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むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2010年7月18日
英国経験が長い、ある日本の人が「英国ではウィンブルドンが終わると夏が終わると言われている」と言っておりました。そう言われてみると、空が高くなったような気がしないでもありません。いまは季節で言えば夏であり、暑い日もあるのですが朝晩はかなり肌寒くて、早春という感じであります。「英国にはweather(天候)はあるけれどclimate(気候)がない」とはよく言ったものです。非常に変わりやすい。日本ではこれからが夏の本番ですね。
目次

1)お子さまお断りの村
2)英国、電車通学
3)チャールズ皇太子と教会
4)むささびの友だち:人間は動物たちの守護者なのだ
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声

1)お子さまお断りの村

スコットランドのHighlandsにあるFirhallという村の住民が「子供嫌いの鬼たち」(child-hating ogres)と呼ばれて困っているそうであります。ここはいまから7年ほど前に、退職後のお年寄りたちが暮らすリタイヤ・ビレッジとして開発されたところで、子供のいる家庭は住めないという規則になっている。人間の子供以外にアウトなのは、アヒル、ウサギ、ハトなどで、イヌは一匹だけ。なぜかネコは入っていない。面白いのは、飼ってはいけない動物の中にハチ(bee)が入っていることで、英国の田舎へ行くとミツバチを飼う人が結構いるのですよね。

退職後の生活を静かに暮らしたいお年寄りのための規則というわけでありますが、当然のことながら「老人たちを世の中から隔離するような住宅地を作ることが望ましいことなのか」(if it is desirable, or even practical, to encourage the sort of settlements where older people are segregated from the rest of society)という疑問の声があります。

この住宅地を開発した不動産会社では「Firhallに住んでいるのが、子供嫌いの鬼みたいな人たちというのはメディアが勝手に作り上げたイメージです。皆さん、お孫さんが訪問されるのを楽しみにしているのですから・・・」と言っている。つまり子供が訪問するのは構わないということです。が、その頻度には制限がある、とBBCが伝えています。

住民の代表でFirhall Trustという財団のDavid Eccles会長は「年をとるとある程度は平和で静かな生活を送りたいもので、ここにはそれがあるんですよ」(Living here gives a certain measure of peace and quiet which is what many of us look forward to as we are getting older)というわけで、住民が鬼だなんて「これ以上の事実無根はない」(nothing could be further from the truth)と怒っているのですが、BBCによると、息がつまるというので出て行ってしまう人も結構いるとのことであります。

この村の住宅のお値段はというと、7年前のハナシですが6万から13万ポンドまでいろいろある。日本円でいうと800万~2000万というところですね。

この村で暮らすには、他にもいろいろ約束事があります。例えば「フェンスを作ってはいけない」とか「庭の手入れは家屋から1メートル以内とし、それ以上は財団が派遣する庭師にまかせる」とか・・・つまり手入れもしないで放っておくのもいけないけれど、付近の住宅との調和を乱すようなガーデンニングも禁止ということですな。

最近の英国では、財政難とういこともあってかつてのように地方自治体が老人ホームを作るということが少なくなっており、老後の生活を平和に暮らす場が求められているということに眼をつけたのがFirhall村開発計画なのですが、Highlands Senior Citizen Groupという老人団体の会長さんは

アメリカから輸入した人工的な生活であり財力のある人たちが住める住宅であり、いろいろな人が交わりながら暮らすというコミュニティにおける家庭生活の伝統に反している。若い人と暮らすのは怖いという人がいるけれど若い人も老人から学ぶことがあるし、その反対もある。It is an artificial life imported from the US and available only to those who can afford it. It goes against the tradition of families in mixed communities. I know that some old people live in fear of younger people, but the young can learn from the old and vice versa.

