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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
musasabi journal
第131号 2008年3月2日

   
   

3月になって、ようやく、少しだけ春、という気候になりました。私と妻の美耶子が、ほとんど毎週末出かける場所にチューリップの芽が出ていました。昨年の晩秋に植えたものです。しゃくではあるけれど、年をとると寒さが苦手になる。疲れるのです。が、先日、霞ヶ関の農水省の建物に入って驚きましたね。暑いのです、それもメチャクチャに暑い。あれはあれで、身体に良くないから、止めたほうがいい。

目次

1)若者の連続自殺の報道をめぐって
2)英国メディアは堕落している!?
3)日本という痛み
4)アメリカ:軍事ケインズ経済の異常 (長文注意)
5)短信
6)むささびの鳴き声

1)若者の連続自殺の報道をめぐって


南ウェールズにBridgend(人口約13万)という町があります。最近この町が若者の自殺で有名になってしまい、メディアの報道のあり方などとも絡んで、全国的な話題になっています。The Timesのサイトによると、2007年の初めからこれまでに17人の若者が自殺しているのですが、この地域の30歳以下の自殺件数は、せいぜい年間3件ということで、17人というのはどう見ても「異常」なのですが、このうち7人が知り合いであったことが、ひょっとすると、時期は異なるのですが、集団自殺(suicide pact)あるいは日本でもあるインターネットによる集団自殺なのでは、ということが話題を呼んでいるわけです。

ところが、これが別の意味で話題になりかかっている部分がある。メディアによる自殺報道の問題です。2月に入ってから自殺した15歳の少年の両親が、南ウェールズの警察で記者会見を開き、次のようにコメントした。

私たちは息子をなくしたが、メディアによる(息子の)自殺報道が事態をより我慢しがたいものにしている。メディアによる報道によって自殺願望を持つ人たちの気持ちの引き金を引くことになると思う。息子は、よく考えもせずに、自殺すれば世間の注目を集めることができると考えたのではないかと感じている。(We have lost our son and the media reporting of this has made it more unbearable. We feel the media coverage could trigger other people who are already feeling low to take their own lives. We feel that Nathaniel might have thought it was a way of getting attention without fully thinking through the consequences.)

記者会見に同席した警察関係者も「これらの自殺の相互関係は、アンタたち、メディアだよ」(What is the link since Natasha Randall's death? It is you, the media)と言い、この問題を追っている地元の国会議員の一人は「メディアも問題の一部です」(you are now part of the problem)という具合に、かなり厳しい口調でメディアを非難したそうです。

BBCなどのサイトでも、このメディア批判は取り上げられているのですが、メディアの取り上げ方のどこが悪かったのかが具体的に伝えられていない。唯一、最近死んだ少年の両親のコメントの中に、「メディアが自殺をglamorisedして伝えている」という部分があった。派手派手しく伝えるとか「英雄扱い」するということですね。この話題を取り上げた2月21日付けのThe Economistもオックスフォード大学の自殺研究所による研究として、メディアが自殺の動機を与えることはあるとしています。特にテレビ・メディアは「非常に若い」「非常に高齢」の視聴者に対する影響が極めて強烈で、ドイツのテレビ・ドラマで鉄道自殺を扱ったところ、この方法による自殺が増えてしまったこともあるそうです。

報道機関による問題については、英国には「報道関連苦情申し立て委員会」(Press Complaints Commission)という委員会がありますが、2006年にこの委員会が、自殺報道について「自殺の方法などについて、過剰な詳細報道はすべきではない」とコメントしたことがある。つまりそれを読んだ人が、同じやり方で自殺するということもある、ということへの警告です。Bridgendの警察も、そのあたりのことを言っているわけで、地元の大衆紙は自分たちの報道のやり方について謝罪するメッセージを掲載したのだそうです。

The Economistによると、実はイングランドのStaffordshireにあるGnosallという小さな村でも、ごく最近、9ヶ月で5人が自殺するということがあったらしい。9ヶ月に5人程度なら大したことではないとも言えるけれど、プレスがさんざ書き立てて、Gnosallは「終末村」(village of the doomed)などというレッテルを貼られてしまい、ついに6人目の自殺者を出してしまったのだそうです。

