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むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2008年11月23日
150回目のむささびジャーナルです。この頃になると、つい今年を振り返るなんてことやりたくなるけれど、なんとまあ、いろいろあったものですね、ここではいちいち言いませんが・・・。でもやっぱり11月末が来ると、関東地方は真っ青な空と北風の季節なのであります。
目次

1)オバマ大統領の最初の訪問国は英国で決まり?
2)スズメがいなくなった
3)深刻化する英国の不況
4)タモガミ論文(?)と麻生首相
5)大使が語る「日本・アフガン関係史」
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
1)オバマ大統領の最初の訪問国は英国で決まり?

前回のむささびジャーナルで、英国の賭け屋が次なるアメリカの大統領選挙の勝者についての賭けをやっていたことをお伝えしましたが、今度はPaddy Powerというアイルランドの賭け屋がやっているもので、賭けの対象は、オバマさんが大統領として最初に訪問する外国はどこか?(first country that Barack Obama will visit as president)というもの。17カ国挙がっていて、トップは英国で11対10の確率(つまり賭けとしてはイチバン儲けが少ない。以下、倍率順に並べると・・・

フランス:4
イラク:5
アフガニスタン:6
中国:8
ケニヤ:10

などとなっている。日本は18倍でイスラエル(12)より確率が少ない。全部で17カ国挙がっているのですが、確率が少ない順の「ボトム3」は、イラン(66)、北朝鮮(50)、シリア(40)などとなっています。英国については、いわゆる「特別な関係(special relationship)」で超本命。最近、国際舞台でやたらと目立ちたがるフランスのサルコジさんの場合、オバマが大統領に就任する頃にはEUの議長国ではないという点が弱い。

▼中国はどうですかねえ・・・私はないと思うけれど。ケニヤもないよね。私が賭けるとすれば、トップは英国ではなくて、イラクかアフガニスタンでしょう。日本については、アイルランドの賭け屋で17カ国の中に入ること自体、ちょっと意外な気がしないでもない。

▼ちなみにここでは来年のWBC(World Baseball Classic)の優勝国の賭けまでやっておりまして、トップはアメリカとドミニカ共和国で確率は7:4。それにキューバ(8:1)、日本(11:2)、韓国(12:1)などが続いています。日本は案外、人気がないってことですな。原監督、よろしくお願いしまっす!穴としては中国とオランダが100倍、最大の大穴は南アフリカの200倍となっている。南アフリカなんて出るんでしたっけ!?


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2)スズメがいなくなった

11月20日付けのThe Independentのサイトによると、英国の都市部からスズメ(house sparrow)がいなくなっているのだそうです。英国愛鳥協会(Royal Society of Protection of Birds: RSPB)などの調査では、1980年代の半ばごろから姿を消し始め、これまでに7割がいなくなった。ロンドンの中心部などでは文字通り全滅なのだそうです。

理由はいろいろ考えられる。樹木が少なくなったり、家々の庭がコンクリートの駐車場になったりして、巣を作る場所がなくなったとか、ネコのような「敵」が増えてしまったとか・・・。しかし最も有力なのは「昆虫がいなくなったから」という説です。スズメの場合、成鳥は粟・ヒエ・パンクズなども食事になるけれど、ヒナに関しては昆虫でないとダメなのだとか。RSPBの調査では、都市部の公園などで、巣の中で餓死しているヒナが数多く見受けられるとのことであります。

尤もスズメがいなくなったのは、都市部のことで、田園地帯や海岸などには相変わらずたくさん見られるらしい。Independentの記事によると、ロンドン以外にブリストル、エジンバラ、ダブリン(アイルランドの首都)、それからハンブルグ、プラハ、モスクワなどでも減っている。不思議なことに、パリとベルリンでは減っていないのだそうです。

▼ロンドンのSt James Parkをご存知の方も多いと思います。大きくてきれいな公園です。Independentによると、スズメはこの公園から全く姿を消してしまったらしい。ということで気になって、日本記者クラブの前にある日比谷公園に行ってみたら、スズメとおぼしき鳥がいたことはいました。ただ、かつてのように地面でエサをついばんでいる風景はなかった。ウィキペディアによると「日比谷公園などでは人目につくところに営巣したり、人が餌付けしたりする光景も見られる」となっているのですが・・・。また別の鳥関連のサイトには「現在はスズメを保護することの緊急性は低い」とも書いてありました。

