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むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2010年1月17日
2010年が始まって2週間です。老犬と暮らしている私にとって、クリスマスもお正月もありませんでした。彼にしてみればどうでもいいことですからね。ほぼ20才と2か月になるわりには食べるし、出すし、独りにされると文句は言うし・・・ワンちゃん独特のネアカなんですね。きょうは、あの阪神・淡路大震災の15周年なのですね。うちのワンちゃんが5才のときの災害だったのです。
目次

1)雪が降ると鳥の餌が売れる
2)サリドマイド事件で政府が謝罪
3)日米同盟:金婚式だというのに離婚の危機?
4)英国外交官が考える「英国・ソ連・アフガニスタン」
5)中量級国家で生きよう・・・
6)D・キャメロンの研究⑨:理念をもった現実主義者
7)どうでも英和辞書
8)むささびの鳴き声


1)雪が降ると鳥の餌が売れる

日本でも報道されていると思いますが、今年の冬の英国は雪で大混乱のようです。道路は渋滞、学校は閉鎖、地方自治体が雪をとかす塩の在庫が不足して音を上げていたり・・・。イングランドの真ん中あたりの村で零下20度という南極並みの温度を記録、BBCなどによると「30年ぶりの大寒波」なんだそうです。

これもBBCの受け売りですが、北極あたりの気圧が異常に高くて、冷気をヨーロッパやアメリカ方面に送りつけているらしい。普通ならいまごろの風は南南西のはずなのに、ことしの英国はもっぱら北北東なんだとか。

ただ大雪と言っても「英国にしては」というだけで、イチバン積もったところがスコットランドのなんとかいう村で、45センチだから、新潟県や富山県の人からすれば雪のうちに入らないような量です。

むささびジャーナルの駐英特派員(のような人)によると、日本では考えられないことが結構あるらしい。例えばクルマ。スノータイヤとかチェーンをつけて走るという発想が全くないらしい。普通のタイヤで走ったらスリップするのは当たり前。で、どうするのかというと、ひたすらノロノロ運転して、それでもダメな場合は、クルマを乗り捨てて歩きなんだそうです。日本の場合、冬が来ると雪が降っても降らなくてもスノータイヤに変える人が多いし、そうでなくてもチェーンは積んで走るものだと思っている。

もう一つの「英国らしさ」は鳥だそうです。このところBBCのテレビもラジオも「鳥たちが雪で餌を食べられずに弱っています。お宅の庭の雪を除いて餌をまいてあげてください」とか「バードフィーダーの餌を増やしてください」という呼びかけが盛んに行われている。またスーパーのTescoで鳥餌の売れ行きが雪のおかげで普段の140%増なのだそうです。


2)サリドマイド事件で政府が謝罪

1月14日付の英国メディアが大きく伝えたニュースがあります。それはサリドマイド事件(thalidomide scandal)について、Mike O'Brien健康大臣が議会で政府として謝罪したというニュースだった。BBCのサイトによると、大臣はこの事件の被害者に対して「心からの遺憾の気持ち」(sincere regret)と「深い同情の念」(deep sympathy)を表明したのだそうです。

英国では1950年代と60年代に、つわりと不眠症に悩む妊婦に対して、ドイツで開発されたサリドマイドが投与され、2000人の奇形児が生まれたのですが、うち約半数が生後数か月で死亡した。現在466人が生存しているとのことです。サリドマイドの販売は1961年に禁止された。

英国では1970年代に英国におけるサリドマイドの製薬会社であるDistillers Biochemicalsから2800万ポンドの補償金が被害者に支払われ、その後も関連会社によって補償金が支払われてきたのですが、466人の生存者への支払いは現在のところ年間2万ポンド(約280万円)だそうです。英国政府は今後3年間で合計2000万ポンドの補償金を支払うことになっており、この合計額が生存者に割り振られるとされています。

同じニュースを伝えるGuardianの記事の中にHarold Evansという人のことが出ていました。この人は当時、Sunday TimesでInsightという調査報道企画を担当した編集者だったのですが、サリドマイド被害の問題を取り上げて、自身が製薬会社を訴えて最後に欧州人権裁判所で勝利するまで戦ったのだそうです。またこの人の報道姿勢によって、英国政府が民事裁判についての報道規制についての法律を変更せざるを得なくなったとも言われています。

今回の政府の謝罪について、サリドマイド被害の生存者であるNick Dobrikのコメントが印象的です。彼によると、この謝罪は特にサリドマイドで子どもを死なせてしまった両親たちにとって「非常に重要(very significant)」である。なぜならこれで、子供が死んだのはサリドマイドを使った親の責任ではなく、政府が悪かったから(government's fault, not theirs)ということが認められたのと同じことだからだということです。

▼ウィキペディアによると、日本では1961年に309人の被害者が報告され、1962年に「イソミンとプロバンMの製造許可に対し法務局に人権侵害を訴えるが、法務省人権擁護局は"侵害の事実なし"と結論」となっており、裁判に関しては1974年に被害者と製薬会社の間での和解が成立した、となっています。

▼亡くなったジャーナリストの俵萠子さんが日本記者クラブのサイトにエッセイを寄稿しており、その中で彼女の「サリドマイド体験」について語っています。1962年にオランダの法廷が、サリドマイドべビーを殺した親を無罪にするという判決を下したのですが、産経新聞の記者だった俵さん自身がそのころ子供を妊娠していて、つわりが重かったので、サリドマイドを飲もうと思ったことがあったのだそうです。結局「紙一重の偶然で」飲まなかった。

