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2010年4月11日 |
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いま英国はサマータイムです。私がうんと小さかったころには日本でもサマータイムがあったな、と思ってウィキペディアを調べたら「米国などにより占領された期間」(1948年〜1951年)に採用されていたとのことで、私が小学校に上がるころまではやっていたわけですね。はっきり言って、何が面白くてこんなことをするのか、どうも分からないですね。夕方の6時になる。まだ明るい。7時になっても8時になっても明るい。当たり前です、もともとは5時であり6~7時であったのだし、夏になれば日が延びるのです。だから人間は季節を感じるのではありませんか。 |
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目次
1)「官僚的動物愛護」の行き過ぎ
2)middle classって誰?
3)キャメロンの研究⑫:新しい保守主義は外交で孤立する?
4)どうでも英和辞書
5)むささびの鳴き声
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1)「官僚的動物愛護」の行き過ぎ |
英国は動物愛護運動の盛んな国であるといわれ、そのための法整備も進んでいるとされているのですが、ちょっと行き過ぎなのでは?という事件が3月31日付のDaily Mailで報道されています。何があったのかというと、マンチェスターの近くにあるTraffordという町でペットショップを経営する66才の女性が、14才の子供に金魚を販売したという理由で、罰金1000ポンド(約13万円)に課せられたというものです。それだけではない。7週間にわたって夜間の外出禁止を言い渡されたうえに、あろうことか6ヶ月間、所在を常に明らかにするための電子タグの装着を命令された、というわけです。
確かに英国には2006年動物愛護法(Animal Welfare Act 2006)というのがあって、両親に伴われていない限り16才以下の子供に動物を販売することは禁止されており、それには金魚も含まれてはいる。違反すると最高12か月の禁固刑もしくは2万ポンドの罰金刑になるとされている。
が、Daily Mailは今回の判決について、この町で30年もペットショップをやっている、このおばあさん(Joan Higgins:上の写真)とその息子(ペットショップの共同経営者)に電子タグを装着させ、しかも夜間の外出禁止を守らせるために、市役所(Trafford
Council)は少なくとも2万ポンドを使っているというわけで、税金を無駄遣いしたうえに、この女性に犯罪者としての略歴を与えることになった、と怒っております。
実はこのおばあさんが金魚を売ってしまった14才の少年というのは、市当局が送り込んだ「おとり」であったらしい。
Trafford市役所の担当者によると、このペットショップが子供に動物を売っているという苦情が寄せられたこともあって、「おとり捜査」と相成ったのでありますが、当日は市役所の担当者も身分を隠してショップ内に張り込むという力の入れようであったそうです。張り込んだ担当官によると、おばあさん経営者が14才の子供に金魚を売ったうえに、金魚の飼い方についてまともな説明を一切しなかった。これが説明義務違反。また金魚の販売とは別に、店内にいたオウムがひどい状態で飼われており、これはペットに対して「不必要な苦しみ(unnecessary suffering)を与えてはならない」という法律にも違反するというわけであります。
今回の判決について、市当局では「今回の判決によって、動物に対して不必要な苦しみを与える者は決して許さないというメッセージを発することができた」(Let
this conviction send out a message that we will not tolerate those who
cause unnecessary suffering to animals)と自信満々のコメントを発表しています。
ところで今回の判決のお陰で、Joan Higginsさんは、孫の面倒を見るための外出もできなくなったし、楽しみにしているビンゴの会に出れず、ロッド・スチュアートのコンサートにも行けなくなったと文句を言ったうえで、
ウチの店には、子供がたくさん来るのよ。夏になるとお祭りで捕まえた魚なんか持って来るんですよ。あの子たちと私、別々の規則があるみたいじゃないですか。 |
I get kids coming in the shop all the time in the summer with fish they've won from the fair but it seems to be one rule for them and one for me. |
と言っています。Daily Mailによると、問題の金魚はその後、動物愛護団体に引き取られて「丈夫に育っている(in good health)」そうでございます。
