2003年3月19日、アメリカのイラク攻撃が開始されてから5年になりました。いまアメリカや英国で話題になっているのがTHE
THREE TRILLION DOLLOAR WAR(3兆ドルの戦争)という本です。Joseph E StiglitzとLinda
A Bilmesという人の共著によるもので、Stiglitzはコロンビア大学の教授でノーベル経済学賞を受けた人で、Bilmes(女性)はハーバードの先生でクリントン政権でアドバイザーをつとめた人です。
2003年3月にイラク爆撃が開始される直前、ホワイトハウスで、この戦争がどのくらいのコストがかかるのかについてのディスカッションが行われた。ブッシュ大統領の経済顧問であり、国家経済委員会(National
Economic Council)の委員長だったLarry Lindsayが挙げた数字は"2000億ドル"だったのですが、この見積もりを「でたらめだ(baloney)」と一蹴したのが国防長官のDonald
Rumsfeldだった。彼によると"500〜600億ドル"で、このうちいくらかは同盟国が負担するはずであるし、イラクの復興は石油収入で賄えるということだった。
で、THE THREE
TRILLION DOLLOAR WARの著者の計算によると、アメリカがこれまでに支払い、これから支払うであろう金額は「少なくとも3兆ドル(conservatively
3 triliion dollars)」となっている。Stiglitz教授らによると、Rumsfeldの言う"500〜600億ドル"は戦闘に要するお金(兵隊に払う給料や武器のコスト)であり、例えば戦争で負傷した兵士たちの治療費、死亡した兵士の家族に払われる遺族年金などなどが考慮に入れられていない。仮に戦闘費用だけだとしても、戦争が始まってからこれまでに、すでに4700億ドルかかっているのだから、500〜600億という見積もりは全く外れていたということになる。
Stiglitz教授らは、これまでの戦闘経費だけでなく、これからしばらくは米軍がイラクに駐留する必要があるのだから、「将来の軍事活動」も考慮に入れられなければならないし、「将来」も含めた戦死した兵士や負傷して帰還した人のケア、そして武器類の補修などの費用なども入れた「真のコスト(true
costs)」を考えなければならないと主張しています。
で、それらを考慮に入れたコストは、2017年まで米軍が駐留すると想定すると、コストは2兆390億ドルとなり、借金で払うわけだから利子も入れると2兆6550億ドルとなる。これはイラク戦争だけ考えた場合。アフガニスタンでの戦争は「将来」もいれて8410億ドル。二つの戦争を合計すると、将来の活動がうまくいった場合の「希望的観測」で2兆3340億ドル、現実的な数字では3兆4960億ドルとなる。これがアフガニスタンとイラク戦争についてアメリカがこれまで支払い、これから支払う必要が出て来るお金であるというわけであります。
このように「兆」だの「XXX億ドル」だのといわれてもピンとこないのですが、Stiglitz教授らは1兆ドルあれば出来ることとして具体的に次のような事柄を挙げています。
- 住宅が800万戸建設できる。
公立学校の教師1500万人を1年間雇える。
5億3000万人の子供たちのヘルスケアを賄える。
4300万人の大学生の奨学金が払える。
これらは1兆ドルで出来ることだから、3兆ドルとなるとこの3倍ということになる。また教授らによると、アメリカは中国がアフリカで影響力を伸ばしていることを心配しているが、現在アメリカがアフリカ支援に使っているお金は、1年で50億ドル。これはイラク戦争10日分のお金だそうです。また2008年のアフガニスタンでの経費は1ヶ月で160億ドル。これは国連の1年分の予算だそうです。
何故それほどのコストがかかっているのか?燃料費の値上がりとか武器の修理経費などが予想以上にかかっているということのほかに、教授らが挙げている最も重要なポイントとして、人件費の異常な上昇があります。この部分だけ詳しく紹介してみます。
以前にも書いたかと思いますが、イラク戦争とベトナム戦争の決定的な違いの一つが、ベトナムの場合徴兵制があったのに対して、アフガニスタンやイラク戦争にはそれがない。通常の兵隊(志願兵)以外に予備役や州兵に頼る度合いがかつてないほどに大きなものとなっている。さらに見逃せないのが、民間企業が提供するスタッフを使うケースが非常に大きいということ。この中には戦闘要員のほかに料理人、掃除人、武器類の修理担当者、外交官らの警備担当者などが含まれている。人数にして約10万人。91年の湾岸戦争の場合の10倍だそうです。
実はイラク戦争は、これらの警備会社にとって絶好のビジネス・チャンスを提供しています。日本の外務省にあたる国務省が外交官の警備のために使ったお金は昨年だけで40億ドル(2003年の時点では10億ドル)。Blackwater
