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458号 2020/9/13
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

ネットで見つけた上の写真、撮影が1939年で場所はロンドンであることは分かったのですが、誰が写したものなのかが分からないという不思議な作品なのです。もう一つ、普通に見ると、店の主人と目される人物が「本日は犬にあげるビスケットはありません」という看板を出しており、女の子とワンちゃんががっかりしているシーンのように思える。が、看板に触っている主人の手を見ると、これまで出していた看板をしまおうとしているようにも見えなくもない。つまりこれまではビスケットがなかったけれど、本日、大量に入荷しました・・・というシーンとも解釈できなくもない。これも不思議な写真である理由です。

目次

1)スライドショー:ウェールズを知る
2)犬と人間:付き合い方いろいろ
3)戦没者は「尊い犠牲」か?
4)激論?:気候変動と原発(part 1)
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1) スライドショー:ウェールズを知る



英国(United Kingdom)は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという4つの「国」(nations)から成っています。そのうちイングランドは英国の全人口(約6700万)のうち8割(約5600万)以上が暮らしており、ロンドンもイングランドにあるのだから、英国=イングランドと考えられても仕方ない側面がある。スコットランドは550万、ウェールズは315万、北アイルランドは200万弱となっているけれど、スコットランドは何かというと「独立だ!」と騒ぎ立てるし、北アイルランドは本来がアイルランドの一部で、それなりのナショナリズムの強さが目立。おそらく一番目立たないのがウェールズなのでは?

写真家のデイビッド・ハーン(David Hurn)は1934年生まれだから、今年で86才になる。生まれはイングランドのサリー(Surrey)ですが、父親はウェールズ人で、本人も育ちはウェールズの首都・カーディフだそうです。生まれつきの失読症(dyslexia)で読み書きが苦手だったので、学校ではカメラクラブに所属、親から買ってもらったカメラを楽しんでいた。二十歳のころに、ある写真通信社のカメラマンとしてハンガリー動乱を取材して評判となり、1967年に写真家集団のMagnum Photosの会員となる。


ここに集めたのは "Wales:Land of my Father" というモノクロ写真集で、その殆どが約50年前、1970年代のウェールズの人びとの日常生活を写したものです。その頃のウェールズは、どちらかというと農業と炭坑が中心の世界から産業の近代化の兆しが見え始めていた時代だった。それを後押しするかのように英国政府を中心とする日本企業の対ウェールズ投資が進み、ウェールズ近代化の役割をになった。タキロン、ソニー、パナソニックなどがそれにあたる。この写真集を見ていると、昔ながらのウェールズがだんだんと現代に変わっていく様子が伺えます。

デイビッド・ハーンは現在もウェールズで健在だそうです。
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2)犬と人間:付き合い方いろいろ

9月3日付のThe Economistに、英国人と犬の散歩に関する記事が出ていました。犬や猫の現在位置確認装置(GPS)のメーカーであるTractiveという企業が行った調査によると、英国のワンちゃんたちの散歩時間は一日平均で177分で、ドイツの160分、フランスの170分などに比べると長いのですね。そのせいかどうか知らないけれど、英国人が飼っているラブラドールの平均体重は28kgで、ドイツの29kg、フランスの31kgよりも軽いのだそうです。リバプール大学のキャリ・ウェストガス(Carri Westgarth)という動物行動学の教授も同じようなことを言っており、アメリカとオーストラリアのワンちゃんたちと比較しても英国の犬たちは屋外活動に恵まれているのだそうです。

ヨーロッパ大陸では犬の肥満を嘆く声が高いらしいのですが、米ペンシルベニア大学のジェームズ・サーペル教授(動物福祉学)によると、ワンちゃんの肥満は、過保護(excessive pampering)と散歩不足が原因であるとのことです。教授が特に指摘しているのがフランス人の甘やかし(super-indulgent)ぶりで、特にレストランなどで勝手気ままに振る舞うワンちゃんが多く「知らない犬に何度も身体を擦りつけられた」(nudged by strange dogs)」と文句を言っている。