▼Joan Higginsのコメントにある、夏になると子供がお祭りで金魚を取ってくるというのは可笑しいですね。英国にも金魚すくいというのがあるんですかね。
▼今回の裁判では、おばあさんのJoanが1000ポンドの罰金だったのですが、息子のMark Higginsに対する共同責任の罰金は750ポンドであったそうです。二人併せて1750ポンド。訴訟費用にはこの1750ポンドが充てられます。1750ポンドというのは普通の英国人にとって決して少ないお金ではありません。日本での感覚でいうと17万5000円というところですね。この程度の違反でほぼ20万円も取られるのだから怒るのも無理はない。
▼確かに英国には動物愛護に関連した法律がわんさかあるようです。ちょっと調べただけでもAnimal Welfare Act 2006、Wild Mammals Protection Act(野生哺乳動物保護法)、Welfare of Animals (Transport) Order(動物運搬条例)、Abandonment of Animals Act(動物遺棄禁止法)等々。ちなみに世界で最初の動物愛護法は1822年に英国でできたAct to Prevent the Cruel and Improper Treatment of Cattleという家畜に対する虐待禁止法だそうです。 |
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2)middle classって誰? |
英国の選挙が5月6日投票ということで決まりました。日本のメディアではどの程度の関心をもって伝えられているのか分かりませんが、当然のことながら英国のメディアはその話でもちきりであります。世論調査ではわずかに保守党が労働党をリードしているとはいるのですが、労働党寄りのGuardianなどは"Labour
could win most seats at general election"という具合に労働党圧勝の可能性もあるなどと言っています。
今回の選挙に絡めて3月25日付のThe Economistが、ここ30~40年の英国という国の変化を象徴するような記事を掲載しています。テーマはmiddle classという言葉の定義で、記事のイントロは次のようになっている。
次の選挙の結果を左右するのは、大多数を占めながらも姿がはっきりしない人々、すなわち平均的所得層になるだろう。しかし保守党のキャメロンも労働党のブラウンもこれらの人々のことを分かっているようには思えない。Britain’s teeming but invisible average earners will decide the coming election. Neither David Cameron nor Gordon Brown seems to understand them. |
このイントロで使われている「平均的所得層」(average earners)のことをアメリカではmiddle classと呼ぶけれど、英国ではちょっとニュアンスが違う。この国でmiddle classというと、医者、教授、弁護士がその典型という人もいるくらいです。とても「平均的所得層」とはいえないような人たちであります。なぜ英国ではそうなるのかというと、英国の場合、貴族だの王室だのという「上流階級」と呼ばれる人たちが所得の多少とは関係のない世界に存在しているので、所得を中心に考えるアメリカでは、弁護士や医者が「上流」ということになるけれど、英国では「中流」になる・・・というのがThe Economistの説明です。英国ではmiddle classは「普通の人たち」ではない!
The Economistによると、英国のmiddle classの年収は、10万~15万ポンド(1500万~2000万円)あたりが普通と言われるけれど「普通の人たち(平均的所得層)」の人たちの年収は大体3万ポンド程度になる。保守党も労働党もそのあたりのことが本当には分かっていない、とThe Economistは指摘している。
例えば「学校の授業料値上げがmiddle classにとって頭痛のタネ」というけれど、それは私立学校の話。英国のファミリーで子息を私立学校に通わせているのは(The Economistによると)全体の7%にすぎない。また相続税の減税を主張する人たちは、この税がmiddle classを苦しめていると言うけれど、相続税がかかるのは32万5000ポンド以上の不動産についてです。いまの英国における不動産所有者の平均資産の価格とは10万ポンドも開きがある。さらに所得税を40%にするとmiddle classへの影響が大きいというけれど、これほどの高額納税者は3170万人いる納税者のうち380万人(10%強)にすぎない等々というわけであります。
英国の所得別の社会構造を分析する際には次のような階層区分がよく使われます。
A:最上流 |
B:上流 |
C1:中の上 |
C2:中の下 |
D:下層の上 |
E:最下層 |
The Economistによると、60年以上前の終戦直後の英国社会はAとBは少なくて、Cから順に多くなり、DとEが圧倒的な多数を占める「▲三角形の社会」だった。いわゆる「労働者階級」が実態として存在していた社会です。それが60年後の2007年の調査では、AとBに属する英国人は全体の26%、DとEに属するのは24%で、最も多かったのが「下層ホワイトカラー」のC1と「熟練技術者」のC2に属する50%だった。つまり上と下が小さくて真ん中が大きい「◆ダイヤモンド型社会」になっていたということです。
