musasabi journal 192

home backnumbers uk watch finland watch
むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2010年7月4日
先日、知り合いの誕生日パーティーに出席したときに、キャメロン政府による付加価値税(VAT)の値上げが話題になりました。日本でいう消費税みたいなものですが、これまで17.5%だったものが20%に値上げされることになると発表されている。「日本のVATはどのくらいかね」と聞かれて「いまのところ5%」と答えたら皆さん、目の玉が飛び出さんばかりに驚いておりました。
目次

1)ワールドカップ狂想曲
2)キツネと都会人
3)キャメロン政府のFree School推進計画
4)英国の変遷②:EUにいる限り王室の変質は不可避
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)ワールドカップ狂想曲

6月27日、ドイツに完敗してイングランドのファンにとってのワールドカップは終わってしまったわけでありますが、屈辱的(humiliating)な敗北を喫したイングランドの選手たちが帰国したときの様子を伝える6月29日付けDaily Mailの記事は次のように書かれています。

まずはやたらと長ったらしい見出しから。

Not a fan in sight: England's band of toothless lions skulk home to get back to what they do best... making money
ファン一人も見当たらず。歯の抜けたイングランドのライオンたちの一行がすごすごと戻ってきた。彼らが最も得意とすること、すなわち金儲けのために・・・

これだけでもおよその察しがつこうというものですが、記事の本文は次のように始まる。

England's football flops landed back in Britain this morning to face public anger over their appalling World Cup performances.
イングランドの出来損ないフットボール選手一行がワールドカップにおける情けないパフォーマンスについての国民的な怒りに直面するべく、今朝英国に着陸した。

The shamed stars touched down at Heathrow Airport shortly after 6am and immediately tried to shuffle out of view.
赤っ恥をかいたスターたちは午前6時すぎにヒースロー空港に到着、すぐさま隠れ去ろうと試みた。

そして、選手たちと一緒に降り立った彼らの奥さんやガールフレンドをそれぞれの名前とやたらと大きな写真入りで嫌味たっぷりに伝えてから、今回の屈辱的完敗について「戦犯」扱いされているカペロ監督(イタリア人)の今後については、

Manager Fabio Capello has so far refused to quit after the cowardly FA failed to sack him. The 64-year-old Italian hung on for a potential £12million payout despite masterminding the 4-1 defeat to Germany on Sunday - England's worst-ever performance in a World Cup match.
監督のFabio Capelloは、イングランド・フットボール協会(FA)がクビにし損なっており、これまでのところ辞任を拒否している。64才になる、このイタリア人は、1200万ポンドにも達する可能性のある給料にしがみついている。日曜日の対ドイツ戦4対1という敗北を指揮した人物であるにもかかわらず、だ。あれはワールドカップにおける試合の中では最悪のパフォーマンスであったのに、である。

という具合であります。ほとんど国賊扱い・・・。

▼Daily Mailは、いわゆる「高級紙」(quality paper)という部類には入らないかもしれないけれど、大衆紙よりはまともとされている新聞であり、1896年創刊、発行部数もThe Sunに次ぐ大きさです。つまりかなりの影響力を持っていると思うのですが、この記事を読んでいると、イングランド・ファンの欲求不満をそのまま文字にしているという感じで笑ってしまう。ファンと一緒になって怒っていることで部数拡大をねらった!?

