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2010年3月28日 |
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個人的な写真で申し訳ないけれど、上の写真は、私と妻の美耶子がいま暮らしている英国のFinstock村の家並みであります。日本の田舎だと、家並みの向こう側に山がかすんで見えたりするのですが、こちらにはそれが全くありません。延々となだらかな丘が連なっているだけです。悪く言うつもりではなく、いかにも「人口700人」という雰囲気だと思いません?! |
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目次
1)おとり取材が明かした「政治とカネ」
2)"性別殺人"で1億人の「女性」が消されている
3)アフガニスタン:超大国、敗走200年の歴史
4)バラク・オバマとユダヤ系アメリカ人
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
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1)おとり取材が明かした「政治とカネ」 |
英国下院の選挙が5月6日に行われるのではないかというのがもっぱらの噂ですが、ここ数か月、妙に政治家がらみのスキャンダルめいた報道が多いように思います。ちょっと思い出すだけでも、議員の経費スキャンダルがあったし、ブラウン首相が官邸スタッフを殴ったとかいうものもあった。保守党の副幹事長が税金逃れをやっているというのもありましたね。
で、その手の報道の直近のものとしてテレビのChannel 4と新聞のSunday Timesによる「調査」として、かつてブレア政権で閣僚を務めた人物が、自分の地位を利用して企業からお金をもらったのではないかというのがあります。問題になっているのは、元産業大臣のStephen Byers、元保健大臣のPatricia Hewitt、それから防衛大臣だったGeoff Hoonの3人なのでありますが、3人ともChannel 4のニュース番組で、企業のために口利きをする用意があるという趣旨の発言をしてしまいそれが放映されてしまった。Byers元大臣は「一日5000ポンドもらえればお役に立ちます」、HewittとHoonはそれぞれ「3000ポンドもいただければ・・・」などと語ったりしているわけです。
実はこれはChannel 4のDispatchesという調査報道番組が仕組んだおとり取材に3人が見事にひっかかってしまったというものであります。Politicians for HireというタイトルでDispatchesがやったのは、アメリカのコンサルタント会社を名乗って下院議員20人に電話をかけて「アメリカ企業のためのコンサルタントを探している」と持ちかけるというやり方で、この話に乗ってきたのが3人の元閣僚というわけ。架空のコンサルタント会社の関係者との会話をカメラで隠し撮りされ、しかも放映までされてしまった。
Stephen Byersの発言の例をいくつか紹介すると:
私はいまでも首相官邸との繋がりがあるから極秘情報なども入ってくるのさ。 |
I still get a lot of confidential information because I’m still linked
in to No 10. |
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トニー・ブレアとは毎月会っている。(私と付き合っていれば)ひょっとするとキミたちもブレアのようなクライアントにたくさん会えると思う。何か行事でもあったらトニーと話をして、飲みにくる程度のことはさせられるかもな。 |
I see Tony Blair every month and you’ll probably find a lot of your clients
really quite like him. If there’s an event ... we could have a word with
Tony, say come along for a drink. |
重要な情報を知りえる立場にあるということと、有名人を知っているということが「コンサルタント」に欠かせない要素ですよね。
Byersの発言の中でさらに面白いと思ったのは、この架空企業が法案の中身に影響を与えたいと考えているのならば、自分を雇うのは、今年に限っては4月からの方がいいと提案している部分です。4月になると議会が解散されて、議員はみんな党のための選挙運動で忙しくなる。だから
例えばキミたちのクライアントが規制の変更や法律の改正を望んでいるとすると、4月が最高の時期なのだよ。(政治家は忙しいから)役人に会うのさ。大臣がいないから役人もいつもよりはヒマだからな。 |
It’s a great time if there’s an issue where your clients actually want to get a regulation changed or some law amended. That’s the time to get in to see the civil servants. Because there’s no ministers around, they’ve got more time. |
というわけです。で、そのあたりの手配をByersにお願いすると、いくらくらいかかるのかというと、経費は別にして「普通は一日あたり3000~5000ポンドってところかな」(It’s usually between £3,000 and £5,000 a day, that’s the sort of wage)だそうであります。
▼3000~5000ポンドを日本円に換算すると40~70万円ということになるけれど、英国における生活実感からすると、1ポンドを大体100円と考えるのが妥当なセンですよね。つまり元大臣のような人物を使ってロビー活動をする場合の報酬は一日あたり安くて30万円と考えるべきなのかも?これ、日本でのロビー活動に比べると高いのでしょうか、安いのでしょうか?
