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むささびの鳴き声
074 イングランドにて:英国人と家

Finstock村の我が家にはCedar Cottageという名前がついています。直訳すると「杉の小屋」ですね。このあたりの家をみると、どの家にも名前がついています。Cherry Tree CottageとかYew Houseとか・・・。うちの隣はごく小さな家で、私よりは7〜8才は上なのではないかと思われる老人(男性)が独り暮らしをしております。なにやら寂しげな彼の家にはSunnyside(陽のあたる場所)という表札がついている。我が家の住所は9 High Streetなのですが、このあたりの家を見ても番地が殆ど分からない。はっきりしているのは家の名前。ひょっとすると、郵便物が届くのは宛先にCedar Cottageと書いてあるからなのではないか?Jiro Harumiという住人の名前なんて全く関係ない。

アメリカの場合、私の知る限りでは都会でも田舎でも番地が万能です。2018 California Streetとか133 First Avenueとか・・・。郵便物は住人ではなくて番地に届く。タクシーに乗ってもその町に一つしかない「番地」へ連れて行ってくれるのだから絶対に間違いがない。おそらく英国でも事情は同じなのだと思うし、XX CottageだのXX Houseだのというニックネームが幅を利かせるのは、よほど有名な家か、コミュニティそのものがFinstockのようなごく小さなところだけなのでしょう。

で、日本はどうかというと、これは姓名、特に姓が決め手の世界ですよね。番地よりも「小林」とか「竹田」のような家族の名前が中心だから表札が非常に大切であるわけです。

個人的な体験談ですが、半世紀も前に東京・新宿区で郵便配達のアルバイトをしたことがある。新宿区と言っても結構広いけれど、私が働いたのは牛込郵便局。昔フジテレビがあった河田町も担当区域であったのですが、参ってしまったのは「河田町11番地」という番地だった。かなり広いエリアをカバーしていて、少なくとも40〜50軒の家は「河田町11番地」であったわけです。でも、さすがですね、私を指導してくれたおじいさんの配達員は全部「名前」で記憶していました。「池辺さんは交番の筋向い」、「三宅さんはこのタバコ屋の裏」、「篠田さんはソバ屋の隣」・・・という具合です。

「番号主義」のアメリカに対して、「姓名主義」の日本。それに対してFinstockでは家の持ち主が勝手につけた「ニックネーム」が大きな顔をしている。私は、この村の「ニックネーム主義」に英国人の自分の住居に対する愛着のようなものを感じて楽しい気になるわけであります。ちょっと離れた町からタクシーに乗っても「Finstock・High Street・Cedar Cottage」で分かってもらえるのだそうです。日本でタクシーに乗る場合は、大体において付近の有名な建物とか施設とかを目印にしますよね。「三越の筋向い」、「飯野ビルの先」、「麹町警察の裏」という具合です。アメリカ人に言わせれば、FinstockもJapanも実に合理的でないやり方をしている。でもアメリカの番号万能主義は味気ないよね・・・などとほざくのは、なぜか合理的になれない人種の負け惜しみかもね。


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