@ホームスクーリングが増えている
ホームスクーリングってご存知ですよね。子供の教育を家庭で行うこと。これが英国で増えているのだそうです。最近の調査によると約2万人の子供たちがホームスクーリングを受けていると推定されていますが、6年前の1999年の数字が1万2000であったことを考えると着実に増えているといえます。5万人ほどいるのでは?という説もある。
ホームスクーリングが盛んなのはアメリカですよね。100万人はくだらないとされている。実は私(むささびJ)もホームスクーリングで子供を教育している家庭を個人的に知っています。この家庭の場合、熱心なクリスチャンで、どちらかというと宗教的な理由で普通の学校に子供をやらないと考えていたようです。
英国人がホームスクーリングをする場合はアメリカとちょっと違っていて、宗教上の理由ではなく、親が現在の学校教育に疑問を持っていたり反発を感じていたりするというのが一つの理由として挙げられます(この種の理由を挙げるのは大体においてお金持ちなんだそうです)。しかし何と言っても多いのは「子供が学校でうまくやっていけない」というケースだそうです。
ホームスクーリングが増えている背景には、教育の中央集権化が進みすぎている、「学校教育=試験」という雰囲気が強くて、学校生活そのものが退屈極まりないものになっている。しかも最近ではインターネットの発達がある、とThe Economistは言っています。学校の先生でなくても様々な情報や知識をインターネットで獲得して子供に教えることができる。さらにインターネットの発達は、このような教育をしている親たちがネットを通じて知り合ったりして孤立感を薄くしているということもある。最近このような親たちが集ってイベントをやったところ1600人もの親がこれに参加して楽しんだのだとか。
The Economistは「要するに今の学校が親という"お客様"の望むところに応えていないからだ」としており、他の部分でなされる顧客満足の努力によって親が以前よりも自分の主張をし始めたということを挙げている。昔なら子供がイジメに遭っても「我慢」したのが、最近ではホームスクーリングという方法に訴えることができるようになったわけです。
ブレア首相の労働党政権は「教育の個人化(personalisation)」を進める方向にあるそうで、選択科目を増やしたり、授業時間にフレキシブルタイム制を導入するようなことを考えているので、方向としてはホームスクーリング派の方向に進んでいるように見える(とThe Economistは言っています)。
A大英帝国の「過去」
何気なしにLe Monde Diplomatique (LMD)という月刊誌の英文サイトを見ていたら大英帝国の「過去」についての記事が出ていました。中国や韓国の反日運動の問題と重ね合わせて参考になる記事でしたので、ちょっとだけ報告を。 記事のタイトルはNEW LABOUR, OLD BRITAINで、筆者はSeumas Milneという英国のコラムニスト。この記事は次のようなイントロで始まっています。
- Britain not only conveniently still forgets the crimes of its imperial past, but it has also again begun to romanticize its colonial achievements and declare them a proper source of pride.
