むささびの鳴き声
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出稼ぎをしなくて済む生活

2014年6月13日 

5月31日の『報道特集』(TBS)を見ていたら、京都府にある過疎の町に米軍レーダー基地が作られようとしているというレポートをやっていました。近畿地方では初めてとなる米軍専用の基地建設なのですが、番組ではこれを不安に思う住民が防衛省に十分な説明を求めてもその声はなかなか届かないという様子が報道されており、見ていて本当に痛ましい想いがした。

その報道の中で、京都府の町と似たようなケースとして、青森県に既に存在している米軍レーダー基地と周辺住民の関係についてのレポートもあった。それによると、この基地を受け入れた青森県の町には温泉施設ができたり、18歳までの医療費がすべて無料化されたりという恩恵があったとのことだったのですが、住民の一人がインタビューされて「米軍のレーダー基地を受け入れたことで出稼ぎに行かなくても済むようになったのは有難い」という趣旨のことを述べていた。私、この言葉を聞いてハッとしてしまった。むささびジャーナル288号で紹介した『放射能とナショナリズム』という本で紹介されていた次の短歌を思い出したのであります。
  • 原発がある故出稼ぎ無き町と
    批判者我を咎むる眼あり
福島第一原発がある大熊町で、農業をやりながら短歌を詠む生活をしていた歌人・佐藤祐禎氏が『青白き光』という歌集の中で詠ったのがこの短歌だった。佐藤氏は2013年3月に亡くなったのですが、ネット情報では最後まで原発には否定的な考え方をしていた人であったらしい。

佐藤氏がこの短歌を詠んだのは平成8年(1996年)のことです。福島第一原発の1号機の着工が1967年、6号機の運転開始1979年3月となっている。地元の人々にとって建設工事の着工が原発との本格的な付き合いの始まりであると考えると、佐藤氏のこの短歌は着工後30年、1〜6号機がフル稼働を始めてから17年後に詠まれたことになる。

短歌、俳句、詩などの世界では作者の想いと読者の解釈が必ずしも一致しないことがあると思うけれど、読者であるむささびの想像によると、この短歌の舞台は春先の農家の縁側、佐藤氏と彼の友人が腰を下ろしてお茶を飲んでいる。平成8年の時点においても反原発の考え方であった佐藤氏と、原発を容認する友人(歌の中では「批判者」と書かれている)の二人です。遠くにそびえる原発の建物を見ながら佐藤氏が「どうもあれは好きになれねえな」と呟く。友人が「でもよ、なんのかんの言っても原発のお陰で、俺たち冬場に出稼ぎなんかしなくても済んでいるんだぜ」と応じる。そして「有難いではないか。あんた、いまさら何の文句があるんだ」と言いながら咎めるような眼で佐藤氏を見た・・・と佐藤氏は感じてこの短歌を詠んだというのがむささびの解釈であるわけです。

この短歌を読んで、むささびが気になって仕方がなかったのが、佐藤氏を「咎むる眼」で見たという「批判者」の心の中なのであります。冬になると農作業もできなくなり、収入がなくなるので、東京のようなところへ出かけて行って道路工事や建設現場などで力仕事をやっておカネを稼いで家族を養う・・・出稼ぎというライフスタイルの過酷さなどとは無縁の世界で生きてきたむささびですが、そのようなことをしなくても済むようになった生活の有難さについては想像は出来る。ただ(むささびの想像によると)、この人が佐藤氏に「出稼ぎなんかしなくても済むのは結構じゃないか」と言うとき、心の中では「誰だって原発なんて欲しくないけどよ」という言葉を呑み込んでしまっているのではないか。私(むささび)が気になって仕方ないのは、言葉とは裏腹に、佐藤氏の姿勢を完全には否定できないでいる「批判者」の心の中です。

大熊町に原発が出来たのは、町民たちに出稼ぎをしなくても済むような生活を提供するためではない。東京を中心とする日本全体の経済発展には欠かせない(と宣伝された)エネルギー政策遂行のためです。青森県に米軍レーダー基地が出来たのは日本全体の「防衛」のためであり、地元の人たちに楽な生活を保障するためではない。「出稼ぎをしなくても済むような生活」は付録(ボーナス)にすぎない。レーダー基地が、戦争にでもなればまず最初に叩かれる施設の一つであり、原発が「絶対安全」などということはないことは地元の人は百も承知だった。でもアメリカや「東京」が既に決めてしまっているものは何をどうやってもひっくり返すことなどできっこない。となると「原発がある町」は「出稼ぎ無き町」ということで納得するっきゃない。

着工から30年、全機フル稼働から17年も経つというのに反原発の姿勢を崩さない佐藤氏を、「生活が楽になったんだからいいではないか」と言いながら「咎むる眼」で自分を見た・・・というのは佐藤氏の思い込みで、本当はその「批判者」は「あんたはすごいよね」と言いたかったのかもしれない・・・というのは、出稼ぎ生活などしたこともないし、原発の近くで暮らしたこともない、むささびの勝手な思い込みですよね。ね?

ちなみにTBSの『報道特集』によると、京都府の過疎の町に作られる米軍レーダー基地に反対する集会への参加者では地元の人たちは非常に少なかったのだそうです。

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