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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
musasabi journal
第134号 2008年4月13日
ウグイスの鳴き声が聞こえるようになりました。
厳密に言うと、私の好きな季節はもう終わりました。
つまり「もう、ほとんど、春」というのが
最高の季節なのであります。
いまは、もう春そのものです。


目次

1)五輪開会式にブラウン首相が出席しない・・・という報道の混乱
2)無携帯電話恐怖症!?
3)新聞特例法の異常さ
4)似ているようで、似ていない?アメリカ人と英国人
5)短信
6)むささびの鳴き声

1)五輪開会式にブラウン首相が出席しない・・・という報道の混乱


4月10日付けの日本の新聞の夕刊に「英国首相、五輪開会式に参加せず」という見出しの記事が掲載されておりました。いずれも3ダン程度のどちらかというと大きな見出しだった。この発表はBBCのサイトでもトップページに出ていたのだから、大ニュース扱いしたのは日本の新聞だけではないはずです。

ロンドンの首相官邸の発表として、ブラウン首相が北京の五輪の開会式に出席しないというのだから、そこそこ見出しが大きくて当然なのですが、実際には閉会式には出席するし、開会式には英国政府を代表して別の大臣が参加することになっています。しかもこのことはいまさらブラウンさんの報道官が発表するまでもなく、何週間か前に官邸の記者たちには発表されていた事実だったというのだから、なんだかよく分からない。

この件について、BBCの政治部長であるNick Robinsonが自分のブログで首相官邸に文句をつけています。

これまでサルコジさんも開会式ボイコットを匂わせ、他のヨーロッパの元首たちの中にも開会式不参加を表明するところが相次ぐ中で、ブラウンさんだけは「ボイコットはしない」と言っていた。Robinson自身、ブラウン首相はてっきり開会式に出席するのだと思っていたのだそうです。Robinsonが文句をつけているのは、首相官邸が極めてアイマイな態度を取り続けてきたことです。彼のブログによると、3月19日の官邸報道官による記者ブリーフィングで次のように説明されたことが公式に記録されているらしい。

  • 「五輪の開会式に参加しないことにも一理ある、というフランス外相のコメントに賛成するかと問われ、首相報道官は、五輪に対する我々の態度は変わっていない。我々は五輪ボイコットは支持しない、と答えた」(Asked if we now agreed with the French Foreign Secretary that there was now a case for not attending the Olympic opening ceremony, the PMS (Prime Minister's Spokesman) replied that our position in relation to the Olympics had not changed, and we did not support a boycott of the Olympics)
  • 「首相は未だに閉会式に参加する計画でいるのか、という質問に対して、報道官は、そのとおりだと答えた」(Asked if it was still the Prime Minister's plan to attend the closing ceremony of the Beijing Olympics, the PMS replied that this was correct)

つまり3週間ほど前のブリーフィングで「閉会式への参加」が説明されているわけです。Nick Robinsonはさらに、最近英国を公式訪問したサルコジ・フランス大統領とブラウン首相が二人で行った記者会見でのやり取りを紹介しています。

  • 記者の質問:チベット情勢に関連して、フランスや英国のような主要民主主義国は、北京五輪の開会式をボイコットすべきだと思うか?"Should the leaders of major democracies like Britain and France now boycott the opening ceremony in Beijing as a result of what is going on in Tibet?"

    サルコジ大統領の答:開会式が行われるころ、私はEU議長国の大統領となっている。ボイコットすべきかどうかは、他のEU諸国の意向も聞いてみる必要がある。"At the time of the opening ceremony, I will have assumed the Presidency of the EU, so I have to sound out and consult my fellow members to see whether or not we should boycott"

    ブラウン首相の答:我々は五輪をボイコットするつもりはないし、英国は五輪の式典には参加する。"We will not be boycotting the Olympic Games; Britain will be attending the Olympic Games ceremonies"

ブラウン首相の答の最後の言葉がceremoniesと複数になっている。これは開会式と閉会式という意味であるわけです。Nick Robinsonは「そのことは事情がわかっている人たちには、明白であったかもしれないが、そうでない人たちには明白でもなんでもない。英国の全国紙でさえ、何度も何度も首相が"開会式に出席"と報道しているほどだから、全くはっきりしていなかった」と首相官邸に文句を言っている。

  • 首相側がわざと漠然とさせたのか?見出しになるようなことを避けたということ?中国を怒らせたくないという努力の表れ?それとも首相側としては、みんな分かっているものと考えてしまったのか?あるいは、それらが一緒になったものか?知ってみたいもんだ。Was it a tactical decision to be cryptic? An attempt to avoid a story? An effort not to upset the Chinese? Or was it simply that Team Brown genuinely thought everyone knew? Or a mix of all the above ?Iwish I knew...