とコメントしています

▼そういえばアメリカにはgated communityなるものがあるそうですね。ある地域全体をフェンスで囲み、そこへ入るためには守衛がいるゲートから入らなければならないという、あれ。なにが面白いんですかね。

▼Finstock村の場合、道を歩いているとおばあさんとお孫さんと思われる人たちが手をつないで散歩しているのを見かけます。あれはきっと2世代住宅に暮らしていて、両親とも仕事に出かけているのであろうと想像しています。

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2)英国、電車通学


私は最近、毎日のようにオックスフォードへ電車で通っています。電車通学の中で気がついたことをいくつか・・・。

まず電車の頻度ですが、およそ1時間に一本。オックスフォードまでの約20分の電車賃は往復で5ポンド。私が乗るのは朝10時少し前の電車です。5ポンドはピーク時(ラッシュ時)外の料金でして、9時前のピーク時だと6ポンドになる。当たり前ですが、ピーク時は夕方にもある。けどなぜかそれはどうでもいい。それから片道切符を買うと(たぶん)3ポンドくらいになる。英国の鉄道の場合、料金体系が極めてややこしい。いろんな切符がありすぎる。一等車か普通車か、片道か往復か、ピーク時かそうでないか・・・ネットで見ることができるけれどアタマが痛くなります。

次に切符の購入について言うと、私の地元の駅にはキップ販売機はあるけれど使われていない。なぜかというと、機械をぶっ壊して中のお金を持って行ってしまうケースが頻発したから・・・と張り紙がしてあります。私が出かける時間帯は、切符売りの窓口で駅員が売る。昔の日本がそうでしたよね。あの頃は良かった!?クレジットカードでも買うことができます。切符売りの窓口は午前中しかやっていません。それ以外は車内で車掌さんから買います。つまりオックスフォードへ行く場合は、切符がなくても乗車はできる。オックスフォードから帰ってくる場合は、オックスフォードの駅の自動改札を通るときに切符が必要ではあるけれど、こちらの駅に到着してからは必要ない。日本の場合は両方で必要ですよね。


地元の駅に新聞が置いてあります。無人スタンドなのでありますが、その横にHonesty Boxなるものが置いてある。上の写真の右側にあるのがそれ。訳すと「正直箱」ですが、新聞の料金(1ポンド)を入れる箱であります。なぜHonesty Boxなのか?貼り紙がしてあって次のように書いてある。

We supply these newspapers on trust and rely on your honesty to pay for them in full.
私どもがこれらの新聞を置いているのは、正直に料金全額をお支払いただけるものと皆様を信頼してのことであります。

なるほど・なるほど・・・で、貼り紙はさらに続けて

Over the last four weeks 28 pounds worth of papers have been taken without payment. Regrettably, if this continues we have to discontinue this service.
この4週間ほどの間に28ポンド相当の新聞がタダでとられております。今後このようなことが続きますと、残念ながらこのサービスを続けることができなくなります。

と訴えております。貼り紙の主は地元の新聞販売店なのですが、思わず笑ってしまったのは、この正直箱と新聞のスタンドががっしりした鎖でつながれていたことであります。「皆様の正直さを信頼」というわりには、鎖をつけない限りHonesty Boxが盗られることを信じて疑わないという風情で、このアンバランスというか「どっちつかず」というか、首尾一貫していないところが素晴らしい。それと被害が一か月で28ポンド、つまりおよそ一日1ポンドですよね。その程度でキャンキャン言うことないんでないの?!むしろ店番なしで新聞が売れることの方を喜ぶべきなのでは?

この駅でみた貼り紙でもう一つ笑えるのがありました。それは「10時8分発のロンドン行きの電車がキャンセルになった」(10.08 to Paddington is cancelled)としたあとで「この電車を利用する人をご存じの方は、9時52分発を利用するように伝えてください」(If you know anyone who catches the 10.08 can you please advise them to catch the 09.52?)となっておりました。駅員さんも必死で天にもすがる思いで貼り紙したのでしょうが、10時8分に乗るつもりで駅に来た客はカンカンに怒るでしょうね。10時8分発のあとは11時5分までないのだから。


いつも思うのでありますが、なぜ英国の電車の車内はかくも汚いのか?上の写真は、電車の中の風景で、時間帯は夜の8時ごろ。座席の上に散らかっているのは、無料新聞、Metroを読み終わった客が捨てて行ったものです。この電車はロンドンのパディントンという駅を始発としてオックスフォード経由でさらに田舎の方へ走っている。つまり座席の上の新聞は、ロンドンで乗車した客が、パディントンの駅で配られているものを手にして乗車したものです。

