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むささびの鳴き声
056『美しい国へ』を読む前に

安倍晋三さんの書いた『美しい国へ』という本が売れているんだそうですね。私はまだ読んでいません。他に読むべき本があって、なかなか手が回らない。で、朝日新聞の9月5日号の15ページに根本清樹という人(朝日新聞編集委員のようです)の書いた「安倍公約vs小沢主義」というエッセイが載っていて、その中で、安倍さんのこの本に触れています。それによると、安倍さんは戦中の特攻隊に触れて、次のように書いているそうであります。

「自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか」

そして根本さんは「安倍氏の要求は格段に重く、大きく、そして気高い」と書いています。根本さんによると、安倍さんは「損得を超えた価値のために役に立つ」ことの大切さを訴えているのだそうですが、根本さん自身の意見として次のように書かれています。

「政治の現実から損得ずくをなくすことなどできるだろうか。年金の問題にせよ、税制にせよ、この世では無数の利害がぶつかり合っている。<中略>普通の人びとの暮らしには死活的な問題がたくさんある。私たちはそれほど気高くないし、なる必要もない」

私はこのエッセイを読んで、安倍さんの「特攻隊賛美論」はもちろんのことですが、根本清樹という人の姿勢にも疑問を感じてしまった。安倍さんの本を読んでいないので、なんともいえないけれど、根本さんのエッセイで引用された部分だけからしても、安倍さんが言っているのは「人間、たまには損得を超えて(つまり無私の精神で)行動することもある」ってことだけなのに、根本さんは、恰も安倍さんが「政治は損得を超越しなければならない」と主張しているかのように言っている。こういうのを「揚げ足取り」というのではないか。フェアでない。

また根本さんのエッセイは「私たちはそれほど気高くないし、なる必要もない」という文で終わっています。つまり「人間、損得を超えていのちを投げ出すほどには気高いものではないし、なる必要もない」と言いたいのですよね、根本さんは。確か韓国の青年が、東京の電車の駅で転落した人を自ら飛び込んで救って、自分は死んでしまった、という事件はなかったでしたっけ?あの行為は「気高い」行為なのでしょうか?

私の想像にすぎないので、間違っていたら根本さんにはゴメンネというしかないけれど、彼が「気高くなる必要もない」と言うのは、(特攻隊のように)お上に言われて、「お国(自分が信じてもいないもの)のために」命を投げ出す必要がないってことなんじゃありませんか?だったらそう言えばいいのに・・・。私に分からないのは、何故、この筆者が「安倍氏の要求は格段に重く、大きく、そして気高い」などと書くのかってことなのでありますよ。安倍さんの要求のどこが「気高い」んです?アホらしいだけのことなんじゃありませんか?

もう一度言っておきますが、人間、損得を大切に考えるのは当り前ですが、場合によっては、いわゆる「損得」を超えて行動をとるときだってあるんです。ただそれは、国(というよりも、そのときの為政者が決めたこと)のために(自分が納得もしていないのに)命を捧げるというようなことではないってことなんです。そのようなことは気高くもなんともない。ただ悲惨なだけです。根本さんのいわゆる「普通の人びと」がいつもいつも損得だけを考えて暮らしているわけではないってことなんですよ。

根本さんは、自分を「普通の人びと」の代表みたいに「私たち」などという言葉を使うけれど、それも止めて欲しい。どうせ言うなら「私」とだけ言って欲しい。違う考えの人だっているんだからさ。これ、決して揚げ足取りで言っているのではないのであります。

このエッセイは、タイトルにもあるとおり、民主党の小沢一郎さんと安倍さんの考え方の違いのようなものについて語っており、上の安倍さんの「自分のいのち云々」が精神論だとすると、小沢一郎さんは「政治は精神論ではない」ということで「愛国心の押し付け」を否定しているのだそうです。(2006.9.17)

  • プラットフォームから転落した人を見て、線路に飛び降りて助けようとして、自分が死んでしまった韓国の人は、死ぬつもりで飛び込んだわけではない。でも特攻隊は死ぬことが分かっている。安倍さんという人は「それ(自分の命)をなげうっても守るべき価値が存在する」などと言っております。クダクダ言いませんが、なんなんです、その「価値」っつうのは!?
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