一方、4月10日付けのPA通信の記事によると、アメリカの大統領選挙で民主党の候補争いをしているヒラリー・クリントンが次ぎのようなコメントを発表しています。

  • 北京五輪の開会式に出席しないというブラウン首相を大いに支持する。これは首相による重要な決定であり、私としてはマケイン上院議員やオバマ議員にも、ブッシュ大統領が開会式に出席しないように求める私に同調してもらいたい。(I wanted to commend Prime Minister Gordon Brown for agreeing not to go to the opening ceremonies of the Olympics in Beijing. That was an important decision by Prime Minister Brown and I am calling on Senators McCain and Obama to join me in my request that President Bush also not attend the opening ceremonies.)

つまりヒラリーさんは、ブラウン首相が「開会式に出席しない」という部分だけを取り上げて賞賛しているわけです。首相が閉会式には参加すること、開会式には別の大臣が出席することは全く無視してしまっている。

▼なんだか奇妙なハナシだと思いませんか?まずブラウン首相が、開会式ではなくて閉会式に出るということ自体が奇妙だと思いませんか?北京の後の五輪がロンドンで開かれるので、閉会式でのバトンタッチに出席しようってわけですね。開会式にはオリンピック大臣のTessa Jowellという人が出席するんだそうですが、首相のような人は、普通は一番盛り上がるとき(すなわち開会式)に出るんじゃありませんか?ロンドン五輪への引継ぎこそ、オリンピック大臣がやるってのがマトモなんじゃありませんか?

▼Nick Robinsonのブログによると、チベット騒乱が起こる前の3月19日のブリーフィングで、記者が「首相は閉会式に出るのですね?」と念を押したのに対して「そのとおり」と答えている。それがどうして、新聞では「開会式に出る」というような報道になってしまったのか? なぜ首相官邸はその報道を正さなかったのか?

▼さらに、閉会式に出るということが確認されたときに、何故記者は「では開会式には誰もでないのか?」と聞かなかったのか?聞いたけれど、それは記録に残っていない?

▼サルコジさんとの共同会見におけるブラウン首相と記者のやりとりも不可解ではありませんか?「ボイコットすべきでは?」という記者の質問に対して、ブラウンさんは「英国は五輪の式典(複数)に参加する」と言っている。ブラウンさんのあいまいな答え方もおかしいけれど、何故、そのときに記者は「開会式に出るのか、出ないのか?」と念押しの質問をしなかったのか?これもよく分からない。Nick Robinsonは首相側のあいまいさを批判しているけれど、記者たちが、首相のあいまいさを許さないような質問をしなかったことについても自己批判しても良かったのでは?

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2) 無携帯電話恐怖症!?


いま英国で携帯電話を使っている人の数は4500万人だそうです。人口が6000万の国だから4分の3が携帯を持っているということになる。で、最近YouGovという会社が行った約2000人の携帯ユーザーを対象にしたアンケート調査によると、女性の48%、男性の58%が携帯を持っていないと不安で仕方ないと感じる「携帯病」にかかっていると感じているのだそうです。

携帯病のことをnomophobiaと言うのだそうで、末尾のphobiaは「XX恐怖症」ということで、nomophoはno-mobile-phoneの略語。要するに携帯を持たないことで、他人とのコンタクトができない状態になることが怖いのだそうです。この調査によると、20%の携帯ユーザーが絶対に携帯のスィッチを切ることがないらしい。

Independent紙によると、いまのところ、英国の航空会社は機内における携帯の使用は禁止していますが、来年には高度3000m以上のところなら使っても良いことになるらしいですね。料金は1分間で1〜2ポンド(約200円)くらいになるとされています。また欧州委員会でも携帯オーケーの方向だそうで、EUの航空会社は年内に使えるようになるかもしれない。

▼私も一応携帯は持っていますが、殆ど使ったことがない。nomophobiaなんて信じられないハナシです。でも例えば池袋の駅前などに立っていると、実にいろいろな人のいろいろな会話が一度に耳に飛び込んできますね。