▼話題になっているウェールズのBridgendというところですが、確か1973年にソニーがカラーTVの工場を設立したところだったと思いますね。日本企業による英国への工場進出の初期のころのプロジェクトで、大いに話題になりました。英国でも日本でも大いに話題になりました。多少は政府のプロパガンダが入っていたのだとは思うけれど、ソニーが工場進出したときに、日本人の工場長が、普通の従業員と同じところで昼食をとるというので「日本的経営」とか言って話題になったこともありましたね。

▼The Timesはこの町のことを「かつての炭鉱町で、新しい産業を引きつけようと必死になっているが、生活保護者が9%でウェールズの中でも二番目に多い(The former mining town, population 39,000, has struggled to attract new industries. The claimant count in Bridgend is 9%, the second highest in Wales)と紹介しています。

▼昔、ドイツの作家、ゲーテの書いた『若きウェルテルの悩み』(1774年)を読んで若者の自殺が相次ぐということがあったんですね。「ウェルテル熱」(Werther fever)と呼ばれたのだそうです。

▼以前に北海道の小学だか中学生だかが、自殺をしたときに、NHKの9時のニュースが、その子が書いたという「遺書」をカメラで写し、女性の声のナレーションで延々それを読み上げていたことがありました。私は、本当に不愉快に思ったものであります。あたかも自殺した子供が「悲劇の英雄」であるかのような取り上げ方であったからです。

▼ただ、ウェールズの場合は違っているようです。要するに自殺のやり方を事細かに報道することで「ああやれば死ねるのか」と思わせてしまっているということが槍玉に上がっているようであります。必ずしも自殺した若者を悲劇の英雄扱いしているわけではない。

▼ちなみにThe Timesによると、英国の15歳〜44歳の男性の自殺は98年の2951件から2006年には2264件へと減少しています。女性の場合は733件から565件へと低下している。

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2)英国メディアは堕落している!?


2月4日付けのGuardianのサイトに、この新聞のNick Daviesという記者が「英国メディアは歪曲報道を大量生産している」(Our media have become mass producers of distortion)という記事を書いています。

メディアの仕事は、本来、誤りをふるいかけることにあるはずなのに、いまやプロパガンダとセコハンニュースを垂れ流すパイプに成り下がっている。An industry whose task should be to filter out falsehood has become a conduit for propaganda and second hand news.

というわけです。この人は、カーディフ大学と協力して、英国の4大高級紙(Guardian, Times, Telegraph, Independent)と、やや大衆紙的なDaily Mailに掲載された2000本の記事を徹底的に調べてみたのだそうです。その結果、二つのことが明らかになったとしています。

一つは、新聞記事のいわゆる「事実」のうち、記者自身が調べて見つけ出したものは、わずか12%、8%が書いた本人も確信がもてないもので、圧倒的多数の80%が通信社から提供されたセコハン情報だったり、企業やお役所からの広報資料によるものであった。もう一つ分かったことは、広報資料のいう「事実」を記者自身がチェックしたケースは、2000本のうちたった12%だったとのことです。

つまり、ジャーナリストたちが、PR業界の提供する情報に受身的になっていて、自分で調べもしないでニュースを流す「粗製濫造屋(churnalist)」となっており、とてもjournalistとは呼べなくなっているというわけです。

何故そうなったのか?Nick Daviesは、記者たちがメチャクチャ忙しくなってしまったことに原因があると言っています。1985年から2005年までの20年間におけるメディア業界の移り変わりを見ると、新聞、インターネット、24時間ニュース専門番組など、スペースを埋めなければならない媒体量が3倍に増えている。にもかかわらず記者の数は20年前と変わらないというのが現状だそうであります。

別の言い方をすると、一人の記者が書くことを要求される記事の量が20年間で3倍になったということです。さらに別の言い方をすると、昔に比べて3分の1の時間で同じ量の記事を書くことを要求されているということです。つまりセコハン情報の真偽を確かめるだけの時間がなくなったというわけです。

それに加えて、ジャーナリストが真実を見つけることの限界というものが昔と変わらずにある。これではマスメディアが以前のように信頼すべき情報源でなくなったとしても仕方のないことだろう。Add that to all of the traditional limits on journalists' trying to find the truth, and you can see why the mass media generally are no longer a reliable source of information.