今年に限らず選挙の行方を左右するのは「ダイヤモンド◆」の真ん中のイチバン出っ張っている部分に属する人たち(中間層)です。1974年の選挙で労働党が勝利したときは、中間層の49%が労働党に入れたのに対して、保守党に投票したのは26%にすぎなかった。ところがその5年後(1979年)にサッチャーさん率いる保守党とキャラハン党首の労働党が争った選挙では「中間層」の41%が保守党に投票してサッチャー政権誕生の原動力になった。
その「中間層」はサッチャーによる規制緩和などの自由主義的な経済改革によって多くの恩恵を受けた。たとえば持家制度。サッチャーさんが公営住宅の借家人が、これを購入できるように改革したことで自分の家を持つ人が増えたし、彼女の経済改革によって企業を立ち上げることが容易にできるようになったことで小規模ながらも経営者になれるケースも増えた等々。
ただ、サッチャー以来の約30年間の中間層の実情をよく見ると、必ずしもいいことばかりではない、とThe Economistは言います。さまざまな分野で技術開発が進んだことで「熟練技術者」の仕事がなくなったこともあるし、製造業の場合は安い労賃を求めて企業が海外でモノを作るようになって「中間層」の職場が失われたということもある。
また最近(2006年~2007年)の英国政府による調査でも、いわゆる中間所得層の4分の1が家族旅行に行くだけの経済的な余裕がなかったと答えているし、労働組合評議会(Trades Union Congress:TUC)の調査でも、このクラスの約4割(38%)が失業の不安を抱えているという結果が出ているそうです。
では中間層と呼ばれる人たちの社会意識はどうなっているのか?昨年のTUCの調査によると、
経済的・社会的な問題の解決は政府の責任なのか人々の責任なのか?
whether responsibility for solving economic and social problems should lie mainly with government or with people. |
という問いに対して、いわゆる中間層の62%が「政府の責任」と答えている。さらに半数以上の中間層が、社会的不平等をなくしたり、所得を再配分するのも政府の仕事だと答えている。つまり30年以上前のサッチャーさんの時代に「小さな政府」の恩恵を受けたはずの中間層はいまや「大きな政府」を欲しているとも受け取れるわけです。それだけ不安定な状態にいるということです。このような人々に対して保守党右派が「サッチャリズムに帰れ」というのは全くの見当違いというわけです。その意味では「サッチャー離れ」と言われるキャメロンの感覚は正しいということになるのですが、キャメロンの弱い点は、30年前にサッチャーさんが推進して、当時の中間層に大いに受けた公営住宅売却のような決定的な目玉がないというわけです。
キャメロンは、相続税の課税の上限を引き上げで「富裕層」の支持を得ることはできるだろうし、貧困地域の子供たちの教育環境を改善するpupil premiumというような計画は貧困層の理解を得ることにもつながるかもしれないけれど、金持ちでも貧乏でもない人たちからどの程度の支持を獲得できるのか?というのがThe Economistの疑問です。
では労働党はどうかというと、ブラウンの後を継ぐとされている外相のDavid Milibandのような人々は、どちらかというとインテリ風の人が多くて、「普通の言葉(plain language)」で中間層の関心事である犯罪対策や移民政策を語れるような人材が少ないのだそうです。
▼国会を解散したその日、ブラウン首相が報道陣に語ったコメントの第一弾は次のようなものだった。
私はですよ、普通の町の普通のmiddle-class familyの出身なんですよ。だから自分の身分は分かっているし、それなりの価値観も忘れないで持っているのでありますよ。(I
come from an ordinary middle-class family in an ordinary town and I know
where I come from, and I will never forget the values) |
▼これが「上流階級」のキャメロンを意識しての発言であることはあまりにも明白ですよね。ただThe Economist流にいちゃもんをつけるならば、"ordinary
middle-class"(普通のmiddle-class)という言い方はoxymoron(言葉の矛盾)ということになる。
▼先日、イングランドの南にある町に住む英国人夫婦といまの英国の政治についてじっくり話をする機会がありました。彼らは"middle class"というほどの金持ちではないけれど、金銭的にはかなり恵まれており、定年後の生活をそこそこ楽しんでいるような人たちです。日本のレベルからすれば羨ましいような住宅に暮らしているのですが、超の字がつくようなお金持ちではない。