英国の犬の散歩時間が長いのは、犬よりも人間が散歩好きであることが理由かもしれないとThe Economistは言っている。3年ほど前の調査によると、英国人の散歩時間は世界でも5番目で、欧州では一番なのだそうです。犬は英国人にとって格好の散歩仲間であると同時に、人間に散歩の動機を与える存在になっているともいえる。

 

英国エクセター大学で人類学を研究するジュリアン・ダグノール(Julien Dugnoille)教授は、英国人が犬を連れて歩くのが好きなのには全く別の理由(それも極めて人間的な理由)があると言っている。それは、英国人の「社交が苦手」(socially awkward)という性格に関係している。
  • 英国人にとって犬の散歩は、他人との社交の機会を与えてくれる運動なのだ。冗談を言って笑ったり、天気の話をしたりしながら他人との会話を楽しむことが出来る。しかも危険性はゼロだし、散歩の途中で出会う相手だからお互いに深入りすることもない。 British people…tend to see dog-walking as a rare opportunity to socialise with strangers, to have a chat and exchange a few jokes and comments about the weather without putting themselves in danger (ie, without being too committed in their interaction).
というわけです。そこへ行くと、フランスはどのみち散策大好き人間の国(a nation of flâneurs)で、犬の助けなど借りなくても散歩は盛んなのだそうですね。


ダグノ-ル教授によると、英国人と犬の散歩でもう一つ忘れてはならないのが、飼い主としての見栄えなのだそうです。英国では昔から貴族階級が犬を所有して訓練することがたしなみ(kudos)とされており、現代の庶民がそれを受け継いでいるというわけ。公園で犬と一緒に歩きながら「マックスって行儀がいいんですよ」(Max is very well-behaved)と言えることが最高の楽しみである、と。公園のようなパブリックな場所で行儀よく振る舞えない犬を飼っていることは飼い主の恥だ、というわけです。ただそれは単なる「見せびらかし」(showing off)ではない。

ダグノ-ル教授はベルギー人で英国とフランスで暮らしたことがあるのですが、その彼によると英国人はフランス人に比べると犬と近い(closer to their dogs)。犬という最善の友人と歩くことで作られる時間と空間において犬と人間が動物の種族として出会い、個人として接触し合う関係が出来上がるとのことです。

要するに英国における犬人関係の方がフランスにおけるそれよりもまともだ、と教授は言いたいのであろうと思うのですが、The Economistによると、英国人は思い上がらない方がいいとのことです。リバプール大学のウェストガス教授は、英国人は「犬は毎日の散歩が必要」などと言うけれど、散歩など必要でないという理由を見つけ出すのも英国人だと言っている。いわく「屋内に仲間がいる」、「この子は神経質だから」、「雨に弱いので」等々、実にいろいろな理屈をつけるのだそうです。


▼The Economistの記事とは別の話ですが、8月19日付のBBCのサイトによると、ドイツにおけるペット法が間もなく改正されるのだそうです。主なる改正点としては「犬の飼い主は一日最低2回、時間にして合計少なくとも1時間の散歩が義務付けられる」「長時間にわたって鎖でつなぐのは禁止」「犬を一日中放りっぱなしにしてはならない」などがあるのだとか。

▼ドイツの場合、ペット法は州単位で施行されるので全国規模の施行にはならないし、仮に違反者が出ても警察沙汰になるかどうかは分からないのだそうです。担当のジュリア・クルックナー農業大臣は今回の改正について「ペットは玩具ではなく、彼らのニーズも考慮されなければならない」とコメントしている。

▼むささび家にもワンちゃんが2匹(二人?)同居しております。両方とも飼い主が自分たちと同じ世界に住んでいることを疑ったことがないとしか思えない態度で生活しています。彼らの場合、散歩をすることは殆どゼロ。その代わりほぼ一日おきに埼玉県の山奥へ行って広い原っぱのようなところを走り回るという生活を送っております。一方はテレビの相撲中継に興奮するし、もう一方は夕方になって市役所のスピーカーから「夕焼け小焼け」の音楽が聞こえると大声で自分も歌います。
 

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3)戦没者は「尊い犠牲」か?