(50才くらいのオバサン)「あ、アタシ。いま池袋・・・これから電車に乗るから・・・で、あれどうした?だから、ヨシオのことよ。え?あ、そうなの・・・じゃあね」

(30代のサラリーマン)「だからさぁ、見積もりはさぁ、きのう先方に送っといたっつうの。サエグサ課長にも言っといたんだからさ。え?そんなこと言ったってさぁ、いや・・・え?・・・ウン、だからサエグサ・・・なに?課長、きょう、休み?んじゃしゃあないじゃんかよ、なんでオレが謝るんだよ、ったくう!」

3) 新聞特例法の異常さ


「日刊新聞紙特例法」って何だかご存知で?これは略称で、本当は「日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社の株式の譲渡の制限等に関する法律」というのだそうです。新聞社に勤める人以外は知らないかもしれないですね。ひょっとすると新聞社の人だって知らない人がいるかもしれない。私はつい最近まで知りませんでした。今西光男という人の『占領期の朝日新聞と戦争責任』という本を読むまでは、です。1951年に出来た法律で、今西さんによると、そのポイントは第一条にある次の文言ですべて言いあらされている。

「一定の題号を用い時事に関する事項を掲載する日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社にあつては、商法第二百四条の規定にかかわらず、株式の譲受人を、その株式会社の事業に関係のある者であつて取締役会が承認をしたものに限ることができる」

▼私自身、株などやったことないし、やりたいとも思わないので、この本のこの部分を読みながらも「だからナンなのさ」という気分だった。が、じっくり読むとこれは大変な法律であるってことが分かりました(というか、「分かったような気がする」という方が正確かもしれない)。私と同様、株にも新聞社の経営などのことにも全く興味のない皆さま、ちょっとだけ辛抱してくらはい。

要するに新聞社の株は、その新聞社の「取締役会が承認したもの」でないと買うことができないということで、証券取引所にも、例えば朝日新聞の株は上場されていない。日刊で発行されている、普通の新聞ならどこも同じことです。つまり一時は大いに話題になったライブドアのニッポン放送買収劇のようなことは、新聞社に関しては起こらないってことであります。

上の条文の中に「商法第二百四条の規定にかかわらず」とありますね。当時の商法では、株の譲渡相手を「取締役会が承認をしたものに限る」などと制限することは禁止されていたのだそうです。ここでいう「商法」は、1950年5月にできた改正商法。1950年5月といえば、第二次世界大戦で日本が負けてから5年しかたっていない時代で、戦前の財閥のような存在を許した旧商法を改めさせようという占領軍当局の意図で、株の譲渡先を制限することが禁止された。この法律は、当たり前ですが、新聞社の経営にも適用された。

で、今西さんの説明によると、株の譲渡先を新聞社が自分たちで制限することができなくなると、

  • 買収される心配もなく、既得権益に安住してきた新聞社の大株主(オーナー)や経営者たちにとっては、その存在を根底から脅かされる事態だった。

というわけで、商法が改正され施行されてから、新聞業界が「新聞社にだけは、改正商法のこの部分を適用しないで欲しい」というキャンペーンに乗り出し、強引に国会で成立させたのが、イチバン最初に引用した「日刊新聞紙特例法」であります。「新聞社だけに特例を認めてもらおう」という「虫のいい話」が通ってしまったわけです。

実はこの商法は1966年に全面改正されて、新聞社だけでなくどの株式会社も、株譲渡の制限ができるようになったので、上の「日刊新聞紙特例法」も不要になったはず。なのに新聞業界の強い要請で、「特例法」は存続することになった。何故「強い要請」なのかというと、この「特例法」が直接、新聞社だけを対象とする唯一の法律であり、「それなりの意味」を持つようになっていたからだ、と今西さんは言っており、さらに続けて次のように書いています。

  • 特例法の対象となる新聞社だけが、日本新聞協会に加盟できる新聞社であり、政府のお墨付きを受けた新聞社と認定された。つまり政党機関紙や、総会屋などが経営するいわゆる「ころつき新聞」を排除する根拠としても、この法律が必要だった。

