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むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2008年12月7日
2008年もあと3週間とちょっとになってしまいました。朝、駅までの歩き(7〜8分)の寒さが苦痛になってきた。むささびジャーナルも今回を入れてあと2回です。
目次

1)英国最悪のクリマス・ツリー!?
2)ヨーロッパのベスト財務大臣
3)フランス・メディアと政治家の関係
4)あるブログ・パイオニアの「引退」
5)金融NPOの「意志あるお金」
6)どうでも英和辞書: kind, lip and money
7)むささびの鳴き声
1)英国最悪のクリマス・ツリー!?

英国の通信社PAのサイトによると、北イングランドの町、Peterleeの中心部にあるショッピングセンターに飾られたクリスマス・ツリーが「英国中のツリーの中でも最悪(Britain's worst Xmas tree)ということで地元の不評を買っているそうです。地元の市会議員などは「Peterleeに対する侮辱だ」(It is a disgrace and an insult to Peterlee)と怒っております。

12月初めの点灯式直前に業者から届けられたもので、代わりのものを配達する時間がなかったのだそうであります。ただ、この木を購入して飾っているショッピングセンター側にもそれなりの言い分はある。

確かに見てくれは良くないが、市議会の方は1ペニーたりともお金を出していないのだから文句を言う権利はない。 I admit, it doesn't look very good. But the local councillor had the cheek to complain - the council has not contributed a penny towards the Christmas decorations.

これに対して市会議員は

金融危機だとかなんとかで、地元民の気分が落ち込んでいる。1年のこの時期、クリスマス・ツリーは楽しい雰囲気を盛り上げるべきものでしょう。この木を見ると、地元の人の気分はもっと落ち込んでしまう。At this time of year, with the credit crunch, people are feeling gloomy and the tree is supposed to add festive cheer. But this one will only make people feel more miserable.

と申しております。「冗談じゃない」と怒っているのは、ショッピングセンターで

わが社はですよ、町の中心部全部をライトアップして、サンタクロースも雇い、土曜日には子供たちに無料の玩具を配ったりしているんです。タイヘンなお金を遣ってるんだ。玩具はガラクタじゃありませんよ。(このツリーのことが)そんなに心配なら、市役所のほうでいくらかお金を使って新しいのを買えばいいじゃありませんか。We have spent thousands of pounds lighting up the town centre and hiring Santa to come and give free toys to children on Saturdays, and these toys are not rubbish ones. If the council is so concerned let them spend some of their money on another tree.

上の写真を見ると「まるでクリスマスが過ぎて、焼却炉に捨てられる寸前の木みたいだ」というコメントもよく分かります。

▼この騒ぎはなんだかわびしいというか哀しいというか・・・でも部外者としては笑ってしまうニュースでありますね。いっそのこと、これを観光名物にするようなアイデアを考えたらいいんでないかね?1月になったら、この木を燃やして大々的な焚き火大会をやって、その回りをみんなで提灯行列でもやるとか・・・

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2)ヨーロッパのベスト財務大臣

11月18日付けのFinancial Times (FT)のサイトに同紙が選んだ欧州の最優秀財務大臣として、フィンランドのJyrki Katainen氏が選ばれたという記事が出ていました。現在の金融危機がアメリカ発とはいえ、ヨーロッパ諸国はいずれも深刻な影響を受けており、銀行業界が殆ど破綻状態(near-collapse)というところも出てきている。

FTによる最優秀財務大臣の選考基準になったのが、「今回の危機をどの程度早期に察したか」、「判断の誤りはなかったか」、「政治家としての信用は維持できているか」、「自国の財政を健全な状態に保てているか」等々の条件。英国、フランス、ドイツのような大国の財務大臣らもそこそこよくやっているものの、失策と思われる部分も目立った中で、急浮上したのがフィンランドのKatainen大臣というわけ。