▼その彼らが暮らす町はこれまでは保守党の天下であったのですが、今年の選挙に限っては自由民主党(Lib-Dem)も健闘するかもしれないとのことだった。労働党は最初から候補者も立てないような選挙区なのだそうです。その彼らにとって衝撃だったのは、例の国会議員による「経費スキャンダル」であったようで、職業柄(公務員)うすうす分かってはいたけれど「あれほどひどいとは思わなかった」ということで、今回の選挙に期待するのは、スキャンダル色がイチバン少ない自由民主党(Lib-Dem)の躍進だそうです。
▼ある調査によると、彼らの選挙区で保守党が勝つ可能性は、いまのところ64・1%、次いでLib-Demが35・7%ときて、労働党は0.1%というわけで全くお呼びでない。
▼ここ数年、政治では考えられないようなことが起こっている。アメリカでオバマが大統領になるなどと誰も予想だにしていなかったし、日本で自民党が政権の座から降りるなんてあり得ないと考えられていた。なのにそれが起こってしまった。では、いまの英国の政治で、イチバン考えられないことは何か?「ひょっとすると二大政党制が崩れることかも?」と私が言うと、「Lib-Demの大勝利は大いにあり得る」と夫の方が言っておりました。「オバマの当選は絶対にないと言って恥をかいた」ので、最近では「何でもあり得る」と考えるようになっているのだそうです。 |
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3)D・キャメロンの研究⑫:新しい保守主義は外交で孤立する? |
4月5日付のFinantial Timesに出ていたGideon Rachmanというコラムニストの"Cameron’s Tories point to isolation"というエッセイは、選挙ではほとんど争点にならないであろう外交政策に関するもので、キャメロン率いる保守党政権は孤立の道を歩まなければならないかもしれないというのがメッセージになっています。ここで言う「孤立」とは、欧州とアメリカの間における大西洋の世界における孤立という意味です。
その孤立の背景には、キャメロンの掲げる保守主義が、欧州大陸の保守本流とも、アメリカの保守本流とも異なるということがあるわけですが、さらにそのルーツを探っていくと、そもそもキャメロンの保守党内のサッチャリズムに対する姿勢がはっきりしていない(ambivalent)ということにある、とRachmanは言います。
サッチャーは「EU嫌いとアメリカ好き」(adoration of the US and loathing of the European Union)であることがはっきりしていた。キャメロンは、保守党内のサッチャー派(Thatcherite wing)に気を遣って、最初のうちは反EU的な言動が目立ったが・・・。対米政策ではサッチャー離れがはっきりしている。2006年9月11日の演説で「対米特別関係が(英国の)従属関係のようになっている」と発言している。イラク戦争に対して批判的でブッシュ嫌いという世論へのアピールを狙ったものとされている。
英国の対EU、対アメリカ関係を考えるとき難しい(けれど興味深い)のは、アメリカとの「特別な関係」を保持することによってのみEUの中で重要な役割を果たすことができるというバランス感覚が欠かせないということです。ただ「イラク」「アフガニスタン」への英国の関与が英国内では不人気であり、その分だけ対米特別関係も選挙の票には結びつかない。EUと近すぎることへの警戒感のようなものはあるけれど、対EU関係がいくら近くなっても戦争で血を流すというようなものではない。
キャメロンにとって対米関係の難しさのもう一つの背景として、新しい政治を訴えるキャメロンにしてみれば、オバマさんとの関係を強化したい一方で、保守党にとっての本来の「友党」が共和党であるということでがある。30年も前のサッチャー・レーガンの特別な関係はそれなりに無理がなかった。反共産主義とか小さな政府という考え方が基本的に一致していたからです。しかし最近の動きを見ると、「共和党は右へ、保守党は左へ動いている」(the Republicans have moved right and the Tories have moved left)とRachmanは指摘します。共和党がオバマさんの「国家経営によるヘルスケア」(state-run healthcare)は悪魔的なものと非難している一方で、キャメロンは英国の国家保健制度(National Health Service)を称賛し、コミュニティ活動を重視する演説の中で、Saul Alinskyというアメリカでもかなりの左派とされる人(故人)のことを絶賛したりしている。
Rachmanに言わせると、共和党と保守党はもはや「同じ政治的な宇宙」(same political planet)に暮らしている仲ではなくなったということです。今年の11月にはアメリカで下院の中間選挙行われます。5月の選挙では保守党が勝利し、11月の下院中間選挙では共和党が大勝利ということも大いにあり得るわけで、両国間で政治的な問題が起こったときに、首相・キャメロンが相手にすべきなのは、議会の多数派であり保守党の友党でもある共和党なのか、キャメロンにとってはヒーローとも言えるオバマさんなのか?