写真の場合は座席の上の新聞ですが、床にペットボトルだのアイスクリームの容器を捨てて行ったりする。これ、汚いというよりも不潔の範疇に入ります。そしてこれらのゴミの掃除をするのは、私の見た限りにおいては、一日の例外もなく黒人のおじさんだった。客の8割以上が白人で、キップを調べに来る車掌は必ず白人です。

オックスフォードから帰宅する電車の窓から見える郊外の田園風景は見事に手入れされていて本当にきれいです。しかるに電車の中となるとこのざまであります。繰り返すけれど、客の圧倒的多数が白人です。おそらく彼らが帰っていく家にはこぎれいに手入れされたガーデンがあって、たぶん週末ともなるとガーデニングで優雅に息抜きというライフスタイルなのですよね。

無料新聞で鉄道の駅が散らかって関係者が困っているということを、以前むささびジャーナルでもお話したことがあります。駅での無料新聞の手渡しを禁止するというのも手段の一つかもしれないし、極端に言うと発行そのものを止めさせようという人が出ても不思議はない。でもやはり読者本人が家へ持って帰るか駅のくずかごに捨てるのが当たり前です。日本人はそうしている。というわけで、この部分については、英国人にも知らせようということでむささびジャーナルの英語セクションにも掲載しました。

あ、それからこちらの電車はどこ行きであるのかが全く分からないようになっています。日本では電車のアタマかお腹の部分に「荻窪」とか「西武秩父」などと書いてありますよね。それがない。しかもプラットフォームの看板にも次がどこの駅なのか(日本の場合だと「←練馬 江古田→」)が書かかれていない。だから知らない人は、プラットフォームに入ってきたのがロンドン方面に行くのか、田舎の方へ行くのかが分からないという素晴らしいシステムになっております。

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3)英国の変遷③:チャールズ皇太子と教会
英国王室のトップがが英国国教会(Church of England)のトップ(英語ではSupreme Governor:最高統率者)であることは、ヘンリー8世がローマ教皇庁から決別を宣言する2年前の1534年に作られたAct of Supremacyなる法律によって決まっています。また英国王室のトップはDefender of the Faith(信仰の擁護者)ということにもなっている。

私、このあたりの霧の彼方の歴史については強くないので、適当な歴史本でも参考にしていただくとして、前々号から紹介しているAndrew Rosenの本によると、いまから約20年前の1998年、初めてテレビの単独インタビューに応じたチャールズ皇太子が、「自分が国王になったあかつきにはDefender of the Faithであるよりも、Defender of Faithになりたい」と発言して話題になったことがあるそうです。the FaithもFaithも日本語にすると「信仰」になるけれど、theがつくと特定の宗教に対する信仰ということになる。もちろんこの場合は、キリスト教(それも英国国教会が教えるキリスト教)ということです。theなしのFaithはもっと広く、宗教一般についての信仰ということになる。

チャールズ皇太子がtheのつかない信仰の擁護者になりたいと発言したのは、彼がChurch of England以外のキリスト教宗派のみならずイスラム教、ヒンズー教などキリスト教以外の擁護者になりたいと宣言したようなもので、Rosenは

キリスト教以外の宗教に対する皇太子個人の関心の深さを示すものであると同時に、英国が多宗教社会になりつつあることへの皇太子の理解を示している。Charles' declaration reflected not only his own spiritual journey and deep interest in non-Christian religions but his understanding that Britain was evolving into an increasingly multi-religious society.