高井潔司というジャーナリストが書いた『被害者史観では世界から取り残される』というエッセイを読む機会がありました。今年8月6日(広島)と9日(長崎)の原爆投下日、同15日の終戦記念日などにまつわる、政治家の発言とメディア報道について書いているのですが、「今年ほど虚しい記念日報道はなかった気がする」と言っている。何が虚しかったのかについては、エッセイそのものをお読み頂くとして、むささびが最も共感を覚えた部分を紹介させてもらいます。


安倍首相が今年の「全国戦没者追悼式」で述べた式辞の中に次のような個所がある。
  • 今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。
この部分について8月16日付の読売新聞の社説は
  • これまで多くの首相が表明してきた見解であり、国民も深く共感するところであろう。1937年の日中戦争開戦から終戦後のシベリア抑留まで、軍人・軍属230万人、一般市民80万人の命が失われた。その一人一人の人生に思いを致し、平和への努力を不断に重ねねばなるまい。
と書いているのだそうです。


ちなみに高井さん自身がかつて読売新聞の記者だったのですが、その彼に言わせると、安倍首相の式辞のこの部分は「全く歴史にそぐわぬ誤った認識」となる。即ち「日本の戦後の平和と繁栄は、戦後の日本国民によって達成されたものだ。それは日々、意識し、行動することによって実現する」というのが高井さんの基本認識です。そして彼は次のようにも言っている。
  • どの遺族も、戦争で亡くなった肉親の死が全く無駄な死であったとは思いたくない。その心理を逆用して、無責任な政治家は「尊い犠牲の上に築かれた」などと美辞麗句を繰り返すが、多くの戦没者は誤った国策を主導した戦争指導者の犠牲者であったことをしっかり認識すべきだろう。
と強調している。戦死者のことを「尊い犠牲」などと呼ぶのではなく、日本を誤った戦争に引きずり込んだ「誤った国策の犠牲者」であったことをはっきりさせろ、と。

ところで15年前の2005年、当時の小泉首相も似たような「談話」を発表している。
  • 私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。
というわけです。むささびの偏見なのかもしれないけれど、安倍式辞と小泉談話の間には微妙な違いがある。小泉さんが戦死者のことを「心ならずも命を落とされた多くの方々」と呼んでいるのに対して、安倍首相は「祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々」と言っている。小泉さんが戦死者を生んでしまった状況を語っているのに対して、安倍首相の方は、ひたすら「戦死者=英雄」という図式で美化しようとしている。

▼むささびが高井さんの見方に共感を覚えるのは、安倍首相とその仲間たちが戦没者のことを「尊い犠牲」などと形容していることに批判的であることです。彼らの「犠牲」がどのような意味で「尊い」と安倍首相らは言うのか?決まっています、「自分の国のために」命を落としたからである、と。小泉さんの場合も、似たようなことを言っているけれど、その直ぐあとに「二度と我が国が戦争への道を歩んではならない」という言葉が続いている。安倍晋三のようなアタマの持ち主を長年にわたってリーダーとして崇め奉る政党を選挙で勝たせてしまったことに、むささびは(日本人として)実に情けない思いがしますね。

▼それはともかく、日本ではアメリカと戦争をしてしまったことが誤りであったということになっているけれど、それ以前の戦争(日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦など)は間違いではなかったのか?日本では、明治維新以来の日本のアジア大陸への進出についての議論や考察が殆ど為されていないように思える。それは日本に限ったことではないかもしれないのですが、それでもそのあたりのディスカッションはきっちりしておくべきだと思います。特に最近のインターネットの世界を跋扈するかのような「アジアの国々は日本が進出したことに感謝していた」というような主張を眼にすると、それを痛感します。

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4)激論?:気候変動と原発(part 1)
 