▼大臣抜きで役人に会えるのが好都合のように言っているけれど、これはどういう意味なのでありましょうか?役人に直接頼めば法律改正もやりやすいってことのですよね。つまり普段なら政治家でないとできないことを選挙期間中は役人がやってしまうこともあるということ? |
ちなみに今回の3人については、労働党が議員としての資格の一時停止を決めていますが、3人とも次の選挙では立候補しないことにしているとのことであります。それからBBCのサイトによると3人とも労働党ではブレア・グループに属しており、一時はブラウン降ろしの活動をしたこともある。ブラウン首相は今回の件について、「事件を調査せよ」という保守党の主張をしりぞけた以外にこれと言った発言をしていない。ただ現在閣僚であるジャック・ストロー法務大臣などは「労働党議員の多くが怒りを感じている」と語っています。
▼実はChannel 4によるこの報道の一日後に、今度はBBCが「議員の多くが外国の政府や企業からの招待で外国旅行をしているのは規則違反」というわけで、このような招待を受けた議員の名前を公表したりしておりました。なにやらメディアの間で政治家の規則違反を暴くことが流行みたいになっています。ひょっとするとこれも選挙が近いときの現象なのかもしれない。97年の選挙でジョン・メージャー率いる保守党がブレアの労働党に大敗を喫したときも、保守党が議員による汚職めいたスキャンダルでメージャーの保守党はズタズタにされていたのですよね。
▼Dispatchesがやった「おとり取材」ですが、にせの事務所やウェブサイトまで作ったりして・・・あんなのありなのか?!とびっくりしてしまった。英国のメディアをすべて見ているわけではないけれど、あの取材のやり方を批判するような意見は聞こえてこない。でも3人の元大臣たちの信用はこれで地に落ちてしまったことは間違いない。メディアにそんなことをする権利ってあるんですかね?
▼Channel 4のDispatchesという番組を見ながら、同じように「政治とカネ」について追及するにしてもずいぶんやり方が違うものだと思いました。日本における最近の例としては民主党の小沢さんをめぐる諸々がありますが、大体が「関係者の証言によると」とか「・・・と供述している」というわけで、メディア自身が具体的な証拠を入手してこれを報道したというものではない。それが理由なのかどうかわかりませんが、メディアが揃いも揃ってこれほど書き立てているのに、小沢さんが辞任・辞職をするという雰囲気ではない。私個人としては(何度も言うようですが)小沢さんが辞任・辞職する必要など全くないと思ってはいるけれど、ここまで「辞めろ」コールをしているのにそのようにならないのは何故なのか?それからそのような状況についてメディアの人たちが何を想っているのかということは知ってみたい。 |
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2)"性別殺人"で1億人の「女性」が消されている |
3月4日付のThe Economistに掲載されていたGendercideという特集記事によると、世界中で1億人を超える女児が堕胎などによって姿を消しており、その数はいまでも増え続けているのだそうです。cideという言葉は「殺人」という意味を持つ接尾語です。suicide(自殺)、genocide(大量虐殺)という言葉があるけれど、Gendercideの場合は「性別殺人」とでも訳すのでしょうか?いずれにしてもThe Economistの記事によると、男児欲しさに女の赤ちゃんが生まれると「処分」してしまったりすることが中国などでは行われており、それが故に地域によっては若者世代の男女の人口比率が女100人に対して男は120人以上にまで広がっているところもあるのだそうで、それが将来の社会不安の原因になるだろうと警告しています。
中国社会科学院(Chinese Academy of Social Sciences:CASS)が今年(2010年)1月に発表した報告書によると、女児の出産を避けたがる現在の傾向が続くと、10年後の2020年には19才以下の若者の性別人口で男が女よりも3000万~4000万人多くなるとされています。つまりこれだけの数の男にお嫁さんがいないという意味でもある。いま現在、ドイツ、フランス、英国における20才以下の男性の数は3カ国合計で2300万人、アメリカは4000万人です。英独仏の若い男性の数を全部あわせても、中国においてお嫁さんにあぶれた男の数には追い付かないということになります。
結婚にあぶれた「余剰独身者」(surplus of bachelors)のことを中国では「裸の枝」(bare branches)と呼ぶのだそうですが、The Economistによると、裸の枝傾向に拍車がかかったのは1990年と2005年の間の15年間だそうで、1979年に始まった、いわゆる「一人っ子政策」(one-child policy)とは直接関係があるようには見えない。
そもそも男性の場合、女性よりも乳児死亡の確率が高いので、男児の出産数が多少女児を上回るくらいでちょうどバランスがとれるものなのだそうです。つまり女児100人に対して男児103~106人程度というのがこれまでの「普通」なのですが、それが中国ではこの25年ほどの間に根本的に変わってしまった。1985年~89年の間の新生児の男女比は108対100で、すでに「普通」の域をはみ出していたわけですが、2000年~04年には124対100、現在は123対100という比率になっている。The Economistによると、このような比率は人為的な背景(堕胎の増加など)がない限りあり得ない数字なのだそうです。
2005年に行われた中国の世帯調査によると、上に述べた「自然な男女比」があてはまったのは、34ある省の中でチベット自治区だけで、14の省では新生女児100に対する男児の割合が120にまで達し、3つの省では130を超えたところもあったのだそうです。そしてそれは生まれてくる赤ちゃんが女であることが分かった時点で堕胎手術をした結果であろうとされている。もちろん男の子欲しさの堕胎手術は1995年に禁止されているのですが、堕胎そのものは合法なので、それが「女ならいらない」という理由による堕胎であることを証明することはほとんど不可能です。