と書いています。20世紀の後半における英国国教会の衰退ぶりを示す数字はいろいろあります。教会の会員数が1950年~1995年の40年間で300万人から180万人にまで減少し、信仰確認をした人は1960年~1997年で19万人から何と4万人にまで減っている。

さらに切実な数字としては、1960年~1997年の37年間で物価は22%上がっているのに教会の聖職者(clergy man)の給与は23%も下がったという数字もあるし、1980年代末の不動産景気の際の投機がうまくいかず教会が持っている不動産の価値が29億ポンドから22億ポンドにまで下がってしまったということもある。

尤も衰退をたどっているのはChurch of Englandだけではなくて、英国ではキリスト教そのものが衰退しているとしか思えない数字がある。1970年~1995年の25年間でカソリック教会は29%、Presbytarianという宗派33%、Methodistは35%、それぞれ会員数を減らしている。Anglican(英国国教会)は最大で40%も会員が減ってしまった。20世紀も終わりの1999年の調べで、英国人の中で1週間に一度は宗教礼拝に参加すると答えた人はわずか12%、しかもこれはイスラム教を始めとするキリスト教以外の宗教人口を含めた数字です。キリスト教の衰退ぶりは明らかです。

Andrew Rosenはまたキリスト教が持っていた政治への影響力の衰退の例として1994年から始まったスーパーのような小売業の日曜オープンを挙げています。これは宗教界の少なからざる反対にもかかわらず通ってしまったもので、90年代の終わりごろ、日曜日に教会へ行く人が100万人いたとすると大手スーパーのSainsbury'sには150万人が訪れるようになった。Sainsbury'sによると、いまでは日曜日が最も混雑する日になってしまったのだそうです。

というわけで、キリスト教会の方は全く意気が上がらないという感じなのですが、1975年から1995年までの20年間で、キリスト教以外の宗教の信者が45万人から130万人と3倍以上も増加したという数字があります。これはイスラム教やシーク教、ヒンズー教のようなアジア系移民の社会における宗教の世界の話です。英国ではキリスト教メソジスト派よりもイスラム教人口の方が多いとさえいわれています。アジア系移民の方が大家族かつ家族の間の絆が強いので、個人主義的なキリスト教はどうしても押されてしまうという状況であります。

イングランド、スコットランド、ウェールズがますます非宗教社会になりつつあるのに対して、英国内で唯一キリスト教が生活の中で重要な役割を果たしている地域として、Andrew Rosenは北アイルランドのことを話題にしています。他の地域では日曜日の礼拝に出席する英国人は12%程度にすぎないのに、北アイルランドの場合はこれが半数以上にのぼるのだそうです。

ここではプロテスタントとカソリックの人々が分かれて暮らしていて、学校もプロテスタントの子供が公立学校に通い、カソリック系の家庭の子供たちはカソリック系の私立学校に通うケースが圧倒的です。またプロテスタント系住民の7割が自分はBritishであると考えているのに対して、カソリックではこれが1割しかいないという数字もある。またカソリック系住民の6割以上が自分たちがアイルランド人であると考えているという調査もあります。

Andrew Rosenは、北アイルランドにおける対立は、基本的にはBritishとIrishの間の民族的なアイデンティティ(national identity)を巡るものであり、その中で宗教が主な役割を果たしているというのが図式であると言っています。つまりBritishとIrishの対立が解消されれば、カソリック対プロテスタントという対立も影をひそめるであろうということです。

▼最初に出てきたチャールズ皇太子のDefender of Faith発言ですが、Andrew Rosenによると、この人が国王になる際の戴冠式をこれまでのような国教会のやり方ではなく多宗教社会を反映したような式典にすることを英国国教会の関係者がまじめに考えているとのことであります。

▼以前、ウェールズの首都、カーディフを歩いたときに、昔は英国国教会のチャーチであったものが、つぶれてしまって現在ではDIYショップになっているなんてのも見たことありますね。私たちが暮らしている村にも古い教会があるにはあるけれど、信者が少なすぎて日曜礼拝が成り立たないというわけで、付近の村の教会と持ち回り開催のようなやり方をしているようです。ただWitneyという町へ行くと、St Maryという英国国教会の大きなチャーチがでーんと構えていて、いつも夕方ごろに行くと鐘が町中に鳴り響く。これなどを聴いていると、ここはキリスト教の世界なのだと改めて感じたりもする。その教会からすぐのところにワールドカップでどんちゃん騒ぎをやっていたパブがある。
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4)むささびの友だち:人間は動物たちの守護者なのだ