▼ただ彼女が問題にしているのは、オランダにおける無罪判決の方で、彼女としては、悪いのは製薬会社で子供を殺した親ではないという判決に納得がいかず、読者の意見を募ってみたところ圧倒的にオランダ法廷の判決を支持する意見が多かったのだそうです。そこで彼女はアンケートの結果をそのまま掲載するのではなく「サリドマイドであれ、何であれ、すべての命は平等であり、親といえども、他者の命を奪うことは許されない」という意見も「少数意見」と断ったうえで同じ大きさで紙面に掲載した。

記者としては、何のコメントもつけず、結果をそのままのせるのが常道かもしれない。しかし、どうしてもそうすることが私にはできなかった。

と彼女は言っています。

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3)日米同盟:金婚式だというのに離婚の危機?


1月14日付のThe Economistの社説が、日米同盟と沖縄の米軍基地問題について語っています。金婚式(50周年)を迎えるのに離婚の危機を迎えている夫婦にたとえて、「日本における基地問題をめぐるごたごたによって50年におよぶ同盟関係を危機に陥れてはならない」(Don’t let a festering row over a military base in Japan put a 50-year alliance at risk)けれど、そのためには

難しいだろうが、日本の新政権が(完全にとは言わないまでも)かなりの部分で(アメリカに)譲歩する必要がある。
Tough as it is for Japan’s new government, it needs to do most, though not all, of the caving in.
と言っています。

記事は、日本がアメリカとのより平等な関係を望むのは理解できる(understandable)にしても、普天間基地の将来をあやふやなままにしておくのは間違っている、というわけで、日本がやらなければならないのは、自らの防衛についてより大きな負担を背負うということであり、近隣におけるテロや海賊行為さらには核拡散などを防ぐためにもっと貢献できるはずだと主張しています。また日本が中国を中心にしたアジアとの連携を深めたいとしているようだが、それがアメリカとの関係にどのように影響を及ぼすのかについてははっきりさせていない(has not spelled out)ことも問題だとしている。

で、鳩山首相は沖縄に代わる場所を本土に提供するとでもいうのならともかく、そうでない限り「沖縄県民に対する約束を破らなければ仕方ないだろうし、なんとかして沖縄県民に納得してもらうようにするしかない」(Mr Hatoyama will have to break his promise to the Okinawans?and make it up to them somehow)というわけで、

アメリカと日本が同盟関係をさらに活性化させて、中国も含めて、この地域により深くかかわるようになれば、いずれはアメリカも沖縄における基地を縮小することができるだろう。現在の危機によって同盟の活性化が可能になるのならば、それに越したことはない。
Perhaps a reinvigorated alliance between America and Japan that engages more fully with the region, including China, will eventually allow America to reduce its presence on Okinawa. If this crisis achieves that, so much the better.

▼日本はもっと自国の防衛のために負担を負えと言いながら、「但しそれはアメリカとの同盟を前提にしてのハナシだよ」と言っているように思える。この記事への読者からの書き込み欄に、アメリカ人からのものと思われる投書があって「いっそのことアメリカは日本から出て行った方がいいのではないか。その代わり、将来日本が助けてくれと泣きついてきても耳を傾けないようにすればいい」という趣旨のことが書いてありました。いずれにしても、「日本は自分のアタマで考えたりしてはいけません。そんな大人の国ではないのだ」と言っているように響いてしまう。

▼日米安保条約改定から50年。むささびジャーナルをお送りしている皆様の中で「60年安保」と言われて、ぎくりとする人ってどのくらいいるのでしょうか?1960年に高校・大学生であった人という意味です。安倍晋三前首相のお祖父さんだった岸信介という首相が、日米安保条約の改定を衆議院で強行採決したことで、安保反対運動が一気に盛り上がってしまい、学生たちが国会構内への突入したりして、東大の学生が死亡した。それについて新聞各紙が「共同声明」を発表したのですが、その内容は学生たちを非難するもので、「暴力を用いて事を運ばんとすることは断じて許されるべきではない」という趣旨のことが書いてあった。

▼あれから50年経つわけですが、殆ど笑ってしまうくらい変わっていないのは「アイツも悪いがコイツも悪い」という新聞の論調ですね。1960年のあのときは「岸も悪いが、学生の暴力はもっと悪い」という論調だった。つまりみんな悪いのです、自分たち(メディア)以外は。

▼新聞の論調でさらに変わっていない(と私が思う)のは、ことの本質(substance)ではなくて、表面(surface)をいじりまわすのが好きであるということです。あのときメディアが問題にしたのは岸首相の「強行採決」であり、学生たちの「暴力」です。岸さんが強行採決などというムリなやり方をせず、学生たちは平和で静穏なデモさえやっていればオーケー。肝心の日米安保条約の中身や良し悪しについては「穏やかに話し合いを」でお終い。こんなに楽なハナシはありませんね。まず誰からも非難を受けない。

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4)英国外交官が考える「英国・ソ連・アフガニスタン」

一か月ほど前の12月21日付のFinancial Timesのサイトに、かつて(1988年~1992年)駐モスクワの英国大使をやっていたSir Rodric Braithwaiteという人が「アフガニスタンにおける失敗:いつか来た道」(The familiar road to failure in Afghanistan)というタイトルのエッセイを寄稿しています。とても出口が見えるとは思えないアフガニスタンの問題についての「そもそも論」を語っています。

