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むささびの鳴き声 |
055 『昭和史・戦後篇』(半藤一利)を読んで | |
半藤一利さんの『昭和史・戦後篇』(平凡社1800円)は、第二次大戦後の日本(1945年〜1989年)の歴史を語り口調で振り返っているのですが、ずばりこの時代を生きてきた私(1941年生まれ)にとっては、なにやら自分史の本という感じでした。ちょっと長くなるかもしれないけれど、これはと思われる部分だけ書き出してみます。 半藤さんによると、第二次大戦後の日本にとって、国として進むべき方向として次の4つの選択肢があったのだそうです。
これらのうち4番目の「小日本」は米ソ対立の冷戦下では殆ど不可能。結果的に日本が選択したのは3番目の「軽武装・通商国家」です。東京オリンピックから大阪万博を経てこれまで、信じられないような貧困から富裕への歴史でした。たったの30〜40年のことですからね。 2番目について、半藤さんによると「社会主義」的ではあるけれど、必ずしもソ連の傘の下に入るという意味ではなく、天皇制なしの「共和国」と言っています。 1番目の選択肢は(半藤さんの解説では)三島由紀夫が切腹までして訴えた国家ということになる。三島由紀夫は死んでしまったけれど、思想としては確実に生きていますね。『国家の品格』という本が200万部も売れているんですから。しかもホリエモンだの村上ファンドだのといった、アメリカ的「拝金主義」が日本人をダメにした、というような意見が圧倒的に力を持ってきている。そこへ持ってきて、中国はケシカラン、韓国は生意気だ、北朝鮮は怖ろしい・・・というわけです。ついでに、と言っちゃ申し訳ないけれど、東京都民が石原慎太郎のような人を知事としてかついでいる。 半藤さんはそのようにおっしゃっていないけれど、私の見るところによると、日本は(3)から出発したけれど、限りなく(1)に近寄っていますね。私自身は戦前の日本(天皇陛下ばんざい!と言っていた日本)のことは身を以ては知らないのですが、現在の社会的な雰囲気として、一人一人の人間の生活や思いよりも「社会」だの「国家」だのを論ずることが重要だと見なされているような気がして、これが非常に気持ち悪い。
半藤さんの本についてもう一つ。1960年代のことなのですが、安保闘争というのがあって、その後で社会党の浅沼稲次郎という委員長?が右翼の若者テロに刺し殺されるという事件がありました。それから、深沢七郎という人が書いた『風流無譚』という小説を掲載した「中央公論」の社長宅に右翼が押し入ってお手伝いさんが殺されるなんてこともあった。 そのときに日本ジャーナリスト会議が「言論機関への暴力に対して、断固たる態度で言論・表現の自由を守れ」という趣旨の声明を出した。これについて半藤さんは,
と書いています。半藤さんはさらに次のように書いています。
かなり強烈なメッセージであるけれど、悲しいかな、当たっていると思います。
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