はっきり言うと、この部分を皆様に紹介したくて、ここまでクダクダと書いてきたのであります。今西さんの言う「特例法の対象となる新聞社」とは、(くどいようですが上に書いてある)「一定の題号を用い時事に関する事項を掲載する日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社」ということですよね。つまり、私が「むささびジャーナル」という「新聞」を発行したとしても、日刊でもないし、株式会社でもないから、「特例法」的には新聞紙とは定義されない。だから日本新聞協会にも加盟できない・・・ということなのですよね。もっと言うと「そんなの新聞じゃねえ!」ってこと。

▼ただ今西さんのこの文章の中で、イマイチよく分からないのは「この法律が必要だった」という部分です。だれが、この法律を必要としたのでしょうか?素直に読むと、大きな新聞社が、「どうでもいいような新聞」と自分たちを区別するために政府のお墨付きが必要だったってことになるのですが・・・。 ひょっとすると、政府の方が、区別・差別のための基準として必要としていたってことかも?

で、今西さんによると、この特例法によって「新聞社」と認められた会社が発行している新聞には例えば次のような「特権」があるそうです。

☆「第三種特別郵便物」の対象になる:「日本郵便」のサイトによると、この対象になると「50グラムまで新聞1部40円」だそうです。

☆裁判所などの公的機関の公告の掲載

☆企業の決算報告の掲載

☆各種選挙での政党や候補者の選挙広告の掲載

▼いずれも結構な収入なんじゃありませんか?そういえば、企業が謝罪広告を掲載するのもひょっとすると、「特例法」新聞に限られている?つまり特例法で認められた新聞紙上で謝罪すれば、一応ちゃんと謝罪したことになる、とお役所に認められるってこと?

お役所といえば、日本のお役所には、それぞれの「記者クラブ」なるものが存在します。首相官邸から県庁・町役場にいたるまで、どこにでもある。今西さんは、

  • 記者クラブ加盟の新聞社を日本新聞協会加盟社に限定できたのも、新聞社を対象にした唯一の根拠法があったからだ。

と言っています。

▼この場合の「限定できた」というのは、お役所の方なのでしょうか?それとも新聞社同士のことなんでしょうか?いずれにしても、この「特例法」のお陰で、「政府公認の新聞」のようになってしまったということであり、これは新聞社が望んだことだったということです。

『占領期の朝日新聞と戦争責任』は、タイトルのとおり、第二次世界大戦後直後の占領期における朝日新聞社のオーナー、経営者、編集者らの混乱と苦難を描く、綿密なレポートです。とてつもない量の資料・史料に基づいており、この本自体が「史料」になるような本です。上に挙げたのは、著者の意図と関係なく、私自身が一番「なるほど」と思った部分です。

実は、この本の中でもう一か所、非常に感激したところがありました。あの戦争が終わったのが1945年8月15日。それまでの戦時内閣に代わって皇族である東久邇宮稔彦王という人が首相になる。8月30日、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が厚木に到着。で、その翌日の朝日新聞朝刊のトップ記事は次のような見出しであったそうです。

「首相宮へ信書お許し 直接民意御聴取 言論暢達に畏き思召」

「国民諸君、私は皆さんから直截手紙を戴きたい・・・」という東久邇首相のメッセージを伝える記事だったのですが、その結果として、多い時には一日1000通以上の手紙やハガキが首相官邸に届いたのだそうです。首相はこれに目を通したそうなのですが、これらの「信書」処理にあたった長谷川峻という秘書官が、回想録『東久邇政権・五十日』の中で

  • 「物のない時、便箋に切手をはって手紙を出すことは一般には苦痛なはずだ、それが一千通をこえて殺到するのだから、目を見張らざるを得ない」

と書いているそうです。

▼私が何を感激したのかというと、これらの手紙を書いた当時の人々のことを考えたからです。敗戦直後で、社会的にはどうしようもない混乱状態であったはず。なのに新聞の記事を読んで、首相に手紙を書こうと思い立った人が、それだけいたということですね。その人たちは、自分たちのメッセージが政府に伝わると思っていたってことですよね。つい数日前までは極めて非民主的な状態おかれていた日本人が、どうして政府へ手紙を書こうという気になったんですかね。いまで言うと福田さんのメルマガへの投稿のようなものですが、それほど簡単ではなかったはずです。でも皆、書いたのですよね。これ、素晴らしいことなんじゃありませんか?

