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美耶子の言い分 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
第103号 2007年2月4日
いつも夕方5時ごろ地下鉄・霞ヶ関の駅へ向かって歩くのですが、最近めっきり明るくなりましたね。もう2月。季節の移り変わりはいつもの繰り返しとは言うものの、考えてみると、私は生まれてから65回しか経験していないのです。だから新鮮で嬉しいのですよね。プロ野球のキャンプが始まりました。というわけで103回目のむささびジャーナルです。

目次

1)英国人はフランスに何を求めるのか?
2)What is working class?
3)英国の戦後教育
4)短信
5)むささびの鳴き声


1)英国人はフランスに何を求めるのか?
1月21日付けのSunday Timesに「英国人はなぜフランスが好きなのか?」(Why we love France)という記事が出ていました。最近、フランスのモンテスキュー大学というところが行った調査結果が英国外務省に提出されたとのことなのですが、在仏英国人2750人の意見を調査したところ、彼らがフランスを好きなのは、1950年代の「古き良き英国」を想わせる部分が非常に多いということが理由なのだそうです。この場合の「古き良き英国」とは、道を歩いていても安全で、隣近所が知り合いで、時間がゆったりと流れて・・・つまりどちらかというと「のんびりした田舎の生活」のことだそうです。

2004年の調査によると、フランスで暮らす英国人は約13万、それ以外に6万人の英国人がセカンドハウスをフランスに持っているので、休暇ともなるとフランスへ行って過ごす人も多い。この調査によると、大多数の英国人がフランスの田舎暮らしを楽しんでおり、都会や海岸線に暮らす英国人は少数派なのだとか。

いずれも英国の都会人で、中流階級(middle class)なのですが、最近の英国の田舎はというと、住宅が増えたりしている一方で、郵便局が閉鎖されるなどして、英国内で「田舎暮らし」をしたいと思う人はあまりいない。Sunday Timesの記事は南フランスの田舎で暮らす英国人の「もうなくなったイングランド(England gone by)」ということで「住民のマナーはいいし、子供たちも行儀がいい。しかもヘルスサービスもすばらしい」とべた褒めコメントを伝えています。

30ちょっと過ぎでフランスに移り住んで民宿をやっているという夫婦「引っ越してきた最初に日に隣の人がホカホカのクレープとマフィンを持って来てくれた」ということで感激しています。
  • ▼そう言えば、我々の知り合いの英国人夫婦もフランスへ移り住んだですね。その後どうなっているのか・・・。それからこの記事を読んでいて、最近の日本のテレビなどで盛んに放映される「団塊の世代の田舎暮らし」という番組を想いましたね。サラリーマンを定年退職して、夫婦で田舎に暮らす。ご近所さんはみんな親切で、都会にはないやすらぎがある・・・という、あれ。悪いとは言いませんが(自分だってそんなことできればいいなと思うこともある)余りにも同じ内容で、み〜んなハッピーなどとやられると「ほんまかいな」と疑ってしまう。多分ひがみだろな、これって。
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2)What is working class?
以前にも書いたことがありますが、ちょっと眼には簡単風で実はよく分からないという英語にmiddle classとworking classというのがあります。前者が「中流階級」で、後者が「労働階級」と和訳するのはできるけれど、具体的にどういう人たちのことを称してmiddle classだのworking classと呼ぶのか?となるとイメージが浮かばない。にもかかわらず英国人とハナシをしたり、英国の新聞や本を読んでいると、これらの単語がしょっちゅう出て来る。私は日本人で、しかも英国で長年暮らした経験がないから分からないけれど、きっと英国人たちにははっきり分かるのだろう・・・。

というわけで最近のBBCのサイトを見ていたらWhat is working class?という記事が出ていた。それを読んだら、このことについては実は英国人にも何だかよく分からないのだということが分かったような気がしたわけです。

この記事は最近の英国人の社会意識調査(British Social Attitudes)に関するもので、57%の人たちが自分はworking classだと答えたのだとか。BBCが"staggering 57%"(驚きの57%)という表現を使っているところを見ると、この数字は「意外」だと受け取られているということになる。しかしWhat is working class?ということで、working classの定義がよく分からなくなっているそうです。

かつては「階級」の基準は職業であったそうで、専門的な技術だの知識だのを必要とする職業人(教師・医者・法曹関係者等など)はmiddle classとされていた。それ以外は大体においてworking classということになるのですが、今回の調査で自分をworking classと呼ぶ人のうち、伝統的な意味での「労働者」であるブルーカラーに属する人たちは31%に過ぎない。つまり26%が本当はホワイトカラーであるにもかかわらず、自分はworking classだと言っている。何故そうするのかというと、自分をmiddle classと呼ぶことをsnob(気取り屋)であると否定的に考える人が多いから・・・というのがBBCの説明です。