中国の一人っ子政策は、必ずしも全国一律ではないのですね。The Economistによると、殆どの都会では純然たるone-child policyがしかれているのですが、人口の半分以上を占める農村部になると3つに分かれる。海岸に面した省の場合、40%の親に限って最初の子供が女であった場合は二人目が許される。南西の内陸部の場合は40%という制限なしに誰でも二人目を持てるけれど、条件としては最初の子供が女であるか、「両親が苦労している」(the parents suffer “hardship”)ことが挙げられる。「両親が苦労云々」の部分は、意味がよくわからないけれど、苦労しているかどうかは、地元のお役人(officials)が決めるのだそうであります。
The Economistによると性別人口比がアンバランスなのは中国がイチバンではあるけれど、他にも同じような傾向の国はあり、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジアなどかつての共産主義国やインド、韓国、シンガポールなども例として挙がっている。インドなどでは、性別堕胎は禁止されているのに、産婦人科医が、超音波スキャンによる赤ん坊の性別識別が可能であることを売りものにしてPay 5,000 rupees today and save 50,000 rupees tomorrow(いま5000ルピーを使えば、将来は5万ルピーの節約につながります)というのを、自分の病院の宣伝文句として使ったりするケースもあるのだそうです。いま5000ルピー払って超音波スキャンで調べて、女の子だったら堕胎してしまえば嫁入り支度のための5万ルピーを払わなくてすむという宣伝です。
変わっているのは韓国で、20年前には世界一の「男児尊重」の国であったのですが、最近ではその傾向が止まって、新生児の男女比は120対100だったのが110対100というところまで下がっているのだそうです。
1985年の調査で「絶対、男の子が欲しい」(must have a son)と答えた韓国女性は全体の48%にのぼっていたのに、18年後の2003年の調査では17%にまで下がっている。The Economistによると、韓国政府が意図的にやったというよりも文化的な変化が態度の変化を生み出したのだろうとのことで、女性教育の向上、差別禁止の風潮、平等主義の徹底などによって、「男児を望む」(son preference)という考え方そのものが時代遅れで不必要なものとみなされるようになった。「近代化の力がまずは(女児に対する)偏見に疑問を抱かせたのちに、それを超越してしまった」(The forces of modernity first exacerbated prejudice--then overwhelmed it)とのことであります。
男児優先の風潮には3つの要因がある。「男子優先」という昔からの伝統があること、現代の親は子供をたくさん持ちたがらない、そして胎児の性別識別を可能にした医療技術の進歩です。昔のように子沢山な家庭が普通であれば、いずれは男が生まれるからというわけで、女児なら堕胎など考えられないことだった。が、子供はせいぜい二人か三人で、しかも男が一人は欲しいなどということになると、The
EconomistのいわゆるGendercideにつながってくる。
いずれにしても「根なし草のような男子」(rootless young males)が増えるということは、性犯罪を始めとするトラブルが増えるということでもある。The Economistは、毛沢東の「空を半分持ち上げているのは女性だ」(women hold up half the sky)という言葉を紹介しながら
世界は性別殺人を防ぐためにもっとやらなければならないことがある。そうしないと空が墜落してくることになる。The world needs to do more to prevent a gendercide that will have the sky crashing down. |
というわけで、女性の社会参加の促進などを訴えています。
▼中国の場合、チベット自治区のような「僻地」においては、一人っ子政策が行われていない。そこでは生まれてくる子供の男女比も正常な状態で保たれている。つまり貧しいかもしれないけれど、rootless
young malesも少ないってことですよね。男女の比率は富裕層の多い地域になればなるほどまともではなくなっている。なぜ人間が豊かになると、子沢山でなくなるのでしょうか?私自身、6人姉弟の3番目であったのですが、友だちには6人姉弟というのはいなかったですね。 |
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3)アフガニスタン:超大国、敗走200年の歴史 |
BBCの記者だったDavid Loynが2008年に書いた"Butcher and Bolt"(出版元:Hutchinson)は、サブタイトルが"Two Hundred Years of Foreign Engagement in Afghanistan"となっているとおり、これまでの200年間における外国によるアフガニスタンという国への係わりの歴史を語っています。ここでいう「外国」とは主として英国、ロシア、そしてアメリカです。いずれもその時代々々の超大国です。英国とは19世紀の初め(1838年)から20世紀の半ば(1933年)近くまでの約100年間で3回も戦争をしていながら一回も負けていない。ロシアはソ連時代に攻め込んで結局退散に追い込まれ、アメリカとは2001年に始まって9年後の現在もまだ戦っている。
第一次英国・アフガン戦争は、当時のロシア帝国が南下して、英国の植民地であったインドを獲得しようとすることを怖れた英国が、アフガニスタンを自分の領土にすることによってインドをロシアの手から守れると考え、1838年から4年間戦われるのですが、1万6000人もの軍隊を派遣した英国ですが、生存者はたった一人だけ。