▼ドイツ戦をテレビで見た英国人の数は推定で1950万人。英国の人口はざっと6000万人だから、およそ国民の3分の1が見たということになる。これははんぱな数字ではない。日本の試合を4000万人が見るようなものですからね。

▼Guardianのサイトにはイングランドのワールカップ狂想曲のサンプルがいくつか出ています。例えば、イングランドがワールドカップに残っている間は首相官邸にイングランドの旗が掲揚されていた。これについては、スコットランドやウェールズの関係者から文句がついたこともあったのですが、なぜかさして問題にもならずに終わり。

▼イングランドが負けてほっとしている英国の関係者もいます。例えばLadbrokesという賭け屋の大手。イングランド対ドイツ戦に賭けられた金額は全部で2500万ポンド、賭け率は7-3で英国有利とされていたのだそうです。つまりLadbrokesの大儲けという結果になったということ。

▼ところでDaily Mailによる日本=パラグアイ戦の評価ですが、120分にわたるゲームそのものはパラグアイが支配しており「パラグアイに勝利の資格があった」(Paraguay deserved to win)としています。日本については「リスクをとることがほとんどなかったが、リードするチャンスもあった」(Japan risked little but had their chances to seize the lead)と書いている。またコマノがゴールに失敗してピッチに倒れ込んでしまったときの岡田監督の行動について「威厳を持って彼(コマノ)を慰めるべく近づいていった」(manager Takeshi Okada strode solemnly out to console him)と表現しています。

back to top

2)キツネと都会人


6月初旬のことだったと記憶しているのですが、ロンドン市内の住宅街のある家庭で、生後9か月の双子の赤ちゃんが寝ているところをキツネに襲われて大けがをするという事件がありました。夜の10時頃のことで、両親は居間でテレビを見ており、赤ちゃん二人は2階の寝室で寝ていたのを襲われたのだそうです。

英国では昔から都市部にキツネが出没しており、彼らはurban fox(都市キツネ)と呼ばれて、田舎にいるキツネとは異なるものとして扱われているようです。Guardianによると、都会にキツネが現れたのは1930年代のことで、最初は射殺したり罠で捕まえたりしたがうまくいかず、そのままいついてしまったのだそうです。1980年代の終わりごろの都会のキツネ人口は全体のキツネ人口の約14%にあたる3万3000頭と推定されている。

キツネは昔から童話に出てきたりして、それなりに親しまれているけれど、「狡賢くて怖いもの知らず、群れをなして人間を襲う」という悪いイメージでも語られることが多い。英国の田舎では昔からキツネ狩りが盛んに行われており、キャメロン首相なども狩り好きで知られているのですが、前の労働党政権下で馬とイヌを使ったキツネ狩りは残酷だという動物愛護団体からの圧力で禁止されています。

urban foxの場合、一匹のメスから4匹生まれるのが平均で、春に生まれて6月には人間でいうとティーンエージャーとして近辺をうろつき始め、秋になると自分のテリトリーを求めて巣立っていくのが通常のパターンなのですが、多くのurban foxがクルマにはねられるなどして2才になる前に死んでしまう。人間に飼育された場合の寿命は14年ですから、実はかなり長生きなのですね。

▼若いurban foxは怖いもの知らずで、住宅に侵入して居間のソファーで寝ていたりするらしいのですが、それにしても、ロンドンの事件の場合、なぜ赤ちゃんを襲ったのか?気になって妻の美耶子の友人である動物心理の専門家に聞いてみたら「おそらく赤ちゃんが発するオッパイのにおいに惹かれたのだろう」とのことでありました。日本では山間部で、人間がクマやイノシシに襲われるという話はあるけれど都会のキツネというのはあまり聞かないですね。


back to top

3)キャメロン政府のFree School推進計画


イングランドにはacademyと呼ばれる小学校が203あります。「公的なお金で運営されてはいても地方政府のコントロールを受けない」(publicly-funded schools which operate outside of local authority control)教育機関です。教師の給料、教科内容なども含めた学校の維持・運営について、普通の公立学校のように地方教育委員会によってコントロールされることがない。この場合の「公的なお金」(public fund)はロンドンの中央政府から支給される。「政府がお金を出してはいるけれど民間的な発想で運営される教育機関」という存在です。

現在のキャメロン政府が推進しようとしているFree School計画は、このacademyに相当する小学校をさらに増やそうというもので、父兄、NPO、民間企業などによって自主的に設立・運営される教育機関の振興を狙っているものです。Michael Gove教育大臣が熱心に進めており、全国の公立小学校に対して、Free School計画に参加するためにacademyの資格を取得するように呼びかけたりしている。