アフガニスタンの混乱というと、欧米における普通の見方は、いまから30年ほど前の1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻あたりから始まります。Hafizullah Amin大統領が殺されてソ連の傀儡といわれるBabrak Karmal政権ができる。これに西側が猛反発、ジミー・カーター米大統領やマーガレット・サッチャー英首相らが団結してアフガニスタン国内のゲリラ勢力を支援、パキスタン、中国、サウジアラビア、イランなども反ソ連行動に加わり、ソ連は9年後の1989年に撤退、ソ連という超大国がアメリカの武器支援を受けた「着のみ着のままの熱狂的百姓軍団(rag-tag army of pious peasant fighters)に負けたのだ・・・というわけです。

Sir Rodricによると、以上は神話であり、実際には事態はもっと複雑なのだ(Thus the myth. The reality was more complicated)とのことです。

Sir Rodricは、アフガニスタンのストーリーは1919年にアフガニスタン軍がインド(当時は英国の植民地だった)へ侵攻したあたりから始めなければならない、と言います。このアフガニスタン軍は英国軍に打ち負かされるのですが、戦い後の平和交渉において、英国がそれまで牛耳ってきたアフガニスタンの外交権の独占状態をギブアップした。19世紀以来の英国のアフガニスタン支配の終焉であり、アフガニスタンはこれによって英国からの独立を達成した。

英国の保護・監督から解放されたアフガニスタンは、当時まだできたばかりだったソ連を認知し、ソ連もまたアフガニスタンの建国に大いに協力することになる。ソ連にとって南の国境を接するアフガニスタンは自国にとっての不安定要因の一つだった。アフガニスタンは麻薬の源であり、イスラム原理主義がはびこり、しかも「アメリカの陰謀(American intrigue)の源でもあったので、この国との安定した関係を築くことはソ連にとっても重大な関心事だった。

ソ連はアフガニスタンにおける建設プロジェクトに協力し、軍人やエンジニアの養成まで協力して進めたのですが、ソ連にとっては、アフガニスタンの「現政権」に協力することが大事であって、首都カブールで誰が政権を握っていようが、どうでもよかった。

1970年代になるとソ連はアフガニスタン共産党との関係を深めるのですが、この共産党は急進派と穏健派に分裂した状態にあったので、ソ連との関係は必ずしもハッピーなものではなかった。そして1978年4月、クーデターで共産党政権が誕生、党内の急進派が内部抗争に勝利する。アフガニスタンの急進的共産党政権が目指したのは、短期間にアフガニスタンを非宗教的な社会主義国家にすることだった。その際に共産党政権はスターリン的なやり方で、多くの反対派を拘束・処刑したりしたのだそうです。

共産党政権のこのようなやり方にアフガニスタン国内での反発が広がり、地方都市が反政府派の武装勢力に制圧され、駐留しているソ連のアドバイザーやその家族が殺されるような事態も出てきた。カブールの政権はパニック状態に陥り、ソ連に対して軍事支援を要請したのですが、これはソ連によって拒否された。その際にソ連のコスイギン首相がアフガニスタン政権に送ったメッセージは次のようなものだった。

我々は陸軍をこの戦いに参加させることは致命的な誤りであると考える。わが軍が侵攻して貴国の状況は改善することはないであろう。それどころか事態はさらに悪化するであろう。我々の軍隊は、貴国の外国侵略者のみならず貴国の国民の多くとも戦闘を交えなくてはならなくなるからだ。
We believe it would be a fatal mistake to commit ground troops. If our troops went in, the situation in your country would not improve. On the contrary, it would get worse. Our troops would have to struggle not only with an external aggressor, but with a significant part of your own people.

Sir Rodricは「コスイギンの言葉は預言者のような言葉だったのだ」(His words were prophetic)と言っています。これはソ連による侵攻も含めたアフガニスタンの現状についてコメントでしょうね。

この間、急進派のTaraki大統領が同じく急進派だったはずのAminによって殺害されるなど、アフガニスタンの状況はますます悪化。あろうことか、Aminがアメリカと話を始めるようになる。つまりソ連によるアフガニスタン政策が全く功を奏していないということが明らかになった。アフガニスタンがソ連から遠ざかっていくことを怖れたソ連のKGBによるAmin暗殺を企てたけれどこれも失敗。「何とかしなければ」(something must be done)というわけで軍事介入は不可避であると(ソ連は)考えた。

そして1979年のクリスマスにソ連によるアフガニスタン侵攻が始まるのですが、Sir Rodricによると、ソ連による初期の侵攻目的は「つつましい(modest)」ものだった。ソ連が狙ったのはアフガニスタンの政権を安定させることであり、アフガニスタンの軍隊と警察の訓練を終えたら出て行くつもりだった。が、その時点でモスクワのKGBと軍当局の間で意見の食い違いが起こる。KGBが3~4万人の軍隊で十分としたのに対して軍の側はより本格的な(much more substantial)な人数を望んだ。1968年のチェコ侵攻の際は50万人の兵力を派遣したのですからね。結局派遣軍の数は10万人にまで膨れ上がることになる。

Sir Rodricによると、ソ連軍は苦労はしながらもアフガニスタン各地におけるムジャヒディン戦士との戦いのほとんどに勝利を収めていたのだそうで、ソ連軍によって道路の安全は保たれ、ムジャヒディンによる都市の制圧を防ぎ、その間にアフガニスタン政府軍の重武装にも成功していた。

しかしロシア人たちは彼らの基本的な弱点を克服することは決してできなかった。すなわち、彼らは陣地を奪うことはできたかもしれないが、それを維持するに充分な軍隊ではなかったということだ。ロシア人の評論家が言ったとおり、あのときのソ連には戦術はあったかもしれないが、戦略と呼ばれるものがなかったということなのだ。
But the Russians never got over their basic weakness: they could take the territory, but they never had enough troops to hold it. As one Russian critic put it, they had tactics but no strategy.