▼そう言われてみると、私も英国の新聞のサイトの記事を読んでいて、お役所、政党、NPO、研究機関あんどの調査や広報資料をそのまま記事にするケースが多いと感じていました。それらの組織の関係者のコメントとして、カギカッコで報道されるものが、サイトからのコピー・ペーストだったりすることも、けっこう頻繁にあると思います。

▼先日、日本記者クラブで、あるビジネスマン(外国人)の話を聞いていたら「良質のジャーナリズムというのは、労働集約的な産業なのではないか」と言っておりました。記者の数がたくさん必要だということです。Nick Daviesが言いたいのもそういうことかも知れませんね。考えてみると面白い。私が小学生だったころ、メディアといえば新聞・ラジオ・雑誌だけだった。それにテレビが加わり、今ではネットもある。テレビもメチャクチャにチャンネル数が増えている。で、記者の数が増えていないとすれば、粗製濫造・広報資料のコピー・ペーストみたいな記事が増えるのも必然ですね。

▼英国の新聞とは事情が違うかもしれないけれど、日本の新聞についてよく言われるのが、お役所による発表ものを記事化するケースが非常に多いということです。「XX省のまとめによると・・・」とか「XX審議会が報告書を発表した」として、延々その中身を紹介したりする。一時、大いに紙面を埋めたのが、メタボリック・シンドロームで、あれは確か厚生労働省の発表だったと思う。これについては、日本の記者クラブ制度に問題があるという人は多いですね。役所とメディアの癒着というわけです。癒着かどうかはともかく、新聞を購読されている方は、一度じっくり各面の記事を調べてみては如何でしょう。お役所発の記事が如何に多いかお分かりになると思います。お世話になっているから言うのではありませんが、日本記者クラブと役所の「記者クラブ」は全く性格が違います。念のために言っておきます。面倒だから、どう違うのかの説明は省きますが・・・。


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3)日本という痛み


The Economistの2月23日号(アジア・太平洋版)のトップにJapainという記事が出ています。iの文字を入れるとpain(痛み)ということになるという言葉遊びでありますが、イントロが「世界第二の経済大国が、未だにどうしようもない状態にある。政治に問題があるのだ(The world's second-biggest economy is still in a funk, and politics is the problem)」となっている。Japainの訳は、「日本の痛み」ではなく、私なら「日本という痛み」とでもするかもな。世界にとっての「痛み」なのですが、別の言い方をすると「お荷物・日本」ともなる。

日本は貿易や競争の面で大きな改革を必要としており、それなしには経済は立ち直らないだろう(Japan needs a swathe of reforms to trade and competition without which the economy will continue to disappoint)というのが、この記事の基本的なメッセージなのですが、その改革を阻んでいるのが政治家だというわけです。おおざっぱに言うと、ここでいう改革とは、あの小泉さんが推進したもろもろの改革のことです。

The Economistによると、日本の憲法は衆議院と参議院が対立する政党によって支配される状態(ねじれ状態)は想定していなかった。インド洋の給油法案を通すのに、福田さんは4ヶ月もかかったりしているというわけですが、問題は憲法がどうのこうのということだけではない。

日本は、かつてのような「一党国家」ではないが、ライバル政党が政権交代をするという競争的な民主主義でもない、という妙な状態に置かれている(Japan is at an uncomfortable point: no longer a one-party state, yet still far from being a competitive democracy with rival parties alternating in power.)

ということですが、自民党も民主党も「矛盾」を抱え込んだままでいる。古い勢力と新しい勢力が混在している。自民党には改革派もいるけれど昔ながらの保守勢力(派閥・官僚・建設業界・農業等など)もいるし、民主党には昔ながらの社会主義者もいる。民主党の小沢一郎代表は「昔は改革的な要素を有していたけれど、今では昔の自民党のボスのようだ」(the DPJ's leader, Ichiro Ozawa, who used to have a reformist streak, now sounds like an old-style LDP boss)とThe Economistは言っている。両党が抱える矛盾を解消し、それぞれの言行不一致に気付かせるためには選挙、それも「一連の選挙」がイチバン効き目があるだろう、と言っています。

The Economistはまた、福田さんと小沢さんが、昨年11月に検討した「大連立」(grand coalition)について、「民主党の指導層が賢明にも反対して挫折させた」(DPJ leadership, rightly, balked)として、

大連立というやり方は、実際には、日本を一党国家の状態に逆戻りさせたであろう。経済の改革ではなく、気前のいいばらまき政治の状態である(in effect, it would have taken Japan back towards being a one-party state, distributing largesse rather than reforming the economy)

と決め付けています。が、The Economistは「希望の芽もある」として、改革派の政治家・学者・産業人によって立ち上げられた「選択」というグループの動きを挙げています。「選択」は使われない高速道路や渡れない橋によって、自分の選挙区を窒息させるような政治家には投票しないように呼びかけている、というわけです。