『占領期の朝日新聞と戦争責任』の著者は、本の最後のところで、テレビやネットの発達によって、新聞が「独占的メディア」であった時代は終わり、この特例法のような特権も見直しが行われて、新聞社も「普通の会社」にならざるを得ないだろうと言っています。そして新聞社が問われているのは、

  • 「特権」を容認できるだけの「公器性」「公共性」が、新聞社に備わっているのかという、基本的な問題である。

と主張しています。ちなみに著者の今西さんは朝日新聞の記者であった人です。

▼最後の部分がこの本のメッセージなのでしょうね。 いまの朝日新聞とその読者には、1945年の8月31日付けの新聞(国民からの手紙を求める首相の声を掲載)を発行して、それを読むようなハングリー感覚はない。しかし、読者の側に自分たちの声を聞かせたいという気持ちがあることに変わりはない、と私などは思っているのですが。

▼日本新聞協会というところのサイトを見ていたら、当時会長であった渡辺恒雄という人が、平成13年6月8日の法務省あての手紙の中で、この特例法について次のように書いておりました。

「新聞経営に関する外部からの圧力や介入、干渉を排除することで、民主主義社会の発展に不可欠な言論・報道の自由と独立を担保し、新聞社が健全な事業活動を維持できるように、特例として設けられているものである」

▼"言論・報道の自由と独立を担保"するのに法律(つまり権力)による特殊扱いが必要だというのですか?矛盾してません? この人が考える「公共」は「国家」「政府」ということなのでしょうね。「公共」(パブリック)というのは、元来、国家や政府とは対立・対決するものですよね。

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4)似ているようで、似ていない?英国人とアメリカ人


この世で罪を犯した人が悔い改めないと地獄へ落ちる・・・ということを信じるか?と聞かれアメリカ人の54%が「信じる」と答えた。「信じる」と答えた英国人は16%、57%が地獄なんて信じないと答えている。最近のThe Economistに掲載された、アメリカ人と英国人の違う点と似ている点というアンケート調査の答の一つがこれだった。 で、「この世に神様はいると思うか?」という問いに対する答えは、

Q: Do you believe there is a God? 神は存在するか?
 
存在する
存在しない
分からない
英国人
39%
36%
25%
アメリカ人
80%
9%
11%


となっている。かなり違いますね。 アメリカ人の宗教性が目立ちます。私、どういうわけかアメリカ人と英国人との付き合いが長いのであります。前者は個人ベース、後者は仕事が故の付き合いなのですが、たまに英米人と私(日本人)の3人が一緒になるということもあります。そんなとき、二人が私のことをどのように思っているのかは分からないけれど、私には英国人もアメリカ人も同じようなことを考えているように思えることが非常に多い。

というわけで、最近のThe Economist誌に掲載された英国人とアメリカ人を対象に全く同じ質問をぶつけたアンケート調査は非常に面白い。The Economistは「英国人とアメリカ人は思った以上に違うことが分かった」と言っています。英米のことを、一言で「アングロサクソン」という呼び方をする人がいるけれど、本当にこの2者は、アングロサクソンという言葉でくくれるほど「似ている」でしょうか?似ているとすれば、どの部分がどの程度似ているのでしょうか?

設問が余りにも多いので、全部を紹介することはできません。私が勝手にピックアップして報告させてもらいましょう。まず、初めに挙げた宗教観に関係のある項目をいくつか紹介します。

▼自国の首相・大統領が無神論者だったら、どう感じるか?という問いに対しては、「喜ぶ・構わない」という人が、英国では74%もいるのに、アメリカでは34%しかいない。アメリカには「怒りを感じるだろう」という人が21%もいるのに、英国人で「怒りを感じる」のは2%だけ。 アメリカ人の無神論への拒否反応が目立ちます。

▼しかし、自国の首相・大統領がイスラム教徒だったら?と聞かれると、「構わない」という英国人は33%にまで落ち込み「残念に思う(I would be sorry)・怒りを感じる(I would be angry)」という否定派が55%にのぼる。これはアメリカも同じこと。9・11やロンドンテロのお陰で、両方ともイスラム拒否の感覚が強いってことですかね。

次に宗教というよりも「道徳」と言ったほうがいいかもしれない質問をいくつか・・・。

Q: 未婚のカップルによるセックスは罪だと思うか?
 