1878年にはBattle of Sanginという戦いがあって、兵器や通信機器などから英国の方が圧倒的に有利であったはずなのにアフガニスタンの抵抗にあって負けてしまう。1880年1月17日にはアフガニスタンのカンダハールという場所に駐屯していた英国軍技術団の指導者にアフガニスタン人の宗教学生がナイフをもって襲いかかるという事件があった。これが記録されている「自爆テロ」(suicide attack)の最初のものだった。
19世紀末にAbdur Rahmanという人物がいた。彼はアフガニスタンの王(Amir of Afghanistan)と呼ばれる有力者だったのですが、英国人に対しては親切な口をききながら、実際には「イスラムのためにアフガニスタンを英国人から解放する」(liberate Afghanistan for Islam from the English)ための聖戦(jihad)を呼びかける本を書いたりしていた。この人の書いた「聖戦の呼びかけ」には、100年後の2001年に9・11テロを起こしたオサマ・ビン・ラーディンが引用したのとそっくり同じコーランからの引用が紹介されているのだそうです。
要するに英国が何をやってもアフガニスタンの反撃にあって立ちいかなくなるということの繰り返しであったようで、19世紀末にSir Lepel Griffinという英国将校がthe Times紙に宛てた寄稿文の中で
(英国による対アフガニスタン)政策は、1年に25万ポンドも費やして防衛と監視のポストを維持しようとしているが、このポストは何も防衛せず、何も監視もしないポストなのだ。また道路の維持にもお金が使われているが、その道路でさえもどこへ通ずる道路なのかも分からないのだ。This policy consists in spending a quarter of a million annually on a post
of defence and observation which defends and observes nothing, and on the
maintenance of a road which leads nowhere. |
と書いている。
そして1979年にはソ連がやってきてさんざんな目に遭って退却せざるを得なくなる。ソ連との戦いはアルカイダのオサマ・ビン・ラディンらも加わります。この戦争を取材したイタリア人ジャーナリストのTiziano Terzaniという人が次のように書いています。ちょっと長いけれどそのまま引用すると・・・
ビン・ラディンと彼の仲間たちにとって、戦争は仕事や職業ではない。使命なのだ。彼らの戦争観のルーツは、外部と隔絶したコーランの学校で教わった信仰にある。なかんずく彼らの心に深く根ざした敗北感と無力感、イスラム文明が侮辱されているという感覚である。イスラム文明はかつては偉大で畏敬の念を持ってみられていたはずであるのに、いまや西欧の圧倒的な力と傲慢さによって片隅に追いやられ、侮辱を受けるという破目に陥っているのだ。War is not a profession for Bin Laden and his people. It's a mission. Its
roots lie in the faith they acquired in the close-minded Quranic schools,
and above all in their deep feelings of defeat and impotence, in the humiliation
of a civilisation, Islam, which was once great and feared but which now
finds itself increasingly marginalised and offended by the overwhelming
power and arrogance of the west. |
David Loynは西側のジャーナリストとしては、タリバンと共に過ごす時間が長かった珍しい存在です。それだけにタリバンは全部悪いという考え方をとってはいない。が、必ずしもタリバンかぶれというわけではなく、彼らの狂信性やanti-matter(反物質主義)という意味の分からない考え方には批判的でもある。けれどかつてアフガニスタンとかかわってきた外国勢力の本部(つまりロンドン、モスクワ、ワシントン)での政策決定が、アフガニスタンの現実を余りにも知らない「おとぎ話の語り手(tellers of fairy tales)」によって行われていることを何度も指摘しています。
David Loynによると、9・11テロの後でアフガニスタン攻撃を始めるときに欧米が犯した誤りが、その後の泥沼に繋がっている。つまりタリバンとアルカイダを同一視することで、二つの組織を繋がることを助けてしまったということです。
タリバンはアルカイダのようにイスラムが世界を制覇するというような国際主義者的な夢を持っていたわけではなかった。タリバンにははっきりしたナショナリスト的な目標があった。北アイルランドにおけるIRAと同じような不満・言い分を持っていたのであり、それこそが交渉の出発点にもなり得たのだ。The
Taliban had never shared the internationalist dream of Islamist world domination
of al-Qaeda, but instead had identifiable nationalist aims; like the IRA
in Northern Ireland they had grievances that chould have formed the starting
point of negotiations. |
にもかかわらず、米英の外交政策担当者たちは二つを同一視してしまっただけでなく、さらに危険な間違いを犯したのだと言います。それはタリバンには狂信的な中核部隊とお金で何とかなるTen-dollar-a-day-Taliban(一日10ドルも払えばこちらの言うことを聞く)タリバン兵士の2種類があるのだから、この2者を切り離せば勢力が弱まると考えてしまったということです。実は米英が金で何とかなると思った実働タリバン兵士の方が、中核部隊よりもファナティックに「主義」(cause)に殉ずるケースが多いのだそうです。