▼それにしても、英国の都市部で、20年間で7割も減ったというのはすごい数字でありますね。


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3)深刻化する英国の不況

IMF(国際通貨基金)が「金融危機が実体経済及ぼす影響という意味では、先進国の中では英国が最も深刻であろう」という予測をしている、ということが11月12日付けの経済紙、Financial Times (FT)のサイトが伝えています。

中でも深刻なのが首都ロンドンとそれにつながる南東イングランドで、ロンドンの金融街(シティ)では、これから2年間で35,000人(シティ全体の約10%)が職を失うだろうと予想されています。シティだけでなく、ロンドン全体となると、失業者は187,500人(全体の4%)にのぼるだろうとされています。

シティは、これまで世界の金融センターとして、好景気の英国を引っ張ってきたし、そのロンドンに引っ張られて、富裕層が暮らすとされる南東イングランドでは住宅バブルがはじけて、新住宅の着工件数が昨年の半分にまで落ち込んでいるのだそうです。

ロンドンは2012年にオリンピックが控えています。五輪そのものへの影響については、FTは伝えていないけれど、五輪の中心であるイースト・ロンドンのオリンピック・パーク周辺で進行中だった住宅建設プロジェクトがストップしてしまっている。オリンピックまでに建設して売り出そうという計画であったのですが、この状況では売れっこないというのでギブアップしてしまった。

FTによると、現在の英国の失業者は182万人。今から約30年前の1980年代初頭にも英国は不況に見舞われたのですが、1980年の時点での失業者は200万だったのが、82年には330万に達してしまった。さらに英国は1991年にも約300万人が職を失う不況を経験しています。

今回の不況とあの頃のそれとでは違いがあります。あの当時は、造船・鉄鋼のような重工業と製造業が衰退していく、脱工業化の過程で起こったものであり、不況地域が北東イングランドやバーミンガムのようなイングランド中部の工業地帯を中心にしていた。

それが今回の場合、最も深刻なのがロンドンであり、それが全国に広がりつつあるというわけです。例えばイングランド中部の自動車産業(トヨタも含む)では、次々とリストラや労働時間の短縮が行われている。またマンチェスターやリバプールでは、ミニ金融街が厳しい状況に陥っていて、せっかく建てた高級アパートも4分の1が空き部屋というようなことが起こっているのだそうです。

またBBCのサイト(11月14日)が、Chartered Institute of Personnelという経営者団体が、700社を対象に行ったアンケート調査を伝えています。それによると、80%の経営者が「英国の景気は悪くなる」(economic conditions in the UK would get worse)と答えており、「よくなる」(improve)と答えた経営者はたったの1%であったそうです。

▼『イギリス経済再生の真実』(日本経済新聞社)という本に出ていた表によると、いまから30年前の1978年、英国の製造業と金融業の雇用者数はそれぞれ700万人と250万人だったのに、現在(2007年)ではこれが完全に逆転、製造業が約300万人、金融業がほぼ600万人となっています。

▼最近、ポンドと円の交換レートで、ポンドが安くなっています。一時は1ポンド:230円などという時期もあったのに、いまや150円を切るまでになっています。
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4)タモガミ論文(?)と麻生首相

防衛省航空幕僚長(つまり航空自衛隊のイチバン偉い人)の田母神俊雄という人が「第二次世界大戦における日本は全く悪くなかった」という趣旨の論文(?)を書いて賞金300万円をもらっただけでなく、退職金(6000万円)付きでクビになった、あの事件について11月8日付けのThe Economistが「戦時の亡霊」(The ghost of wartimes past)という記事を載せています。

The Economistによると、田母神さんの言っていることは「3回も料理された歴史修正主義を、もう一度暖め直してこたまぜにしたもの(a warmed-through hash of thrice-cooked revisionism)なのだそうです。つまり、太平洋戦争は、日本の合法的な領域(legal territories)であった満州や朝鮮を共産主義者から守るための戦いであったとか、日本はアジアを西欧帝国主義から解放しようとしたのだとかいう、この人の言い分はこれまでにも歴史を書き換えようとする人たちによってさんざ言われて来たことの繰り返しにすぎないというわけです。

田母神氏は、「日本は"輝かしい日本の歴史"を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」と大真面目に進軍ラッパを鳴らしてこの論文を締めくくっている。(Japan must "reclaim its glorious history", Mr Tamogami ended with a barrel-rolling flourish and a want of irony, "for a country that denies its own history is destined to fall".)