罪だ
罪ではないが
望ましくもない

完全に許される
行動だ

分からない
英国人
5%
22%
71%
2%
アメリカ人
33%
29%
34%
4%

Q: 同性愛は罪だと思うか?
 
罪だ
罪ではないが
望ましくもない

完全に許される
行動だ

分からない
英国人
13%
37%
46%
4%
アメリカ人
40%
27%
26%
7%

未結婚セックスについては、アメリカ人の方がかなり「素朴」で、英国の方が「自由度」がはるかに高いってことですが、「素朴」のどこが悪いの?と英国人に聞いてみたい気がしますね。同性愛者に対する態度についても英国人の方が「開けている」と言えるのかもしれないけれど、それでも否定的な意見が半数もあるんですね。それにしても、同性愛のような、「性癖」、「好み」の世界(だと私などは思う)の事柄について、かなりの英国人が「罪ではないが望ましくない」などと言っている。どこか偽善を感じませんか?「望ましくない」のなら「罪だ」と言ってしまったら?と言いたくなる。

Q: 殺人犯は死刑にすべきか?
 
殺人は常に死刑だ
場合によっては死刑もある

死刑は常に悪

分からない
英国人
21%
53%
24%
2%
アメリカ人
26%
50%
20%
5%


英国では死刑制度が廃止されています。それでも74%もの英国人が肯定的な意見を持っているのは意外ですね。アメリカの場合は州によって違う。いずれにしても、犯罪には厳しく臨むべきだという世論の表れなのでしょうね。 

次に職業別の信用度をいくつか挙げてみます。

Q:政治家を信用しているか?
 
大いに信用
ある程度まで信用
余り信用せず
全く信用せず
分からない
英国
1%
24%
44%
28%
4%
アメリカ
1%
19%
45%
31%
3%

Q:お役人(public officials)を信用しているか?
 
大いに信用
ある程度まで信用
余り信用せず
全く信用せず
分からない
英国
2%
39%
37%
16%
6%
アメリカ
3%
44%
35%
14%
4%

この二つの数字をどう思いますか? 両方とも政治家が実に信用されておりませんね。「余り・全く信用せず」がアメリカで76%、英国でも72%なのですからね。しかし「お役人」への信頼感(英国41%・アメリカ47%)は、相当に高いと感じませんか?いま同じアンケートを日本でやったら、役人の数字ははるかに低くなると思いませんか?

Q:ジャーナリストを信用しているか?
 
大いに信用
ある程度まで信用
余り信用せず
全く信用せず
分からない
英国
1%
19%
41%
35%
4%
アメリカ
3%
31%
31%
31%
4%


ジャーナリストと呼ばれる人たちは、本当に信用されていないのですね。ジャーナリストは、職業的には「パブリック」な人たちですが、政治家や役人と違って、市民の日常生活に直接影響を与える存在ではない。だからもう少し「信用」とか「同調」が集まっても良さそうなものですよね。それからジャーナリストは大体において、政治家やお役人に批判的なことを言う存在です。政治家が「信用できない」という評価はメディアによって描かれるイメージとも関係しているはずです。しかしこれらの数字を見ると、ジャーナリストは政治家以上に信用されていない。

英国のジャーナリストが特に信用されていないわけですが、この結果をもう少し細かく見ると、中流階級でも労働者階級でも同じような数字が出ています。ジャーナリストを信用しないという点においては、階級は関係ない。ということは、新聞については高級紙も大衆紙も同じように信用されていないということになる。テレビのジャーナリストへの信用度はどうなのか?そこまでは細かく数字が出ていない。

▼ところで日本のジャーナリストと呼ばれる人たちは、日本人にどの程度信用されているのでしょうか?むささびジャーナルをお受け取りいただいている方の中で、メディアの世界にはいない人にお聞きしますが、あなたが、政治家・お役人・ジャーナリストの3者を「信用度順」に並べるとどうなりますか?

▼職業別信用度で、最も信用度が高いのは、英国では大学教授(81%)、アメリカでは裁判官(64%)となっています。裁判官については英国でも71%という信用度の高さを記録しています。この辺も日本とは違うと思いませんか?