政治家の多くは、総選挙は混乱を深めるだけだと言う。それは破綻した制度にあぐらをかいて太ってきた古い政治階級の言うことだ。日本の選挙民は事態をきちんとさせることを始めるだけの機会を必要としているのだ。もし混乱を選ばなければならないというのであれば、それもいいではないか。(Many politicians say a general election would only add to the chaos. That is the argument of a political class grown fat on a broken system. Voters need a chance to start putting it right. If choice is chaos, bring it on)

というのが結論のようです。

▼先日、ラジオを聴いていたらリスナー参加の討論をやっていて、話題が「半年経っても機能不全と言われる"ねじれ国会"・・・衆参の勢力が逆転した"ねじれ"状態は解消すべきだと思いますか?」というものでありました。リスナー・アンケートの結果として「解消すべき」が77人、「そうは思わない」が228人という結果であったそうです。圧倒的多数が「ねじれオーケー」と言っているわけですが、これ、私は非常に健全であると思いますね。

▼詳しくは知らないけれど、アメリカの場合、大統領(ホワイトハウス)と議会の意見が対立することがありますね。両方とも選挙で選ばれているのだから、どちらも「国民の声」の代表であるわけ。衆参と同じです。で、意見が異なると、お互いに相手を説得しようと言葉を使って努力する。時には大統領が拒否権を行使したりもする。

▼はっきりしていることは、対立すると議論が始まるから、いろいろなことを考えたりする機会が生まれるということですよね。「ねじれオーケー」が健全な感覚だと思うのは、それが理由です。その反対が「大連立」というアイデアですね。議論嫌いの発想です。

4)アメリカ:軍事ケインズ経済の異常ぶり


その昔、英国にケインズという経済学者がいました。第二次世界大戦後の英国経済の立て直しの際に政府のアドバイザーをつとめたことがある人です。私は経済学のことなど、なんにも知らないのですが、非常におおざっぱに言って、「経済不況になったときに、政府が市場に介入して経済政策によって有効需要を作るべきだ」というアイデアであると理解しています。

間違っていたらごめんなさいという他はないけれど、いま日本で問題になっている「道路」もそうですね。どこかの町だか村だかに道路を作るとうい場合、道路が必要というよりも道路工事が必要としか思えないケースもあるわけですね。道路は不必要かもしれないけれど、道路工事をやれば建設会社にはお金が入る。建設会社の社員の給料が上がれば、いろいろなモノを買うだろう。そうすればその町の景気がよくなる・・・言うまでもなく、道路建設のお金は税金です。つまりケインズ経済というわけ。違います?

ここでケインズ経済学のハナシをしようというのではありません。Le Monde Diplomatique(LMD)の最近のウェブサイトを見ていたら、アメリカのChalmers Johnsonという人が、「アメリカ経済は軍事ケインズ主義だ」という趣旨のエッセイを掲載しており、非常に面白いと思うと同時に暗澹たる気持ちになってしまったので、それを紹介させて貰いたいわけであります。原文(英語)はメチャクチャ長いものなので、とても全部は紹介できません。ほんのエッセンスだけ紹介しますが、それでもかなり長くなってしまう。原文はここをクリックすると読むことができます。

このエッセイは次のような書き出しになっています。

アメリカ経済における異常さは、サブプライムローンとか住宅バブルとか経済不況云々という事柄だけでは説明ができない。60年間におよぶ資源配分の誤りと借金経済によって、国の経済の基盤を産軍複合体の維持ということに置いてきた異常さによって説明できる。(there is an enormous anomaly in the US economy above and beyond the subprime mortgage crisis, the housing bubble and the prospect of recession: 60 years of misallocation of resources, and borrowings, to the establishment and maintenance of a military-industrial complex as the basis of the nation’s economic life)

軍事予算にとてつもないお金をつぎ込むことで、資本主義経済を永遠に支え続けることができると信じている・・・これがJohnsonのいわゆる「軍事ケインズ主義」(military Keynesianism)です。アメリカの軍事予算がどのくらいすごいかを示すために、筆者は世界各国の国防予算トップ10を紹介しています。