民間の自主運営に政府がお金を出す(state-funded, independently run schools)という、ちょっと考えると矛盾しているようなシステムはスウェーデンの小学校教育をモデルにしているのだそうで、The Economistによると、スウェーデンではその学校の成績だけでなく、競争関係にある付近の学校の成績向上にも役に立っているとのことです。

Gove大臣によると、英国の公教育は先進国の中でも最も階級的かつ差別的なものであり、それが故にイングランド全体の公立学校出身者が18才になって試験を受けると、最優秀の成績をおさめる生徒の数は、イートンのような私立学校1校の出身者の数にも及ばないのだそうです。それくらい公立学校の教育が遅れているということであり、その問題解決には学校運営を民間の自主性に任せると同時に競争原理を導入することが肝心というわけです。

The Economistによると、この計画は従来の学校関係者の間では評判が悪いのは当然なのですが、それよりも気になるのは、スウェーデンにおける教育実態の調査結果として、free schoolが好成績をあげているのは、どちらかというと教育レベルの高い両親の子息であって、例えば移民家庭が多い地域などではほとんど成果が上がっていないということです。

一方で英国とスウェーデンでは事情が違うということで、英国におけるfree schoolの将来に楽観的な見方をする人もいる。英国には、すでに富裕層の子息が通う私立学校というものが確立されていて、free schoolは公的なコントロールを嫌う熱心な教師(父兄ではない)によって推進される可能性が高いということです。free schoolの考え方に共鳴しているNew Schools NetworkというNPOには、すでに700以上のグループや個人からの問い合わせがあったのですが、特に目立ったのがエリート大学出身者で恵まれない学校で教えることを望む人たちからの問い合わせだった。

スウェーデンやアメリカのnew schoolはこれまでのような校舎ではなく、空家になった住宅、廃業した店舗やオフィスなどを使って運営されるケースもある。そうすれば学校設立に関する費用も大幅に少なくなって設立がしやすくなる。Gove大臣もこれを望んでおり、そのためにも地方のお役所による認可の規制緩和を進めなければならないと張り切っている、とThe Economistは伝えています。


▼政府が音頭をとって政府のコントロールが利かない学校を作るというのは従来の考え方すると矛盾もいいところなのですが、公立学校の教育向上が急務である英国ではこれを矛盾と言っているだけでは間に合わないということなのかもしれない。

▼しかし気になるのは、ここ30年ほどの英国を見ていると、特にサッチャーさん以来、政治が教育に口を挟みすぎて結局さしたる成果が上がっていないという側面があるように思います。そしてその理由の一つとして挙げられるのが現場の教師の意向があまり反映されていないということがあるのかもしれない。


back to top
4)英国の変遷②:EUにいる限り王室の変質は不可避


Andrew RosenによるThe Transformation of British Life 1950-2000という小さな本を手がかかりに20世紀後半の英国社会において、それまでの主流(オーソドックス)とされた機関や習慣が衰退したり、変質していることの例として前回は労働組合を取り上げました。今回は王室(Royal Family)です。

まずRosenに出ている世論調査をいくつか紹介します。1964年の調査では約3000人の成人を対象に「王室への想い」(attitudes to royalty)を聞いたところ60%が「全く良い」(entirely favourable)、9%が「まあまあ良い」(largely favourable)と答えている。つまりほぼ7割の人が王室という存在について好意を持っているということです。その約30年後の1993年で同じような質問をしたところ、「王室の中には贅沢三昧の生活をしている人が多すぎる」という人が80%にものぼり、94年の調査では、王室は「現状のままで良い」という意見が29%であったのに対して、「王室は民主化して、もっと親しみのもてる存在であるべし」(democractic and approachable)という人54%、「王室という制度そのものを廃止すべし」という人が12%という具合に、30年前に比べると、王室に対する国民の視線がかなり厳しいものになっている。

