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埼玉県名栗村

「ゆとり教育見直し」を見直す!?

埼玉県飯能市立名栗小学校の長橋傑校長は小学校で教えること34年というベテランで、間もなく定年を迎えるような年なのですが、最近、文部科学大臣という人が発言して議論を呼んでいる「ゆとり教育」見直しが気になっています。

ゆとり教育ってナニ?

新聞によると「ゆとり教育」なるものが考えられ始められたのは、1977年なんだそうですね。今から殆ど30年も前のことです。「小学生の3割、中学生の5割、高校生は7割が授業についていけない現状は絶対に改めなければ」ということだったらしい。いわゆる「詰め込み教育」に対する反省から「ゆとり」という発想が生まれたわけですが、具体的には土曜日を休みにするとか、知識ではなく「生きる力」を身に付ける「総合的学習の時間」という形をとって実施された。「総合的学習の時間」が導入されたのは2002年だから、1977年に「ゆとり教育」が考えられ始めてから殆ど30年も経っている。随分長くかかったものです。

全人教育を目指す

「総合的学習」って何だか分かります?実に難解な日本語で、よく分からないけれど、その意図は、それまでのように子供たちに知識を伝授するだけの授業ではなく、「生きる力」を身に付けさせるための授業。新聞を読むと、その例として、福岡市の学校では「福祉体験学習」として「車椅子に乗ってみよう・押してみよう」「アイマスクと白い杖で歩いてみよう・介護してみよう」などの「授業」が行われているそうです。この活動の目的は「子供たちが社会と触れ合うことで人に対するやさしさや思いやりを持ち、強く正しく生きる心を育む『全人教育』にある」とされています。

しかるにこれらの「ゆとり教育」の結果、日本の子供らの学力がガタ落ちで情けない状態になってしまったので「昔の方がよかったんでない?」というわけで、ゆとり教育見直して、もっと読み書きソロバンをちゃんと教えろ、ということになった(と私は推測しています)。

名栗小学校の長橋さんは「学校では単に読み書きソロバンだけ教えろというのであれば、教師にとってこれほど楽で有難いことはない」と言います。が、「それをやった結果落ちこぼれが生まれ、子供たちの間で無気力が広がったのではなかったか」とも言っている。

炭焼き窯を作る

で、長橋さんが行った「総合的学習」の一つが、学校の中に炭焼き窯を作り、地元のじいさんたちに教えてもらって炭を作るという「授業」でした。名栗村はもともと林業の村でかつては地元の山に生えている樹木で炭を作って商売にするところが結構あったらしいのです。炭焼きというのは、それほど簡単なことではないようですね。窯の中に木を上手に並べなければないと、いくら燃やしてもまともな炭にはならない。これ、空気の流れと燃焼の関係を調べる理科の実験みたいなところがあるのだそうです。

窯で作った炭を炭俵に入れて地元の特産品として売っており、その売り上げを教材費購入のために使ってもいいのだとか。驚いたのはその炭俵の出来具合です。これも地元の年寄りに習ったのだそうですが、ススキの枯れた茎を上手に編んである。これにきちっと炭が入れられて・・・立派な商品になっている。

もう一つ、学校の敷地の中に10畳ほどのログハウスを作ってしまった。これも総合的学習で、地元の林の中に落ちている間伐材を集めて作った。これは殆ど長橋さんの自作です。

私の妻(むささび-M)は過去40年間も寺子屋風家庭教師を続けており、彼女なりの教育論を持っています。彼女によると、「学校では読み書きソロバンだけをしっかり教えて欲しい。人格など生きる力だのという『ソフト』な部分は親の責任。学校は余計口出しをしないで欲しい」とのことで、総合的学習には疑問を持っています。ただ彼女が総合的学習に賛成でないのは、それをやると子供らの学力が落ちるからということが理由ではない。子供の人格にかかわるような部分を教師に障って欲しくないということのようです。

人格教育への疑問

私もどちらかと言うと妻の考え方に賛成です。学校大嫌い人間であった私が、中でも嫌っていたのは何だか分かります?林間学校とか臨海学校ってヤツ。大体が皆でワイワイ楽しそうに夕食を食べたりするわけですが、ネギが食べられない・ウドンは気持ち悪い等の好き嫌いが多かった私にとっては針のムシロに坐ったような気分です。算数ができない・鉄棒ができない等の教科における「できない」も情けないけれど、課外活動におけるそれは恰も自分という人間がダメなヤツと言われているような気分になったものです。ホントにダメ人間のレッテルを貼られたような・・・。

前に述べた福岡市の障害者と触れ合う総合的学習の目的は「人に対するやさしさや思いやりを持ち、強く正しく生きる心を育む『全人教育』にある」とされています。正直言って、この種の理屈には私、ついて行けない。「強く正しく生きる」ことを教える・教わるなんてカンベンして欲しい。この活動をさぼった人間は強くも正しくもないということ?

自分が楽しむ学習

長橋さんは「今の子供たちは地元の産業だの歴史だのについては何も知らないのですよ。誰も教えないから」と言っており「自分らの暮している町や村がどんなところなのかを知ることは大切です」と彼なりの総合的学習論を語っています。子供らと窯で作った炭について語るときの長橋さんは心底楽しそうな顔をしていましたね。総合的学習にかこつけて、自分で楽しんでしまったという雰囲気です。

名栗にイングリッシュオークを植えてもらったのは2002年11月です。村長さんの発案で、杉やヒノキの山林が多い名栗に広葉樹を植える活動のシンボルにしたいとのことでした。当時は名栗村だったのが2005年1月に飯能市に吸収合併された。長橋さんの小学校も「名栗村立」から「飯能市立」に変わったというわけ。

イングリッシュオークは今でも村の広場で立派に育っています。植えたときの2倍くらいの高さになっている。実はオークを植えたことをきっかけに、英国の小さな小学校と手紙の交流を始めたのですが、どうやらこちらの方は、英国の学校から何の音沙汰もないということで休眠状態のようです。


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