日本の主要メディアの方々が集まっているところとして、日本記者クラブという組織が東京・千代田区にあります。その日本記者クラブの会報の最近号(2010年12月号)に「混沌たる時代:ジャーナリズムの役割とは」というタイトルのエッセイが掲載されています。筆者は朝日新聞の「主筆」で、このクラブの企画委員長である船橋洋一さんです。ちなみに「主筆」とは(大広辞林によると)「新聞社・雑誌社の記者の首席で、社説・論説など重要な記事を書く人」です。船橋さんのエッセイはここをクリックすると読むことができますが次のような文章で締めくくられています。
日本の政治の混沌を見るにつけ、そして日本の外交の散乱を見せつけられるにつけ、こういう時代におけるジャーナリズムの役割とは何だろうかと考え込んでしまう。
ダメな現状を、ダメだ、ダメだ、と書くことだけが役割ではないはずだ。しかし、どこがダメかを書くことがいまは一番必要なことかもしれない・・・。何とも言いようのない脱力感に囚われるこの年の瀬である。 |
言うまでもなく、これは船橋洋一というジャーナリストが自分と同じ職業に従事する人々(日本記者クラブの会員)に読まれることを意識して書いたものですが、上に引用した文章は私のような外部の人間が読んでも大いに思考を刺激させられるものであります。こと政治に関する限り、日本のメディアはこれまで「ダメな現状を、ダメだ、ダメだ、と書くことだけ」をやってきたと私などは思うし、おそらく船橋さんもそう考えているのだと想像します。
しかし、「どこがダメかを書くことがいまは一番必要なこと」という考え方は私にはありませんね。いま必要なのは「どこがダメか」を書いたり考えたりすることではなくて、「何がダメさ加減が少ないか」を語ることなのではないかと思うわけです。メディアにおける報道のやり方に関する限り、民主党政権が誕生したとたんに、自民党という政党はほとんど存在さえしなくなってしまった。メディアが血道をあげるのは相変わらずピューリタンのような「権力批判」であり「ダメな現状を、ダメだ、ダメだ、と書くことだけ」であるわけです。ダメではなくて「ちっとはマシかもしれない」というalternativeを語ることをメディアは全く怠っているとしか思えないわけです。それを語ることは、人間の限界を知ったうえで、それでも何ができるのかを語ったり、考えたりすることであり、そのための場を提供するのが、政治ジャーナリズムの役割なのではありませんか?[2010/12/19]
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