BBCを見ていたら、あのサッチャーさんが入院したというニュースが流れていました。1925年生まれだから今年で83才。この人については、とてつもない量の本が出ているであろうし、万一のことがあったら、日本の新聞でもさぞや沢山の記事やコメントが出るはずです。「万一」を期待しているわけではないけれど、この際、むささびジャーナルでも何か書かせてもらっちゃおう。考えてみると、これまでにブレアさんのことは、いろいろと出てきたけれど、サッチャーについてはそれほど書かせてもらったことがないのです。
サッチャーさんというと、英国病と揶揄された国の経済を民営化、規制緩和、市場経済主義などによって立ち直らせた人物という定評が大きいのですが、Andrew
Marrという政治ジャーナリストが書いたA
History of Modern Britainという本によると、彼女自身、「私が政治の世界に入ったのは、この世の中に善と悪の対立というものがあるからだ(I'm
in politics because of the conflict between good and evil)」と語っているとおり、実際には産業の民営化などということに興味があったわけではない。
1979年に首相になったサッチャーさんが語った次のような言葉が、サッチャーさんという人のアタマの中をよく表していると思います。
この政府の使命は、経済的な進歩を促進するということよりもはるかに大きなものがある。それは、この国の精神と団結心を新たなものとするということである。この国の新しいムードの中核に置かれなければならないのは、自信と自尊心を回復させるということなのだ。The
mission of this government is much more than the promotion of
economic progress. It is renew the spirit and the solidarity of
the nation. At heart of a new mood in the nation must be a recovery
of our self-confidence and our self-respect.
自信と自尊心の「回復」ということは、かつてあった状態に復帰させるということですよね。Andrew Marrによると、サッチャーさんが目指したのは、英国における社会道徳の復興であったとのことです。すなわち、しっかりした結婚関係、自立と貯蓄、自己抑制、よき隣人関係、そして勤勉さ・・・いずれも19世紀(ヴィクトリア時代)の英国を支えたとされる倫理観です。サッチャーさんが目指したのは、このような道徳心を基盤にした国作りということです。
彼女が最も影響を受けたのは父親だそうで、リンカンシャーという田舎にあるグランサムというごく小さな町の乾物屋さんをやっていた人です。ただこの父親は、単なる乾物屋の主人というだけではなく、非常に熱心なメソジスト派のキリスト教徒であると同時に、名誉市長をやったりする町の名士でもあった。
その父親の影響で、彼女も質素・倹約・刻苦勉励などの精神を強調したはずだったのですが、彼女の政策の結果として起こったことは、全く違っていた、とAndrew
Marrは言います。
サッチャリズムの時代を特徴付けたのは、かつてないほどの消費熱であり、クレジット文化であり、富を見せ付けることであり、手軽な金儲けであり、性的な自由快楽主義などであった。自由とはそいういうものだ。人間を自由にした途端に、何のための自由であるかが分からなくなってしまうということだ。Thatcherism
heralded an age of unparalleled consumption, credit, show-off
wealth, quick bucks and sexual libertinism. That is the thing
about freedom. When you free people, you can never be sure what
you are freeing them for.
Marr記者の「自由」論は面白いですね。サッチャーとしては、労働党流の面倒見のいい大きな政府から英国人を「自由」にすることによって、「自立した質素で勤勉な」個人を基盤にした国にしようと思っていた。なのにそうはならなかった。ビクトリア時代の古きよき英国を復活させるつもりだったのに、「金がものを言う」アメリカみたいな社会を実現してしまった。メチャクチャ単純化するとこうなりますね。
熱心かつ素朴なキリスト教徒であったサッチャーが、どういう経過を経て「市場経済」主義者になっていったのかを語り始めると、本が一冊書けてしまう。私にはその能力はない。亡くなった森嶋道夫さん(ロンドン大学教授)は『サッチャー時代のイギリス』(岩波新書)の中で、
禁欲ーー勤勉と質素ーーが近代資本主義の母であり、メソジストはそのような倫理を鼓吹した宗教の一派である。17世紀の禁欲運動は「ピュリタニズム」と呼ばれているが、ピュリタンの諸宗派は、主として無産者や小資本家層に信徒を持っており、彼らは貴族的大商人や金融業=冒険商人層と対立していた。
と言っています。森嶋教授はサッチャーさんを「極端な赤嫌い(反共主義)と自分は常に正しいと信ずる傲慢さ」ゆえに非常に批判的に書いています。森嶋さんは、サッチャーさんが成功するためには、
ソ連との間に妥協点を見出して、東欧諸国の経済協力を進める必要がある・・・が、仮に彼女がこのような政策をとって「イギリス病」を治癒させることに成功しても、そのような治癒はおそらく一時的でしかありえないだろう
と予言しています。この本が書かれたのは1988年のことです。まだソ連は崩壊していない。しかし私が非常に面白いと思ったのは、森嶋教授が、サッチャリズムが成功しない根拠として引用したジョン・ウェズリーという人の次の言葉です。
宗教は勤勉と質素を生み、それらは富をもたらすが、富が増すとともに高慢、激情、現世への愛着が増して宗教心が枯れる・・・
ジョン・ウェズリーは、サッチャーさんが信奉したキリスト教メソジスト派の創設者です。森嶋さんが引用したこの文章は、「サッチャリズムの時代を特徴付けたのは・・・」というAndrew
Marrの文章と一緒に読むと面白い。両方とも同じことを言っている。Andrew Marrの本は2007年に出たものであり、森嶋さんのそれは1988年に出版されたものです。
▼私の極めてつたない知識によりますと、近代資本主義といえばアダム・スミスですよね。その彼の思想を表す典型的な言葉として「人間それぞれが自己利益を追求していけば、やがては"神の見えざる手"によって導かれ、世の中すべてうまくいく・・・」という趣旨のものなのではないのですか?サッチャーも「欲を持つことの何が悪い(There
is nothing wrong with greed)」と言ったはずです。つまり、資本主義や市場経済主義という考え方は、人間が本来持っている利己主義とか物欲のようなものを「社会」とか「政府」という名の下に押さえつけるべきではない・・・という考え方であると、私は理解しているのですが、違いますかね。
▼サッチャーさんが「社会」とか「政府」とか言う概念を非常に嫌ったのは、「人間が人間を押さえつける」という部分であったのだろうと、私などは解釈しています。"神の見えざる手"を信ずるキリスト教徒であるサッチャーとしては、人間の理性とか知恵とかアタマだけを信ずる社会主義だの共産主義だのは、とても許せないし、うまくいきっこないと考えていたのだろうと(私は)想像しています。
▼彼女は首相として「英国の何を変えたのか?(What
have you changed about Britain?)」と聞かれて「なにもかも変えましたね(I
have changed everything)」と答えたのも有名なハナシですが、いずれにしても、サッチャーさんという人は考える対象として、非常に刺激に富んでおります。それは間違いない。
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