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むささびの鳴き声
071 「日本型経営」のまやかし

2009年1月3日、私、新宿へ出かけました。西口の高層ビルのある付近を歩いていたら、公園のようなところがあって、炊き出しをやっていた。いわゆる「派遣村」であったのかもしれません。

250万部だか300万部だかが売れたという超ベストセラーで、『国家の品格』という本がありましたよね。この本の著者は「会社は株主のもの」というアメリカ的な考え方に反対して「会社は言うまでもなく、そこで働く従業員のもの」であり「多くの日本企業の従業員はそこで長く働きますから、いつも会社のことを考えて一生懸命やっています」と言っています。でも、企業というのは「言うまでもなく」というほど明確に従業員のものである、と経営者は考えているのか?

ある新聞を読んでいたら、大企業が大量のリストラを発表したことについて「日本型経営の意地見せよ」というタイトルの社説を載せていました。この社説のポイントは、

雇用は経営の「調整弁」ではない。だから人員削減に安易に乗り出さない。そういう社会的責任にこだわるのが「日本型経営」の良き伝統だった。

ということにあるようです。

つまり、従業員は将棋の駒ではない、経営者が勝手に雇ったりクビにしたりしてはいけないということですね。この社説によると、一時、トヨタの終身雇用制度が企業としての「競争力を弱める」というわけで、アメリカの格付け会社によって格下げされたことがあり、「結局、5年後に終身雇用を含めてトヨタ経営が再評価され、最高格付けに戻った」とのことであります。この社説を読んでいて、私、大いに違和感を覚えてしまった。

なぜ違和感を覚えるのか?自分なりに分析してみると、この社説が、いいものとして評価している(と思える)日本型の「企業社会」に対する違和感のようであります。さんざ報道されるように、「派遣」であれ、正社員であれ、クビを切られると、それまで暮らしていた社員寮まで追い出されるとのことで、職を失うだけでなくホームレスになってしまう。そこまで企業丸抱えの生活を送っている。

本来なら、社員寮ではなく、自分で選んだ家に、然るべき家賃を払って住めるような給料を払っておくべきなのでは?会社がこけたら社員の人生そのものまで壊れてしまう・・・それが「日本型経営」であり、この社説に見る限り、この新聞はそのようなやり方を死守せよと言っているのと同じなのではないか?

私自身がもう一つ、違和感を覚えるのは、そのような企業丸抱え社会の持つ「寄らば大樹の陰」的な閉鎖性です。とにかく面倒見の良い会社に入っていれば「自分と自分の家族だけは安心。父ちゃん、よかったね!」という、あれです。本質的に孤独な社会です。本来、企業が潰れても、最低限の衣食住は確保されるような社会を作るべきなのですよね。

『国家の品格』がなんと言おうと、企業は経営者、株主、従業員、そしてお客さんのものなのです。従業員は大切かもしれないけれどナンバーワンではない、と経営者は考えているのであります。だから従業員も、会社は大切かもしれないけれど、ナンバーワンではない、と考えるべきなのであります。

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