーナルでも報告した、例のOECDの教育国際比較なるものでも、英国の子供たちのランクががた落ちという結果になっている。The
Economistの12月13日号によると、これ以外にも「子供の貧困」「肥満」「若年妊娠」「若年のアルコールの取りすぎ」等々・・・あるはあるはという感じになっている。
そこで文部省が打ち出したのがChildren's Planという10年計画なのですが、The Economistの表現を借りると「本来なら親がやることを学校にやらせる(to
get schools to do many of the things that a good parent would do)」ような政策が多いのだそうです。例えば:
などがあります。 Children's Planはさらに、子供たちが5才になるまでに修得すべき事柄を規定し、学校に対して、進歩具合をモニターするように求めているのですが、その規定が、69項目にわたる「早期教育目標(early-learning
goals)」と500以上の「発展道標(development milestones)」など実にきめ細かい。例えば:
といった具合です。3歳から読み書きをというのは世界的にも極めて早いのだそうですね。
ただ、The Economistによると、この計画については批判も多いそうです。特に就学前の子供のケアをあまりにも枠にはめすぎるたり、学問中心にしてしまうと、大きくなってから情緒不安定とか行動に問題があるという人間になり勝ちだとする学者もいる。それどころか、いまでも就学年齢が早すぎるという声もある。現在のところ就学年齢は4歳だそうです。確かに早い。
何と言ってもChildren's Plan計画の最大の問題は、子供や家庭のことを何から何まで学校がやろうとするということにある、というのがThe
Economistの見方で、結局何もうまくいかないということになると警告しています。学校は勉強を教えるところであるべし、というわけで、University
of BuckinghamのAlan Smithers教授の次のコメントを紹介しています。
私の想像によると、2020年あたりに教育大臣が、新しくてエキサイティングな機関設立の発表を行ったすることになる。その機関は、子供たちに勉強を教えることのみに特化しており、その一点のみを最高のレベルで行うことを特徴とするものである。(I
can imagine that in 2020 an education minister will announce an
exciting new sort of institution that concentrates exclusively
on educating children, and makes a virtue of doing that one thing
superlatively)
で、The Economistの結論はというと「不幸とされている英国の子供たちにとっては、あまり干渉しないというのが最善の政策かもしれない」(Doing
less for Britain's allegedly unhappy children might be the best
policy)ということであります。
▼Children's Planについては、ここをクリックすると出ています。
▼野党の自由民主党のDavid Lawsという教育担当スポークスマンは「ホワイトホールのスクリュードライバーが、全国の学校という学校にまで届かなければいけないのか?(Is
it necessary for the Whitehall screwdriver to reach into every
school in the country?)」と言っています。ホワイトホールとは日本でいうと「霞ヶ関」のこと。スクリュードライバーという喩えを使っているのは、行政機関による学校の締め付けに対する批判のコメントということでしょう。
▼日本も全く同じような問題を抱えていると思いませんか?文部省が口を出すとロクなことがないということもあるのですが、私個人的には、日本の学校の「部活」なるものは本当に問題だと思いますね。少しは子供を一人にしてくれまへんか?と言いたいわけです。このように言うと、「子供たちがそれを望んでいるではないか」と反論されるのではないかと思うのですが、「子供が何を望もうが知ったことか」というのが私の考えであります。
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パキスタンのブット元首相が殺されたことについて、12月29日付けのThe IndependentのサイトにRobert Fisk記者による寄稿文が掲載されていました。この人は中東問題の専門家で、分析というよりも現場報告が多い記者ですが、自分の実体験に基づく記事が多いので、英米ではかなり名前の通ったジャーナリストです。The
Independentへの寄稿文のタイトルはThey don't blame al-Qa'ida. They blame Musharraf(彼らは、悪いのはアルカイダではなく、ムシャラフだと言っている)となっています。ここでいう「彼ら」とは、ブット暗殺に抗議するパキスタンの人々のことです。
Fisk記者はまず、今回の事件についてのブッシュ米大統領が「過激派(extremists)」と「テロリスト(terrorists)」を非難したことについて、確かにこのようなことをするのは「過激派」であり「テロリスト」であるに決まっており、そのことをとやかく言うことはできない(you
can't dispute that)けれど、ブッシュのコメントは、ブット暗殺の背後に「イスラム過激派」(Islamists)が存在するかのような印象を与える。実はそれほど単純なことではない、とFiskは言っています。
Fisk記者は、ブット暗殺についての英国の報道を「子供じみている」(childish coverage)だと批判しています。あまりにもブット元首相を英雄扱いしすぎているというわけで、Tariq
Aliというロンドン在住のパキスタン・ジャーナリストがLondon Review of Booksという新聞に投稿したDaughter
of the Westというブット元首相に関する記事で触れられているいくつかのエピソードを紹介しています。
ブット元首相の兄弟二人が1981年にパキスタン航空をハイジャックして、パキスタンにおける政治犯の釈放を要求したことがある。彼らの要求は聞き入れられたのですが、それは同じ飛行機にアメリカ人が乗っていたことが理由だとされている。ハイジャック犯の一人であるMurtaza
Bhuttoという人は1996年に政治集会から帰ってきたところを警官に撃たれて死亡する。そのときの首相は姉のBenazir Bhuttoであり、殺された弟のMurtazaは、姉に対してパキスタン人民党(PPP)の理念への回帰を要求したり、姉が産業大臣(大いに金になる役職)に自分の夫を指名したことを非難したりしていた。彼女は弟の政治姿勢を快く思っていなかった。Murtaza
Bhuttoの殺害についてTariq Aliは次のように書いています。
-
狙撃犯が数人、この陰に隠れるように配置され、街灯が消された。事態を察したMurtazaは、手を頭上に上げてクルマから出てきた。彼のボディガードは発砲しないように言われていた。発砲したのは警官の方だった。7人から殺され、Murtazaもその一人だった。致命傷を負わせた弾丸は至近距離から発射された。A
number of snipers were positioned in surrounding trees. The
street lights had been switched off. Murtaza clearly understood
what was happening and got out of his car with his hands raised;
his bodyguards were instructed not to open fire. The police
opened fire instead and seven men were killed, Murtaza among
them. The fatal bullet had been fired at close range.