フィンランドがヨーロッパの中では珍しく、現在でも健全財政、来年も黒字が続くものと予想されている(Finland is a sudden rarity in Europe - stable financially and still expected next year to run a healthy budget surplus)わけですが、FTによると、まだ国際的にはよく知られていないKatainen大臣が選ばれたのは、既に昨年10月の時点で、IMFに対して、ますます一体化するグローバル経済の中で多国間の協力の必要性を訴えていた先見性が評価されたとのこと。さらに金融危機が発生してからも、フランスのサルコジ大統領がヨーロッパの大国とばかり話し合っているのはよくないと、堂々と批判したことも理由に挙げられています。「我々はすべて運命をともにしているのだ」(We're all in the same boat)と主張したのだそうです。

尤も運もあるそうで、フィンランドの場合ユーロの加盟国なので、アイスランドのように為替相場の変動によるリスクが少ないこと、また1990年代にすでに銀行危機を経験しており「同じ過ちは繰り返すまい」という国民的な意見があったことも、現時点では他国のような危機には陥っていない・・・これらはKatainen大臣の政策ということとは一応関係がないということです。

で、Jyrki Katainenご本人ですが、Virtual Finlandという外務省主宰のサイトにKyosti Karvonenというフィンランドの新聞の編集長の寄稿が出ています。これが結構面白い。年令は37才なのですが「フィンランド政治家には珍しく若さ・清潔・幸運の組み合わせ」(he exhibits a mixture of youth, Teflon and luck seldom seen in Finnish politics)なのだそうです。Karvonen編集長によると、

フィンランドの政治家といえばこれまでは見てくれは大マジメ、演説は退屈、英語がへたくそ、メディア受けしない人種とされているが、Katainen氏はAlexander Stubb外務大臣と並んで新しい世代を代表する政治家である。Katainen, along with Foreign Minister Alexander Stubb, represents a new political generation in a country where politicians have traditionally looked dead serious, made dull speeches, spoken bad English and lacked media savvy.

とのことであります。

▼フィンランドは首相のVanhanenさんが53才、 Stubb外相は40才。Katainen財務相が37才だから、皆さん若いですよね。Halonen大統領が65才ですが、彼女の場合、大統領になったのが8年前の2000年だから57才だったわけです。日本などに比べるとやはり若い。ちなみに麻生首相は68、中川昭一財務相は55、中曽根外相は63でございます。

▼ベスト財務相のニュースもさることながら、私がいつも感心するのは、フィンランド外務省主宰のVirtual Finlandという外国向けの英文サイトです。プロのジャーナリストが寄稿するケースが多いので、読んで面白い。今回のベスト財務相についての記事も書き出しが次のようになっている。

フィンランド人はいつも外国が自分たちをどのように見ているかを気にする。殆どどうでもいいような新聞に第29ページあたりに埋もれるように掲載されている小さな記事でさえも極めて熱心に読むのだ。Finns are always anxious to know what the rest of the world thinks of them. Even the smallest piece published in some obscure newspaper, buried on page 29, is eagerly read.

▼同じ記事は結びの部分で、ベスト財務相が発表されたのと同じ日にフィンランド政府が経済予測を下降修正したことを伝え、フィンランドの金融危機は遅れてやって来た(financial crisis hit Finland with delay)として、Katainen財務相も政治姿勢を改めなければならないかも・・・と言っている。フィンランド語が分からない私などには貴重な情報源なのであります、このサイトは。


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3)フランス・メディアと政治家の関係

12月1日付けの英国のThe Independent紙のサイトに、あるフランスの新聞社の幹部が「どちらかというと些細な名誉毀損(a relatively trivial libel case)」を理由に暴力的(brutal)なやり方で逮捕されたというニュースが出ていました。Liberationという新聞社の幹部で、「些細な名誉毀損」というのが何を指すのか、詳しく出ていないのですが、2年前にこの新聞社のサイトに掲載された「読者からのコメント」が改ざんされたということのようです。それから「暴力的な逮捕」というのは、早朝、それも日の出前に、しかもこの幹部の子供たちが見ている前で、警察にののしられて手錠までかけられたことを言っている。

