「日刊新聞紙特例法」って何だかご存知で?これは略称で、本当は「日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社の株式の譲渡の制限等に関する法律」というのだそうです。新聞社に勤める人以外は知らないかもしれないですね。ひょっとすると新聞社の人だって知らない人がいるかもしれない。私はつい最近まで知りませんでした。今西光男という人の『占領期の朝日新聞と戦争責任』という本を読むまでは、です。1951年に出来た法律で、今西さんによると、そのポイントは第一条にある次の文言ですべて言いあらされている。
「一定の題号を用い時事に関する事項を掲載する日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社にあつては、商法第二百四条の規定にかかわらず、株式の譲受人を、その株式会社の事業に関係のある者であつて取締役会が承認をしたものに限ることができる」
▼私自身、株などやったことないし、やりたいとも思わないので、この本のこの部分を読みながらも「だからナンなのさ」という気分だった。が、じっくり読むとこれは大変な法律であるってことが分かりました(というか、「分かったような気がする」という方が正確かもしれない)。私と同様、株にも新聞社の経営などのことにも全く興味のない皆さま、ちょっとだけ辛抱してくらはい。
要するに新聞社の株は、その新聞社の「取締役会が承認したもの」でないと買うことができないということで、証券取引所にも、例えば朝日新聞の株は上場されていない。日刊で発行されている、普通の新聞ならどこも同じことです。つまり一時は大いに話題になったライブドアのニッポン放送買収劇のようなことは、新聞社に関しては起こらないってことであります。
上の条文の中に「商法第二百四条の規定にかかわらず」とありますね。当時の商法では、株の譲渡相手を「取締役会が承認をしたものに限る」などと制限することは禁止されていたのだそうです。ここでいう「商法」は、1950年5月にできた改正商法。1950年5月といえば、第二次世界大戦で日本が負けてから5年しかたっていない時代で、戦前の財閥のような存在を許した旧商法を改めさせようという占領軍当局の意図で、株の譲渡先を制限することが禁止された。この法律は、当たり前ですが、新聞社の経営にも適用された。
で、今西さんの説明によると、株の譲渡先を新聞社が自分たちで制限することができなくなると、
- 買収される心配もなく、既得権益に安住してきた新聞社の大株主(オーナー)や経営者たちにとっては、その存在を根底から脅かされる事態だった。
というわけで、商法が改正され施行されてから、新聞業界が「新聞社にだけは、改正商法のこの部分を適用しないで欲しい」というキャンペーンに乗り出し、強引に国会で成立させたのが、イチバン最初に引用した「日刊新聞紙特例法」であります。「新聞社だけに特例を認めてもらおう」という「虫のいい話」が通ってしまったわけです。
実はこの商法は1966年に全面改正されて、新聞社だけでなくどの株式会社も、株譲渡の制限ができるようになったので、上の「日刊新聞紙特例法」も不要になったはず。なのに新聞業界の強い要請で、「特例法」は存続することになった。何故「強い要請」なのかというと、この「特例法」が直接、新聞社だけを対象とする唯一の法律であり、「それなりの意味」を持つようになっていたからだ、と今西さんは言っており、さらに続けて次のように書いています。
- 特例法の対象となる新聞社だけが、日本新聞協会に加盟できる新聞社であり、政府のお墨付きを受けた新聞社と認定された。つまり政党機関紙や、総会屋などが経営するいわゆる「ころつき新聞」を排除する根拠としても、この法律が必要だった。
はっきり言うと、この部分を皆様に紹介したくて、ここまでクダクダと書いてきたのであります。今西さんの言う「特例法の対象となる新聞社」とは、(くどいようですが上に書いてある)「一定の題号を用い時事に関する事項を掲載する日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社」ということですよね。つまり、私が「むささびジャーナル」という「新聞」を発行したとしても、日刊でもないし、株式会社でもないから、「特例法」的には新聞紙とは定義されない。だから日本新聞協会にも加盟できない・・・ということなのですよね。もっと言うと「そんなの新聞じゃねえ!」ってこと。
▼ただ今西さんのこの文章の中で、イマイチよく分からないのは「この法律が必要だった」という部分です。だれが、この法律を必要としたのでしょうか?素直に読むと、大きな新聞社が、「どうでもいいような新聞」と自分たちを区別するために政府のお墨付きが必要だったってことになるのですが・・・。
ひょっとすると、政府の方が、区別・差別のための基準として必要としていたってことかも?
