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むささびの鳴き声 |
057 立花隆さんの田中角栄研究:実は何も知らなかった?新聞記者 | |
立花隆さんは、日本では珍しくフリーランスのジャーナリストとして長い間活躍している人です。この人を有名にしたのは、今から30年以上も前に『文藝春秋』に連載した「田中角栄研究」というストーリーでした。田中角栄首相の金脈・人脈をこと細かく取材してレポートしたもので、この記事がもとで田中首相は退陣に追い込まれたともされている。 私はこの記事を読んだことがありませんが、その当時、「田中角栄研究」の中身について、新聞の政治記者たちが「あんなこと、皆知っていたよ」と言ってケチをつけたところ「知っていたのなら、何故書かなかったのか?」と逆に批判されてしまった、ということだけは鮮明に憶えています。私の記憶では、報道界の主流とされていた新聞社の記者たちが、非主流とされる雑誌記者の仕事にケチをつけたという雰囲気であったと思います。 で、つい最近その立花さんが朝日新聞主催のパネル・ディスカッションに招かれて「ジャーナリズム の復興をめざして」というテーマで話をした。その記録を読んでいたら、朝日新聞の外岡秀俊という人( 東京本社編集局長)が、あの政治記者たちの「あんなこと、皆知っていた」発言について、「(あの記者たちは)は本当は知らなかったんだと思います」とコメントしておりました。 外岡さんのそのコメントを読んで、私はというと「なーんだ、そうだったのか」という気持ちになった 。そこに気がつかなかったのですよ。私はてっきり、彼らが知っていたのに、首相に遠慮して記事には しなかったんだとばかり思っていた。多分、当時は私と同じように考えていた人の方が多かったはずで す。然るに外岡さんは30年後のいま「知っているふりをして、実は取材をしていないことが無数にある のではないか」と言っている。 「本当は知らなかった」という外岡さんの推測が当たっているとすると、何故その記者たちは「知って いるふり」などをしなければならなかったんでしょうか?考えられるのは、立花さんに出し抜かれたこ とを認めたくなかったので「知っていた」などとウソをついたということですね。 その記者たち(外岡さんの先輩にあたる世代の人たちらしい)も苦しかったでしょうね。「知っていた」 とウソをつけば「知っていたのなら書くべきだったはずだ」と言われるし、正直に「知らなかった」と言 えば「お前らの取材の怠慢だ」と責められる。どっちに転んでも、褒められることはない。でもどちら の方が非難がより小さくて済んだかといえば、「立花さんほどには、自分たちは知らなかったなぁ」と素直に言ってしまうことだったでしょうね。 では何故、素直に「立花さん、アンタの記事はすごい!私らあんなこと知らんかったわ」と言わなかったのだろう?これは私自身の憶測ですが、あの政治記者たちは、おそらく一流の教育を受けて、一流のマスコミに入社して、一流の政治家と付き合って・・・それまで自分と同じ立場にありながら自分よりもすごい人がいるということは「絶対にあり得ない」と思って過ごしてきた。そのような人が現実に直面して思わず口にしてしまったのが「オレだって知っていたさ」という言葉だったのではないですかね。というのは、そのような境遇で過ごしたことがない人間の思い込みかもね。 ちなみにこのディスカッションは、今年の8月9日付けの朝日新聞に掲載されていたようです。私は知 らなかったんですが・・・。で、新聞の方を見てみたら、外岡さんの「本当は知らなかったんだと思います 」というコメントは省かれて、いきなり「知っているふりをして、実は取材をしていないことが無数に あるのではないか」というコメントになっているので、イマイチよく分からない。 (2006.11.12)
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