この逮捕劇について、サルコジ大統領が所属するUnion pour un Mouvement Populaire(国民運動連合)のスポークスマンも含めた政治家からは「やりすぎ」との声が上がっており、警察のやり方を調査すべきだとの声が上がっている。またこの事件は「フランスのマスコミの財政的・政治的な立場についての調査と検討」(discussions and investigations on the financial and political status of the press in France)を行おうというキャンペーンを始めたばかりのサルコジ大統領にとって、まことに「かっこ悪い」(embarrassing)ものになっている、とThe Independentは言っている。

フランスについては言語の関係で殆ど何も知らない私が、The Independentの小さな記事に興味を持ったのは、つい最近、あるフランス人から教えてもらったフランス人とメディアの関係についての世論調査の結果があります。Le Nouvel Observateurという雑誌のサイト(英訳)に出ていたもので、フランス人の63%が「ジャーナリストは政治的な圧力から独立していない」(journalists are not independant enough from political pressure)と考えており、60%が「ジャーナリストは金銭の圧力にも弱い」(not independant enough from money pressure)と思っているとのことであります。

私、フランスのジャーナリズムについての知識はゼロというわけでBBCのサイトを調べてみたら、フランスの新聞の主なものとして次ぎのようなものが挙げられていました。

Le Monde:最も権威があるとされる全国紙
Liberation:1973年にサルトルらが作った、どちらかというと左派系の全国紙
Le Figaro:どちらかというと右派系の全国紙
Ouest France:イチバンよく売れている日刊紙

つまりこのほど「暴力的な逮捕」の犠牲になったのは、あのサルトルが作った新聞の幹部であったということですね。The Independentによると、フランスでは名誉毀損の疑いがある記事掲載をした場合、記者よりも新聞発行主が逮捕されるのだそうですが、新聞社運営するウェブサイトにおける読者のコメントについてまで、新聞社幹部が責任を持つべきなのかどうかは未だはっきりしていないとのことです。ただ、今回の「名誉毀損」の訴えは、ネット・ビジネスをやっているXavier Nielという人物から起こされたものだそうです。この人、かつて2度ほどこの新聞社を名誉毀損で訴えて負けた経歴がある人だそうです。

▼この逮捕事件はともかく、フランスにおけるジャーナリストと政治(家)の関係ですが、私がお付き合いをいただいている、フランスの事情通ジャーナリスト(日本人)によると「一部の著名ジャーナリストを除いて、ジャーナリストは政治家や大企業経営者に癒着し、彼らの代弁をし、その見返りにさまざまな便宜(カネやバカンスの別荘提供など)を受けていると一般に見られている」ことがあるそうです。「一般に見られている」ということと、実際にそうだ、というのでは違うけれど、「見られている」というのはまずいですよね。

▼この事情通によると、フランスの新聞の場合、客観報道よりも「ジャーナリストの意見開陳の場であるケースが多い」のだそうです。だから、非常に面白くて目から鱗が落ちることもあるけれど、「くだらない意見開陳」も少なくないとのことです。この人は、新聞に関してはアングロサクソン系の方が客観的で、フランスについての報道さえも、そちらの方が参考になることがあるとのことです。

▼別のフランスに詳しい人(日本人ではない)によると、フランスでは政治家とジャーナリストが夫婦であることが結構多いとのことです。私が尊敬して止まなかった英国人ジャーナリスト、Annthony Sampsonによると、英国では著名ジャーナリスト同士が結婚することが多いのだそうです。どうでもいいことかもしれないけれど。

▼こうなると気になるのが、日本のジャーナリストと政治家の関係ですね。かつて日本記者クラブで講演を行ったコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授が、記者と政治家の「癒着関係」を示す例として、彼の知り合いの政治記者が、自分がカバーする自民党の派閥のトップのことを「ウチのおやじ」と呼んでいることを挙げていましたね。新聞の政治面は「政策」よりも「政局」のことばかり書いてあると言われる。どの派閥の誰それが、誰とくっついているとか、仲間はずれにされているとかいう類の記事です。

