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むささびの鳴き声
053 よせばいいのに・・・「成人の日」の社説

1月14日は成人の日。その日の新聞を見ると、日本経済新聞と毎日新聞以外の4紙(朝日・読売・産経・東京)が、それぞれ新成人に対するメッセージを送る社説を掲載しておりました。なるべく簡単に紹介すると・・・。

産経新聞:大人サイズの自我確立を
その昔は、イエだのムラだのセケンだのという外部の圧力が強かったことがあって、それらと「自分」との葛藤が「自我」を鍛えたものである。が、現代はそれらの圧力が薄くなって、自由になりすぎ、葛藤する機会そのものがない。そのような環境で育つ「自我」は単に自分の世界に閉じこもる「子供の自我」であって「ホンモノの自我」ではない。必要なのは「人の喜びを自分の喜びとし、人の悲しみを自分の悲しみとできる心を育てる」ことであり「自分以外の他者がひしめく世界へ堂々とはばたける大人サイズの自我を確立してほしい」と訴えています。

東京新聞:「関係ねえ」ではない
世の中には、地球温暖化、年金、食の安全等々、いずれをとっても「関係ねえ」と言ってすまされない問題が山積している。成人の日は「漂流する時代や社会とのかかわりを見いだして、自ら変わり、行動を始める節目」であるというわけで、「関係ねえ」などと言わずに、社会とのかかわりの中で「時間をかけて宿題の答えを見つける」ことを勧めています。

読売新聞:確かな目で責任ある選択を
「大人の仲間入りをしたからには、自分の生き方に責任を持ち、確かな目を養って人生を歩んでいってほしい」という書き出しで、例えば、職業の選択にあたっては「自分の希望に合っているか。性格に向いているか。やりがいが感じられそうか」を見極めること、選挙権の行使という「政治の選択」については「自分たちが求めるのは、どのような社会か。それを託せるのは、どんな政策を掲げている候補か」などをじっくりと考え、「大人としての責任を果たしてもらいたい」と言っています。

朝日新聞:「KY」といわれてもいい
「KY」(空気を読めない)という言葉が示すような「自分たちと違うと感じた相手を排除する」という風潮が拡がると、「まわりに流され、やがて自分の意見さえ持てなくなる」ことを戒めながら、「大人になったら、ぜひ自分の力で考え、自分の足で立ってみよう」と提案しています。ちょっと可笑しいのは、社説の途中で、筆者自身が「長いこと大人をやっているが、自分で考え抜くことがどれほどあったか。自分の意見と思っていることが、実は他人の受け売りではなかったか」と自己反省をしている点です。
というわけです。私なりにまとめると、朝日新聞だけが、多少及び腰とはいえ「自分を大切にしろ」と言っているのに対して、他の新聞は、その「自分」なるものを、他者とか社会とかとの関わりの中で確立しようと言っている。「それが大人というものだ」ってことであります。

新聞の社説を書く人たちって何才くらいの人なのでしょうか?どう若くても40才から上でしょうね。上限は、多分60才・・・かな?いずれにしても、成人式を20〜40年ほど前にお祝いした人たちです。どの社説を読んでも「お説ごもっとも」ですね。おそらくそれは書いた本人たちも分かっているのではないかと、私などは想像するのですが、はっきり言って面白くもなんともない。年寄りが息子・娘(あるいは年のはなれた弟・妹)のような人たちに話しかけると、どうしてもこのような「お説教」になってしまうということであります。

これらの社説を書いた人たち自身は、成人してこの方、20年〜40年間、どれほどこれらの社説が言うように、「自分を大切にしながら世の中とかかわる」生き方をしてきたのだろう?

というわけで、私の採点によるならば、「成人式」などという話題を社説で取り上げなかった毎日新聞と日本経済新聞に軍配を上げたい。 上に挙げた社説を読んで感銘を受けたという新成人がいたら、是非紹介してください。じっくり話しを聞いてみたい。(2008.1.20)

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