ソ連軍の犠牲者が増えるにつれて、アフガニスタン侵攻への不満がソ連国内で高まり、ゴルバチョフ政権が誕生して間もなくソ連は「「1年もしくは18か月以内にアフガニスタンから撤退する」と発表します。しかしソ連は自らのメンツを保つ必要があった。ソ連国民に対して、彼らの息子たちは無駄死にしたわけではないと思わせる必要があった。ソ連はMohammed Najibullahという親ソ政権を残して撤退するのですが、10年間にわたる戦いはソ連軍の死者約15,000人、アフガニスタン人の死者は推定で150万人という結果で終わる。

Najibullah政権は2年続くのですが、イェルツィン政権がアフガニスタンに対する一切の援助を絶ってしまい弱体化して崩壊、Najibullah自身も殺されてしまう。そしてずたずたにされたアフガニスタンの秩序回復はタリバン勢力に任されることになる。

これらの歴史から何を学ぶべきなのかは明らかでないし、それに基づいてアフガニスタンの将来を予想するのは危険である(The lessons of history are never clear, and it is risky to predict the future)としながらも、Sir Rodricは、英軍もソ連軍も戦闘には勝ったかもしれないが、その後、自分たちの気に入ったリーダーによって、自分たちがいいと思う体制を確立しようとして失敗したことは事実だと言います。

2010年のいま、アメリカを始めとする同盟国は、かつてソ連が派遣したのと同じくらいの兵力をアフガニスタンに送っているし、兵器もソ連軍に比べればはるかに近代化されている。にもかかわらず一向に出口は見えない現状について、Sir Rodricは次のような疑問を呈しています。

英国首相も英国の将軍たちも、かつてロシア人や英国人が失敗したのになぜ今回は成功するはずであるというのかについて納得のいく説明をしていないし、アフガニスタンで戦うことが、なぜ英国育ちの狂信者たちが英国内の都市において爆弾を仕掛けることを阻止することにつながるのかについても納得のいく説明をしていない。
neither the British prime minister nor the generals have explained to us convincingly why we should succeed where the Russians and the British failed, or why fighting in Afghanistan will prevent home-grown fanatics from planting bombs in British cities.

アフガニスタンで英米を始めとする同盟国がやっていることは「まさに戦術だけがあって戦略がない(Tactics without strategy indeed)」というのが、Sir Rodric Braithwaiteのエッセイの結論です。
▼tactics(戦術)もstrategy(戦略)も、ものごとを達成するために考慮する計画という点では同じ。tacticsは眼の前にあることをどうするのかを考えることであるのに対してstrategyはさらに長い目で考える計画のことを言うのですよね。アフガニスタン戦争についていうと、個別のタリバンの陣地を攻撃する計画はtactics、攻撃後のアフガニスタン全体をどうするのかを考えるのがstrategyというわけ。

▼Sir Rodricのエッセイは、アメリカによるアフガニスタン攻撃と、ソ連や英国が行ったことの違いについては触れられていないけれど、結論の部分は実にごもっともな意見だと思いませんか?アフガニスタンを、英米が考えるような「自由で民主的」な国にすることが「勝利」ということになるのだろうけれど、それがどうして英国内のテロをなくすことにつながるのか?英国内におけるテロとの戦いが、警察の仕事なのに、アフガニスタンにおけるテロとの戦いがなぜ軍隊の仕事なのか?

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5)中量級国家で生きよう・・・
Paul Kennedyという英国の歴史家は『大国の興亡』(Rise and Fall of the Great Powers)という本で知られています。現在はイエール大学の教授です。この本が最初に出たのが1987年。もう20年以上も前のことなのですね。1500年から現在までの約500年間の世界の大国の興亡の歴史を経済と軍事というアングルから分析したもので、日本で出版されたときは大いに話題になった。

そのKennedy教授が、The Economist誌のWorld in 2010という本に、英国というかつての大国の2010年とそれから先について短いエッセイを寄稿しています。短いものですが、日本の読者である私などにとっても思考を刺激する読み物になっています。

まずは書き出しから:

ジョージ・オーウェルといえば1930年代に鋭い考え方を発表した作家として知られているが、そのオーウェルが(英国について)次のように述べている。「もし大英帝国というものが失われたとしたら、イングランドは"寒くて大して重要でもない島国、みんな懸命に働かなければならず、主にニシンとポテトで食べていくしかないような国"になり下がってしまうだろう。」
In one of his more mordant reflections during the mid-1930s, George Orwell suggested that, were the British empire to be lost, England (sic) would be reduced to “a cold and unimportant little island where we would all have to work very hard and live mainly on herrings and potatoes.”
オーウェルがこのように述べてから80年後の現在、大英帝国は失われたけれど、英国は、彼が予想したほどには落ちぶれておらず、ブレア政権初期のころには、国際舞台でも「そこそこ成功した中量級のプレーヤー」(a pretty successful mid-level player in international issues)のように見えたものだった。が、いま現在は、どちらかというと「お粗末な中量級」(shabby mid-level player)であり、打ちのめされた国のように見える、とKennedy教授は言います。