8月14日付のドイツの週刊誌、DER SPIEGELの英文版のサイトに "The Great Energy Debate" という討論記事が出ていました。エネルギー問題についての二人の専門家を招いて
 という問題について討論させるという企画です。一人はロンドン・インペリアル・カレッジのポール・ドーフマン(Paul Dorfman)教授(64才)で核エネルギーの利用に関するコンサルタント機関であるNuclear Consulting Groupというグループの創設者で、原発には反対の立場で知られている。もう一人のスタファン・クビスト氏(Staffan Qvist: 34才)は米カリフォルニア大学(バークレー)で核エンジニアリングを学んだ後、アメリカとスウェーデンにおける原子力発電所の安全性について研究しており、英国をベースにエネルギーに関するコンサルタントとして活躍している。気候変動に対処するための核エネルギーの利用(原発を含む)については前向きの立場をとっている。

かなり長いディスカッションであることに加えて、むささびが勝手に中身の重要性を判断できるようなものとは思えないので、2回に分けて全文を掲載させてもらいます。今回のその前半です。


原発反対派のPaul Dorfman(左)と推進派のStaffan Qvist(右)

核は気候に優しい 老朽化が事故を生む
原発賛成は極右だけ ドイツのCO2排出量
原発廃止は早とちりだった 原発事故は必ず起こる

  • DER SPIEGEL: Qvistさん、原発推進派のロビイストたちは、気候変動にまつわる危機的状況が危険な核エネルギーこそが人類を救うというような見方を広める格好の機会だと思っているのではありませんか?
核は気候に優しい

Qvist: その質問はおかしい。まるで原発賛成者はみんなロビイストであるかのように聞こえるじゃありませんか。そのように言われるから、彼らの意見が疑いの眼を以て見られるようになるんですよ。核エネルギーは温室ガスを生むことがない優れたエネルギー源であるという議論だってあるんですよ。さらに核エネルギーには、人間が気候に左右されることなく電力を生むことができるという利点もあるんです。気候優しい(climate friendly)という事実こそは、我々が核エネルギーを自分たちのエネルギー・システムの一部としてとらえるべきだという大きな理由の一つなんです。
  • DS:Dorfmanさんはどう思いますか?
Dorfman: そもそもなぜ原発なんか作らなきゃいけないんですか?再生可能エネルギーの方がはるかに安価に作れるんですよ。気候変動にまつわる危機的状況は、我々が予想している以上に深刻なものになるし、時期も早く来るんですよ。そのことだけだって原発反対の理由になるじゃありませんか。
  • DS:なぜそうなるんですか?
Dorfman: 気候変動はいくつかの挑戦を人類に突きつけているんです。最大の問題は、今世紀の半ばまでに我々は二酸化炭素を排出しない(carbon neutral)ようにならなければならないということです。が、現実問題として現在の発電設備(2050年までには寿命を迎える)にとって代わるだけの十分な数の原発を作ることは不可能です。
 
  • DS:つまり原発廃止を決めたドイツは正しかったと?
原発賛成は極右だけ

Dorfman: もちろんです。まだ核廃棄物の最終的な処理場は決まっていないし、それが経済的に見合うようなオペレーションになるのは不可能です。安全性に関する未解決の問題まだたくさん残っています。が、ドイツの発電会社は、核エネルギーに戻ることなど考えもしないとさえ言っているんです。原発廃止に反対している唯一の政党はAfDという極右勢力だけです。AfDは気候変動そのものを否定しているんですからね。
Qvist: ドイツの政治のことは分からないけれど、私から見ると、ドイツの原発廃止は大いに誤った決定だと思います。環境問題のためにも気候変動のためにも最悪の決定の一つであることは間違いない。ある研究によると、ドイツによる原発廃止は、年間1000人以上の人間の死に繋がっている。One study shows that the phase-out led to the death of more than 1000 people every year. そして何百万トンという二酸化炭素がまき散らされてもいる。しかも廃止そのものがまだ済んだわけではないのですよ!
  • DS:貴方が言っているのは、ドイツが原発を廃止する一方で石炭をたくさん燃やしているということですよね。石炭の煙や石炭がもたらす汚染物質(sulfur dioxide, nitrogen oxides, mercury, arsenic)によってたくさんの人びとが命を失っている、ということですよね。
Qvist: その通りです。