Rachmanによると、キャメロンの保守主義は、米共和党のそれよりもドイツのメルケル首相のキリスト教民主主義に近いのだそうですが、最近、キャメロン率いる保守党が欧州議会の保守勢力である欧州人民党(European People's Party:EPP)を脱退したりしたことで、中道右派といわれる独仏両政権をかんかんに怒らせてしまったこともある。要するにキャメロン保守党には対EU関係でも難しい問題があるということです。
5月の選挙では外交はほとんど争点にならず、もっぱら景気とか福祉などの国内問題をめぐっての争いになる。
しかし、もしキャメロンが首相として登場することになると、国際社会における英国のいるべき場所をめぐって、大きな選択を迫られることになるだろう。But if David Cameron emerges as prime minister, he will soon be faced with some big choices about Britain’s place in the world. |
とGideon Rachmanは言っています。
▼確かに今回の選挙では「外交」は全く話題になっていませんね。アフガニスタンではそれなりの犠牲者を出しており、戦死した兵士の遺体が帰国するときにはメディアも英雄扱いするけれど、アフガニスタンで軍を展開することの良し悪しは全く話題になりません。労働党も保守党もアフガニスタン攻撃を支持したのだから、この二つの党に関しては話題にしたくないというところでしょうね。自由民主党(Lib-Dem)の姿勢は「ちゃんとやるのか、でなければ何もするな」(we should do this properly or not at all)というわけで、どちらかというと「懐疑的」です。Lib-Demの言うことを聞いていると、何やら「きれいごと」ばかりという気がしないでもないけれど、行き詰まりの出口のようなものを求める世論がLib-Demを後押しすることはあるかもしれない。
▼キャメロンの「新しい保守主義」というのは、要するに「サッチャーさんほど独断的ではない保守主義」ということですよね。「家庭を大事にする」というような言動では同じなのですが、サッチャーほど「アタシについてきなさい!」というほどヒステリックなものではない。Gideon Rachmanは「欧米の保守本流から孤立する」というけれど、反対にあちらの保守の方がキャメロン的になることだって考えられるのではないかと思いますが・・・。いまの時代が、サッチャーやレーガンのような強い保守主義を求めていないということです。 |
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4)どうでも英和辞書 |
back of the envelope:いい加減な
たいていcalculations(計算)という言葉を後ろにつけて"back of the envelope calculations"という使い方をするようです。意味は「いい加減な計算」。保守党が掲げる経済政策について、労働党のゴードン・ブラウンが
The Conservatives are building every single policy on a myth. Do the British
people want to gamble their economic future on the basis of a back of the
envelope calculations like this? 保守党の政策は、どれをとっても神話のうえに成り立っている。自分たちの経済の将来を、いい加減な計算に基づいたギャンブルに賭けるなんてことを英国民が望んでいると思います? |
と批判しています。back of the envelopeは「封筒の裏」という意味ですよね。何かの計画を立てるときに、ちゃんと計算するのではなく、その辺にあった封筒の裏に落書きするような感じでとりあえず計算することってありますよね。ブラウンによると、保守党の政策なんてみんなその程度のものだというわけです。"back of the envelope idea"という使い方をすることもあるのだそうです。これだと「思いつき」となりますね。むささびという動物は、どちらかというとback of the envelopeで生きているケースが多いのではないかと推察いたしております。
consider:考慮する
Simon Jenkinsという英国の政治ジャーナリストによると、選挙の際のマニフェストでよく使われるのが、この言葉なのだそうであります。例えば「5年以内に子供の貧困をなくす」(to end child poverty in five years)という公約の場合、"we will consider ending child poverty in five years"とやるケースが多いのだそうです。これだと「貧困をなくす」ことを約束するのではなく、それを「考慮」することを約束する、というわけです。Jenkinsによると、"we will introduce a bill to end child poverty in five years"と書いてあるのならば信用性が高い。貧困撲滅のための「法案を国会に提出する」(introduce a bill)という言葉があるのかないのかの違いです。