尤も打ちのめされている(battered)のは英国だけではない。イタリア、スペイン、日本などなど、同じような国は他にもたくさんある。
中・大規模程度の国はいずれも、自分たちが何であり、重要な課題は何であり、これからどのように進むべきなのか・・・ということについて分からなくなっている。
almost all medium-to-large powers are having a problem figuring out who they are, what their priorities should be and how to move on.

Kennedy教授によると、英国のような中量級国家はいずれもかつての帝国としての絶頂のころから長い道のりを歩んできているけれど、第二次大戦後の歴史を見ると、中量級の中でも英国の沈下が一番激しい。ただ、気をつけなければならないのは、何かと言うと「警告」ばかりしたがる政治家(alarmist politicians)や悲観論大好きな学者(doomster academics)は、自国の悪いことばかりを並べたてて、いまだに国が所有しているかもしれない強みや魅力(strengths and attractions)との天秤にかけて考えるということをしないということだ、と教授は言います。

英国についていうと、(経費スキャンダルなどによって)議会が混乱したり、まともに機能を果たしていない、とはいえ民主的という状態はいまに始まったことではない。経済だって1970年代の後半からサッチャー時代の初期はもっとひどかった。国民保健制度(National Health Service)だって、財政的な圧力はかかっているとはいえ壊滅に近いという状態ではない。アメリカのように4600万人もの国民が保険に入っていないというような状況ではない。英国人は田舎へドライブしてビレッジ・パブに立ち寄り、古い教会を眺めたりという休日を問題なしに楽しめることを当たり前に思っているけれど、アメリカのケンタッキー州で勝手に農地に立ち入ろうものなら拳銃で撃たれることだってある。

というわけで、落ち目落ち目というけれど、英国にもいろいろと優れた点はある、と教授は言っている。ただ、もちろんいまの英国には深刻な問題はある、というわけで、Kennedy教授は特に次の2つを挙げています。

一つには社会が複雑になるに従っていろいろと綻びが出てきていることに行政が追い付いていけるのかということ。特に都市部における若者の犯罪や与太者文化の横行のおかげで、普通の人々は週末に都会へ出かけるのを控えるようにさえなっている。その一方で金持ちは、子どもを私立学校に送り、家族で海外旅行を楽しみ、民間の保険に入ったり・・・というわけで、社会的・経済的な格差(socio-economic gap)が広がっている。

ブレア氏の名誉のために言っておくと、彼は英国の国民的な文化(ジョージ・オーウェルのいわゆる"英国的まともさ")に綻びが出ていることに気づいており警鐘を鳴らした人である。これはいまでも当たっている。英国社会がますます粗野になりつつあることは食い止めなければならない。
Mr Blair, to his credit, caught this sense of the fraying of English civic culture (much extolled by Orwell as English “decentness”), and tried to alert the nation. It still needs alerting. The growing coarseness needs to be headed off.

教授が指摘する現代英国の深刻な問題の二つめは、英国という国が国際社会において身の程知らずの役割を果たそうとしている(punching above its weight)点です。特に財政的な問題にもかかわらず、いまの英国政府は軍隊に能力以上の負担 (overstretching)をかけており、その結果としてすべての軍事的なサービスが資金不足に陥っている、と教授は言っている。

教授によると、punching above its weightという問題は実は1918年の第一次世界大戦の終了時から続いている問題であり、第二次世界大戦(1940-1945)では「自称大国」(claimant Great Power)として復活したかのように考えていた。「みんな自分が分からなくなっていた」(fooled almost everybody)だけなのだとのことであります。

昨年(2009年)は、チューダー朝を築いたヘンリー7世が死んでから500年目の年であり、Paul Kennedyによると、この王様こそは最も頭のいい王様(the smartest king)であり、イングランドの政治的・財政的安定を築いた。またヘンリー7世は、当時のイングランドの軍事的資源には限界があるということを熟知していた人なのだそうです。

いま議会の「王位」につくことために選挙に臨もうとしている政治家には、このヘンリー7世という男について読書することをお勧めしたい。決して時間の無駄ではないはずだ。
Politicians now contending for the parliamentary “throne” might be advised to read about this Henry VII guy. They would not be wasting their time.