 
  • DS:ただクリーンなエネルギーへの巨額の投資は原発廃止があったからこそなのです。あの決定がなかったら風力・太陽熱の開発への投資が行われることはなかったはずです。
原発廃止は早とちりだった

Qvist: そうでしょうね。ドイツは気候変動については素晴らしいことをやってきており、風力発電や太陽光発電には多額のお金をつぎ込んでいる。その点は称賛されるべきです。また二酸化炭素の排出量が少ない社会を実現するための技術開発も盛んです。ただ原発廃止の決定は早とちり(premature)だった。
  • DS:なぜ「早とちり」なんですか?
Qvist: エネルギー転換のためにドイツは、2025年までに5000億ユーロというお金を使うことになります。結果として電気料金が値上がりしている。なのにCO2の排出は殆ど減っていない。つまりドイツのエネルギーミックス政策は気候変動の問題に対しては適していないと言えるのです。2022年になって原発の廃炉が最終段階に入ると事態はますます悪化する。ドイツと同様のペースでクリーンエネルギーを導入していくとすると、世界の脱炭素化は100年以上もかかることになるのです。さらに言うと、現在ドイツにある原発の中には立派に稼働しているものもあるのです。全部とは言いませんが。


老朽化が事故を生む


Dorfman: ちょっと待って下さい。この際、老朽化する原発の問題の話をしましょうよ。
Qvist: 廃止が決まっている原発の中にはEmslandやGrohndeのように素晴らしい稼働を実行している原発もある。それらを廃止するのは優れたエンジニアリング、気候変動問題、ドイツ国民、環境保護、そして人類全体に対する侮辱というものです。
Dorfman: 全く反対です。原発は老朽化すればするほど事故の危険性が高まるのですよ。テロリストの襲撃、航空機の墜落のような「事故」に対する備えは殆どない。さらに海面上昇のような気候変動に伴う自然現象に対する防護などは設計の時点では考えられなかったものなのです。

  • DS: エネルギーの脱炭素化は悲劇的な結果を招く前に実現することが課題です。どうすればいいのですか?
 ドイツのCO2排出量

Qvist: 一般受けする答えは再生可能エネルギーということになるのでしょう。しかし風力や太陽光だけでそれなりのコストでというのは幻想というものです。再生可能エネルギーのコストは低くなってはいるけれど、常に手に入るものではない。都市全体の電力を長期間にわたって賄えるような電池の開発もそれほど簡単に実現するものではない。しかし、我々は急速な脱炭素化のためのモデルともいえるシステムを立証している。フランスとスウェーデン(私の国ですが)は何十年も前に自分たちの電気網(グリッド)の脱炭素化を実現しているのです。ドイツが排出する二酸化炭素の量(キロワット時)はフランスの8倍、スウェーデンの40倍にものぼっている。EU平均よりも40%多いのです。
  • DS: Dorfmanさん、確かにフランス人とスウェーデン人によるCO2排出量はドイツ人の半分にすぎない。だったら何故彼らの生き方こそが世界の模範にならないのです?
Dorfman: それが長続きする解決策ではないからですよ。核エネルギーの問題はコストが高すぎることです。フランスを例にとると、あの国の原発は、他の国に比べると深刻なトラブルに見舞われることが多い。例えば彼らの原発には炉心溶融物保持装置(core catchers)のような近代的な安全装置が備わっていないケースが大半なのです。
  • DS:フランスの原発が安全基準を満たさないのだとしたら満たすように変えればいのでは?
Dorfman: 部分的に変えた程度では事態は殆ど変わらないのです。現在の安全基準を満たすためには全部作り変えなければならなくなるのです。
  • DS; つまりフランスもスウェーデンも20年後には大きなトラブルに見舞われることになる、と?
原発事故は必ず起こる