とThe Economistは、田母神論文については、あまりマジメに考えていないようであります。ただこの件についての麻生首相の動きに触れて、首相はかつての「村山談話」を引き継いでいると表明しているし、靖国神社参拝は控えている(Mr Aso has also eschewed visiting Yasukuni)けれど、過去においては田母神氏のようなことを言ったことがある。 例えば1910年〜1945年の日本による朝鮮占領を礼賛したこともある(He has, for instance, praised Japan's occupation of Korea from 1910-45)し、麻生家の財産は朝鮮人を奴隷労働者扱いした鉱山会社から出ているとも言っています。

尤もThe Economistは、最近の日本では田母神氏のような考え方は受け入れられなくなっており、靖国神社でさえもかつてのような戦争礼賛は影を潜めている、という東京のTemple Universityでアジア史を教えるJeffrey Kingstonという人の見方も紹介しています。

▼田母神論文はここをクリックすると出ています。確かに「日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上した」とか「(日本は)大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた」というようなことがたくさん書いてある。ちょっと笑ってしまったのは次のくだりです。

もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

▼いじめに参加した人間が、「いじめたのは悪いかもしれない。でも、どうしてオレだけが責められるんだよ、みんなやってるじゃんか!」と開き直っているわけですが、「よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが・・・」という部分が妙にオドオドしている風なのが可笑しい。

▼要するに田母神さんが言うように、日本は欧米列強と同じことをやってしまったのですが、日本の場合は、欧米列強よりもちょっと遅かったということ。「遅れて来たいじめっ子」と、先に来ていたいじめっ子との間でケンカが始まり、日本はそれに負けてしまった。何故負けたのかは(私には)分からないけれど、列強の方が力が強くてアタマも良かったということですよね。だからいじめられっ子を味方につけることができた。
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5)大使が語る「日本・アフガン関係史」

6世紀のころに、いまのアフガニスタンに居住していた人々が自分たちの土地に「ホラサン(Khorasan)」という名前を付けた。ホラは「太陽」、サンは「居所」を意味する。つまり「ホラサン」は「太陽がいるところ」ということになる。ハルン・アミン駐日アフガニスタン大使が書いた『アジアの二つの日出ずる国』(Lands under the Rising Sun)によると、丁度同じ頃に日本が日本と呼ばれるようになったのだそうです。

この本は、アフガニスタンと日本の関係の歴史を語るものです。私などが全く知らなかった歴史です。

日本を最初に訪問したアフガニスタン人はアユブ・ハーン(Ayub Khan)という「将軍」で、1907年1月12日のことだったそうです。日本における「ヨーロッパの強国に対するアジアの勝利を記念する祝賀」のために来日したもので、アユブ将軍は東郷平八郎提督の賓客として招かれたのだそうです。日本はその2年前に日露戦争を戦ってロシアに勝利していたのですが、アフガニスタンはさらに20年以上も前に「第二次英・アフガン戦争」(1879〜1880)で英国を破っており、アユブ・ハーンはその戦争を王子として戦った英雄であった。

アフガニスタンと日本が公式の外交関係を樹立するのは1931年のことなのですが、それ以前にも外交関係樹立の動きがあったのだそうで、最初の試みがなされたのは1919年、マフムード・タルズィーという人がアフガンの外務大臣であったころのこと。タルズィーはジャーナリストで、1911年に「ニュースの灯」という新聞を発行したのですが、その新聞を通じて彼が主張したのが、アフガニスタン近代化のために「アメリカおよび日本をヨーロッパ・モデルの代わりとなる有効な進歩の原動力」ということだったそうです。

タルズィーは、自分の新聞を通じて「全アジア諸国の発展のためのモデルとしての日本」を大いに強調した。何故日本がモデルなのかというと「日本人は、ヨーロッパの進歩を再現しようと望みつつも、自分たちの習慣や生活様式を失わなかった」からです。

ただ、タルズィー外相による対日関係の樹立はうまくいかなかった。何故なら英国がこれに反対したから。アミン大使の本によると、英国はそれまでアフガニスタンと3回戦争して3回とも負けておりアフガニスタンに対して「恨みを抱いていた」のだそうで、アフガン政府が日本宛てに送った手紙はインドの英国当局者の手に落ちて日本へは届かなかった。また英国は外交的な手段を使って日本に「不当な助言」を与えたりしたとのことです。

大使の本には、日本が第二次大戦中に中国大陸や朝鮮半島で行ったことについては直接触れられていませんが、日本の民族主義者である頭山満(1855〜1944)などについては、「イギリスに対抗して、アフガニスタンを助けようとした」という風に、極めて好意的に書いています。アフガニスタンは中立の立場をとったのだそうです。日本が日露戦争(1904〜1905)でロシアを破ったことについて