このことについて、Julian Bagginiという大学教授(哲学)は「文化的には英国は圧倒的にworking classの国である」として、その理由をテレビの人気番組として、のど自慢のようなタレントショー風のものが多いと言っている。教授によると、このような番組はかつて、労働者がワイワイガヤガヤやりながら楽しんでいたworking men's clubの伝統を受け継いでいる・・・とのことであります。
  • Superficially it seems we are middle class because we have more of the trappings of middle class life, but the majority of people are just working class with more money, not middle class.(表面的には我々はmiddle classに見えるかもしれないが、それは昔に比べるとmiddle classの生活と思われていたものを楽しむ機会が増えているからだ。しかし大多数の人は、昔より金持ちになったworking classに過ぎないのであって、決してmiddle classではない)
教授の言う「middle classの生活と思われていたもの」とは、例えば大学教育であり、海外旅行であり、マイホームなのでありましょう。おそらく教授ご自身は自分を、本当のmiddle classと思っており、working classがゲラゲラ笑う、バカバカしいテレビの娯楽番組に苦々しい思いを抱いているのであろう(というのは私の推測です)。

で、このBBCサイトへの読者からの投稿を一つだけ紹介しておきます。
  • I suppose I'm middle class - being a teacher with a university degree and having had parents who both were graduates too. But I go out to work every day... so I'm working class really. And I have good manners and speak clearly enough for other people to understand me and have a coat of arms, so maybe I'm upper class. The whole thing is silly and outmoded. (多分私はmiddle classだろう。大学出で教師だし、両親も大学を出ている。が、私は毎日働きに行くのだから本当はworking classかもしれない。さらに言うと、私はマナーはいいし、他の人が分かるようなはっきりした話し方をする。それにウチには家紋もある・・・となると上流階級かもな。いずれにしても時代遅れでアホらしいハナシである)
BBCのサイトは、What is working class?という問いについては、「人によっていろいろな意見があるにしても、一致しているのは、階級というものへの国民的こだわりがいまだに存在する(class is still a national obsession)と結論しています。

ちなみにOxford English Dictionaryにはmiddle classの定義としてthe social class whose members are neither very rich nor very poor and that includes professional and business peopleと出ておりました。「極端に金持ちでも貧乏でもない階級の人たち」というわけですが、財政状況は「中くらい」でも、職業からすると社会的な地位が高い人たちってことか?

要するに英国という社会が大衆社会化したってことですよね。私の知る限りでは、そもそもの始まりはサッチャーさんです。1979年から約10年間、政権の座にあったわけですが、マイホーム政策を奨励し、個人で株を買うことも流行らせた。「金儲けの何が悪いの?」という哲学を推進した。それによってBaggini教授の言う「金を持った労働階級」が出現したのですからね。
  • ▼昔、日本では「一億総中流」という言葉がありませんでしたっけ?それが最近では「格差社会」と言われている。英国が無階級化しているときに、日本は階級社会になりつつあるってこと?
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3)英国の戦後教育とLady Plowden
安倍首相が熱病にでも罹ったように「教育再生」を進めています。今から10年前の1997年に首相になったブレアさんが最も声を張り上げて叫んだスローガンがeducation, education, educationであったことを想い出します。第二次大戦後の英国と日本の教育政策の移り変わりを見ると、二つの島国の半世紀を反映しているようで非常に面白い。

私がたびたび引用するジャーナリスト、アンソニー・サンプソン(故人)のNew Anatomy of Britain(1971年)を読んでいたら、教育が英国で国民的な関心事としてhot issueになったのは1950年代のことだそうです。

