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むささびの鳴き声 |
098 立ちすくみ同士の連帯 |
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毎日新聞のサイトに「金言」というコラムがあるのですが、5月13日付の同コラムには『現代文明の深い闇』というエッセイが出ています。大震災と原発事故について語っているのですが、筆者の西川恵さんによると、福島原発の事故が世界に与えた衝撃はチェルノブイリよりもはるかに大きいのだそうです。何故か?チェルノブイリは「共産主義体制の欠陥に根差した出来事」というのが世界の見方であった。が、「福島」は「安心・安全・信頼では世界屈指の日本」で起きた。つまり自分たちの国でも起こり得る事故であるということを世界中が認めざるを得ないような事故であった。その分だけ衝撃は大きいわけです。 もう一つ西川さんが指摘しているのが1995年のオウム真理教事件です。同じ年に神戸で大震災があったのですよね。「オウム」もまたあの豊かで安全な国(日本)で・・・!?という衝撃を世界に与えた。コラムによると、このときアメリカ政府が「対テロ調査団」なるものを日本に派遣してこの事件の背景を調べていたのだとか。オウムのテロは「01年の9・11(米同時多発テロ)における国家対組織の非対称戦争を先取りした事件となった」というわけです。 福島原発の大事故とオウムのテロが起こった日本という国は、チェルノブイリのソ連や9・11のアメリカのように世界の大国を自負している国ではなく、「ロー・プロファイル(目立たず)の国」であるにもかかわらず「現代文明が抱える深い闇を予兆させるような出来事をまれにだが引き起こす」として「我々の効率一辺倒の生き方が、何か本質的なものを脇に追いやってしまったからなのか。安心・安全・信頼が表面的なものにすぎないからなのだろうか」と自問しています。そして3・11以後は、西川さんの心の中で「なぜ日本が」という問いも続いているのだそうであります。 私も以前に書いたと思うのですが、1995年(神戸大震災とオウムの年)が「日本は安全」という自信が崩壊した年であると個人的に考えて来ました。特にオウムは衝撃であったわけですが、西川さんのコラムによると、逮捕されたオウムのメンバーが「震災の混乱に乗じる狙いがあった」と語ったのだそうですね。そして2011年、まさに『現代文明の深い闇』という状況、暗い闇を前にして日本人全体が立ちすくんでいるという感じでしょうか。 ただ、西川さんは「なぜ日本が」と言うけれど、原子力発電という現代文明に頼って生活をエンジョイしてきたのは日本人だけではないし、その原発の危険性に恐怖を覚えているのも日本人だけではない。地震や津波で辛い目にあわされているのも日本人だけではない。アメリカ人の中には竜巻に立ちすくむ人たちがいます。もちろん自分たちの社会そのものが生んだ(ように見える)テロリズムにおびえるのも日本人だけではない。 このような立ちすくみ状況から脱却するためには、そろりそろりと手探りで歩き出すしかない。「極端」に走らず、前進することも止めず、内向きにもならない・・・極めて抽象的ながらそういうことだと思います。「効率一辺倒」のライフスタイルを見直して「本質的なもの」を求めるべきだ・・・ということはよく聞くけれど、その場合の「本質的」というのがどこか生活離れしていることがよくある。「自然に帰ろう」とか「ふるさとを大事に」とか「がんばろう、日本」とか・・・。この際、衣食住ともそこそこ(完全ではない)安全で安心の生活が送れるようにできればいいわけで、それは日本だけ、日本人だけでは出来ないし、急にもできないということでありますね。 この際、世界で立ちすくむ人々と連帯しながら進みたい、というようなことを多少は意識しながら英文むささびジャーナルを書きました。手始めに原発など止めた方がいいかもね。[2011/5/22]
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