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ワナは極めて巧妙に仕掛けられていた。しかしパキスタンではよくあるように、(暗殺)計画はおおざおっぱなものだった。例えば警察の車両登録が間違っていたり、証拠が紛失したり、目撃者が逮捕・拷問されたり、地元のパキスタン人民党系の知事が意味のない催しのためにエジプトに出張させられたり・・・などである。このおおざっぱ加減からしても、首相の弟の処刑が非常に高いレベルで決められたことは明らかだろう。The
trap had been carefully laid, but as is the way in Pakistan,
the crudeness of the operation ? false entries in police logbooks,
lost evidence, witnesses arrested and intimidated, the provincial
PPP governor (regarded as untrustworthy) dispatched to a non-event
in Egypt, a policeman killed who they feared might talk ? made
it obvious that the decision to execute the prime minister’s
brother had been taken at a very high level.
Tariq Aliの記事が掲載されたのは、ブット元首相暗殺の約2週間前のことです。筆者が匂わせているのは、11年前の弟の暗殺に姉のBenazir
Bhuttoが関与したのではないか、ということですが、The IndependentのFisk記者が、Tariq Aliの記事を紹介することで匂わせているのが、今回のBenazir
Bhuttoの暗殺に政府がかかわったかもしれないという可能性です。11年前の暗殺事件後に目撃者の逮捕が相次いだそうで、殺されたMurtaza
Bhuttoの娘さん(14才)が、当時のブット首相に「何故殺人犯が逮捕されずに目撃者が逮捕されるのか?」と聞いたところ「アナタは若いから、ものごとが分からないのよ」(Look,
you're very young. You don’t understand things)というのが答えだったのだそうです。
The IndependentのFisk記者はまた、今回のブット暗殺の背景にパキスタンの情報機関、Inter
Services Intelligence (ISI)のショッキングな力が働いているのではないかと言っています。記者によると、ISIは「金のためなら何でもやる腐敗した残酷な組織」(corrupt,
venal and brutal)であり、ムシャラフ現大統領が、タリバンだのアルカイダのような「アメリカの敵(America's
enemies)」を懐柔するときに使う組織でもある。
Fiskは次のような自問自答をしています。
ブット元首相のパキスタンへの帰国を阻もうとしたのは誰か?
|
答:ムシャラフ将軍 |
12月に入ってブット支持派を数多く逮捕させたのは誰か? |
答:ムシャラフ将軍 |
12月に入ってブット元首相を自宅監禁にしたのは誰か? |
答:ムシャラフ将軍 |
12月に入って戒厳令をしいたのは誰か? |
答:ムシャラフ将軍 |
ブットを殺害したのは誰か? 答:あー、つまり、そういうことだ Er.
Yes. Well quite. |
ブット殺害に関連して、パキスタン人民党の支持者たちが行う抗議デモで「ムシャラフこそ殺人者だ」と叫びが聞かれることについて、テレビ報道では「ムシャラフ大統領が十分な警護をしなかったことへの不満」と報道されているけれど、これは間違いで「彼らは、ムシャラフがブットを殺したと信じているから、そのように叫んでいるのだ」(They
were shouting this because they believe he killed her)と、Fiskは言っています。
上の自問自答の最後の意味不明なEr.
Yes. Well quite.は、そのことを指します。
▼ブット暗殺については、さまざまな人々がさまざまなコメントを行っていると思いますが、この記事で紹介されているTariq
AliがLondon Review of Booksに寄稿したDaughter
of the Westというエッセイは、ひょっとして必読ものの一つかもしれません。本人がパキスタン人であるということもありますが、殺されたブット首相について実に細かく報告しています。殺害される前に書かれ、掲載されたものなのですが、何やらそれを予告しているようなニュアンスです。
▼Tariq Aliによると、ムシャラフとブットを見合い結婚(arranged
marriage)させるべく、仲人の役割を果たしたのがアメリカ国務省のネグロポンテ副長官を中心とするグループ、ブット元首相(花嫁)の付添い人の役割を果たしたのが、英国のブラウン首相であったそうです。
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