かつての植民地が独立の道を歩み、大英帝国がだたの「英国」になり始めたころと時期が一致している。サンプソンはこの時期のことを「英国の政治が内を向き始めた」(British politics turned inward)時代といっています。ちなみにGNPに占める教育関連の支出は、1954年で3・2%であったのが1970年には6・5%にまで伸びており、70年になって初めて教育支出が軍事支出を上回ったのだそうです。
We really cannot go on with a system in which wealthy parents are able to buy what they and most people believe to be a better education for their children. The system is wrong and must be changed. Hugh Gaitskell <1953>
より良い教育とされているものが、金持ちの親たちだけが自分の子供に買ってあげられるという制度をこのまま続けていくことはできない。制度は間違っており、変えられなければならないのだ。<1953年ゲイツケル労働党大蔵大臣の発言>
1950年までの英国では、一握りのエリートの子弟のみが優れた教育の機会に恵まれており、労働階級の子供の大半はまともな学校教育も受けずに社会に出て行くという状態であったわけで、如何にして数多くの国民に教育の機会を平等に与え、普通の国としてやっていけるようにするかということが最大の課題であったのです。
  • Once the national self-examination had begun, as it had to, teachers more than anyone were involved with the question: what kind of people should the British be?(大英帝国がただの英国になって)国としての自問自答が始まると、「英国人はどうあるべきなのか?」という問題に最も深く関わったのが教師であった)
とサンプソンは書いています。私(むささび)は教育の専門家でも何でもないけれど、自分の経験からすると、この頃の日本は、ひたすら昔の軍国主義教育に代わる「民主主義教育」の採用に突っ走っていた時代だと思います。私が小学校に入るころのことです。

戦後の英国の教育を語るとき必ず出て来るのがLady Plowdenという女性です。1960年半ばに彼女の指揮下に作られたPlowden Committeeが1968年に出したPlowden Reportという報告書は、その後20年間にわたって英国の小学校教育を形作るバイブルのような存在になった。Lady Plowdenが強く薦めたのは、教師がひたすら黒板に文字を書き、教師だけが話しをする(chalk and talk)一方通行の知識伝授ではなく「子供中心(child-centred)」と呼ばれる教育のやり方であった。

「進歩的教育」(progressive education)とも呼ばれるPlowden方式の教育は、教師のペースで子供たちのアタマに数字だの事実だのを叩き込むteachingではなく、子供が自分たちのペースで、自ら発見しながら学ぶ(learning by discovery)に重点を置いたものでした。例えばPlowden報告書前の教室では、教師と全生徒が向かい合い、教師はクラス全員を相手に授業をするwhole-class teachingというやり方であったのですが、Plowden夫人が薦めたのは、生徒をグループに分け、それぞれの向かい合って坐るというやり方でした。子供たちはそれぞれのペースで勉強をして、教師はグループの間を歩き回り、一人一人の子供の勉強を見るというやり方にしたのだそうです。Plowden夫人はまた学習能力がいろいろな子供たちを同じクラスで学ばせるmixed abilities classの推進者であり、体罰禁止を推し進めた人でもあります。

Plowden夫人はまた文法の授業は子供たちが退屈するから止めたほうがいいという意見でもあったのだそうです。Play is the principal means of learning in early childhoodという言葉が示すとおり、彼女は小学校教育は「遊び」と思っていたようなのです。

Plowden方式については「子供の自主性や個人を尊重しすぎて学力向上につながらない」という疑問の声もあったのですが、1980年代の後半まで約20年間、英国の小学校教育のバックボーンであり続けた。

これを本格的に批判・否定したのが1979年に首相になったサッチャーさんです。首相としての彼女が最初に力を入れたのが経済の立て直しであったために教育改革に手をつけたのは1980年後半のことだったのですが、サッチャーさんはヒース政権でも教育大臣を務めており、教育には結構うるさい存在であったのだそうです。彼女の自伝The Downing Street Yearsの中で「さんざ教育予算を使っているにもかかわらず英国の子供たちの教育水準は上がっていない」として、特にPlowden夫人が進めた「子供中心教育」についてI distrusted the new 'child-centred' education techniques(私は新しい「子供中心」の教育法なるものを信用していなかった)と言っています。

サッチャーさんはさらに
  • I knew from parents, employers and pupils themselves that too many people left school without a basic knowledge of reading, writing and arithmetic(読み・書き・算数の基礎的な知識もなしに社会へ出て行く人たちが如何に多いかということを、私は父兄、会社経営者、さらには子供たち自身から聞いて知っていた)
と言っています。このコメントの中に「父兄」と「経営者」という言葉が出てきます。それまでの英国で教育問題を語るうえで殆ど重視されていなかった人たちです。もう一つ、この中に教師が全くでてこないことも特徴的です。サッチャーさんは労働組合との対決を売り物にしており、それは教育関係の組合についても同じことでした。全国規模の学力テストを実施して、その結果をランク表として公表、新聞がこれを掲載するということで「競争」を取り入れたことなどもその一つであると言えます。