そして、2000年6月のGuardian紙の王室の必要性に関する調査はさらに象徴的な結果となっています。

あなたは王室がなくなると、英国は良くなると思いますか・悪くなると思いますか?
悪くなる 良くなる 分からない
1987年 77% 13% 10%
2000年 44% 27% 29%

1987年には圧倒的多数が、英国にとって王室は必要だと考えていたはずなのに、20世紀の終わりになると「王室はない方がいい」という人が倍増しているだけでなく、「分からない」という懐疑派は3倍も増えている。「王室はない方がいい」という人が過半数(27%+29%)であるともとれる数字です。

Andrew Rosenによると、そもそも王室に対して英国民が何らかのイメージを持つようになったのは19世紀も終わりに近いころからなのだそうで、具体的に言うと、ビクトリア女王の即位60周年(1897年)を記念して、植民地の代表をロンドンに招いて一大パレードを行ったことに端を発している。そして1932年、George 5世が行った英国と英連邦諸国の国民に向けたChristmas Broadcastは、国民が王室に対して親近感を持つようになるきっかけとなった最も重要なイベントであると言える、とRosenは言っています。ラジオというメディアによって可能になったものです。

第二次大戦後、テレビが登場するのですが、王室についての報道は、1953年の現エリザベス女王の戴冠式のような公的な行事に限られていた。それを変えたのが、Richard Cawstonというテレビ番組のプロデューサーが作ったRoyal Familyというカラーのテレビ番組だった。1969年のことで、BBCとITVの両方で放映されて約4000万の英国人が見たとされています。王室の人々の家庭生活を描いた番組で、エディンバラ公がバーベキューを作ったけれど大して美味しくないので評判が悪かった、というような場面が放映される。「人間的な王室」(royalty as human beings)という描き方で、前代未聞とされた番組だったそうです。

Richard Cawstonの番組によってメディアと王室の関係にも変化が出てくる。王室ウォッチングを専門にするジャーナリストが現れて、ダイアナ妃とチャールズ皇太子、ヨーク公とサラ・ファーガソンの間柄のような話題面白く書きたてることで、王室のニュースを国民的な娯楽(public entertainment)として扱うようなケースも出てきてしまった。Richard Cawstonの番組が描いたのが理想的なファミリーとしての王室であったけれど、それがきっかけで激化した王室報道は必ずしも王室にとっては好ましいものではなかった。

ただ、チャールズ皇太子などはメディアの持つ影響力を積極的に利用しようとする王室メンバーの一人で、1992年に女王の秘書官あてに書いたメモランダムの中で、大衆紙によるスキャンダル報道に対抗してテレビの活用を提言して次のように書いている。

テレビをなるべく活用するようになることを望みます。大衆に対する権威という意味では最大のウェイトを持っているメディアなのだから、これを活用できればタブロイドの行きすぎに対する本当の反論のための財産になり得るはずです。
I do hope we can make as much use as possible of television. As the medium which carries the greatest weight of authority with the public, it should be a real asset in countering tabloid excesses.

チャールズ皇太子は1994年にJonathan DimblebyというBBCの記者とインタビューをして、実にさまざまな事柄を率直に語ったことで、自分の人柄をさらけ出して大衆に判断をゆだねるという結果になった、とAndrew Rosenは言っています。エリザベス女王が相変わらず大衆との距離を保つことで守られているとは対照的ということです。

チャールズ皇太子はとてつもない数のチャリティ活動に名前を連ねているにもかかわらず、ダイアナ妃との夫婦関係などをめぐっては悪役を演じる結果になってしまった。そのダイアナ妃が悲劇的な死を遂げたとき英国の大衆は嘆き悲しみ王室批判まで飛び出したわけですが、1年ほどたってその大衆ヒステリアが収まると、それまで王室がどうしてもできなかったことが実現します。つまりチャールズ皇太子に対する大衆の評価が上がり始めたのです。