アメリカ(2008会計年度)
6230億ドル(62兆円)
中国(2004年度) 
650億ドル(6兆2000億円)
ロシア 
500億ドル(5兆円)
フランス(2005年度)
450億ドル(4兆5000億円)
英国
428億ドル(4兆2800億円)
日本(2007年度)
417億5000万ドル(4兆1700億円)
ドイツ(2003年度)
351億ドル(3兆5100億円)
イタリア(2003年度)
282億ドル(2兆8200億円)
韓国(2003年度)
211億ドル(2兆1100億円)
インド(2005年度推定)
190億ドル(1兆9000億円)

この中のアメリカの国防予算にはイラクとアフガニスタンにおける戦費(補正予算に入る)は含まれていないのですが、それでも全世界の国々の軍事予算を全部併せてたものよりも大きいのだそうです。Johnsonは、アメリカがイラク、アフガニスタン戦争で使うお金だけでも、ロシアと中国の予算を併せたものよりも大きく、イラクとアフガニスタンの戦費も入れた2008年度の軍事費は、史上初めて1兆ドルを超えるものとしている。

Chalmers Johnsonはアメリカの軍事ケインズ主義の本質は「永遠の戦時経済」(permanent war economy)の体制を維持し、軍事関連の「生産」(output)を通常の経済生産と同じように見なそうとすることにあるとしています。軍事関連の生産は、実際には普通の意味での生産や消費には全く結びつかないのに、です。

このような戦時経済的な発想は、いまに始まったことではない。1930年代に大恐慌に見舞われたアメリカが経済的に立ち直ったのは、第二次世界大戦がもたらした戦争生産ブームのお陰だった。戦争が終わって平和が訪れた時に、政策担当者たちは、再び恐慌が訪れるのではないかという恐怖に駆られた。間もなくソ連の原爆実験があり、中国で共産党政権ができ、中・東欧諸国がソ連の支配下に入る・・・という状況下で、アメリカは冷戦に備える基本戦略を作った。1950年にトルーマン大統領が署名した「第68国家安全保障会議報告:National Security Council Report 68 (NSC-68)」と呼ばれるもので、結論の部分が次ぎのように書かれている。

第二次世界大戦の経験から得た最も重要な教訓の一つは、アメリカ経済が完全な効率性というレベルに近づくと、民間消費とは別の目的のために巨大な資源を提供すると同時に、高い生活水準を維持することができるということである(One of the most significant lessons of our World War II experience was that the American economy, when it operates at a level approaching full efficiency, can provide enormous resources for purposes other than civilian consumption while simultaneously providing a high standard of living)

へたくそな訳でありますが、要するにアメリカの経済は国民が高い生活水準を維持する一方で、軍事のためのお金をも費やすことができる。それだけすごい経済力だ、と謳ったわけです。そしてソ連の軍事力に対抗して巨大な兵器産業の育成が始まるのですが、それによって雇用が生まれ、恐慌に見舞われるという恐れも払拭することができた。国防省のリードで、大型航空機、原子力潜水艦、核弾頭、大陸間弾道弾、偵察衛星などを生産する新しい産業分野が生まれた。産軍複合体の誕生です。1961年2月6日、アイゼンハワー大統領は、離任演説の中で、

巨大な軍事体制と大きな兵器産業の連結という事態はアメリカにとっては新しい経験である(The conjunction of an immense military establishment and a large arms industry is new in the American experience)

と述べたそうですが、Chalmers Johnsonはこれをアンゼンハワーによるアメリカへの警告だったとしています。

Chalmers Johnsonは、1990年の時点で、アメリカ国防省関連の兵器・装備などの工場生産による金額は、アメリカの全製造業が生む金額の83%にまで達したと述べています。また2007年5月1日に、ワシントンにあるCenter for Economic and Policy Researchという研究所が発表した報告書の中で、Dean Bakerという経済学者が次のように述べている。

戦争や軍事のための支出が増えることは、経済にとって好ましいことだと考えられることが多いが、実際には、軍事支出によって資源の生産的な利用(投資や消費)を妨げ、経済成長を鈍化させ、雇用を減らす結果をもたらすことが、殆どの経済モデルによって明らかになっている。It is often believed that wars and military spending increases are good for the economy. In fact, most economic models show that military spending diverts resources from productive uses, such as consumption and investment, and ultimately slows economic growth and reduces employment.