David Loynは、この本の最後で、アメリカの対テロ作戦の専門家であるTheodore Mataxisという軍人の言葉を紹介しています。それによると、かつてフランスがアルジェリアやインドシナから、アメリカがベトナムから、ソ連がアフガニスタンから撤退したあとに残ったのはゲリラだったけれど、ゲリラは「勝利への決意」という点で外国軍とはまるで違う。つまり外国は勝てっこないというわけです。
この本のタイトルであるButcher and Boltは「殺されて釘づけにされる」という意味ですが、それは200年前のアフガニスタンにおける英国軍の運命であったと同時にいまのアメリカを始めとする同盟軍の運命でもあるようであります。勝てっこない・・・。
▼歴史の本ではあるのですが、ジャーナリストが書いたものだけに学問的というよりも、物語(ナレーション)風に書かれていて退屈せずに読むことができます。この本の最初に1808年にインドのデリーからアフガニスタンのカブールへ派遣された特使のことが出ています。出発が1808年10月13日、到着が1809年2月25日だったから、約4か月にわたる旅であったわけですが、ラクダ600頭と象12頭に貢物(プレゼント)を載せての旅であったそうです。「貢物」が何であったのかは書いてありませんが、特使派遣の理由は、南下してインドを攻めるのではないかとされたロシア軍を食い止めるためにアフガニスタンの協力を仰ぐためであったとされています。
▼David Loynの指摘するタリバンとアルカイダの違いを、私が初めて耳にしたのは、2007年に日本記者クラブで、NPOのペシャワール会の中村哲さんの話を聞いたときでした。「アルカイダは国際主義、タリバンは国粋主義」という区別をしていましたが、David
Loynと同じようなことを述べていますね。中村さんの話はここをクリックすると出ています。
▼オバマさんは、イラク戦争には反対だがアフガニスタン攻撃は賛成という立場をとっていたわけですね。2001年9月11日のころを思い出してもらえば分かるけれど、あの当時のタリバン政権がビンラディンたちをかくまっているということで「タリバン打倒=ビンラディン捕獲」ということになるはずであったのが、まったくそのようにはならず、いつの間にか「アフガニスタン民主化」戦争みたいになってしまった。つまりなんだか分からずに戦争をしているという状態です。そのような状況にもかかわらずアフガニスタンに駐留する理由について"We're here because we're here because we're here..."と説明する人もいます。「我々がここ(アフガニスタン)にいる理由は、我々がここにいるということであり、さらにその理由はというと我々がここにいるからであり・・・」ということですね。駐留すること自体が目的のようになってしまっているってことですね。 |
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4)バラク・オバマとユダヤ系アメリカ人 |
東エルサレムでの住宅建設をめぐってアメリカのオバマ政府とイスラエルのナタニエフ政府の意見が対立しているように見えます。3月17日付の英国の雑誌、the
Spectatorのサイトに"Why American Jews are backing Obama"(アメリカのユダヤ人がオバマを支持する理由)というエッセイを掲載しています。書いたのはSam TanenhausというNew York
Timesの書評担当者なのですが、筆者本人がユダヤ人であるかどうかは書いていないけれど、イントロは次のようになっています。
イスラエルとアメリカの関係が危機に瀕しているように見えるかもしれないが、(アメリカにいる)ユダヤ人のほとんどにとってアメリカこそが聖なる地なのだ。Relations between Israel and Washington may appear to be in crisis. But for most Jews, the US is the real Holy Land. |
アメリカにおけるユダヤ人の人口は約650万人。これはイスラエルにおけるユダヤ人の人口よりも50万人ほど多い数字なのだそうですが、アメリカとイスラエルのユダヤ人の人口を足すと世界のユダヤ人の80%になる。つまりユダヤ人の大半がこの両国に住んでいるというわけですが、バラク・オバマという人物に対する評価では極端に違うのだそうです。イスラエルにおけるオバマ支持者は10%にも満たないのに対して、ユダヤ系アメリカ人は少数民族の中では黒人に次ぐオバマ支持者が多いグループにあたる。
二つのユダヤ人社会でオバマに対する評価がこうも異なる理由の一つとして「ユダヤ系アメリカ人の大多数にとって聖なる地(Zion)がアメリカであって中東にあるイスラエルではない」(the great majority of American Jews, Zion is not Israel. It is the United States)ということがある。ユダヤ系アメリカ人は、アメリカ社会において人種差別・偏見にさらされてはきたけれど、アメリカではどの人種も大なり小なり「差別・偏見」の中で生きていると言えるのであるし、ユダヤ人の場合は、ヨーロッパで受けた差別に比べれば大したものではない。
Tanenhausによると、アメリカにおけるユダヤ系の人たちは昔から民主党の大統領を支持してきたし、福祉国家という考え方を支持してきている。また1950年~60年代に盛んだった黒人の公民権運動を最も熱心に支えたのもユダヤ人であったそうです。1964年にミシシッピー州で市民権運動に従事していた白人の若者3人が殺害されるという事件(Mississippi Summer)があったのですが、3人のうち2人はユダヤ人だった。さらにブッシュ前大統領のイラク政策を推進したユダヤ人のPaul Wolfowitzは、1963年にマーチン・ルーサー・キング牧師の運動に参加してワシントンへの行進に参加したことを「誇りをもって」語るのが常であったそうです。
