musasabi journal
 

green alliance essays locations
green alliance
日英グリーン同盟
山梨県甲府市

日英グリーン同盟の先輩
甲府市にある山梨学院大学のキャンパスで「日英グリーン同盟」の植樹式が行われたのは2002年5月23日のことでした。以前の「むささびジャーナル」で広島県向島町にある英国人の戦争捕虜収容所のことをお知らせしました。向島町も山梨学院も植樹のテーマは第二次世界大戦における英国人捕虜の処遇と日英の「和解」がテーマという意味では似ています。違うのは山梨県甲府市に戦争捕虜の収容所があったわけではないということです。

私も含めた駐日英国大使館の「グリーン同盟チーム」がイングリッシュオークの植樹先募集活動のど真ん中にあった2001年8月、実はイングランドのスタフォードシャーというところにある国立記念森林公園で「日英和解の森」の開所記念として桜とイングリッシュオークが植えられる式典が行われていたのです。日英グリーン同盟にはちゃんと先輩プロジェクトがあったわけです。

そのプロジェクトを立ち上げたのがフィリップ・メイリンズなる人物で私(春海二郎)よりも20以上も年上の1919年生まれ。山梨学院における「日英グリーン同盟」の植樹式にはメイリンズもはるばる英国から参加して、同時に行われたシンポジウムに参加して「和解の森」のこと、彼自身の戦争体験や未来への展望を語りました。

「和解の森」の植樹活動は2001年に英国で行なわれた日英交流事業であるJapan 2001の公式行事の一つとして行なわれ「不幸にも敵として戦った日英両国民が、国境を越えて戦争を記憶し、あらゆる犠牲を思い起こし、和解し再会する場を両国民の手で作り上げよう」ということを意図して作られたものです。

日本軍との戦い

メイリンズは「日英和解の森」に関わることになった動機について、彼自身の日本軍との戦いの一こまを挙げています。それはビルマで彼の命令による攻撃で22人の若い日本兵が全員射殺されたということです。その日本兵の一人はメイリンズに向けて約4メートルという距離から発砲したのですが、弾丸が辛うじて脇にそれてメイリンズ本人は九死に一生を得たとのことです。

講演の中でメイリンズは自国が犯した過去の過ちについて極めて興味深い(と私が考える)発言をしています。ドイツが自らの「過去」について非常にオープンに語り継ぐという作業をしているのに対して、日本ではいまだに第二次世界大戦の真実について学校などで十分には語られていないという趣旨の批判があるということについての彼の見解です。 メイリンズは日本が「経済的に世界第2位の大国であり、(日本人は)その業績を誇りに思って下さい」として「過去を隠す必要などありません。過去の問題にオープンに余裕を持って接して欲しい」と言い、続けて「そうすることが、韓国や中国の信頼や友情を勝ち取る一助になる」と訴えています。

「過ち」は認めた方が気が楽

メイリンズはさらに英国人として、19世紀の英国が「他国以上に様々な人種や部族の人々を殺害したこと」をオープンに認めることによって「むしろ気が楽になる」とも語っています。彼は、英国がそのようなことを行なっていた当時、未だ生まれてもいなかったのだから「(自分には)責任がありません。が、私が過去についてそうであったと確信したならば、私にはそれを伝える責任があります。そうすることで人々が私を信頼してくれると思うのです」と言っています。

私が彼のこの発言を「興味深い」と思ったのは、過去において英国が犯した過ちについて、はっきり認めた方が「気が楽になる」(I feel better as a British citizen to admit the truth quite openly…)という言い方をしている点です。19世紀の英国が中国を始めとする外国で犯した諸々については、自分が生まれていなかったのだから責任はないけれど、伝える責任はあるとも言っています。私には彼のこうした姿勢が極めて「英国的」と写ります。人間どの道、どこかで過ちは犯すものだ・・・という前提に立っているということで、このあたりに私なりに解釈する「英国的」な部分があるように思えてならないということです。

メイリンズの「和解の森」企画を助けて日本側の連絡担当となったのが、山梨学院大学の小菅信子教授です。大学時代の研究テーマが「戦争捕虜」のことであったのがきっかけで、関わるようになったとのことで、英国に対する「憧憬や愛着」があったわけではないし、「和解」というテーマについてもとりたてて強い「思想的・宗教的基盤があったわけではない」そうです

回復と再創造のための「協働の場」を


では何故、単なる「研究者」の立場を超えてメイリンズを助ける「活動家」にまでなってしまったのか?そのことについて小菅教授は、教授自身がメイリンズと同じ時期にこの世に生まれ、「ビルマの戦場で、互いに憎み合い蔑みあい、殺し合う自分のイメージが、日英和解について行動し、語ろうとする時の原風景となった」と語っています。この「原風景」にこだわって(日本人と英国人が)理解しあうことは「歴史が我々に与えた特権であり、この特権を享受するために義務を果たさなければならない」と教授は主張しています。スタッフォードの「和解の森」も日英グリーン同盟もそのような「特権」を行使するためにきっかけとなって欲しいというのが小菅教授の願いであるようです。

小菅教授は「21世紀は回復と再創造の時代」であると言い、「戦争や紛争によって分かれた人と人の関係の回復、自然破壊によって損なわれたヒトと自然の関係の回復」を訴えており、それは「机上で考えるだけでは実現しない」としています。そして「他者への共感や十分議論された理念」に基づく「協働の場」を創造することが「より確かな未来につながる」と結論しています。

姉妹樹

山梨学院に植えられたイングリッシュオークはスタッフォードに植えられた桜やオークの「姉妹樹」と命名されました。姉妹都市というのは聞いたことがありますが、「姉妹樹」というのは聞いたことがない。姉妹都市の場合は、実際に人の往来があったりして、それなりの「実績」のようなものが目に見える形で現れますが、姉妹樹の場合は、これを植えた人々がそれを意識しない限り、「単なる木」に過ぎません。人間の想いとは全く無関係に、オークと桜は(自然のいたずらで枯れてしまわない限り)大きくなって、人間はその木陰で休んだり、お花見大会でカラオケを楽しんだりするでしょう。それらの樹木が他の樹木とは生い立ちが違うということは、人間が伝えようとしない限り誰にも分からない。すべては人間しだいということです。

尤も山梨学院の場合、オークの近くに大きな石があってそこに記念のプレートがはめ込まれています。これは間違いなく100年はもちます。それが「協働の場」を創るためのきっかにでもなってくれればイングリッシュオークもはるばる英国から運ばれてきた甲斐があろうというものです。
back to top