Thomas E Woods Jrという歴史家によると、1950年〜60年代のアメリカでは、研究者の3分の1から3分の2が軍事部門の研究に従事するようになっていた。Chalmers Johnsonは「人材の軍事部門への偏重がなかったらアメリカの技術革新がどうなっていたかは、いまとなっては分からない」としながら、次の点を指摘しています。

家電製品や自動車の分野におけるデザインや品質の点で、日本がアメリカを追い越しつつあることに、アメリカ人が気付いたのは1960年代のことである。It was during the 1960s that we first began to notice Japan was outpacing us in the design and quality of a range of consumer goods, including household electronics and automobiles.

▼この部分は私の記憶に残っています。私がアメリカという国と直に接したのは60年代後半のこと。その頃すでにアメリカ人にとって、オートバイといえばカワサキ、ホンダ、ヤマハだった。ハーレイデイビッドソンではなくなっていた。日本車もわずかながら出始めていたし、テレビやラジオもそうだった。

▼日本製品は、「安かろう悪かろう」→「安いけど質は悪くない」→「質が高い」という風にイメージが変わってきた。何故アメリカのメーカーが、日本企業に負けてしまったのか?私はてっきり、金持ちになったアメリカ人が怠惰になったから、という説明が為されたものでした。確かにそのような部分もあったのであろうけれど、Chalmers Johnsonのいう、産業の軍事偏重傾向も大きかったということなのでありましょう。

余りにも異常すぎる軍事ケインズ主義の例として、Chalmers Johnsonは原爆や核兵器の開発を挙げています。1940年代から96年までの約半世紀、アメリカが核爆弾の開発・実験・配備に使ったお金は5兆8000億ドル。67年の時点で、32,500発の原爆・水爆を発射できる状態で所有していた。一度も使われることがなかったわけですが、アメリカは使用してはならないもののためにこれだけのお金を費やした。核兵器はアメリカの秘密兵器であるのみならず、雇用を生み出す、隠れた経済兵器(secret economic weapon)でもあったわけです。

Chalmers Johnsonによると、2006年現在でアメリカには9960個の核爆弾があるそうで、まともな使い道(sane use)などない。そんなことのために費やされた何兆ドルものお金を、教育や福祉などに使っていれば・・・というわけです。

では、このような異常な状態を逆転することはできるのか?Chalmers Johnsonは、軍事ケインズ主義がアメリカにもたらしたダメージのある部分は修復不可能であるけれど、ブッシュ政権が2003年に打ち出した富裕層のための減税政策を中止し、海外800箇所にもある米軍基地を廃止し、国防予算を雇用創出ために使うのではなく、真の国防のためにのみ使う・・・などを行うことだと言っています。

これらのことを行えば、かろうじて生き延びることはできるかもしれない。が、やらなければおそらく国家的な破綻と長期の経済不況に直面することになるであろう。If we do these things we have a chance of squeaking by. If we don’t, we face probable national insolvency and a long depression.

▼上の表の国防予算の数字を各国の人口数で割ると、アメリカ人は一人当たり約2000ドル(20万円)の軍事費を負担していることになり、英国は713ドル、韓国が437ドル、ロシアが350ドル、日本は347ドル、中国が49ドル、インドは18ドルってことになる。アメリカの2000ドルはすごいけれど、英国人もけっこう負担しているわけですな。

▼これだけのお金を別の目的で使ったら・・・などとは言わないけれど、それにしてもアメリカの軍事費というのはとてつもない額でありますね。それが雇用を確保しているというのは、確かにまともではない。日本の「道路」どころではない。

▼日本の道路に関連付けて言うと、アメリカで軍事ケインズ主義がまかり通る一つの理由として、Chalmers Johnsonは政治家の存在を挙げています。選挙区に軍事関連の職場が多いような議員によるロビー活動です。日本で言うと「族議員」ですね。

▼いまからちょうど20年前の1988年、Paul Kennedyという歴史家が書いたThe Rise and Fall of the Great Powersという本が話題になりましたよね。邦題は『大国の興亡』だったかな?この本のメッセージは、歴史上、国家というものは経済力をつけると軍事力も持つことになるけれど、いずれはその軍事面での優位性を保持するための経済コストがかさんで、経済基盤の弱体につながるということだったと記憶しています。大英帝国も、そうやって衰えていったのですからね。

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5)短信


100メートルを30.80秒の快挙

短距離、100メートル走の世界記録は、いまのところアサファ・パウェルという人が2007年に出した9.7秒なんだそうですね。で、南アのケープタウンに住むフィリップ・ラピノビッツさんはこのほど100メートルを30.80秒で走るという「快挙」を達成したのであります。なぜこれが「快挙」かというと、この人、いま104歳で、30.80秒というのは、100歳以上のランナーとしての世界記録なんだそうであります。