オバマ大統領自身も現代の市民権運動が生んだリーダーのような部分があるから、ユダヤ系アメリカ人の中の有力者がオバマを支持する傾向があるとしても不思議ではない。こうしたアメリカ特有の政治風景で活動するユダヤ人の中ではイスラエルの陰はうすく、主なる関心事の外にある(outside the main concerns of American Jews)というわけです。
1950年代にアメリカ中西部で暮らすユダヤ人を対象にして「良きユダヤ人であるためには、どのように振る舞うべきか」(what kinds of behaviours were essential to be considered a good Jew)というアンケート調査が行われたことがある。それによると最も多かった答えは、「恵まれない人々を援助すること(help the underprivileged)」の58%で、「イスラエルを支援すること(Support Israel)」は21%に過ぎなかった。
ユダヤ系アメリカ人がイスラエルをどのように思っているのかはともかく、アメリカ政府のイスラエル支持という姿勢は1940年代にトルーマンがユダヤ人国家の建設を支持して以来変わっていないし、イスラエルが中東におけるアメリカの砦であり、最大の援助の受け手であることは間違いない。
Sam Tanenhausによると、最近のユダヤ系アメリカ人の社会では、ごく少数のインテリ同士が論争を繰り広げており、アメリカの対イスラエル政策ではことごとく対立しているのだそうです。一方が「ユダヤ人国家などという考えそのものが時代錯誤だ」(the very idea of a “Jewish state” is an anachronism)といえば、もう一方は「そのような考え方こそが現代のユダヤ人の自己嫌悪の心理を明確に表している」(Seldom has the psychology of contemporary Jewish self-hatred been given more lucid expression)と反論する。
Tanenhausに言わせると、ほとんどののしり合いのような醜いものになっている。今回のアメリカとイスラエルの対立についてもおそらくヤダヤ人社会の少数派同士の口げんかが始まっているのだそうで、どちらかというと右寄りのCommentaryという雑誌の編集長が
オバマ政府は愛するパレスチナ人たちに、自分たちがイスラエルに対してどの国よりも強硬な姿勢をとれるということを劇的に示したいということだ。いまアメリカにあるのは、パレスチナ人のご機嫌をとろうという心底からの欲求なのである。It wants a fight, a scene, a sign to its beloved Palestinian friends that
it can be tough, tougher than on any other nation on the planet, with Israel.
What we have here is a heartfelt desire to cosy up to the Palestinians. |
と書いている。いかにも反オバマのように響くけれど、Tanenhausによると、この編集長だってオバマ政権がイスラエルを見捨てることがないことは百も承知で、
要するに、イスラエルが今後も中東におけるアメリカの最も大切なお客様であり続けるであろうし、そのような事態がすぐに変わるなどということは誰も考えていない、ということをアメリカのユダヤ人たちは十分に分かっているのだ。In
sum, American Jews are fully aware that Israel remains America’s principal
Middle East client, a state of affairs no one expects will change any time
soon. |
と言っています。
▼私、アメリカの公民権運動とユダヤ人を結びつけて考えたことはなかった。確かに俳優のPaul Newmanはベトナム反戦運動で活躍していましたよね。政治の世界でいうと、元国務長官のMadeleine AlbrightとHenry Kissinger、国防長官だったCasper Weinberger、財務長官のRobert Rubinらがユダヤ系アメリカ人だそうです。
▼作家のPhilip Roth(この人もユダヤ人)が、アメリカにおけるユダヤ系アメリカ人と他のアメリカ人を比べて「捨ててきた祖国とのしがらみがなく、イタリア人、アイルランド人、ポーランド人のように面倒な教会(カソリックのこと)に縛られることもない。また盲目的にアメリカ人になろうとすることもなかった」と書いているそうです。つまり過去を捨てて来た者の強みということですかね。
▼ユダヤ系アメリカ人同士の論争の中に「現代のユダヤ人が持つ自己嫌悪感(contemporary Jewish self-hatred)」というテーマがあるようなのは興味深いですね。self-hatredにさいなまれるのはユダヤ人だけではないけれど、アメリカ社会では主流ではない、イタリア系、アイルランド系、スカンジナビア系、アジア系アメリカ人らが抱えているであろう自己嫌悪感というのとは異質のものかもしれない(と想像したりしています)。 |
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5)どうでも英和辞書 |
unshakeable bond:揺るぎない絆