Dorfman: そうです。非常に近い将来(very, very soon)そうなるでしょう。フランスは電力生産における核エネルギーの割合を2035年までに半分にまで引き下げようとしています。フランスにおける原子炉の寿命延長のコストは500~1000億ユーロとされています。またスウェーデンにおける風力発電の量は、今年、廃止した原発によるそれを上回るものとされている。新しい原発など絶対に作ってはいけません。むしろ老朽化した原発を閉じることに力を入れるべきなのです。
Qvist: 私は反対です。原発はドイツでもフランスでも安価で安定した電力を生産している。エネルギーの分野において脱炭素化を進めるための一番手っ取り早い方法は原発を廃止したりしないことなのです。


Statistaというサイトの情報(上のグラフ)によると、2020年4月現在、世界で稼働している原子炉の数は440(30か国)基だそうです。最も多いのがアメリカなのですが、ドイツはたった6基となっている。ドイツの場合、12年前の2008年の時点では17基の原子炉が稼働していた。それがほぼ3分の1にまで減少したわけですが、2011年の福島原発の事故を受けて2022年までに全原発の稼働を停止すると決定して以来の急激な廃止政策が追求されてきた。が、原発は発電の際に二酸化炭素を発生させないので、気候変動対策にはうってつけのエネルギー源ですよね。つまり脱原発政策が気候変動対策の足かせになりつつあるというわけです。

▼7月5日付の東京新聞に<ドイツが「脱石炭」決定 2038年まで、脱原発と両立へ>という記事が出ています。つまり電力生産のためには核エネルギーも石炭も使わないようにする、ということですよね。それがうまくいくのかどうかはともかくとして、如何にも理念追及というドイツ人の政治姿勢を表現している動きのように思えて興味深い。それとSpiegelの「激論」の中で原発推進は極右勢力によって支持されているとも言っているのが面白い。ドイツの極右勢力はコロナ禍に伴うロックダウンだのマスク着用だのにも反発している。日本会議の皆さんはどうなのでありましょうか?

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 


spit hood: 唾吐き防止帽

「唾吐き防止帽」はむささびが苦し紛れに使った日本語訳です。"spit" は唾を吐くことで、"hood" はアタマや顔を覆うものですよね。ケンブリッジの辞書によると "spit hood"
  • a covering that is put over someone's head by police officers, etc. in order to stop the person spitting at them or biting them 
と説明されている。「自分に唾を吐きかけられたり、噛みついたりすることを防ぐために警察官が相手のアタマにかぶせる覆い」ということですよね。日本の場合は「さるぐつわ」(英語では"gag")ということになるかもね。

アメリカ・ニューヨーク州ロチェスターの警官(複数)が、41才になる黒人男性を取り押さえる際に "spit hood" を被せたのですが、そのやり方が不必要に乱暴かつ執拗であったことが理由で男性が死亡したという事件があり、市長が関係した警察官7人を停職処分にしたという事件があった。

似たような事件で、5月26日にミネソタ州ミネアポリスでジョージ・フロイトという黒人男性が警官に押さえつけられて窒息死するという事件があり、それが現在のBlack Lives Matterの運動のきっかけとなった。が、実は上のニューヨーク州ロチェスターの事件はミネアポリスのものより3か月も前に起こったにも拘わらず、つい最近まで公にされなかったとのことであります。
 
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6)むささびの鳴き声 
▼安倍首相が辞任を発表した、8月28日の記者会見を改めて見てみました。首相官邸のサイトに『安倍内閣総理大臣記者会見』として掲載されているもので、会見の一部始終が文字化されている。動画で見ると気にならない部分が文字になると奇妙に思えるところがかなりある。