ダイアナ妃が死ぬ前に行われた世論調査では、チャールズ皇太子の仕事ぶりに「満足している」と評価したのは42%に過ぎなかったのに、彼女の死後1年経った1998年8月の調査では63%にまで上昇したわけです。Andrew Rosenはこの現象について、英国人が皇太子の社会活動を評価するようになったというよりも、メディアの間で延々と続く王室批判めいた報道に大衆が嫌気をさしていて、ダイアナの死後これがようやく沈静化したことにほっとしたということなのだ、と言っています。

英国民が王室をどのように評価しているのかとは全く別の次元で、英王室が変わらざるを得ない要因として、Andrew Rosenは英国と欧州の関係を挙げています。これまで王室は英国のみならず英連邦諸国の王室でもあった。エリザベス女王はカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど英連邦諸国の象徴的元首(symbolic head)でもあるわけですが、現実の英国は英連邦よりもEUへの帰属意識の方が強くなっています。1932年にGeorge 5世が行った最初のクリスマス放送は英国および英連邦諸国の国民に語りかけた放送であったのですが、エリザベス女王がEU諸国の国民にむけて、あたかも彼らが自分の国の国民であるかのように語りかけるということはあり得ない。このあたりのことについて、Vernon Bogdanorという専門家は次のように書いています。

これからの王室は新しい形の象徴性を造り出さなければならないかもしれない。そのことによって国家元首がEUの一員としての英国を代表する存在になるということである。どのみち王室というものは、基本的に想像の産物という性格を有した機関であり、DisraeliやBegehotはそのことを十分に理解していた。
The monarchy may have to develop new forms of symbolism so that the head of the nation can represent Britain as a member of the European Union. Monarchy, after all, is essentially an institution of the imagination, as Disraeli and Begehot so well understood.

Benjamin Disraeliはヴィクトリア朝時代の政治家で首相を二度(1868年、1874年~1880年)務めています。Walter Begehot(1826年~1877年)は文筆家でThe Economist誌の編集長であった人です。

▼ヨーロッパとの関係が深化すれば英王室も変わるという指摘は尤もで面白いポイントですよね。つい最近のことですが、英国のWilliam Hague外相が行った演説の中で、英国政府はEU関連の諸機関の幹部にもっと英国人を登用するように働きかけると言っています。EUの中で主役を演じる国になるのだ、と言っているわけですが、大英帝国の名残である英連邦はますます遠くなりつつあるということです。

▼日本の天皇は、昔はともかく現在は「国民の象徴」です。特に何をするというわけではないけれど、自然災害の現場を慰問すると被害者が勇気づけられたりする。「王室が想像の産物である」というのは、そういうことを言っているのですよね。ひょっとするとWalter Begehotは、英国人にはそのような「象徴」の存在を受け入れるような性格があると見抜いていたのかも?マッカーサーがあえて天皇制を廃止しなかったのには、日本人ついての同じような見方があったのかもしれないですよね。

back to top
5)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら
hedgerow:生け垣

hedgerowという英語の意味を英和辞書で調べたら「(田舎の)生け垣」となっている。私が持っている英和辞書の編集者があえて「(田舎の)」という風に断ったのは、おそらく英国の田舎でみられるhedgerowを意識してのことなのでしょう。私の理解によると、生け垣というのは住宅を囲むようにして作られている垣根のことだと思うので・・・。


とにかくイングランドの田舎へ行くと、とてつもなく広大な畑のようなオープンスペースを仕切るようにして低木を絡ませた「生け垣」が延々とつながっている風景にお目にかかります。hedgerowにはそれなりの歴史と伝統的に受け継がれてきた作り方があり、野鳥や野ウサギ、キツネなど野生動物にとって貴重な住まいともなっているので、これを伐採したりするにはお役所の許可が必要になる。