で、今西さんによると、この特例法によって「新聞社」と認められた会社が発行している新聞には例えば次のような「特権」があるそうです。
☆「第三種特別郵便物」の対象になる:「日本郵便」のサイトによると、この対象になると「50グラムまで新聞1部40円」だそうです。
☆裁判所などの公的機関の公告の掲載
☆企業の決算報告の掲載
☆各種選挙での政党や候補者の選挙広告の掲載
▼いずれも結構な収入なんじゃありませんか?そういえば、企業が謝罪広告を掲載するのもひょっとすると、「特例法」新聞に限られている?つまり特例法で認められた新聞紙上で謝罪すれば、一応ちゃんと謝罪したことになる、とお役所に認められるってこと?
お役所といえば、日本のお役所には、それぞれの「記者クラブ」なるものが存在します。首相官邸から県庁・町役場にいたるまで、どこにでもある。今西さんは、
- 記者クラブ加盟の新聞社を日本新聞協会加盟社に限定できたのも、新聞社を対象にした唯一の根拠法があったからだ。
と言っています。
▼この場合の「限定できた」というのは、お役所の方なのでしょうか?それとも新聞社同士のことなんでしょうか?いずれにしても、この「特例法」のお陰で、「政府公認の新聞」のようになってしまったということであり、これは新聞社が望んだことだったということです。
『占領期の朝日新聞と戦争責任』は、タイトルのとおり、第二次世界大戦後直後の占領期における朝日新聞社のオーナー、経営者、編集者らの混乱と苦難を描く、綿密なレポートです。とてつもない量の資料・史料に基づいており、この本自体が「史料」になるような本です。上に挙げたのは、著者の意図と関係なく、私自身が一番「なるほど」と思った部分です。
実は、この本の中でもう一か所、非常に感激したところがありました。あの戦争が終わったのが1945年8月15日。それまでの戦時内閣に代わって皇族である東久邇宮稔彦王という人が首相になる。8月30日、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が厚木に到着。で、その翌日の朝日新聞朝刊のトップ記事は次のような見出しであったそうです。
「首相宮へ信書お許し 直接民意御聴取 言論暢達に畏き思召」
「国民諸君、私は皆さんから直截手紙を戴きたい・・・」という東久邇首相のメッセージを伝える記事だったのですが、その結果として、多い時には一日1000通以上の手紙やハガキが首相官邸に届いたのだそうです。首相はこれに目を通したそうなのですが、これらの「信書」処理にあたった長谷川峻という秘書官が、回想録『東久邇政権・五十日』の中で
- 「物のない時、便箋に切手をはって手紙を出すことは一般には苦痛なはずだ、それが一千通をこえて殺到するのだから、目を見張らざるを得ない」
と書いているそうです。
▼私が何を感激したのかというと、これらの手紙を書いた当時の人々のことを考えたからです。敗戦直後で、社会的にはどうしようもない混乱状態であったはず。なのに新聞の記事を読んで、首相に手紙を書こうと思い立った人が、それだけいたということですね。その人たちは、自分たちのメッセージが政府に伝わると思っていたってことですよね。つい数日前までは極めて非民主的な状態おかれていた日本人が、どうして政府へ手紙を書こうという気になったんですかね。いまで言うと福田さんのメルマガへの投稿のようなものですが、それほど簡単ではなかったはずです。でも皆、書いたのですよね。これ、素晴らしいことなんじゃありませんか?
『占領期の朝日新聞と戦争責任』の著者は、本の最後のところで、テレビやネットの発達によって、新聞が「独占的メディア」であった時代は終わり、この特例法のような特権も見直しが行われて、新聞社も「普通の会社」にならざるを得ないだろうと言っています。そして新聞社が問われているのは、
- 「特権」を容認できるだけの「公器性」「公共性」が、新聞社に備わっているのかという、基本的な問題である。
と主張しています。ちなみに著者の今西さんは朝日新聞の記者であった人です。
▼最後の部分がこの本のメッセージなのでしょうね。 いまの朝日新聞とその読者には、1945年の8月31日付けの新聞(国民からの手紙を求める首相の声を掲載)を発行して、それを読むようなハングリー感覚はない。しかし、読者の側に自分たちの声を聞かせたいという気持ちがあることに変わりはない、と私などは思っているのですが。
▼日本新聞協会というところのサイトを見ていたら、当時会長であった渡辺恒雄という人が、平成13年6月8日の法務省あての手紙の中で、この特例法について次のように書いておりました。
「新聞経営に関する外部からの圧力や介入、干渉を排除することで、民主主義社会の発展に不可欠な言論・報道の自由と独立を担保し、新聞社が健全な事業活動を維持できるように、特例として設けられているものである」
▼"言論・報道の自由と独立を担保"するのに法律(つまり権力)による特殊扱いが必要だというのですか?矛盾してません?
この人が考える「公共」は「国家」「政府」ということなのでしょうね。「公共」(パブリック)というのは、元来、国家や政府とは対立・対決するものですよね。
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