Securityという警備会社は、2003年に、当時のイラク連合暫定施政当局のアメリカ代表であったポール・ブレマー一人をガードする契約を結ぶのですが、契約金額は当初は2700万ドルだったのが、1年後には1億ドルにまで膨れ上がり、昨年の時点では12億ドルで、845人の警備要員を派遣する契約を結んだのだそうです。
Stiglitz教授によると、これら民間の警備担当者が貰う給料は1日平均で一人当たり1,222ドル、1年間で445,000ドルになる。で、アメリカ陸軍の通常の兵隊さんたちの給料はというと、1日あたり140〜190ドル、1年間で51,000〜69,350ドルです。殆ど10分の1ですね。余りにも違う。イラクやアフガニスタンでの兵役を終えた軍人たちが、再びとして戦場に赴く場合、民間警備会社に雇われた方が得だと考える人も出て来る。
よく言われるのは、イラク戦争に行くのは、どちらかというと経済的に恵まれない階層の若者たちです。いったんイラクやアフガニスタンから帰還した後に、再び志願することもある。再志願者に政府から支払われるボーナスというのがあって、15万ドルなんだそうです。15万ドル払ってくれたとしても、給料を考えると、民間警備会社の方に行ってしまう人が出てきても不思議はない。
こうしてアメリカ軍と民間警備会社が人員確保のために給料競争をするようなことになる。これがコストの上昇に繋がるだけでなく、軍が優秀な人材を民間に取られてしまうという結果にもなる。しかも民間企業は政府の下請けで仕事をしているのだから、お金は税金もしくは政府の借金で支払われる。Stiglitz教授らは、このような現象を「軍の民営化」と呼んでいるのでいるのですが、なるべく経費を抑えようという企業の論理は軍隊に適用することはできないと言っています。
Stiglitz教授は、軍の民営化のもう一つの問題点として、政府と企業の癒着を挙げています。アメリカにおいては、政治的な「賄賂」は政党に対する「献金」というカタチをとる。副大統領のディック・チェイニーが役員を務めていた警備会社のHalliburtonが、1998年から2003年にかけて行った政治献金は、民主党に対するものが55,650ドルであったの対して、共和党への献金額は1,146,248ドル。殆ど20倍です。
ところで、アメリカの軍人がイラク戦争で戦死した場合、政府が遺族に払うお金はどのくらいだと思いますか?Stiglitz教授によると、50万ドル(約5000万円)だそうです。これが国防省の予算から支出される金額なのですが、50万ドルって高いのでしょうか、安いのでしょうか?
経済学で使われる用語にVSL(value of statistical life)というのがあるんですね。日本語で「確率的生命価値」というのだそうですが、政府が設ける規制(交通安全とか環境規制とか)によって救われる人間の生命をお金で表現するために使うものらしい("らしい"というのは、私にもイマイチ自信がないからです!)。例えば、職場の安全基準を守らなかったが故に「不当な死」(wrongful
death)が起こった場合、それによって失われた一人の生命の価値は平均で720万ドルとされるのだそうです。これは中くらいの数字であって決して法外に高いというものではない。
VSLの720万ドルを考えると、アメリカ政府がイラク戦争で死亡した兵士の遺族に支払う50万ドルというのはいかにも安い、と教授は主張しています。THE
THREE TRILLION DOLLOAR WAR が書かれた時点(2007年)でのイラク、アフガニスタン戦争における米軍の死者数は約4300人とされています。VSLの720万ドルに4300を掛けると300億ドルで、これが戦死というものの社会的コストであり、国防省の予算でいう21億5000万ドルとは余りにもかけ離れている。Stiglitz教授らは、戦争のコスト計算にあたって300億ドルの方を採用しています。
▼この本はおそらく日本でも翻訳が出るでしょう。私の力では、とても内容を十分に紹介することはできない。主としてアメリカが支払うコストについて書かれているのですが、イラクやイラクの人々が払わなければならないコストについても、戦争反対という立場から、かなり詳しく書かれています。また英国や日本の納税者の負担についても書かれています。
▼経済学者の書いたものだけに、最初から最後まで数字だらけという本なのですが、それぞれが人間の悲劇にまつわる数字であり、「戦争など軽々しくやるもんじゃない」(Going
to war is not to be undertaken lightly)、「戦争とは男や女が、別の男や女を残酷に殺傷することだ。それにまつわるコストは最後の銃撃が終わってから、長い間残るものである」(war
is about men and women brutally killing and maiming other men
and women. The costs live on long after the last shot has been
fired)という教授らのメッセージは大いに伝わってくる内容です。誠実な感じのする本であります。
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