遠くから見下ろすと、hedgerowがつらなる風景は美しいと思うのですが、hedgerowが両側につらなる大して広くもない田舎道をクルマで通ると左右に広がっているはずの美しい田園風景が全く見えない。しかもぐねぐね曲っていて前方の見通しがよくないので、向こうからクルマが来て出会い頭の衝突になるのでは、と恐ろしい気さえする。英国における自動車事故の多くがカントリーサイドで起こると聞いたことがあるけれど、このような道を結構な速度で飛ばすのは(私の感覚からすると)目隠しされて運転するようなものであります。日本の道路のようにミラーでも立っていれば出会い頭の衝突を防げると思うのですが・・・。


speed camera:運転速度監視カメラ

英国の幹線道路をクルマで走っていると、このようなサインが頻繁に出ています。クルマの速度違反を監視するカメラなのですが、英国経験が長い、ある日本のビジネスマンの経験談によると、制限時速30マイル(約48キロ)の道をうっかり35マイルで走ってしまったところ、後ろで監視カメラのフラッシュがピカーッと光ったのだそうです。「あ、やってしまった」というわけで、観念して待っていたら数日後に罰金(35ポンド)の督促状が送られてきた。これを払わないでいると、何回か督促された挙句、1000ポンド(約13万円)の罰金刑に処せられるのだそうであります。

5マイルの速度超過で35ポンドの罰金というのが、高いのか安いのかは分からないけれど、はっきりしているのは、速度違反はほぼ必ず捕まるということですね。日本でよくあるような警察官が監視していて白バイで追いかけてくるというようなやり方ではないから、「うっそぉ、そんなに速く走ってねえよ」とか言うわけにはいかない。ましてや警察署長を知っているからということで大目に見ていただくということもない。違反は違反ということですね。

日本の道路では10キロ程度速度をオーバーして走るのは当たり前になっている。時速40キロの道路を40キロで走ったりすると、後ろからイライラして追い抜いて行くクルマがたくさんいますよね。たまにパトカーとすれ違ったりしても全くお咎めはない。何のための制限速度なのさ?たまにもの陰に警官が隠れていて、ちょっとの速度違反を捕まえたりすることもある。おかしいですよね。


stairs:階段

Bill Brysonという人が書いた"At Home: A Short History of Private Life"という本は、日常生活で使うモノの歴史を語る本なのですが、その中に「stairs:階段」についてのうんちくを語る部分があります。それによると、マサチューセッツ工科大学(MIT)のJohn A Templerという建築工学の先生の計算では普通の人が階段を一段(a step)踏みはずす確率は2222回に一度なのだそうです。2222回、階段を上り下りすると必ず一度は踏み外すということです。ちょっとした事故(minor accident)になる確率は6万3000回に一度、痛みを伴う事故は73万4000回、入院を必要とする事故の確率は361万6667回に一度だのだそうです。階段事故の9割が降りるときに起こり、事故の3分の2が最初と最後の3段で起こっているのだそうです。

だから何なのさ、と言われると「いえ、別に・・・」としか言いようがない情報なのですが、私のような年齢(68才)になると必ず階段事故にあうと思いません?私の母親は駅の階段で転んで腕を折ってしまった。だから私も池袋の駅などではしっかり手すりにつかまることにしているのであります。

ところで、我々がお世話になっている英国Finstock村の「築350年長屋」は生意気にも2階建てなのですが、この階段の使いにくさ加減たるや、どうにもしようがない。なぜ使いにくいかというと、ステップの幅が異常に狭いうえに螺旋状になっており、しかもカーペットが敷いてあるので滑りやすい。私、アメリカの住宅などで廊下や階段にカーペットを敷きつめてあるのが非常に気になるのです。ここはやはりむき出しの木製に決まっておる!