政治家ついでにもう一つ。ロナルド・レーガン、マーガレット・サッチャー、ビル・クリントン、トニー・ブレアの中から、いま自国の大統領・首相にしたい人物の人気投票をした結果は、

英国人 アメリカ人
サッチャー
36%
39%
レーガン
クリントン
23%
36%
クリントン
ブレア
21%
8%
サッチャー
レーガン
3%
8%
ブレア


▼この数字にはいろいろなことが表れていると思いませんか?サッチャーとレーガンは、英米人がそれぞれ自国について自信を失っていて強いリーダーを求めていた時に登場した政治家です。両方とも愛国心を訴えた政治家でもある。二人がリーダーの座を降りてからほぼ20年たつけれど、評価は非常に高い。尤も私は、アメリカ人がレーガンを評価するのと、英国人がサッチャーに高い点数をあげるのでは、理由が違うような気がしてならない。(が、そのことはここでは触れません)。

▼クリントンもブレアも、行き過ぎた弱肉強食のサッチャリズムとレーガノミクスを批判しながらも、「大きな政府には戻らない」という「第三の道」を提唱した人です。非常に意外だと(私が)思うのは、英国におけるクリントンの人気です。レーガンには「ハナもひっかけない」という感じなのに、クリントンに対する人気の背景は何なのでしょうか? 米国におけるブレアの地位も意外ではある。アメリカのイラク戦争を支持していたときは「ブレアを米国大統領に」という声まで聞かれたのですからね。イラク戦争の不人気と心中したってことかも?

最後に「英米関係」の現状とこれからについてお互いにどう思っているのかというと:

英米関係の現状認識
 
アメリカ
英国
非常に密接 very close

17%

8%
わりと密接 fairly close
54%
50%
余り密接でない not very close
16%
31%
全く密接でない not at all close
1%
6%
分からない don't know
12%
5%

英米関係、これからどうあるべきか?
 
アメリカ
英国
非常に密接 very close

29%

7%
わりと密接 fairly close
49%
39%
余り密接でない not very close
7%
36%
全く密接でない not at all close
2%
11%
分からない don't know
14%
8%


▼いまでも「余り密接でない」と感じている英国人が多いということですね。 アメリカ人の2倍です。将来の関係となると、これがもっと顕著になる。アメリカ人の78%が「密接であるべし」と言っているのに、英国の場合は46%ですからね。


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5)短信


ビーンズだけ食べて60キロ減量

体重が180キロもあった人が、ベイクトビーンズの缶詰を食べ続け、昨年6月からこれまでの約1年で120キロにまで減量に成功した。英国のエセックスに住むニール・キング氏で、今年40才になる。60キロも減量となると穏やかでないけれど、食べたビーンズは一日6缶、殆ど3食がビーンズだった。ビーンズ・ダイエット前のニールは、朝食にビスケット1袋、昼食前にチョコレートバー2つ、昼食にフルのイングリッシュ・ブレクファスト、午後はポテトチップ2袋、夕食はローストビーフ、それからパブでビール8杯。最後にパブからの帰りにケバブを1〜2本という食生活だった。医者に「ガンになる」と警告されてビーンズだけの生活となったわけ。奥さんのシェリルは「生まれ変わったみたい(He's like a new man!)」と感激しております。

▼とにかく豆の缶詰だけ食べたんだそうです。トーストの上に乗せるというのも止めたんだとか。それにしてもビーンズ1500缶なんて、考えただけでもゲップが出る。それとダイエット前の食習慣も、ちょっとおかしいんでない?

青少年のための反飲酒テレビゲーム

英国では若年層によるアルコール摂取が問題になっていますが、こともあろうにそれをテーマにしたテレビゲームが売り出されてヒンシュクをかっているのだそうです。ThinknDrinknという名前のゲームなのですが、スコットランドにある中学生たちが制作したもの。画面には、都会の通りがあり、不良に囲まれた「友だち」が倒れている。不良による邪魔にもめげず彼を助けるのがゲームなのでありますが、助けないでいると「友だち」は、酒を飲まされすぎて顔が青くなり、まずは嘔吐して、それから気を失うというのが筋なんだそうです。ゲームは青少年のアルコール摂取を止めようというキャンペーンに使われるために制作されたらしいのですが、「いくら反アルコールキャンペーンのためとはいえ、子供に飲酒をテーマにしたゲームを作らせ、しかも飲みすぎて気をい失う場面なんて・・・」と学校の「無責任」を非難する声が上がっているのだそうです。

▼「子供たちが作ったのだから」と子供の自主性を尊重したいというのが、担当教師の意見のようです。この際オトナの酔っ払いがテーマのゲームってのは如何でしょうか?売れますかね。嘔吐シーンはまずいかもな。