▼中でも特に気になるのは「内閣広報官」なるものの存在です。会見の司会・進行役なのですが、この人の言葉がやたらと目立つように(むささびには)思える。会見は総理の冒頭発言から始まるのですが、それが終わると「内閣広報官」が次のように発言して記者との質疑応答が始まる。
  • それでは、これから皆様から御質問を頂きます。最初は、慣例に従いまして、幹事社2社から御質問を頂きますので、指名を受けられました方は近くのスタンドマイクにお進みいただきまして、所属とお名前を明らかにしていただいた上で御質問をお願いいたします。
▼取消ラインを入れた部分は、むささびには不必要としか思えない。出席している記者たちがどの程度の経験を踏んでいるのか知らないけれど、むささびが司会者なら次のようになるでしょうね。
  • では質疑応答に入ります。まず幹事社2社からどうぞ。
▼質問する記者たちの言葉遣いにも奇妙な部分がある。
  • 日本テレビのXXXXです。よろしくお願いいたします。先ほどやり残したこととして憲法改正、北方領土問題、拉致問題を挙げられましたが、後継の首相に託したいこと、ありましたら、併せてお願いします。よろしくお願いします。
▼なんで記者会見で「よろしくお願い」なんかするのさ(しかも2回も)。で、いわゆる「幹事社」の記者による質問が終わると「幹事社以外の皆様からの御質問」が始まるのですが、ここでも「内閣広報官」が割って入る。
  • それでは、これから幹事社以外の皆様から御質問を頂戴します。御希望される方、御希望の意思表示は発声ではなくて挙手でお願いいたします。私が指名いたしますので、近くのマイクにお進みいただきまして、所属とお名前を明らかにした上で質問をお願いいたします。希望される方が多いと思いますので、幹事社の場合と違いまして、お一方1問でお願いいたします。それでは、どうぞ、御質問される方は挙手をお願いします。では、星野さん。
▼むささび自身も決してうまい方ではないのですが、丁寧語の使い方が気になって仕方ないのよね。質問を希望する記者のことを「御希望される方」なんて言うんですか?それから最後の「では、星野さん」も気に障る。おそらく記者会見の議事録として残すために、万一記者が名乗らなかった場合に備えて広報担当が自分で挿入したのではないか、と想像するのですが、如何にも不自然よね。それから記者に対して名前を告げることを要求するのなら、この広報担当官も名前を告げるべきなのでは?

▼他にもいろいろあるけれど、最後に一つだけ。共同通信の記者が「拉致問題、日露平和条約交渉について結果を出せなかったことは痛恨の極み」と安倍さんが発言したことについて「振り返って反省すべき点はなかったか」と質問した後で「もう一点」というわけで、「本日の会見ではいつも使われているプロンプターを使用されていないですけれども、これはどういったお気持ちでこういった形で会見に臨まれたのでしょうか?」と追加質問をした。すると例の広報官が割って入り、次のように注意した。
  • XXさん、すみません、多くの人が待っていますので。どの質問を総理にお伺いしたいのですか?
▼どの質問を総理にお伺いしたいのですか?・・・とは、何という日本語なのでしょうか!さすがに安倍首相も「いいです、いいです」と広報官をなだめてから「今日はぎりぎりまで原稿が決まっていなかったということもあり、私も推敲(すいこう)しておりましたので、こうした形になりました」と答えていたのですが、この質問はどのようなつもりで発したんですかね。もちろんたかだか一つだけ追加質問をされたからと言って、それを咎め立てる広報官もどうかしているのですが・・・。

▼この記者会見を読みながら「これが安倍政治なのか」と思ったりしたわけよね。ここに出てくる人間は安倍・記者・広報官なのですが、広報官だけが名前がなくて肩書だけがある。むささびの想像(多分正しい)によると、この広報官は、この会見の主人公は自分だと思っている。彼にとって首相会見とは、「決められたとおりの議事進行を滞りなく実行すること」であって、首相発言の中身などどうでもいいわけ。とにかく決められたとおりに進めばオーケー・・・シンゾー政治の神髄ですね。

▼ついで、と言っては申し訳ないけれど、ここをクリックすると、9月9日に英国のジョンソン首相がロンドンの官邸で行ったコロナ問題に関する記者会見の様子を見ることができます。専門家を二人連れての会見で、いわゆる「リモート」スタイルなので、記者たちは別の場所から質問していた。安倍首相の会見と決定的に違うのは、ボリスの会見には「広報担当官」などいなかったということ。司会はボリス本人がやっています。

▼暑さはなかなか消えてくれませんね。お元気で!

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