というのがPaul Kennedyの結論です。

▼Paul Kennedyの英国論はそのまま日本にもあてはまるのでは?「科学技術で世界一でなければダメだ!!」という人に対して「2番目ではいけないのですか?」という民主党の議員の質問は実に的を得ていた。

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6)D・キャメロンの研究⑨:理念をもった現実主義者

保守派のオピニオンマガジン、SpectatorのコラムニストであるJames Forsythによると、デイビッド・キャメロンという人は思想家(ideologue)ではなく、あの極めてイングランド的(very English)で、極めて保守党的(very Tory)なるもの、すなわち「理念をもった現実主義者」(principled pragmatist)なのだそうであります。1月6日付の同誌のサイトに出ています。理念をもった現実主義者・・・ちょっと考えると「何だそりや!?」と思いますね。「理念を持つ」ということと「現実的」ということは本来的に相反するものだからです。でもそれは極めて英国的(この場合の"英国"はイングランドと同義語)なものであるとForsythは言っております。

5年前に保守党党首に就任したときにキャメロンが書いた文章の中に

私は主義(ism)というものを信じていない。共産主義、社会主義、資本主義、共和主義のような言葉から私が思い浮かべるイメージは一つしかない。それは「極端な思想」というイメージである。
I don’t believe in “isms”. Words like communism, socialism, capitalism and republicanism all conjure up one image in my mind: extremism.

というのがありました。キャメロンは「思想的純粋さ(ideological purity)」など気にしていない。そういう人なのだそうです。キャメロンの場合、特定のthink-tankのようなものもないし、信奉するような知的リーダーのような存在もない。サッチャリズムを生んだCentre for Policy Studiesや経済理論のFriedrich von Hayekやサッチャーさんの知的バックボーンであった政治家、Keith Josephのような人物もいない。ブレアの場合は、Anthony Giddensという学者の「第三の道」という考え方を信奉していたし、「新しい英国・クールな英国」はDEMOSというthink-tankによるアイデアだった。

あえて言えば、Policy Exchangeというthink-tankが近いのですが、この組織は「経済的に生産性の低いイングランド北部の都市は見捨ててもいい」(abandoning economically unproductive northern cities)という内容の報告書を発表して北イングランドのひとたちを怒らせたりしたことがある。キャメロンによると、think-tankの類は過激な意見を言って「好ましからぬニュースのもとになりかねない」(think-tanks can be the source of unhelpful news stories)というので、最近では距離を置いている、とForsythは言っています。

ただキャメロンにも思想(credo)らしきものがあることはある。2007年に「社会的責任論:英国の未来のための思想(Social Responsibility:The big idea for Britain’s future)という本を出したこともあるし、libertarian paternalismという考え方を熱心に語ったりもしている。libertarianは「絶対的な個人主義者」で、政府の役割は小さければ小さいほどよろしいという考えかたです。一方、paternalismは「面倒見のいい政府」の発想です。

libertarian とpaternalismは、本来なら水と油なのですが、libertarian paternalismの考え方によると、国民一人一人が正しい選択を行えるように政府が導く(government should steer people towards making the right choices)もので、国民に無理強いさせるものではない(not try to compel them to do so)。例えば年金。英国民はすべて自動的に加入するけれど、希望者にはこれから抜けるというチョイスもあるという考え方です。前段はpaternalism、後段はlibertarianismというわけです。

James Forsythによると、libertarian paternalismの考え方はいくつかの政策には応用できるかもしれないが、英国にとっての当面の課題である「経済成長」にはあまり縁がない。

キャメロンがXX主義者ではないかもしれないけれど、英国の首相になろうという立場に駆り立てたモチベーションのようなものはある。彼に最も近い友人によると、それは「結婚・家庭・教育」なのだそうです。これらが揃った社会を作るという政治家としての理想です。ただ「結婚」についての売り物である「結婚優遇税」(marriage tax)について最近BBCとのインタビューの中で、「現在の財政状況では約束はできない」というニュアンスの発言をしてふらついているような印象を与えたし、教育についてはこの2年間スピーチをしたことがない。イートン出身ということを想起させて選挙に不利という広報アドバイザーの考えがあるらしい。

2005年の党首選挙の際のキャメロンは、イスラム過激派をナチズムと同じだと言ってみたりして、かなりネオコン的なスピーチを行ったけれど、その1年半後には別の演説で自分はネオコンではないということを説明した。2005年にネオコン的な発言をした理由は簡単で、当時の保守党にはネオコン的な発想をする人が多くいたので、彼らの票を得るためにネオコン的な演説をしたのだ、とForsythは言っている。実際、ネオコンは余りにも教条的すぎてキャメロンの趣味に合わないのだそうです。

選挙に有利だの不利だのということだけで発言をして「政治ゲーム」に勝とうとすると、思想性が希薄になって将来に対する理念とかビジョンがないと見られてしまうという問題がある。批判の矢をかわすことばかり考えていると、政策をおろそかにしているかのような印象を与えてしまうということ。労働党はキャメロンを「抜け目のないセールスマン」(slick saleman)にすぎないと揶揄したりしている。

Forsythによると、キャメロンという人は昔ながらの「保守党的プラグマティスト」(Tory pragmatist)なのだそうです。つまり

キャメロンは、何ごとを成し遂げるにも権力が必要であるということを分かっており、思想的な一貫性のなさはそれほど気にしない。
He knows that nothing can be achieved without power and is relaxed about ideological inconsistencies.