村の名前を変えたい・・・

英語にはいろいろな汚い言葉があるのでありますが、北イングランドにあるLUNTという名前の村の標識のLという文字をCに書き換えるいたずら書きが流行って村人を困らせています。LがCになると、ここで説明をはばかるような汚い言葉になってしまう。いっそのこと村の名前を変えようかという声さえ上がっている。LUNTからLAUNTにして、同じような読み方にすればいいのでは、という人もいたりして・・・。しかし13世紀の昔からこの名前を使ってきた村人にしてみれば「悪がきのためになんで村の名前を変えるのか。変えなきゃならんのは、あの悪がきたちだろが」ということになる。と言って、こうまで頻繁に標識にいたずらをされたのでは、村の評判が悪くなる。この際変えたほうが・・・という意見もあって村を二分する騒ぎになっている。

▼悪いのはガキどものために、ナンで村の名前変えなアカンのや!いう意見は全く当たっている。ここはもう少しガンバッテもらいたい。

6)むささびの鳴き声


▼『靖国』という映画が上映できなくなっているということについて、ラジオのディスカッション番組を聴いていたら、「映画館はメディアなのだ。いい映画を見せるという使命があるのだ」と主張するリスナーがおりました。それに対して司会者が「使命は確かにそうかもしれないが、現実に右翼の嫌がらせなどがある場合、あなたが映画館主なら強行上映します?」と聞いたところ、その人は「ウーン」と一瞬言葉に詰まったあとで「結局、行政の責任でやってもらわなきゃだめってことでしょ」と言いました。要するに警察が右翼を取り締まるべきだというハナシになってしまった。

▼ほかにもいろいろな意見が登場していました。いずれも「もとはと言えば、この映画の特別試写会などをやらせた国会議員と脅迫する右翼が悪い」ということでは一致していたのですが、上映中止を決めた映画館主を責めることもできない。結局、警察にお任せするか、泣き寝入りするしかない・・・?

▼この番組をベッドで聴きながら、いろいろなことを考えて眠れなくなってしまったのでありますが、はっきりしていることは、右翼の嫌がらせや政治家の権力に対抗するのに、行政にお任せってわけにはいかないってことですよね。はっきりと法律違反でもしていない限り、取締りのしようがない。となると、その種の理不尽な圧力は許さないという伝統とか社会的な雰囲気のようなものを作るしかないってことですよね。多分、それをやるのが、ラジオも含めてメディアというものの仕事なんだろうと思うわけです。

▼この問題について、いろいろな組織がコメントを出しているようであります。例えば:

  • 日本新聞協会:映画の内容をどう評価するかは個々人の問題であるが、その評価、判断の機会が奪われてしまうことは、表現・言論の自由を擁護する立場から看過できない
  • 民間放送連盟:言論・表現の一翼を担う者として、こうした事態に強い懸念を表明する
  • 日本ペンクラブ:言論の自由や集会の自由をはじめとした、民主主義社会を支える精神的自由の重要性と、そのための公共言論空間を社会として守る決意をここに改めて訴える・・・

▼それぞれ正しいことを言っているのですが、新聞社やテレビ会社が率先して上映に係わるということは考えたのだろうか?大きな新聞社には映画を一般公開するくらいのホールのようなところは必ずあるし、テレビ局は映画そのものを放映することだって可能ですね。

▼自分自身がメディアの世界の内側にいるわけではないので、想像するっきゃないのですが、おそらくメディアの人たちは個人レベルでは考えただろうと思うのです。でも企業として実行するにはいたっていない。何故か?これも私の想像ですが、記者もプロデューサーも経営者も「当事者」になることへのためらいがあるってことであります。もちろん右翼が怖いのではない。今回の映画上映にかかわる人たちのことを報道することはやるし、表現・言論の自由を守れという声明も発表する。けれど直接それにかかわることはしたくない・・・。

▼表現や言論の自由が声明だけでは守れないということもある・・・ということは、メディアの人たちからすると、「言われなくてもわかっておる」ことかもしれない。でも、自分たちはあくまでもオブザーバーであり、観客であり、記録者であり、ジャーナリストであり・・・当事者ではない。だから間違いを犯すということもない。「立場」をとらなければ間違いもない。そういうこと?