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むささびの鳴き声 |
058 小田実さんと受験英語 | |
亡くなった作家の小田実さんが『日本の知識人』(1969年・筑摩書房)という本の中で、彼が予備校の英語教師をしていたときの経験談を語っています。おそらく30才も前半のころのことだと思います。予備校生に英語を教えていたわけですが、英作文をやるときの教え子たちに共通の傾向について述べている。
その傾向の一つに、IとかYouとかWeのような主語を使うことが少なくて、「ここではすき焼きが食える」という日本語を英訳するのに、It is possible that we should eat Sukiyaki hereと言ったりすることもあったらしい。「そろいもそろって、なぜWe (You) can eat Sukiyakiという言い方をなぜできないのか」と小田さんは嘆いている。 もう一つの傾向として、There is...とかThere are...という言い回しが好まれるということがあったそうです。例えば「パーティーを開く」という日本語を英語で言うのに、We will have a partyと言わずにThere will be a party for usという文章を書く。主語がはっきりしないので、「誰が誰のパーティーを開くのかよく分からず責任の所在がぼやける」というわけです。 このように「自分のことをあたかも他人事のように叙述する」ことについて、小田さんは
と言っている。
次に小田さんが指摘している受験生たちのクセは、「ものごと名詞で考えていこうとする傾向」です。例えば「私は彼の考えを知っている」という日本語を英訳させるとI know his thoughtとなり、「彼の言っていることが理解できる」の場合は、I understand his wordsとなるのだそうです。何故彼らはI know what he thinksとかI understand what he saysとならないのだろう、と嘆いたうえで、小田さんは次のように語っています。
もちろん予備校の生徒に小田さんのような、フルブライト留学生としてアメリカで暮らしたことのあるような人の英語を期待することは無理なハナシであり、小田さんもそれを言っているのではない。予備校生という「未来の知識人」の中に日本の知識人に共通の思考方法の萌芽のようなものがあると言っているのです。 小田さんは、英作文の授業のやり方として、同じ日本語の文章を数人の生徒に訳させていた。
小田さんの生徒たちの画一的な思考方法は、彼らが過去において受けてきた英語教育の反映であり、「日本の知識人のものの考え方が何ほどかの役割を演じてきた」ということで、「実際、教場で教えていて、私は空おそろしい気になりさえする」と告白している。
小田さんが教えていたのは予備校です。受験戦争に勝たなければ何にもならないと思い込んでいる若者の集団を相手に教えていたわけです。受験戦争に勝つとは、試験に合格するということであり、問題を作成する大学側の先生たちが「正しい」と思う答を書かないと試験には合格しない。その先生方のアタマが、「すき焼きが食える」の英訳はIt is possible that we should…に決まっておるとなっていたのだとしたら、誰だってYou can eatなどとやってバツにされたくないから、いわゆる「正解」を丸暗記することに全身全霊を捧げることになったとしても、生徒を責めるわけにはいかないですよね。 小田さんが『日本の知識人』を書いてから40年後のいま、いわゆる受験英語の世界はどうなっているのでありましょうか?相変わらず、「光陰矢のごとし」という日本語はTime flies like an arrowとやらなければアウトなのでしょうか?私の経験では、「光陰矢のごとし」は、普通にはTime fliesだけだし、Time passes very quicklyだってある。
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