ブレアさんは1997年の選挙のときはeducation, education, educationを叫びはしたものの、リバプール大学のAlan Smithersという教育学の教授は、全国共通テストの実施とか結果の公表と学校のランク付け等など「前の保守党政権が進めてきた教育政策と根っこの部分では殆ど変わっていない(little differed at root from the policies of the previous Conservative administrations)」と言っています。

Lady Plowdenの掲げた「進歩的教育」は、その後、「子供が好き勝手なことをしても構わない教育」という風に解釈された部分もあって、英国では殆ど注目されなくなっています。Lady Plowdenが2003年に亡くなったとき、Guardian紙が追悼文の中で、彼女が最後まで「公共サービスの価値」(value of public services)」というものを信じていた人であると書いていました。

サッチャーさん以後の英国では「効率」とか「お金を費やすだけの価値」(value for money)という考え方が主流になっており、ブレアさんもそれを受け継いでいる。そのような考え方の人々(特に政治家に多い)の中には、日本、韓国、台湾のようなアジアの国々の経済的な成功の背景の一つとして、子供たちの教育水準が高いということを挙げて「英国もアジアに見習うべし」という意見の人が多い。

しかしExeter大学のTedd Wragg教授などは「英国の子供たちは算数ではアジアの子供たちに負けるかもしれないが、より高度な数学(幾何とか統計)のように創造性を要求されるような分野では、英国の子供たちの方が優れている」(although British pupils are worse than their East Asian counterparts at arithmetic, they are better at higher-order mathematical skills such as geometry and handling data)と言っています。

今から約10年前、1998年2月5日付のThe Economistが、ブレア政府の教育改革について記事を掲載、Lady Plowdenの教育とそれに対する反動について次のように書いているのが印象的です。
  • After Plowden, some schools were so busy trying to foster their pupils’ individuality that they neglected to teach them to read or do sums. Is Britain now in danger of making the opposite mistake? The hope is that schools will instead find the elusive happy medium and that, in 30 years' time, the pendulum will not have swung so far back that they need another Plowden (Plowden以後、生徒の個性尊重に走るあまり、読んだり計算したりすることを教えなかったということはある。で、いま(1998年)英国はPlowdenの誤りとは正反対の誤りを犯す危険性に直面しているのであろうか?これからの学校が納得のいく教育方法を見つけること、振り子が余りにも極端に逆に振れてしまって、30年後にまたまたPlowdenのような人が必要とすることがないようにしたいものだ)
Lady Plowdenは、2000年に90才で亡くなった人ですが、オピニオンリーダーとしていろいろと社会的な発言をした人です。 彼女が教育哲学として最後まで言い続けたのは「教師と子供を信頼せよ」ということであったそうです。

Plowdenとサッチャーという二人の女性を比較して面白いと思うのは、Plowdenがどちらかというと名門ファミリー出のエリート階級であったのに対して、サッチャーさんは乾物屋の娘でエリートでも何でもないけれど、アタマが良くて勉強家であったと見えて、金持ちではないけれどアタマのいい子が行くグラマー・スクールに進学してオックスフォードへ行った。エリート知識人のPlowdenが平等とか自由・自主性のような思想を掲げたのに対して、独力でオックスフォードを卒業したサッチャーさんが進めたのが(極論すると)当時の日本的なガリ勉教育、競争教育であったということです。

▼Lady Plowdenが進めた「子供中心の教育」と日本の「ゆとり教育」とはどこか似ているような気がしませんか?何が似ているのかというと、いずれも子供や教師の創造性のようなものを信頼することで成り立っていたということです。ネット百科事典のWikipediaによると、日本のゆとり教育は「1989年(平成元年)と1999年(平成11年)の学習指導要領の全部改正以降の教育を指すことが多い」と書いてあります。興味深いと思うのは、ちょうどその頃(1989年)に英国ではサッチャーさんがPlowden流の教育を否定した教育法を作ったということです。日本と英国の教育がそこでクロスしているってことです。

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4)短信
アマゾン川を泳ぎ切る

南米アマゾン川を最初から最後まで泳ぎ切るという快挙(怪挙?)の達成を目標にトレーニングに励んでいる人がいます。スロベニア人のMartin Streiという52才の男性であります。Wikipediaによるとアマゾンの長さは6516 km、Streiさんはこれを70日間で泳ぐつもりだというから、休日なしで泳いでも一日あたり殆ど100 km泳がなければならない計算になる。これができればもちろん「世界初」なのですが、この人はこれまでにもドナウ川、揚子江、ミシシッピーなどを泳いでギネスブックにも掲載されているらしい。アマゾンともなると、ワニだのピラニアだの、水面下に何がいるか分からないわけですが「怖いよ、もちろん。でもそれを考えていたら水に飛び込むこともできない」とコメントしています。ドクターやらなにやらで、45人のスタッフから成るチームが付き添うんだそうです。PAのニュースですが、これがいつ行われるのかには触れていない。