considerと同じような働きをする表現として「検討する」(we will consult on...)とか「調査する」(we will set up an inquiry into...)というのがあるそうであります。どこも同じなのですね。
roundabout:ラウンダバウト
信号がないのに交通事故が少ない英国の道路の特徴的なアイデアがroundaboutであるという外国人は多いですね。場所によって大小いろいろな規模のものがあるけれど、要するに交差点に信号をつけて交通規制する代わりに、交差点そのものを回廊のようにして、ドライバーは自分の出たい出口を出ることで、結果的に交差点を通過したのと同じことになるという仕掛けであります。
roundaboutにさしかかると、まずは一時停止をする。そして右側から来るクルマに注意する。右方面から来るクルマに絶対的な優先権があるので、それをやり過ごさなければならない。で、自分の番がきたら回廊の中に入るのですが、その際に左側のウィンカーを点滅させながら入ると、最初の出口で出るという意思表示になる。十字路交差点でいう左折ですね。最初の出口を通過するあたりで左ウィンカーを点滅させると2つ目の出口で出るという意味。つまり直進です。右折しいたい場合は、roundaboutに入る時点で右ウィンカーを点滅させながら走って3つ目の出口を使う。もちろん交差点と言っても十字路とは限らないから出入口も4つ以上のケースだってあるわけですが、理屈はおよそ上のような感じです。
信号交差点に慣れている私などは、roundaboutにさしかかると自分が運転しているわけでもないのに、非常に緊張するわけですが、おそらく慣れてくるとこの方が安全ということが言えるかもしれない。どの車も同じ方向に進んでいるのだから、信号交差点の場合のような直進車と右折車の衝突事故があり得ない。
いうまでもなく、roundaboutは十字路交差点(cross)に比べると土地のスペースにかなり大きな場所が必要になるので、日本のような場合、都市部でこれを作るのはタイヘンかもしれない。けれど田舎では可能なのでは?
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5)むささびの鳴き声 |
▼Finstock村の我が家にはCedar Cottageという名前がついています。直訳すると「杉の小屋」ですね。このあたりの家をみると、どの家にも名前がついています。Cherry Tree CottageとかYew Houseとか・・・。うちの隣はごく小さな家で、私よりは7~8才は上なのではないかと思われる老人(男性)が独り暮らしをしております。なにやら寂しげな彼の家にはSunnyside(陽のあたる場所)という表札がついている。我が家の住所は9 High Streetなのですが、このあたりの家を見ても番地が殆ど分からない。はっきりしているのは家の名前。ひょっとすると、郵便物が届くのは宛先にCedar Cottageと書いてあるからなのではないか?Jiro Harumiという住人の名前なんて全く関係ない。
▼アメリカの場合、私の知る限りでは都会でも田舎でも番地が万能です。2018 California Streetとか133 First Avenueとか・・・。郵便物は住人ではなくて番地に届く。タクシーに乗ってもその町に一つしかない「番地」へ連れて行ってくれるのだから絶対に間違いがない。おそらく英国でも事情は同じなのだと思うし、XX CottageだのXX Houseだのというニックネームが幅を利かせるのは、よほど有名な家か、コミュニティそのものがFinstockのようなごく小さなところだけなのでしょう。
▼で、日本はどうかというと、これは姓名、特に姓が決め手の世界ですよね。番地よりも「小林」とか「竹田」のような家族の名前が中心だから表札が非常に大切であるわけです。
▼個人的な体験談ですが、半世紀も前に東京・新宿区で郵便配達のアルバイトをしたことがある。新宿区と言っても結構広いけれど、私が働いたのは牛込郵便局。昔フジテレビがあった河田町も担当区域であったのですが、参ってしまったのは「河田町11番地」という番地だった。かなり広いエリアをカバーしていて、少なくとも40~50軒の家は「河田町11番地」であったわけです。でも、さすがですね、私を指導してくれたおじいさんの配達員は全部「名前」で記憶していました。「池辺さんは交番の筋向い」、「三宅さんはこのタバコ屋の裏」、「篠田さんはソバ屋の隣」・・・という具合です。
▼「番号主義」のアメリカに対して、「姓名主義」の日本。それに対してFinstockでは家の持ち主が勝手につけた「ニックネーム」が大きな顔をしている。私は、この村の「ニックネーム主義」に英国人の自分の住居に対する愛着のようなものを感じて楽しい気になるわけであります。ちょっと離れた町からタクシーに乗っても「Finstock・High Street・Cedar Cottage」で分かってもらえるのだそうです。日本でタクシーに乗る場合は、大体において付近の有名な建物とか施設とかを目印にしますよね。「三越の筋向い」、「飯野ビルの先」、「麹町警察の裏」という具合です。アメリカ人に言わせれば、FinstockもJapanも実に合理的でないやり方をしている。でもアメリカの番号万能主義は味気ないよね・・・などとほざくのは、なぜか合理的になれない人種の負け惜しみかもね。
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