英国は帝国主義の過去において犯した罪を認めないばかりか、その植民地支配による業績を美化し、英国の誇りだとさえ言い始めている・・・というわけです。
このイントロでも推察できるように、いろいろと英国が犯した「罪」について書いているのですが、エッセイの主眼はむしろ現在の英国政府が「人権と民主主義を広める」というスローガンのもとに「新しい帝国主義」に走り始めているということを指摘することにあります。
筆者は英国が植民地で犯した「罪」の例として次のようなものを挙げています。
- 1950年代のケニヤ(英国の植民地だった)で地元民の反乱が起こったときに、32万人の現地人を強制収容所に入れたのみならず、1090人を絞首刑に処し、10万人の死を招くようなことを行った。英国軍の兵士は地元民の男性1人を殺すごとに5シリング(今のお金で約9ドル)の賞金を貰った。
- 19世紀の終わりから20世紀初頭にかけてのインドで3000万人の餓死者が出たのは、英国の支配者による穀物の海外輸出にある。1943年にベンガルで400万人が餓死したが、インド独立後はこのような飢饉は起こっていない。
筆者が特に批判しているのが、ブレアさんのあとがまと目されるゴードン・ブラウン大蔵大臣。今年の1月に東アフリカを訪問したときに"the days of Britain having to apologise for its colonial history are over"(英国が過去の植民地支配の歴史について謝罪しなればならない時代はもう終わった)という発言をしたそうです。ブラウン大臣はまた別のところでWe should be proud of the empireという発言をしたらしいのですが、筆者は「あのブレアさえもそこまでは言わなかった」と言っている。
ブラウン蔵相の発言を聞くと恰も英国がこれまで延々と謝罪を続けてきたような印象を受けるわけですが、筆者によるとThere have been no apologiesなのだそうであります。それどころかブレア政権は人道介入(humanitarian intervention)という名の下にコソボだのシエラレオーネだのイラクだのに軍隊を送ってそれらの国土を破壊し続けている。
昔の大英帝国は「キリスト教文明と世界貿易の発展」という名によって(英国では)正当化されたのですが、筆者によると、今ではa new kind of imperialism, one acceptable to a world of human rights and cosmopolitan views(人権と世界市民的思想に基づく新しい種類の帝国主義)の発展を目指しているというわけ。 筆者はケンブリッジ大学のRichard Draytonという歴史学者の言葉を引用して「(大英帝国の植民地政策について)英国人は、"法の支配"だの"汚れなき政府"だの経済発展について沢山聞かされるが、実際には専制、抑圧、貧困そして何百万人という人間の不必要な死があっただけ」(We hear a lot about the rule of law, incorruptible government and economic progress---the reality was tyranny, oppression, poverty and the unnecessary deaths of countless millions of human beings)と伝えています。
筆者はまた英国の学校における歴史教育について「大英帝国が犯した罪については歴史から除いている」として次のように書いています。
- The standard modern world history textbook for 16-year-olds has chapter after chapter on the world wars, the cold war, British and US life, Stalin's terror and the monstrosities of Nazism - but scarcely a word on the British and other European empires which carved up most of the world, or the horrors they perpetrated.
つまり「英国の世界史の教科書にはナチズム、スターリンの恐怖については書いてあっても、英国とヨーロッパの帝国が世界をかたち作ったときに惹き起こした恐怖については殆ど書いていない」と主張しています。
筆者は「必要なのは謝罪でも罪悪感の表明でもなくて、あくまでも教育、罪の認知、補償、そして何よりも、被支配者に対して外国がそのルールを押し付けようとすると、必然的にそれは野蛮行為につながるということを理解することだ(an understanding that barbarity is the inevitable consequence of attempts to impose foreign rule on subject peoples)と主張しています。イラクが最近の例であるとのことです。
このエッセイは次のような結論になっています
- If Brown really wants to champion British fair play, and create a new relationship
with Africa, he would do better to celebrate those who campaigned for colonial
freedom rather than the racist despotism they fought against.(ゴードン・ブラウンが英国のフェアプレイの精神の先頭に立ち、アフリカとの新しい関係構築を真に望むのなら、植民地解放のために戦った人々を祝福すべきであって、彼らが敵として戦った人種差別的専制政治ではないはずだ)。
というわけです。ここに書かれている大英帝国の「悪行」の数々は事実なのでしょう。でなければ書かない。また英国の保守主義者による「大英帝国の時代はアフリカの一番良かった時代だ」(Africa has never known better times than during the British rule)という意見も、それなりに「本当」なのでしょう。それは「日本は中国や韓国で悪いことばかりしたのではない」と言い張るのと同じですよね。「見解の相違」ってやつ。
私が面白いと思ったのは、英国にも「歴史教科書が真実を伝えていない」などと思っている人がいるということです。実際に英国の教科書を読んだわけではないので実態は知りませんが。 英国が過去の植民地支配の歴史について謝罪しなればならない時代はもう終わった・・・というブラウン蔵相の発言も興味があった。この発言を聞くと、これまで英国は謝っていたように響きます。知らなかったですね・・・英国が謝ったことなんてあるんですか!?。
個人的な体験ですが、私の知り合いの英国人(80歳を超えている男)の自宅に行ったときに、廊下に貼ってある地図を見せてくれて「この赤く塗ってある部分が昔、大英帝国が支配したところさ」と懐かしそうに語っておりました。彼の頭には悪いことをしたという意識はゼロ。どころかむしろ世界のためにいいことをしたと信じきっている様子でした。「日本もイラクに兵隊を送って、よくやっておる・・・」と褒めて(?)くれました。 今年のG8サミットの議題の一つが「アフリカ」ですよね。ブレアさんが真面目な顔で「アフリカを貧困から救うのは先進国の義務だ」と言っております。
B「談合」がなくならないのは何故?
