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むささびの鳴き声
058 小田実さんと受験英語

亡くなった作家の小田実さんが『日本の知識人』(1969年・筑摩書房)という本の中で、彼が予備校の英語教師をしていたときの経験談を語っています。おそらく30才も前半のころのことだと思います。予備校生に英語を教えていたわけですが、英作文をやるときの教え子たちに共通の傾向について述べている。

その傾向の一つに、IとかYouとかWeのような主語を使うことが少なくて、「ここではすき焼きが食える」という日本語を英訳するのに、It is possible that we should eat Sukiyaki hereと言ったりすることもあったらしい。「そろいもそろって、なぜWe (You) can eat Sukiyakiという言い方をなぜできないのか」と小田さんは嘆いている。

もう一つの傾向として、There is...とかThere are...という言い回しが好まれるということがあったそうです。例えば「パーティーを開く」という日本語を英語で言うのに、We will have a partyと言わずにThere will be a party for usという文章を書く。主語がはっきりしないので、「誰が誰のパーティーを開くのかよく分からず責任の所在がぼやける」というわけです。

このように「自分のことをあたかも他人事のように叙述する」ことについて、小田さんは

  • これは、日本語の文章の主語がはっきりせず、したがって往々にして責任の所在が明確でない思考方法にふさわしいものであるのかもしれないが、国会の政府答弁からインテリの論議、新聞記事にいたるまで、そうした例にみちみちているようである。

と言っている。

▼たかだか「この食堂ではすき焼きが食える」と言うためにIt is possible that we should eat Sukiyaki hereは確かにとてつもない文章ですね。その当時の「受験英語」ってやつなのでしょうね。

There will be a partyについて言うと、わざわざ「責任の所在」(主語)をぼかして、このような言い方をすることは、英国やアメリカでもありますね。例えば「明日、外務大臣の記者会見があります」というお知らせ文のような場合Foreign Minister will give a press conferenceではなくて、There will be a press conference given by Foreign Minister tomorrowと言うことはある。同じことなのですが、ニュアンスが違う。前者の場合は、外務大臣本人がお知らせをしているという感じになるけれど、後者の場合は、お役人が第三者的に、事実として会見があることを伝えるという印象になる。You are invited to a press conference tomorrow by Foreign Ministerという言い方もある。小田さん流に言うと、誰があなたを招待しているのかがはっきりしない、責任の所在が分からないということになる。

▼しかし、これがパーティーの案内ともなるとThere will be...では、相手に来て欲しいという意欲・意図のようなものは伝わらない。受け取って気持ちのいい招待状ではない(と私は思います)。Mr & Mrs Harumi would like to invite you...と言った方が、主催者のやる気が伝わり「行ってみようかな」という気持ちになる

次に小田さんが指摘している受験生たちのクセは、「ものごと名詞で考えていこうとする傾向」です。例えば「私は彼の考えを知っている」という日本語を英訳させるとI know his thoughtとなり、「彼の言っていることが理解できる」の場合は、I understand his wordsとなるのだそうです。何故彼らはI know what he thinksとかI understand what he saysとならないのだろう、と嘆いたうえで、小田さんは次のように語っています。

  • それは、事物をその動作の状態、生成の状態でとらえないで、ともすれば、できあがったもの、既成のもの、したがって、変革不可能なものとしてとらえる日本の知識人の思考方法をそのままに示していることではないか。

    ▼知識人たちが、ものごとを動いている状態、変化している状態でとらえようとしないということですね。「アイツの気持ち、わかるなぁ」と言いたい場合、I understand his feelingよりもI understand how he feelsの方が、「気持ち」といううつろいやすい事柄を表現するのには適切かもしれない。

    ▼英語の問題はともかく、インテリと呼ばれる人たちが「既成事実」に弱いという小田さんの指摘については、私も同感であります。出来上がった事実に即して考えようという「現実主義」の行き過ぎが「既成事実追認」の思考方法に繋がっているってことはある。「何のかんの言っても、日本はアメリカなしには生きていけない」とかいう、あれです。

もちろん予備校の生徒に小田さんのような、フルブライト留学生としてアメリカで暮らしたことのあるような人の英語を期待することは無理なハナシであり、小田さんもそれを言っているのではない。予備校生という「未来の知識人」の中に日本の知識人に共通の思考方法の萌芽のようなものがあると言っているのです。

小田さんは、英作文の授業のやり方として、同じ日本語の文章を数人の生徒に訳させていた。

  • 一つのことをあらわすのにいろいろな書き方があるということを示したいし、生徒それぞれの個性を伸ばしたいと思ってのことなのだが、実際のところは、いろいろな書き方があると言っても、生徒の文章には、あまりそおれが見られないのだ。みんなが決まって同じようなやり方で文章を書く。

小田さんの生徒たちの画一的な思考方法は、彼らが過去において受けてきた英語教育の反映であり、「日本の知識人のものの考え方が何ほどかの役割を演じてきた」ということで、「実際、教場で教えていて、私は空おそろしい気になりさえする」と告白している。

▼私の妻の美耶子が、知り合いの主婦数人を相手に英語教室をやっているのですが、新聞の投書欄の文章を配って、英語に直すことをやらせているそうです。彼女が自分の生徒さんたちに分かってもらいたいのは、小田さんと全く同じことで、同じ日本語を英語に直すにもいろいろな英文があり得るのだし、それぞれが正しいのだということです。

小田さんが教えていたのは予備校です。受験戦争に勝たなければ何にもならないと思い込んでいる若者の集団を相手に教えていたわけです。受験戦争に勝つとは、試験に合格するということであり、問題を作成する大学側の先生たちが「正しい」と思う答を書かないと試験には合格しない。その先生方のアタマが、「すき焼きが食える」の英訳はIt is possible that we should…に決まっておるとなっていたのだとしたら、誰だってYou can eatなどとやってバツにされたくないから、いわゆる「正解」を丸暗記することに全身全霊を捧げることになったとしても、生徒を責めるわけにはいかないですよね。

小田さんが『日本の知識人』を書いてから40年後のいま、いわゆる受験英語の世界はどうなっているのでありましょうか?相変わらず、「光陰矢のごとし」という日本語はTime flies like an arrowとやらなければアウトなのでしょうか?私の経験では、「光陰矢のごとし」は、普通にはTime fliesだけだし、Time passes very quicklyだってある。

▼私、自らを省みて、受験英語を否定する気にはなりません。特に私のように勉強嫌いで、アタマもいいとはいえない人間の場合は、「いろんな答がある」などというより、どれか一つだけ丸暗記のほうがやりやすいということもある。それとあの頃習った「受験英語」が今でも役に立っているということもある。しかし受験英語の持つ「正解は一つだけしかない」という性格だけはやっぱり良くない。「弟はボクのことが嫌いだ」という日本語を英語でMy brother don't like meと書いた場合、don'tはXで doesn'tでなければ○ではないというのはよくない。せめて△をあげるべきだってことです。(2008.4.27)

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