▼ただ、最近の政治記者が、カーティスさんが言うほどに、政治家と「癒着」しているのかどうか?単なる読者である私の眼から見ると疑問ですね。「癒着」しているにしては、(例えば)麻生さんがいつ国会解散をするのか、などということについて「誤報」が多すぎるんじゃありませんか?これは、自民党の派閥がかつてほどの力を持たなくなったということもあるけれど、ジャーナリストが政治家に近寄れていないってことなのでは?日本のジャーナリストは政治家の別荘を使わせてもらったりするんですかね。まさかお金の提供は受けないと思うけど・・・。

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4)あるブログ・パイオニアの「引退」

もちろん私は知らなかったけれど、Jason Calacanis(ジェイソン・カラカニス)という名前はインターネットの世界では超有名人なんだそうですね。ギリシャ系アメリカ人。何故有名なのというと「有力ブログを集めて1つの広告媒体にする」ということをビジネスにするWeblogs, Incという会社を立ち上げた人だからなのだとか。と言われても何だかよく分かりませんが、要するにブログの世界の巨人と呼ばれた人らしい。

で、11月6日付けのThe Economistによると、この人が最近になってブログの世界からの引退(etirement from blogging)を発表して話題になっている。何故引退することにしたのかというと、

ブログの世界は余りにも大きくて人間味がなく、(人間同士の)近しさに欠ける。私がブログに惹かれたのはその近しさにあったのに、である。いまのブログの世界は余りにも感情的・一方的で、ただただ憎しみをぶつけ合っているだけで、何の価値もない。Blogging is simply too big, too impersonal, and lacks the intimacy that drew me to it. Today the blogosphere is so charged, so polarised, and so filled with haters hating that it’s simply not worth it.

とのことであります。ブログというのは、元々自分の家族のことや自分が毎日感じたことなどを親しい友人などに公開するものだったのですが、カラカニス氏によると、余りにも多くの人が自分のブログにアクセスするようになり、ブログ運営が重荷になってしまった。で、彼はこれまでと同じことをブログではなく、メールで自分の知り合いにだけ送るということにしたのだそうです。

The Economistが話題にしているのは、このパイオニアの「引退」のことではなく、ブログというメディアが最近では、主流の新聞や放送メディアが運営するウェブサイトにおいて盛んに使われるようになっていて、いまやブログが主流になりつつあるということです。それに押されて、これまでのブログ専門サイトが広告収入の減少に悩むようになっているのだそうです。

専門サイトの代表例としては、リベラル派のHuffingtonPost.com、保守派のFreeRepublic.comなどがあるのですが、前者には一ヶ月で400万、後者でも100万のビジターがあるとのことなのですが、これがBBCやNew York Timesのような主流メディアのサイト内に設けられたブログ・ページに人気を奪われているということです。The Economistは、

つまりブログが革命的、破壊的もしくは崇高なものであった時代は終わったということであり、そのことが(カラカニス氏のような)パイオニアにとっては面白くないと思われている。しかしこれが主流メディアに受け入れられているということは、ブログが極めて使い出があり、万能性に富んだ技術であるかの証明であるとも言える。Gone, in other words, is any sense that blogging as a technology is revolutionary, subversive or otherwise exalted, and this upsets some of its pioneers. Confirmed, however, is the idea that blogging is useful and versatile.
と言っています。

▼私などは全く知らないけれど、社会的な繋がりを求める人たちが参加しているFacebookとかMySpaceという世界も言ってみればブログなのだそうですね。

▼総務省の情報通信政策研究所というところが発表した数字によると、2008年1月時点で日本国内には約1690万のブログが存在し、記事総数は約13億5000万件あるのだそうです。とてつもない数字でありますが、 1カ月に1回以上記事が更新されるアクティブなブログの数は約300万で、全体の2割弱にとどまったとのことです。新規ブログができる一方で、更新されなくなった既設ブログも多いわけですね。いずれにしても「毎月新たにブログに書き込まれる記事は毎月4000万―5000万件」というのは想像を絶する数字であります。