選挙後の議会の話題はもっぱら財政赤字減らしと経済復興。これがサッチャーさんなら、経済成長のための原理原則をはっきりさせることから始めるのでしょうが、キャメロンにとっての最大の関心は「何がうまくいく政策なのか」ということであって、思想的な純粋さを競いあうような「政策のための政策」論議には興味がない。

首相としてのキャメロンは伝統的な英国的保守主義が機能するかどうかの試金石になるだろう。それがうまくいかなければ、プラグマティストのキャメロン首相のことだから、ちょっとだけ思想的になってみせるだろう。それが彼のプラグマティズムの逆説的なところなのだ。一方、彼の政策が自分のやり方で成功して、英国経済を現在の新たな衰亡のスパイラルから救いだす首相になったとしても、Cameronismというような教義は生まれないだろう。ismを生み出すためにはその人自身が「思想的なるもの」を信じていなければならないのだから。
A Cameron premiership will be a test of the utility of traditional English conservatism. If its insights are not sufficient, Prime Minister Cameron, pragmatist that he is, will become more ideological. That is the paradox of his pragmatism. But if Cameron succeeds on his own terms, if he is the prime minister who guides Britain out of this new spiral of decline, there will not be a creed called ‘Cameronism’. To create an ‘ism’, you have to believe in ‘isms’.

というのが、自らも生粋の保守派であろうJames Forsythのエッセイの結論です。

▼ismというものに「極端」を見て居心地の悪さを感じるキャメロンの感覚、分かりますね。ただ、おそらくismというのは本来的に「極端」なものなのですよね。私に関していうと、ismが好きでないのは、その抽象性と硬直性が理由ですね。最近の日本で何かというとヤリ玉にあがるのが新自由主義(neoliberalism)と市場原理主義(market-fundamentalism)というismですね。私はむしろこれらのismを攻撃する人々に硬直したレッテル貼りの悪癖を見るのですが・・・。

▼「理念をもった現実主義者」(principled pragmatist)というのは、自分なりの理想や理念めいたものを持ってはいるけれど、それを貫くことが大事なのではないと考えている人のことのようですね。彼にとっての関心事は「それってうまくいくんですか?」(Does it work?)に尽きるわけです。ただForsythのエッセイを読んでいると、「理念」(principle)というのはあって当たり前のものと言っているようにも聞こえる。理念のない現実主義者(unprincipled pragmatist)ではオハナシにならないということです。

▼キャメロンの現実主義の逆説的な部分、つまり「必要なら理念的にもなる」というのは面白いですね。いかにも上流階級ですな。普通のひとたちと付き合うためには、たまには理念を語ってもいいよというわけです。サッチャーやブレアのように目玉をギンギンラギンに開いての「理念」ではない。

▼principled pragmatistというキーワードを入れてネットを検索すると、私が知らなかっただけで、政治の世界では結構使われている言葉なのですね。例えば昨年(2009年)12月にワシントンで演説したヒラリー・クリントン国務長官。オバマ政府が独裁的な国における人権侵害に対して生ぬるい態度をとっているという批判に反論して、人権外交を推進するためには現実かつ忍耐強くなければならないというわけで、「中国やロシアのような重要な国々との関係で人権問題に取り組むときはPrincipled pragmatismが必要だ」と言っている。「人権尊重」というprincipleからすると、中国やロシアのような国と付き合っていられないとなるけれど、彼らと付き合わないで北朝鮮の人権問題に取り組むことは難しい。

▼またワシントン・ポスト紙に寄稿したMichael Maccobyという学者は、オバマがPrincipled Pragmatistであると言っている。オバマさんは大統領選挙におカネがかかることを批判しながらも、自分の選挙運動を政府からの選挙資金だけに頼ることで、お金にきれいな政治家という名誉にこだわることをしなかったことを挙げています。「自分自身の原理・原則に従うことについても現実主義者であった」(he has also been pragmatic about following his principles)というわけです。


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7)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら

storm in a teacup:コップの中の嵐

最近、労働党の有力議員がゴードン・ブラウン党首の下では選挙で勝てないというわけで、労働党の全議員に対して、ブラウン信任のための無記名投票をやろうと呼びかけた。この動きについてブラウンが言ったのが"storm in a teacup"という言葉。投票を呼び掛けた当人たちにとっては重大事だったかもしれないけれど、傍から見るとどうってことないような争いのことを「コップの中の嵐」というわけですね。

この冬、英国は前代未聞の大雪に見舞われているのですが、反ブラウンの動きについて、ブラウン首相は

I would say to you this is a bit of a storm in a teacup. We are actually dealing with real storms at the moment.
まあ、コップの中の嵐ですな。現在、我々は本当の嵐との戦いを何とかしようとしているのですよ。

と語ったのだそうです。ちなみに無記名投票の呼びかけは同調者が思ったほどいなくて、結局ぽしゃってしまったようであります。


hypnotism:催眠術

催眠術ってかかったことあります?私はないし、かかりたくもない。でも自分で自分を催眠術にかけるなんてこともあるんですね。Daily Telegraphに出ていた記事によると、27才になる男が自宅でぼーっと空中を見つめているのを外出から帰った奥さんが発見したのですが、この人、実は現在、催眠術を習っている最中なんだそうで、師匠から教わったジェスチャーを鏡に向かって練習していて本当にかかってしまったらしい。

奥さんによると、声をかけても「ゾンビみたいにぼーっとしていたの」だそうですが、ぼーっとしている夫のそばにHypnosis Medicine of the Mind(心の催眠療法)という本が置いてあるのに気がついた。それだけで事情が読めたのだそうです。彼女は夫が催眠術の見習をやっていることを知っていた。しかもソファの上に師匠であるDr Robertsからの手紙があった。「どうすればいいか、すぐにわかったわ」というわけで、直ちに師匠に電話、受話器をぼーっとしている夫の耳元に近づけると師匠のひと声で無事催眠状態から解放されたのだそうです。午前10時から午後3時まで眠っていたとのことです。ちなみにこの人がやっていたのは「催眠麻酔」(hypnotic anaesthesia)の練習だったそうであります。もっと下手くそだったら良かった!?

