musasabi journal
 

green alliance essays locations
green alliance
日英グリーン同盟
北海道余市町

スコットランド生まれ、この女性は何かを考えていたのか?


北海道余市町というところはウィスキーのお陰でPR的にはずいぶん得をしていますね。何十年も前、テレビのコマーシャルで雪がしんしんと降る町を馬車が通る風景を何度見たことか。そのモノクロ風の画像には下に必ず余市の文字が入っていたのを鮮明に覚えています。最近も地下鉄の広告に余市町のウィスキー工場の写真がでています。私は行ったことはありませんし、正直言うと北海道のどこにあるのか最近まで知りませんでした。北海道の地図を見ると札幌の左の方で日本海に面した積丹半島の付け根のところにあります。 人口は約23,000.

日英グリーン同盟に参加してイングリッシュオークを植えた理由は、この町がスコットランドにあるイースト・ダンバートンシャーという町と姉妹都市関係を結んでいることにありますが、何故スコットランドのこの町と友情関係を結んでいるのかというと、ウィスキーの話がからんできます。ニッカウヰスキーは竹鶴政孝という人が創ったのですが、創設者の妻、リタの生まれ故郷がイースト・ダンバートンシャーであるそうです。

リタとの出会い

明治27年(1894年)に広島の作り酒屋の三男に生まれた竹鶴は大阪高等工業(現在の阪大)の醸造科(そんなコースがあったんですね)に進んだことが、洋酒の世界に入り込むきっかけとなった。世の中には「凝り性」という人がいます。英語で言うとエキセントリック。思い込んだらもうたまらない、他人が何と言おうとやってしまう。竹鶴政孝という人もエキセントリックの見本のような性格であったらしく、学校卒業後に摂津酒造という洋酒メーカーに「押しかけ就職」。そこでウィスキーの勉強のためにスコットランドへ留学するという幸運を得た。大体、何事にも思い込んでやっていると思わぬ幸運が舞い込んだりするものですよね。

その留学先で出会ったのがリタという女性。1920年にスコットランドで結婚した。ウイスキー博物館の資料を読むと二人は「周囲の反対に合いながら」結婚したのですが、立ち会ったのはリタの妹と幼友達の二人だけであったとされています。この場合の「周囲」というのはリタの家族のことなのでしょうが、何故反対したのでしょうか?多分その頃のスコットランドでは娘が東洋人と一緒になるなんてとんでもないことだったのでしょうね。でもリタという女性が周囲に反対されながらも竹鶴との結婚を押し通したのは何故だったんでありましょう?竹鶴という人がよほど気に入ったんでしょうか!?

なぜ余市だったのか?

竹鶴が余市町に「自分の理想とするウィスキーを作るために」工場を作ったのが結婚14年目の1934年。なぜ余市を選んだのかというと「余市川の清冽な水、澄んだ空気、夏でも気温があがらない」という気象条件に加えて、近くにはウィスキー造りには欠かせないビート(草木が堆積して出来る泥炭)もあるということがあったそうです。竹鶴がモルトウィスキーの製造を始めたのが1936年、念願の第1号ウィスキーを発売したのは4年後の1940年でした。1940年といえば太平洋戦争が始まる前年です。その頃奥さんのリタは余市にいたのでしょうか?竹鶴が死去したのは1979年。リタはどこで、いつ亡くなったのでしょうか?

資料によると二人の墓が余市の「小高い丘の上」にあるとなっているのだから、リタも最後まで竹鶴と一緒に余市で過ごしたということなのでしょうか?だとしたら戦争中はさぞや大変だったはずです。戦後60年、リタもまさか自分の国から運ばれてきたオークの木が、しかも自分の生まれ故郷との姉妹都市関係を記念して余市に植えられることになろうとは思ってもいなかったことでしょう。余市にはベニバナトチノキの並木があるようですが、これはハクモクレンなどとともに、リタが生前愛した花木のひとつといわれています。

観光スポットとしてダントツの人気

余市町に日英グリーン同盟のオークが植えられたのは昨年9月のことと記憶しています。大阪の英国総領事と夫人が参加したのですが、彼らが最も感激したのは海の彼方、水平線に沈む太陽の様子でありました。このあたりはニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されています。余市には海岸以外にもいろいろと観光スポットがあります。この町出身の宇宙飛行士・毛利衛氏を記念した「余市宇宙記念館(スペース童夢)」、果樹園、釣りが盛んな余市川等など。3年前の数字ですが、余市を訪れた観光客の数は101万人。

で、どの観光スポットが一番人気があったのかというと、竹鶴さんのウィスキー工場で、24万人強が訪れています。宇宙記念館の倍以上、ドライブ客がふらっと寄るであろう「道の駅」でさえも13万人なのですからウィスキーには遠く及ばない。 観光は余市にとって極めて大切な産業ですが、町役場が発行している広報誌が住民に対して「余市にまつわる物語性のある話」や「余市の隠れた観光スポット」などの情報提供を呼びかけています。これ、面白いやり方ですね。こういうものは結局、皆が創造していくものなんですからね。

余談ですが余市から送って貰った写真を見ると、この町の消防署は中世のお城風というか、ちょっと洒落たレストラン風というか…シャッターが下りていると、この中からあの消防自動車が飛び出してくる所とはとても思えません。

back to top