欧米の植民地主義に対抗する日本がロシアに勝利したということは、西側諸国に支配されていたイスラム群衆に対し、日本は「イスラムの救世主」あるいは「アジアの救世主」にもなりえるということを意味した・・・

と書いています。大使によると、日本の知識人は明治維新以来「キリスト教に改宗することもなく、独自の文化構造を失わなかった」ということで、イスラム諸国は日本を「模範にすべき国の一つ」と見なしていた。これに関連して、例の多母~論文の次ぎの部分と読み比べてみると面白い。

大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと100年、200年遅れていたかもしれない。

▼多母~論文と大使の言葉を読み比べると、大使が「日本が素晴らしい国であると思われていたんですよ」と言い、多母~さんは「そうなんですよ、実際、我々は素晴らしいんですよ」と答えているようなものですね。 日露戦争から第二次世界大戦までの約40年間、当時の普通の日本人は、自分たちの国が「アジアの救世主」となろうとしていることを、 大まじめに信じていたのですよね。何せアフガニスタンを始めとするイスラム諸国からは「救世主」のように思われていたわけだから。

▼田母神論文(?)にはアジア諸国への尊敬の気持ちのようなものは全く感じられないですよね。あるのは対欧米コンプレックスに裏打ちされた「自画自賛」だけ。大使の本は、我々がおよそ教わらない歴史を知ることができるという意味で単純に面白い。「へえ、こんなこともあったのか」という感慨のようなものです。私たちが読む歴史の本は、どうしても欧米からの視点によって書かれているものが多い。この本のように、全く違う視点に立って歴史を語ってもらうというのは新鮮な経験ではあります。

▼この本はアフガニスタン大使館の刊行物として発行されており、大使館のウェブサイトにも全部が掲載されています。ここをクリックするとpdfによるテキストを読むことができますが、問題なのはプリントアウトすると、日英両方で212ページにもなってしまうということです。ダメもとで大使館に本そのものはどこかで入手できないものなのかを聞いてみるのがいいかもしれません。

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6)どうでも英和辞書
A〜Zの総合索引はこちら
idea:アイデア・思想・考え方

有名人の発言集のようなものを読んでいたら、アイルランドの戯作家、ジョージ・バーナードショーがideaというものについて次のように言っておりました。

If you have an apple and I have an apple and we exchange these apples then you and I will still each have one apple. But if you have an idea and I have an idea and we exchange these ideas, then each of us will have two ideas. アンタがリンゴを一つ持っていて、アタシもリンゴを一つ持っている。それを交換すると、やはり二人とも一つのリンゴを持っていることになる。しかしアンタがideaを一つ持っていて、アタシもideaを一つ持っていたとして、お互いにideaを交換すると、二人ともideaを二つ持つことになる。

この場合のideaなんですが、「それはいいアイデアだ」という意味のideaのことなのではないかと推測するのですが、「考え方・思想」という意味の方が面白いかもしれないですね。

jay-walking:ジェイ・ウォーク

歩道を使わずに道路を渡ることをjay-walkingといいますね。jayというのはカラスみたいな鳥のことだと思うけれど、この場合は都会に出てきた田舎者(foolish rural person unfamiliar with city ways)を意味する。もともとはそのような意味であったかもしれないけれど、最近ではクルマの間をぬいながら歩く都会人間みたいに言われたりしている。

アメリカやカナダなどでは罰金らしいですね。ウィキペディアによると、米アリゾナ州では約100ドル。英国の場合はこれをやっても罪にはならない。私の記憶によると、ロンドンでは皆さんjay-walkerだった。一緒に歩くと怖いくらいだった。

toilet:トイレ

BBCがちょっと変わった調査結果を発表しています。英国人はトイレで何をするのか、という調査なのですが、調査結果からの推測によると、イチバン多いのが「新聞や雑誌を読む」で、おそらく1400万人。次いで「話をする」が800万人、最後が5人に1人で「携帯でメール送り」だそうです。「話をする」の中には「家族と話をする」もあるし「電話で話をする」もある。アタシはこのどれにも入らない。トイレで新聞を読む気にはならないし、話をすることも、まずない。絶対にないのが「携帯でメール送り」(sending texts)ですね。トイレだろうが、リビングルームだろうが、携帯電話でメールを打つことができないもんな。

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7)むささびの鳴き声

▼11月9日付けの朝日新聞に”公立の小中学校で数値目標を掲げた「マニフェスト」が広がっている”という記事が出ていました。読んだ人、います?マニフェストというのは、(私の知る限りでは)選挙のときに政党が「わが党が政権をとったアカツキには、XXのことを実現します」と約束する「宣言」のことですね。それも漠然と「老人に住みやすい社会をつくります」とかいうのではなく「老人ホームをXX軒建てます」というように数字をあげて約束しようとするものです。