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8)むささびの鳴き声

▼今年(2010年)は阪神・淡路大震災とオウム真理教の事件からも15年目にあたるのですね。私は、1995年という年が「日本は安全なところではない」ということを、日本人が思い知らされた年だったと思っています。

▼震災についていうと、私個人は関東大震災というのを歴史の教科書では知っていても実感として知ることは決してなかったけれど、自然災害の前ではどうすることもできない絶望感のようなものを、私自身が神戸や淡路島にいたわけではないのに知らされたという意味で忘れられない年であるわけです。

▼しかしオウム事件の衝撃は震災よりも(私には)大きかった。それは「日本が安全な国」ということが全くの幻想であったことを、日本人の行為によって知らされた事件だったからです。このことによる日本人による日本への幻滅という効果を考えると地震を含めた自然災害より深刻ですよね。

▼先週の日曜日、久しぶりに午前中の政治ディスカッション番組を見ました。話題は小沢さんとカネのことだったのですが、民主党の枝野さんという議員が「メディアは検察がリークした情報を基にいろいろと書き立てている。これは検察の守秘義務違反だ」という趣旨の発言をした。

▼すると岸井さんという政治ジャーナリストが「検察がメディアに情報を漏らすようなことは絶対にしません。記者が検察の担当者に質問をして、それに対する検察の表情などによって記事を書くのだ」という趣旨の発言をしていました。「XXの問題はこうなんですよね?」と記者が問いただすのに対して検察官がどのような表情をするのかで大体分かるのだということです。それは情報漏洩(リーク)ではないというわけですすね。

▼例えば1月17日付の東京新聞のサイトに出ていた 池田容疑者 手帳に『小沢先生へ』という見出しの記事は

東京地検特捜部が押収した同会の元事務担当池田光智容疑者の手帳に「小沢先生へ 畳の部屋」と書かれていることが、関係者への取材で分かった。
と書いています。

▼この場合の「関係者」って誰なの?とか「関係者への取材」ってどういうことをしたの?ということは読者なら誰でも知りたいですよね。この記事は次のような文章で終わっています。ちょっと長いけれど紹介します。

池田容疑者は特捜部の調べに、四億円は土地購入時に小沢氏から借りたとされる資金の返済と説明し、「(会計責任者だった)大久保隆規容疑者の指示で四億円を引き出し、小沢先生の自宅の畳の部屋に運んだ」と供述している。大久保容疑者は指示したことを否定しているという。

▼「・・・と供述している」なんて検察から教えてもらわずにどうして分かるのか?取り調べの部屋にテープでも埋め込んで盗聴したのか!?あるいは、「・・・と供述しているってことですよね?そうでしょ?」と記者が質問する。検察担当者は無言・・・でも「無言」すなわち「肯定」ということが最初から打ち合わせてあって等々、疑い始めればきりがない。

▼英国のニュースサイトを見ていると、たまに"BBC has learned that..."というような記述にお目にかかります。learnedは「・・・が分かった」という意味ですね。どのようにして「分かった」のか書いていないケースもある。日本でいう「関係者への取材で分かった」というヤツですね。取材対象者の名前は明かさないというのが「報道の自由」の前提なのだから許されるというわけ。

▼でも先週のテレビ番組における岸井さんという政治ジャーナリストの「検察はメディアにリークなんて絶対しません」という発言と付き合わせて考えると、この東京新聞の記事などは、書いた記者と検察の「阿吽の呼吸」でもない限りありえない(と私などは思ってしまう)。

▼検察とメディアがツーカーの間柄ということです。これは政治家とカネ以上にたちが悪い。政治家は選挙で落とせるけれど、検察は落とせないし、そのようなやり方で記事を作る新聞メディアのボイコット運動なんて普通の人にはできない。そんな運動はメディアによって取り上げられない限り盛り上がることはないし、メディアは取り上げるはずがない。つまり検察もメディアも怖いものなしということ。政治家には「説明責任」があるけれど、検察にもメディアにもそれはない(とメディアの人たちは考えている)。

▼結果として残るのは、メディアによって悪者扱いされる人々が情けない思いをするという「不運」だけ。メディアは「悪者扱いされたくなければ説明責任を果たせ」と迫るけれど、自分勝手に悪者扱いしておいて「それがイヤなら悪者でないことを証明しろ」というわけ。これは覚醒剤に手を出したとされるタレントも政治家も同じことですよね。

▼でもインターネットというのは有難いですね。1月12日(だったと記憶しています)、民主党本部で行われた小沢さんの記者会見の一部始終がカットなして見ることができたのですからね。あの会見で、あるフリーランスの記者が、「検察によるリークをそのまま垂れ流し的に報道するメディアのことをどう思うか?」という意味の質問をしたところ、小沢さんは「まあ、私がこんな人間だからいろいろ書かれるの仕方ないんじゃありませんか」というような答え方をしていました。この会見は見ていて面白かったですね。民主党のサイトに出ています。

▼悪い癖で、ついだらだらと書いてしまいました。今回もお付き合いいただいたことに感謝いたします。寒い日が続きます。68才にはこたえる!お身体を大切に。
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