このむささびジャーナルが出るころにどうなっているのか分からないイスラエルとパレスチナの問題ですが、3月17日にヒラリー・クリントンがワシントンで会見をしたときに語ったのがアメリカとイスラエルの間には"close, unshakeable bond"(緊密かつ揺るぎない絆)が存在するということだった。その前に、バイデン副大統領がイスラエルを訪問するのとタイミングをあわせたようにイスラエルが東エルサレムに自分たちの住宅を建設することを発表しており、このときはヒラりーさんは、中東和平のために副大統領が出向いているその時にこれに逆行するような発表をするのは、アメリカの努力に対して「侮辱的(insulting)」だと強い調子で非難したばかり。が、イスラエル側も住宅建設を中止するつもりは全くないという強硬姿勢を示したので、ヒラリーさんもイスラエルとの間のunshakeable bondを謳って態度を軟化させたのでありますよね。
ついでに紹介しておきたいのは、insultingとunshakeableという言葉のギャップを埋めるコメントとしてヒラリーさんが次のように語っていることですね。
We don't agree with any of our international partners on everything.(我々は国際的なパートナーがどの国であれ、何から何まで意見が一致するというわけではない) |
don't agree...ときて最後がeverythingという文章で、懐かしや、英文法でいう「部分否定」というヤツですね。同じことは日米関係にだって言えるのは当たり前で、ちょっと意見が合わないからと言って、あたかもこの世の終わり(end of this world)みたいにキャンキャン騒ぐのもどうかしている。
high street:目抜き通り
Finstock村の我が家の前を走っている通りの名前はHigh Streetなのでありますが、High Streetという名前の通りはおそらく英国中の町・村には一か所残らずあるのではないか。そのコミュニティの中心となる道、「目抜き通り」ということです。Finstock村のHigh Streetは、いちおう舗装らしきものがしてあって、クルマが普通にすれ違える程度の道幅です。でも制限速度が「30」となっている。これ、マイルですから、キロに直すと48キロということになる。時速48キロといえば日本では殆ど幹線道路の速さだと思うけれど、ここではどうってことない住宅街を走っている道の制限速度であります。アタシなんかとても怖くて運転できないような速度です。英国の方々の速度感覚はどうなっているのでしょうか。
もう一つ道路とクルマの関連で言うと、この村の近辺では交通信号なるものが全くない。10分ほど走ったところにあるWitneyという町にしてからが殆どない。住宅街だというのに時速48キロ、信号ゼロ。それでいて国際道路連盟(International Road Federation)という機関の統計によると、「自動車1億台キロメートル当たりの事故件数」(これを事故率という)は、日本が122なのに、英国は38と断然低い。ついでに言っておくと、この国では酒を飲んで運転することが即違反というわけではない。ビールなら1パイント(500ミリリットル弱)、ワインならグラス1杯までならオーケーなんだそうです。信号なし・酒飲みありなのに事故は少ない。どうなってるんでしょうか?
jacket potato:皮つきのまま焼いたジャガイモ
英国の食堂ならどこにでもある。日本にもジャガイモを半分に割ってバターをつけて食べる「ジャガバタ」というのがあったですよね。ただやはりジャガイモ文化はヨーロッパであると見えて、英国のポテトは美味しい。jacket potatoを注文するときは、上に何をかけたいのかを選びます。写真のjacket potatoはカレー味のタレがかかっている。主人公がポテトなのに添えもののサラダやカレーにもポテトが入っているのがにくいのでありますが、これでお値段は5ポンド(約700円)。空腹は満たせます、絶対。それなりに美味しいのでありますが、stodgy(重い)なので毎日はカンベンして欲しい。
第二次世界大戦直後は英国人も食べ物がなくて、空腹を抱えていた時代があったのですが、そのころの食べ物にchip buttyというのがあった。chipは英国英語ではフライドポテト(フレンチフライ)のこと。buttyの意味がよく分からないけれど、chip buttyというのは大きなジャガイモを割ってまん中にフライドポテトを挟んだものだったのだそうです。すごい食べ物があるんですね。
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6)むささびの鳴き声 |
▼実に当たり前のハナシでありますが、日本にいながらインターネットを頼りに英国をウォッチングするのと、英国に身を置きながら英国を見るのではずいぶん違います。最近BBCで放映された"Power to the People"というドキュメンタリー番組を見ながらそのように感じてしまいました。
▼かつては保守党の党首にもなるのではないかと言われながら、いまはテレビを中心に評論家の仕事をしているMichael Portilloが、英国中のコミュニティを訪問して地元の人々と話をするという筋書きだった。選挙が近づく中で、Portilloの問題意識として、いまの英国では政治とか政治家というものが国民から遊離しているということがあって、「どのようにすれば政治が再び人々と繋がることができるのか?(how can politics reconnect with people?)」ということを問い直そうということがあったわけです。
▼結論からいうと、Portilloが訪れるどの町でも、間もなく行われる下院議員選挙についての関心が低く、その背景として「どの党が政権についても、どうせ自分たちの声が聞かれるということはないだろう」という諦めのようなものがある。少しだけ違ったのは「選挙で選ばれた市長」がいる町では、市長という政治家の存在を身近に感じているということと、どうしても自分たちの町に公的なサービスが必要となった場合は、住民自らがその運営に乗り出すボランティア精神のようなものがそれなりに芽吹いているということだったわけです。
▼かつて紹介させてもらったとおり、英国の地方都市で選挙で選ばれた市長さんがいるのはたったの12です。ロンドンもその一つですが、全国の地方自治体が152あることを考えるとたった12というのはいかにも少ない・・・というより、自治体によって選挙で選ばれる市長がいたりいなかったりという方が不思議だと思いません?