▼私なんか自慢ではないけれど25mもあぶない。一日100kmてえのは気が遠くなりますな。誰か止めたげてください。

入れ歯を犯行現場に残す

ポーランドのある町で、他人のクルマからカーステレオを盗んだ男が、警察の手配でついに捕まったのですが、逮捕の決め手となったのは、犯人が現場に落として行った入れ歯だったというハナシ。どうにかステレオを取り外したところでクルマのアラームが鳴りだしたのでビックリしてステレオ抱えて逃げ出したときに入れ歯を現場に落として行った。それを見つけた警察が地元の歯医者の治療記録を頼りに追跡した結果、犯人逮捕につながったというわけ。もっともこの容疑者は、入れ歯が自分のものであることは認めながらも、カーステレオを盗んだことは否認しており、現場付近には行っていないと言い張っているのだそうです。「自分の入れ歯を盗んだ人間が、犯行現場付近に落としていったに違いない」ってわけです。

▼入れ歯が盗まれたなんてハナシを信じてもらおうってのは、ちょっと無理なんでない!?

原子力発電所の美人コンテスト

美人コンテストにもいろいろあるけれど、ロシア国内の原子力発電所で働いている女性スタッフ(18才〜35才)の中から選ぶコンテストが行われているんだそうです。主催はロシアにおける原子力産業関連の情報提供ウェブサイトを運営しているNuclear.Ruなる組織。ネットで応募した美人に、ネットで投票する。女王はモスクワの原子力エネルギー庁で行われる式典で表彰されるんだそうです。主催者のプラトノフ氏は「ロシアの原子力発電所には美人が多い」と言っています。

▼こプラトノフさんを信じないわけじゃないけど、原子力発電と美人コンテストてえのは、どういう取り合わせなのさ!?
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5)むささびの鳴き声
 
▼1月25日付の毎日新聞の社会面に「総合学習、充実を」という見出しで「子供たちをのびのびと育てるための『教育再生民間会議』提言」についての記事が出ていました。元最高検検事の堀田力さんら4人の知識人が、前日の午後7時に記者会見を開いて訴えたもので、ゆとり教育の見直しを掲げた政府の教育再生会議とは対照的に、ゆとり教育を「知識偏重の教育を改めるものだ」として積極的に評価、ゆとり教育の象徴である「綜合学習」の充実などを訴えている・・・というのが毎日新聞の記事の一部です。

▼私個人としては、堀田さんらの「提言」に賛成なのですが、それを言いたくてこの文章を書いているのではありません。むささびが報告したいのは、この「提言」について25日の朝刊で報道したのが毎日新聞だけであったということです。ざっと眼を通しただけなので、ひょっと見落としたのかも知れないけれど、読売・朝日・日経・東京・産経は、堀田さんらのことは、全く報道していませんでした。それとは全く対照的に、「ゆとり教育を見直そう」という趣旨の政府の教育再生会議の提言については、信じられないような大々的なスペースを使って報道していた。

▼政府やお役所の言うこと・やることは民間人のそれよりも社会全体に与える影響が大きいのだから、批判も含めて、国民の注意を喚起するために大きく扱う、ということ?だとしたら一理はある。が、そうすることによって、メディア全体が政府・お役所の広報・宣伝係になってしまう危険性だってある。

▼1月25日に毎日新聞以外の新聞を読んだ人の中には、私のように「ゆとり教育も悪いもんじゃないかも・・・」と思っている人もいるかもしれない。でも、あれほど大々的なスペースを使って「ゆとり教育見直し」の大合唱を眼にすると、私などは「やっぱ自分が間違っているのかもな」とぐらついたりする。それだけでも安部さんはウハウハの大喜びでしょうね。つまり毎日新聞以外の新聞は、安部さんの教育再生会議の広報紙の役割を果たしたってことになる、と私などは考えるわけであります。

▼そこで不運にも毎日新聞の記事を読むことがなかった人のためにお伝えしますと、「ゆとり教育も悪くない」という堀田さんらの提言はここをクリックすると出ています。それからもう一つ、前回の「むささびの鳴き声」で紹介した東京都杉並区立和田中学の校長先生が日本記者クラブで行った会見での発言がクラブのサイトに掲載されています。

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