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むささびの鳴き声 |
028 幸せの追求とアメリカ精神A | |
「むささびの鳴き声027」で紹介したThe Economistのコラムニストの記事は、アメリカの独立宣言で謳われた、個人の幸せ追求の権利が革命的なものであったとして、「人間、生まれつき苦しみを背負っている」(man is born unto trouble)というヨブ記の言葉の否定こそがアメリカ文明の発展に繋がったとしています。 私の解釈に過ぎませんが、このコラムニストが言いたいのは、このヨブ記の言葉こそが、当時の「古いヨーロッパ」(当時のアメリカ人が捨ててきたヨーロッパ)を代表する「悲観的人生観」であるということなのではないかと思うのです。アメリカ人は、この言葉に対抗(反抗)して「努力すれば、苦悩ではなく幸福を手にすることができるし、人間には幸福を追求する権利がある」という、いわば楽観的人生観のようなものを発展させようとした。それこそがアメリカ文明とヨーロッパ文明の決定的な違いである、とThe Economistの筆者は言いたいのではないかと想像するわけです。 The Economistのコラムニストは、「幸福を追求する権利」を謳った独立宣言の革命性を非常に高く評価しており、「230年後の今日でもアメリカをアメリカたらしめていることを示すベスト・ステートメントである(It remains equally remarkable today, still the best statement, 230 years after it was written, of what makes America American)」とまで言っている。 ヨブ記に代表される古いヨーロッパを捨ててきたアメリカの開拓者たちですが、だからと言って宗教(キリスト教)を捨てたというわけではない。しかし宗教の自由を保障するために「政教分離」の原則を謳い、国教会という存在を否定している。で、現在の欧米を比較すれば(英国に関する限り)、どう考えてもアメリカ人の方が熱心なキリスト教徒としか思えない。この矛盾らしきものがとても面白い。 ところで、アメリカは移民の国と言われていて、生まれ育った国や社会を捨てて来た人々によって作られた国である(原住民を犠牲にして)とされていますが、その移民には日本からのものも含まれる。もちろんアメリカでは人種差別に直面したりということもあったのですが、日本を捨てた時点においては、ヨーロッパなどからの移民と変わらない心情にあったはずです。つまり「いい生活を築きたい」という念願であり、希望のようなものです。 ということは、そうした日本人もまた、当時の日本が持っていた「物質的・精神的な暮らしにくさ」に対して「個人の権利としての幸せの追求願望」を気持ちとして持っていたのですよね。 で、私が言いたいのは、このようなことは100年〜200年前ではなく、今だってある話なのではってことなのでありますよ。何とかダイオードとかの開発で自分が勤めていた日本の会社からのお金が余りにも少ないということで、アメリカへ渡ったエンジニアがいましたね。あの人が挑戦し、見捨てたのは、個人よりも企業が大事・・・という日本的な風土であったのかもしれない。 八つ当たりかもしれないけれど、私が気に障って仕方ないのが、最近の日本における反米・嫌米ムードです。ホリエモン、村上ファンド、日銀総裁等など、どれもこれもアメリカ的資本主義・拝金主義のなせる悪である、日本人は「国家の品格」に目覚めなければならない!というわけです。あるいは日本は「ヨーロッパ型の福祉国家を目指すべきだな」と言ったりする人もいる。 アメリカ型の価値観とかライフスタイルを否定するのは構いませんが、「ヨーロッパ型」を勧めてみたり、「アジアの価値観を見直そう」と主張したりするのは、単なるハナシとしては面白いかもしれないけれど、それだけのことだと思います。特に「ヨーロッパ型」を云々する人たちは、それが200年以上も前に乗り越えられた(ことになっている)ものであることを承知のうえで言っているのでしょうか?英国などでは、現在でもブレアさんたちが「近代化」を云々するとき、アメリカ化を意味する部分が結構ある。 私にしてからが、アメリカ的ライフスタイルには、とてもついて行けない味気なさを感じるし、狂信的キリスト教にはウンザリもする。でも何かというと「国家」とか「公共」などを云々する日本のインテリによる集団主義的道徳論に対しては「アンタらには言われたくねえんだよ」と開き直って、「個人の権利としての幸福追求」をやりながら暮らしていきたい・・・と思ったりするわけです。 |