▼Portilloが訪問するどの町でも住民に問いかけた質問が「自分の町について責任をとる(taking responsibility)ことを望むか?」というものであったことで、それに対する住民の答えは、この番組に関する限りは「イエス」だった。番組はキャスター役のMichael
Portilloが視聴者に対して「政治は政治家がやるもの(politics is about politicians)という考えかたを止めなければならない」というメッセージを語るところで終わりでした。
▼Power to the Peopleという番組のタイトルは、保守党のキャメロン党首が最初から掲げているスローガンの一つです。権力がロンドンの中央政府に集中しすぎているのを改めて、「中央から地方へ」という分権(地方政府による税金の徴収も含む)ということもその一つですが、キャメロンが言っているのは「地方政府から住民へ」という意味の「分権」であり、その推進役を買うのが、この番組にも出てきた地方コミュニティにあるボランティア組織であるというのも、この番組のメッセージだったわけです。
▼この番組を見ていて、ちょっと意外に思ったのが、出てくる普通の英国人たちが政治というものに対して持っている諦め感覚の強さだった。それは、日本でもよく聞かれる「どうせだれがやっても変わらないのでは?」というのともちょっと違う。英国人の方が政治とか政治家に対して怒っている度合が強いということであり、「政治家は頼りにできないのだから、自分たちでやろう」という考え方に結びつき勝ちであるということです。
▼私が暮らしている村から10分ほどクルマで行くとWitneyという町に出ます。ここには全国チェーンのスーパーもあるので、それなりに賑わっている。Witneyも含めたこのあたり一帯は、今度の選挙では保守党のデイビッド・キャメロンの選挙区です。英国の場合は、日本の選挙と違って選挙区=出身地というわけではありませんが、いまのところWitneyの町にはCameronのCの字も見えない。
▼BBCのPower to the Peopleという番組を見ながら、英国の二大政党制をモデルにしているように言われる日本の政治について考えてしまった。あの番組に出てきた町の人たちが、自分たちの町を選挙区にする政治家の名前を殆ど知らない。英国の場合、国会議員は「おらが町の先生」ではなくて、ロンドンにある党本部が押しつけてきた人物なのですね。だからこそ「人物」ではなく「政策」を争う選挙ができる・・・これが英国の民主主義(の良さ)なのだ、と言われてきた。
▼で、Portilloの番組で示された英国人の中央政府や中央官庁に対するシラケ感覚に接すると、この国の人たちも現状に対する不満を抱えていて、変化を模索しているのではないかと思ったりしたわけです。アメリカではそれまでの常識を破ってオバマという人が大統領になったし、日本でも「自民党政権は変わらない」とされていた常識が打ち砕かれてしまった・・・というわけで、英国でもこれまでの常識が覆るような選挙になるのかもしれないと思ったりするわけです。
▼Witneyのパブのオーナーが私に「アタシはhung parliamentでいいと思うけどなぁ」と言っておりました。つまりどの政党も過半数に達しない状態の議会のことで、場合によっては多数党が政権についたとしても、別の党との連立を組まざるを得なくなるかもしれない。このオーナーは、今までのように「二大政党制」で、一党が圧倒的な力(リーダーシップ)を持って政治を行う「英国的民主主義」そのものに疑問を持ち始めているのかもしれないと(私は)感じてしまったわけであります。さらにPortilloの番組で紹介された、選挙区の政治家を知らない人たちは、主要政党によって送り込
まれた政治家、自分たちのコミュニティには直接関係のない政治家に投票するという「民主主義」にも疑問を持ち始めているのではないかとも・・・。
▼本日から英国はsummer time。つまりいままで午前6時であったのが午前7時になったということです。今回もお付き合いをいただき、ありがとうございました。
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