▼朝日新聞の記事によると、東京・荒川区にある公立の小中学校の「学力向上マニフェスト」には次のような例があるそうです。


▼区が主宰する学力調査における正答率を低学年で95%、中学年で85%、高学年で80%を達成する。

▼授業を集中して受けていると自己評価できる子を90%以上にする。

▼中学3年で英検3級に合格する子を全体の60%にする。

▼記事によると、マニフェストは必ずしも「学力」に限ったことではないようで、「いじめや不登校をゼロにする」とか「テレビゲームをやる時間を1時間以内にする」なんてのもあるらしい。朝日の記事によると「自己目標を掲げることで、学校が一生懸命になるのは悪いことではない」という賛成意見もありますが、「数値目標など掲げたら教育そのものが窒息してしまう」といった批判的なものもある。

▼この記事が掲載された数日後の新聞で、読者からの投書欄に、教師からの手紙が掲載されており、「知力偏重が嘆かわしい」という趣旨の反対意見を述べていました。ただこの人の場合、学力マニフェストは反対なのだけど、「いじめ・不登校をゼロにする」「部活への参加率を90%にする」というのには賛成であるとのことでありました。

▼「英検3級」であれ「いじめゼロ」であれ、何らかの目標を立てて努力する「向上心」自体は悪いことではないってことですね。そんなもんですかね。

▼私、生まれてこの方、「努力した」という記憶が殆どないのでございます。「全くない」とまでは言い切れないけれど、気分的には「好きなことだけやってきた」という感じであります。だから学校の成績なんていいはずがない。それでも、試験に落ちたりすると人並みに情けない気持ちにはなる。でも反省して努力しようともしない。そのうちに別の好きなことが見つかって、情けない思いなど忘れてしまう。そんなことの連続で67年間生きてきたわけです。

▼要するに怠け者なのであって、「世の中、ついでに生きているような人間」です。どちらかというとマニフェスト人間である、妻の美耶子などは呆れているし、私自身も「ついで人間」たることに胸を張るつもりはないけれど、あえて自己批判する気もない。やってみると、情けないこともあるけれど、楽でいい部分もある。

▼で、11月21日付けの毎日新聞のサイトに「小中高生の間で暴力行為が非常に多くなっている」という趣旨の記事が出ていました。「愛情に飢えていて自己肯定感が薄い」ことが原因なのだそうです。面倒なので説明は省くけれど、学力向上マニフェスト・ブームと「自己肯定感が薄い」はどこかで繋がっている、と私は考えてしまうわけです。「ついで人間」からすると、「いじめゼロ」も含めた「マニフェスト」なんてとんでもない。矛盾を覚悟で言うならば「マニフェストを作らない」ことをマニフェストにする学校を作りたいくらいです。

▼英語・数学・国語・社会・縄跳び・給食をぜんぶ食べるetc・・・どれも「死なないまじない」程度にやっておけばいいわけ。英検など受からなくても死ぬわけじゃないんだから。「生きているだけで御の字」をマニフェストにしてみたい。

▼マニフェストのハナシと全く関係ないけれど、ミンスパイというのは、英国人がクリスマスなどに食する直径5センチ弱のお菓子です。メチャクチャに甘い。このほどロンドンの弁護士(写真)が10分間でミンスパイを41個食べるという英国新記録を樹立、賞金1000ポンドを獲得したそうです。ちなみに世界記録はアメリカ人女性が作った46個だそうです。この弁護士さん、30才なのですが「とにかくなるべく沢山、口へ詰め込んで、水をガバガバ飲んだらできてしまった」とコメントしています。不況の折から1000ポンド(約15万円)なってうらやましいけれど、アタシなんか3つもムリだろな。

▼むささびジャーナルという道楽がいつまで続くか分かりませんが、後々の記録のために書いておくと、本日(2008年11月23日)、厚生労働省の元事務次官夫妻らを殺害した(かもしれない)人が警察に出頭してきました。もう一つ、相撲の千秋楽で横綱の白鵬と関脇の安馬が優勝決定戦をやり、白鵬が優勝した。前者についていうと、容疑者の父親という人がインタビューをされていたのですが、あれは何の意味があるんでしょうか?後者(相撲)についてですが、やっぱモンゴルの関取は面白いっすね!

▼もう11月も終わりですね。今回もお付き合いをいただき、有難うございました。心より感謝いたします。

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