で、Bill Brysonにハナシを戻すと、これまでに見つかっている世界最古の階段は、オーストリアのHallstattというところにあるもので、約3000年前に作られたものと推定されている。この階段は地下から塩を採掘するsalt mineで使われていたものなのだそうで、これが梯子と違って、手を使わずに昇り降りするためのシステムとして使われた最初のものだ、とBill Brysonは申しております。 階段の第一号は「昇る」ためではなくて、地下へ「降りる」ために作られたのであります。だから何だってのさ!?

back to top
6)むささびの鳴き声

▼ワールドカップでドイツにやられたイングランド選手の帰国風景を伝える英国紙の論調とあまりにも違うのが、パラグアイに負けて帰国した日本選手を迎えるファンの様子を伝える産経ニュースの記事ですね。「感動をありがとう」というわけで、関西空港に詰めかけたファンから「次々にニッポンコールがまきおこった」とのことであります。

▼英国の論調がこれほどまでに選手たちに厳しかったのは、相手がドイツであったからなのか、負けっぷりが悪すぎたからなのか・・・おそらく怒っている本人たちにもよく分からないのかもしれない。それにしても英独戦の前にNew York Timesが「英国人がヤイヤイ騒ぐほどドイツ人は英国を敵視していない」と言っていました。これにはイングランドの人々はますますアタマへ来たでありましょうね。「眼中になし」と言われたのと同じで、しかも実際に歯が立たなかったのですから。

▼日本とデンマークの試合をBBCで中継したのを見たのですが、そのゲームで日本の選手が立て続けに二人、イエローカードをもらったシーンがありましたね。その理由が、スローインの際に何もしないでボールを長く持ち過ぎたということだったと記憶しています。そのときにBBCの解説者(元フットボール選手)が「ボールの持ち過ぎでイエローカードなんて初めて見た」という意味のことを言っていました。こちらのファンから見ると、日本の選手の動きは失敗を怖れてばかりいるという風にうつるのかもしれない。積極的でないのです。だから失敗は少ないかもしれないけれど、見ていていらいらするという部分がある。

▼同じことが野球にも言える。前にも書いたことがあるけれど、アメリカのジャーナリストであるロバート・ホワイティングが、日本のプロ野球の試合がやたらと長いのは、2-3のフルカウントがあまりにも多すぎるからだと批判していましたね。パターンが決まっている。第一球、見逃しのボール。第二球もボール。第三球はストライクでカウントは1-2。四球目はファウルボールで2-2となって、五球目がボールでフルカウントというわけです。

▼なぜこうなるのか?解説者(ほとんどが元プロ野球の選手)の言うことを聴いていると察しがつきます。第一球からスイングしてアウトになんぞなろうものなら「もっと慎重にいかなければダメ」とくる。これは打者に対するお叱りです。次にピッチャーが第一球からストライクを投げてヒットを打たれたとします。「最初からど真ん中に投げるのはあまりにも無策」とくる。要するに第一球に関しては、ピッチャーはボールを投げ、打者はスイングをしないのが正しい野球であると思いこんでいるふしがある。その底にあるのは「間違ったらアカン」という消極性であり、「勝つ」ことよりも「負けない」ことを大切にしてしまう哀しい習性のようなものです。お陰でフルカウント野球は時間がかかる割には面白くない。

▼サッカーのことは全く分からないのですが、見るスポーツとしての面白さは全員が一丸となって敵陣に攻め込んでいくときのパスのスリル、それと個人プレーの場合はドリブルのスリル・・・これらが基本のように思えるのですが、違いますか?つまり日本がデンマークに勝った試合でも3点目がいちばんサッカー的だったということです。

▼長々とお付き合いをいただき有難うございました。イングランドは夜の9時でも明るい毎日です。楽しいには違いないけれど、冬になると午後3時なのにもう薄暗い。私は日本の夏のように夜7時ごろになると暮れる方が極端でなくて好きであります。
back to top



←前の号

messages to musasabi journal