日本記者クラブのようなところで仕事をしていると、メディアの細かいことまで妙に気になることがあります。直近の例として、橋梁業界による談合事件で逮捕者が出たことについての新聞記事があります。国が発注する橋の建設工事について有力企業が談合して「うまみを分け合ってきた」(読売新聞)という、あの事件です。
5月26日夜のNHKニュースで、この問題について日本経団連の奥田会長という人が記者会見して「談合はなかなかなくならないだろう」というニュアンスの発言をしているのを見ました。普通この種の事件についての関係者の会見というと「極めて遺憾だ。今後このようなことは二度と起さない・・・」という趣旨の発言があると思うのですが「なかなかなくならない」というクールな?コメントに、ちょっと奇妙な感じがしたわけです。
しかし私がもっと奇妙に思ったのは翌日の新聞記事についてです。朝日・読売・東京新聞の記事は奥田さんの発言について、それぞれ次のように伝えています。新聞記事をそのまま引用します。
- 読売新聞:「正直言って(談合を)絶滅できるとは思っていない」とも述べ、業界の意識の低さを嘆いていた・・・。
- 朝日新聞:「(企業不祥事が)すぐに絶滅できるとは思っていない。多少、時間をかけて努力していかねばならない」と不祥事絶滅の難しさも吐露した・・・。
- 東京新聞:「はなはだ遺憾だ。半面、談合がすぐに絶滅できるとは思っていない」と述べ、談合体制は日本企業にはびこっているとの見解を示した。
三つの記事中のカギカッコ内の奥田さんのコメントを読むと「絶滅できるとは思っていない」というところはそっくり同じですが、前後を読むとかなり違う(ように私には思える)。読売の記事は、業界の意識が低いので、談合はこれからもなくならない、と言っているように見える。朝日の場合は「すぐに絶滅できない」かもしれないけれど、時間をかければ・・・というニュアンスにもとれる。この点は東京新聞も同じ。どちらが奥田さんのメッセージなのでしょうか?
次に読売の記事は、丸カッコの中で(談合を)と言い、朝日のそれは(企業不祥事が)と言っている。前者の場合は奥田さんが具体的に談合という企業不祥事のことを言っているようだし、朝日の記事では、「談合に限らず企業不祥事一般が」と言っているようにも響く。丸カッコは、奥田さんの発言を記者が推測して付け足したものです。東京新聞の記事では丸カッコなしで、談合という言葉を使っているのだから、これは奥田さんご本人がそのように発言したという意味になる。一体、奥田さんは実際には何と言ったのでしょうか?