▼むささびジャーナルは技術的にいうと「ブログ」ではない。ホームページです。でもブログとホームページの違いなど私には分からないし、おそらく似たようなものなのでしょうね。自分で運営するメディアみたいなものなのですから。ひょっとすると違うかもしれないのは、ブログが「不特定多数」を相手にしているのに対して、むささびジャーナルは自分の知り合いしか相手にしていないということです。つまり何かの間違いで、むささびジャーナルを読む人はいるかもしれない(例えば動物のむささびについての情報を求めた人とか)けれど、その人たちが再び戻ってくることは考えられない。

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5)金融NPOの「意志あるお金」

『金融NPO』(藤井良広著・岩波新書)という本は次の文章で終わっています。
意志あるお金」を社会に活かす。その役割は極めて重要で、「21世紀的」でもある。営利の金融が市場ベースであるのに対して、それは人間をベースにしているからである。
この本では「意志あるお金」という言葉が頻繁に出てきます。この世の中で意志を持っているのは人間だけ。お金に意志などないのですが、人間がある意志を持って使うと「意志あるお金」になる・・・小学生でも分かることなのに普段は全く忘れている。

(金融などという業界のことなど全く知らないし、殆ど考えたこともなかったので、少々くどくなるのでありますが)、そもそも「金融」というのは、文字通り「お金を融通する・用立てる」という行為のことですよね。で、金融業というのは、お金を融通する(必要な人に提供する)ことでお金を儲ける人たちのことですよね。お金を貸して利益を稼ぐ・・・金貸し(money lenders)ですね。だから利益が生まれない人や事業にはお金は貸さない・貸せない。当たり前ですね。

銀行、保険会社、証券会社、ファンドのような金融業は、我々から預かったお金を運用してさらなるお金を生むことを唯一・最大の目的としている。つまり「営利金融」です。しかしこの世の中で、金を回す人たちが「営利金融」だけに限られてしまうと、投資して儲かる企業や事業にはお金が回るけれど、そうでない企業や事業には金が行かない。しかし世の中には、儲けにはならないかもしれないけれど、必要なものはある。この本の筆者は、そのようなお金が回って来づらいところとして、

地域社会での医療・介護・福祉活動、自然環境の保全、地球に優しい自然エネルギーの開発、文化・教育施設の運営、若者や女性の起業、多重債務者やホームレスの人たちの再生支援

などを挙げています。このような公共的なモノやサービスは税金でまかなわれることもあるけれど、いまの日本はその部分が超大赤字でなかなか行き届かない。非営利の金融機関が必要になる。本来なら信用金庫とか信用組合、農協のようなところがそれにあたるけれど、1980年代からの金融自由化や民営化の進展に伴って、これらの機関も営利金融のようになってしまった。つまり「市場に従えばあらゆるものを効率的に解決できるとの一面的な見方」のおかげで、公共的なものにお金が回らなくなってしまったということです。

そこで登場するのが「金融NPO」という活動です。

必要なところに、必要なだけのお金が流れない。お金が回らない。ならば、自分たちの力で、自分たちの意志で、必要なお金を集め、必要なところに回そうではないかという市民の活動

です。これまでの営利金融の第一義的な目的が「経済的リターン」の追求であるのに対して、金融NPOが第一義的に追求するのは「社会的リターン」であり、社会的に有意義な事業や人にお金を回そうという「意志」が運営の基になっている。その意味で、金融NPOが融通するお金は「意志あるお金」です。

金融NPOは、私みたいな普通の人間がお金を出し合って設立し、集まったお金を事業に貸し付けるのですが、その際に貸付対象となる事業が、社会的に意味があるかどうかだけではなく、事業としてやっていけるものなのかも判断する。経済的リターンはイチバン大事なことではないけれど、全くなくてもいいということではない。