▼とにかく30秒以上を走り続けたこと自体が「快挙」ですね。私なんかにはできない・・・。

国境をまたぐ家で殺人が起こると・・・

オランダとベルギーの国境にあるBaarie-Hertogとかいう町で起こった殺人事件をめぐって、両国の警察がどちらの事件かでもめている。何故もめるのかというと、ある女性の死体が発見された家が、ずばり国境をまたぐカタチで建っているということが問題になっているわけ。最初に発見したベルギー側の警察が捜査を始めたところ、オランダの警察から待ったがかかった。というのは死体が置かれていたのが、その家のオランダ領内にある部屋であったからであります。

▼でも、この家はそもそも法的にはどちらの国に所属するんでしょうね。そのことがこの記事には書かれていない。が、二つの国の警察がもめるんだから、家の所属も曖昧なんでしょう。

運転免許の取得は人生の一大事か?

英国で約2000人の成人を対象に行ったアンケートによると、59%の人が、運転免許のテストに合格したことが「人生の転機ともいえる出来事(life-changing event)」と感じており、40%の人が初めて買った自分の車の車種はもちろんのことプレートナンバーまで政客に憶えているのだそうです。それくらいクルマを運転できるようになるってことがタイヘンなことであるわけ・・・ですが、このアンケートが英国の国際自動車ショーで行われたものなのだから、当然といえば当然です。で、英国人が最初に買うクルマで最も一般的なのはフォードのフィエスタ、次いでフォード・エスコート、ローバーのミニ、ニッサンのマイクラ(Micra)と続いています。

▼Micraってどんなクルマなんですかね。またこのアンケートによると、英国人で免許を持っている人の6割が、一度のテストで合格したのだそうですが、3度以上失敗した人も1割はいるのだとか。
6)むささびの鳴き声


▼ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』の新訳本がめったやたらに売れているそうです。訳したのは亀山 郁夫という人で、文庫本で5巻。現在までに60万部以上も売れているとか。主なる読者は、30代以上の女性と団 塊の世代だそうです。このような純文学が60万以上も売れ るのは驚きであるし、これまでドストエフスキーの読者は殆ど男性であったのに、新訳については女性の読者 が多い(紀伊國屋書店によると5割以上が女性)というのも、うれしい「想定外」なのだそうであります。

▼インターネットの普及で、人々の活字離れが言われている今、何故このような純文学が売れているのか?私 の勝手な想像によると、インターネットの時代だからこそ、なのかもしれない。ものごとが余りにも安っぽく 語られすぎていて、自分のアタマまで安っぽくなりかけていると感じている人が沢山いるってことです。「精神 」を語り、語られることに飢えているってことなのですが・・・。違いますかね。

▼私自身は、ドストエフスキーについては、50年も前に『罪と罰』を読んだことを憶えているけれど、『カラ マゾフ』は読んだ記憶がありません。『罪と罰』にしてから、読んで感激したという記憶がありません。比較 的鮮明に記憶しているのは、いわゆる「文学青年」の友人たちが、喫茶店で、ドストエフスキーをサカナに人生 論のようなものを熱っぽく語っている傍で、居心地の悪い思いで坐っていたことだけであります。

▼あれから50年、新訳でも旧訳でも『カラマゾフの兄弟』を読みたいとは思いません。拒否反応というほどの 強いものではなく、他に読む本があるというだけのことです。ただ、50年前にあの「ドストエフスキー青年」た ちに感じた、一種の拒否反応・・・あれは何だったのか?それは今でも自分の中にあるような気がするわけです。 何故そのような感覚を持つのか、自分のことなのに、よく分からない。おそらく、ドストエフスキーのような 深刻な本が読めて、しかもそれをサカナに議論ができるようなインテリゲンチャに対する、ひがみみたいな感 情なのですかね・・・。

▼ちなみに、純文学と呼ばれるジャンルの小説で私自身が感激した作品はというと、ジョン・スタインベック の『怒りの葡萄』『エデンの東』、ウィリアム・サロイヤンの『笑うサム』、ジョン・ドスパソスの『USA』 ・・・いずれもアメリカ文学だった。日本のものでは、下村湖人の『次郎物語』というのがあったっけ。どれも余 り深遠なる哲学は感じない作品ですね。

 

 

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