が、実は私がイチバン奇妙に思ったのは、新聞記事に見る限り(NHKのニュースもそうですが)、奥田会長は何故、談合とか不祥事がなくならないと思うのかを全く語っていないということです。「奥田さんは何を理由に談合や不祥事を絶滅するのは困難だと考えるのか」という点に触れた記事が全くないということでした。NHKの放送における「根絶は難しい」というコメントに私が奇妙な感じを覚えたのはこの点だったのではないかと思います。あの記者会見では、奥田さんに対して「根絶が難しいのは何故なのですか?」という質問は出たのでしょうか?出たのなら奥田さんは何と答えたのでしょうか?誰もその質問をしなかったのだとしたら、何故しなかったのでしょうか?後者については特に知ってみたいですよね。
「そんなアホな(素人みないな)こと質問するな」と言われるかもしれないなどと考えたからではない・・・ですよね。読売の記事は「業界の意識の低さを嘆いていた」とありますが、それはひょっとして記者の推測なのでは?奥田氏が「嘆かわしい」と言ったのでしょうか? 気になりますね、こういうの。
C短信
フィンランドのトイレットペーパー不足
英国のPA通信によると、フィンランドの製紙業界で大規模なストライキが発生しており、それが理由で国中が深刻なトイレットペーパー不足に見舞われているのだそうです。「たまに入荷があっても棚に並ぶ前に売切れてしまう」と、あるストアマネジャーが嘆いています。フィンランドはもうすぐ夏のホリデーシーズンですが、海外旅行からのお土産にトイレットペーパーを買ってくる人で空港がにぎわうのではないかといわれています。 何が原因のストなのか・・・そういえばフィンランドでは製紙産業は非常に大きいのですよね。
▼でもトイレの紙くらいは何とかしてあげてください。
勤務中のビールを要求してスト
ストライキといえば、デンマークではビール会社の従業員が、「勤務時間中にビールを飲む」権利を要求してストをやっているそうです。コペンハーゲン郊外のHarboe Breweryというビール工場の従業員200人がやっているのですが、もともと社員食堂や工場の中でも許されていたらしい(ホントですか?!) のですが、それが許されなくなったということだとか。自社ビールは1日6本までタダで飲んでいいが、勤務時間中はダメということらしい。「個人の自由を奪うものだ」というのが労組の言い分。
▼アタシなんか6本も飲んだらへべれけになってしまうけど・・・
10分17秒って何?
デートに遅れる・会議に遅れる・友人の結婚式に遅れる・・・「遅れる」にもいろいろありますが、そもそも「遅れた」というのは、約束の時間よりもどの程度遅れることを言うのでしょうか?答は10分と17秒だそうです。英国のクルマ好きのあつまりであるGet Me Thereなるグループが調査をして分かったのですが、人間が「遅れるから電話しなきゃ・・・」と考える時間が平均10分と17秒であるってこと。中には30分後でも大丈夫なんて人もいることはいるのですが。この調査によると女性の70%が最初のデートで約束の時間よる遅れることは「かっこよくないけど許される」(acceptable, if not fashionable)と考えるのだそうです。ところで男女両方の大半が「遅れても構わない(wouldn't care)」と思うのが、義理の母親の誕生日のパーティーなんだそうです。
▼ところで10分17秒ってどんな長さなのかというと、英国では赤ちゃんが12人生まれ、交通事故が最低8件起こり、3804人が飛行機に乗り込み、5億9000通のe-mailが送られる・・・そんな時間なのです。
D編集後記
●ホームスクーリングの記事を見て思い出したのですが1週間ほど前だったかの新聞に「(日本における)学校の週5日制の良し悪し」について行われた世論調査の結果が出ていました。全国PTA協議会という組織が行ったもので、約5000人の父兄が対象になっています●それによると39・3%の親が週5日制には反対で、賛成の30・3%を上回ったのだとか。何故週5日制に反対なのかというと、イチバンの理由が「学力が落ちる」だったのですが、2番目に多かったのが「子供が一人で過ごす時間が増えすぎた」という理由なのだそうであります●違和感を持ちますね、これには。現在の子供はひとりで過ごす時間が少なすぎると、私などは思っているのですが。幼稚園が殆ど義務教育のようになっているし、学校に入ってからはタダの草野球なのにユニフォームもお揃いのリトルリーグなどなど・・・●余りにも「仲間」と過ごす時間が多すぎるように思えてならないんですよね、私としては。●ところで「一人」「独り」「ひとり」・・・私の好みは「ひとり」ですね、理由はよく分からないけれど。