知らなかったのですが、いま日本のあちらこちらで「金融NPO」的な組織ができており、いろいろな面白い事業にお金を貸し出したりしているんですね。山口大学の女子学生3人が作った「地域維新ファンド」という金融NPOは、一口10万円で地元の人に出資を呼びかけたところ地元の銀行の頭取とか山口大学の学長のような人、約70人から1000万円を集めて設立したもの。普通の金融機関ではお金を貸してくれないような事業(例:学生を農作業のために派遣する事業)に融資しているそうです。『金融NPO』では、これ以外にも太陽光発電促進活動、デイサービス事業、森林管理事業等々、さまざまな事業が金融NPOの融資を受けている例が紹介されています。

これらの金融NPOやそこから融資を受ける事業について知るにつけ「やるもんだなぁ」と感心し、感激もしますね。メディアの報道を見ていると、地方が厳しいというニュースばかりが目につく。実際に厳しいのだろうと思うけれど、ため息ばかりついていないで、自分たちで何とかしようという動きもあるのだ、ということが分かって嬉しいですよね。

この本に出てくるのは、リーマン・ブラザースだのメリル・リンチだのという話ではないけれど、お金の話であることに違いはない。そのお金についての次の記述は、当たり前のことなのに、忘れられていることのように思うので、ちょっと長いけれど紹介しておきます。

貧しさ故のお互いの助け合い、支えあいが、記憶の彼方に遠ざかるとともに、人と人との絆が頼りなくなってしまった。<中略>貧しさを切り抜け、自分たちが手にしたそれなりの富(お金)が、人や地域社会への信頼を弱め、心を阻害する一因になっているとしても、お金そのものには責任はない。お金をどう使うか、どう活かすかに、心を配ることを忘れた我々の責任だろう。

▼藤井さんのこの本を読んでいて、私、50年も前に読んだ『近代人の疎外』という本を想い出しました。やはり岩波新書だった。詳しい内容など憶えていないけれど、趣旨としては、資本主義のもとでは、人間同士が利害打算の立場からしか接することが出来ず、個人は孤立の中で生きざるを得ない。共同体(ゲマインシャフト)の世界における「人間的」な生き方は、資本主義社会の中ではできない。資本主義という制度そのものを変えない限り、人間が人間らしい社会を取り戻すことはできない。はっきりそのように言っていたかどうかはともかく、社会主義こそが、人間を疎外から解放する社会体制であるというニュアンスであったように思います。というか、自分がそのように解釈したように記憶している。

▼『金融NPO』で紹介されているさまざまな金融NPOの活動家たちは『近代人の疎外』を読んでいた私のような世代と違って、資本主義そのものを変えようなどと思っているのではない。むしろ、すべてが国営で計画経済という社会主義というシステムがうまくいかないということが明らかになりつつある時代に育ったり、仕事の中心にいた人たちですね。けれど「意志あるお金」という考え方の根底には」50年前のあの本が語っていた「人間疎外の克服」があるように思えるのですよ。

▼山口大学の女子学生がファンドを設立したときに出資した人々は、彼女たちの「意気に感じて」協力したとのことです。NPO金融の広がりを支えているのはこれなのですかね。政府とか社会に非を鳴らすだけではなく、自分たちの手で切り開こうという「意気」のようなものです。思想とか観念とは違う世界の話です。

▼金融危機の発生の地ということもあって、最近の日本では、アメリカの「金融資本主義」の負の部分についての報告が圧倒的に多いのですが、藤井さんの本によると、アメリカでこそ「非営利金融」が制度的に確立されているのだそうです。資本主義の最先端を行くアメリカやサッチャリズムの英国で金融NPOの考え方が強い。「金融をひたすら市場任せで放っておいたら、ろくなことにならない」ということも分かっている社会なのかもしれない。

▼最後に、どうでもいいことですが、銀行・保険・証券会社のような企業のことを、何故「金融業」と呼ばすに「金融機関」と呼ぶのですかね。他の産業に比較して「公共的色彩」が強いから?でも、これらの会社は要するに「金貸し業者」なんですよね。 だから悪いというつもりはないけれど、「機関」という呼び方はおかしいんでない?

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6)どうでも英和辞書
A〜Zの総合索引はこちら
kind親切な

チベットのダライ・ラマの言葉に「私にとって本当の宗教とは親切ということだ」(My true religion is kindness)というのがあるんだそうですが、kindとなると、次の言葉に過ぎるものはないでしょう。

You can get much further with a kind word and a gun than you can with a kind word alone.

親切な言葉もいいけれど、それにプラスして拳銃があればもっといろんなことができる・・・という意味ですね。これを言ったのは、あのシカゴの親分、アル・カポネだそうであります。

lip

写真のように上唇を真一文字に結んだ状態のことをstiff upper-lipと言います。これ、いわゆる「英国紳士」(English gentleman)の美徳のシンボルですね。どんな困難に直面しても勇敢かつ断固としてこれに立ち向かい(to face misfortune bravely and resolutely)、しかも感情を表に出さない(to suppress the display of any emotion)。尤も最近では殆ど見られなくなったと言われていますが・・・。

moneyお金

「江戸っ子は宵越しの金は持たない」「金は天下の回りモノ」等々、マネーにまつわる言葉はいろいろある。確かビートルズの歌でMoney can't buy me loveなんてのもあったっけ。でもある本に出ていた、レバノンの諺・格言は何故か気に入りましたね。

He who has money can eat sherbet in hell

というのです。レバノンで使われている言葉の英訳だから、この翻訳が正しいのかどうか分からないけれど「金のあるヤツは地獄でもシャーベットが食える」という意味(だと思う)。つまり「金持ちは地獄へ行ってもいい目にあえる」という意味なんじゃないかと、私は想像するわけでありますよ。だとすると日本には「地獄の沙汰も金次第」というのがありますね。でもレバノンの「シャーベット」というのはどこか哀しく、可愛くていいじゃありませんか。

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7)むささびの鳴き声

▼イングランドのTorbayという海岸のリゾート町では、クリスマスの時期に、パブやバーで飲んでから歩いて帰宅する女性客のためにサンダルが提供されるのですが、これが町当局と内務省の合同企画「安全なコミュニティ」の一環として扱われ、サンダル代は税金でまかなわれるとのこと。ホンマかいな!?と思うけれど、一応高級紙とされているThe Timesの報道だから・・・。歓楽街をパトロールする警官が、足元ふらふらの女性客を見つけたらサンダルを手渡す。そのサンダルには「飲み過ぎに注意」というメッセージが刷り込んであるらしい。こうなると確かに怒る納税者も出てくるかもな。

▼怒りついでにもう一つ。これも酒飲みに関係するのですが、Boltonなる町では、これからクリスマスにかけて、土曜日の夜、パブ帰りの客にシャボン玉を上げるのだそうです。これはDaily Mailの報道。これ、実は暴力事件防止対策の一環らしい。つまり、パブから出てきた客がシャボン玉を吹いて遊べば、気分も軽くなって暴力行為も減るだろう・・・そういうことなんです。ただ、この町のパブのオーナーは「どうせお互いにシャボン玉を引っかけ合って大騒ぎして、ウチの店の壁が汚されるだけ。実に馬鹿げた(hare-brained)企画だ」とつれないコメントをしております。

▼どうでもいいことですが、今年の流行語大賞なるものに「アラフォー」というのと「ぐ〜!」というのが選ばれたのだそうですね。私、どちらも知らなかった。きっと世の中が多様化している中で、興味の対象(つまり流行)もいろいろになったのだろう、昔は私も知っているものが多かったのかもしれない・・・と思って過去のリストを調べてみたのでありますが、聞いたことがないものが結構ありました。「まるきん まるび」(84年)、「冬彦さん」(92年)、「すったもんだがありました」(94年)、「おっはー」(2000年)などなど。これでも結構テレビは見ているんですが。

▼今回もお付き合いをいただき有難うございました。

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