Finstock村の我が家のお隣さんは、フレーザーとマーサの夫婦、それにビリーというワンちゃん(ジャックラッセルテリア)という家族です。ファミリーネームはリンゼイ。フレーザーは43才、マーサの年齢はたぶん30代であろうと思いますが聞いていない。フレーザーはアイルランド系で、マーサはウガンダからやってきた。彼らがFinstockへ引っ越してきたのは約4年前、その前はオックスフォードを含めて結構いろいろなところで暮らしたのだそうです。いずれにしてもFinstock土着の人たちではない。


彼らが外出するときに妻の美耶子がたびたびビリーを預って面倒をみてきたということもあって、先日、夕食に招かれました。フレーザーは職業としては、いまいちはっきりしないけれど、庭師のようなことをやったりしているようであります。英国の場合、日本のように「教師」とか「新聞記者」とか「サラリーマン」などような「定職」についてはおらずいろいろなことをしながらそれなりに収入を得ているという人が結構いるので、フレーザーの場合もそれほど不思議な存在というわけではない。

ただフランスとイタリア経験が長くてフランス語とイタリア語がしゃべれる。このことだけでも、英国人としてはメチャクチャ変わっているけれど、政治・文化から動植物のことまで私の基準からすると、ほとんど異常ともいえるほど知識が豊富であり、フレーザーがただの庭師でないことは確かです。尤もはっきりしていることも二つある。まずフレーザーの料理の腕前がプロ級であるということ、それと二人とも極めて熱心なキリスト教徒であるということであります。

夕食に招かれたときにフレーザーが作ってくれたのが、タマネギをタルトの中に入れて、お酢と砂糖で味付けをしてオーブンで焼いたもので、名前はオニオン・タターという食べもの。生まれてそれまでに食べた料理の中でも十本の指に入るくらい美味しいものだった。なんと言っても有難かったのは、脂っこくないということで、英国料理につきものの重い感じが全くしないものであったということです。

で、食事を終わってワインをちびちびやりながら四方山話をするなかで、なぜか日本による捕鯨ということが話題になった。マーサに「アナタはクジラを食べるのか?」と聞かれたので、「うんと小さいころに食べた記憶はあるけれど、何十年間とクチにしたことはない」と言うと多少安心したような顔をした(と私には見えた)。そこでその話題はお終いにしておけばよかったかもしれないのに、心にあることがつい口に出てしまう私のくせがここでも出てしまい「でも、私がクジラを食べないのは、欧米の動物愛護のグループが言うようにクジラが絶滅の危機に瀕しているということが理由ではない。ただ何となく食べないだけ」と言ってしまった。

さらによせばいいのに追加して、昔、あるオーストラリア人と捕鯨について議論をしたときのことを話題にしてしまった。そのオーストラリア人はクジラの人口が減っているのだから、これを捕獲するのはよくない、という趣旨のことを言っていたので「ある生物の人口が減っているとか増えているとかいう理由で、殺してもいいかどうかを決める権利は人間にはない。牛の数は減っていないのだから殺してもかまわないというのは差別だと思う」と私が言うと非常にイヤな顔していたのであります。

私がこの話をすると、フレーザーが「我々人間は動物の守護者(custodian)であるからして、ある動物が絶滅の危機に瀕している場合はこれを守る義務があるのだ」と言い始めた。彼とマーサの論理によると、この世の中には、一番上に神という存在があり、その下に人間、さらにその下に動物がいる。この関係からして人間が動物を守るのは神に対する義務でもある、ということになる。

「それではどの動物は殺してもオーケー、どの動物はダメというのを人間が決めるのですか?」と私がいうと「それが守護者としての義務なのだ」とフレーザー。マーサが「でも、どこにラインを引くのかが問題よね」というので、「ラインなど引けないに決まっているでしょ。人間にはそんな権利はないのだから」と私が教えてあげると、「それは危険な考え方よ」とマーサが反論し始める。ラインは引けないというような考え方は無秩序に繋がるというわけです。

で、「私の場合、草刈りをするときだって正直言うと、刈られる草に対して申し訳ないような気になりながらやるのさ。でも申し訳ないからと言って、草刈り止めるということではない。自分の庭をきれいにしたいし・・・でも申し訳ないと思いながら刈るのと、何とも思わずに刈るのでは違うと思うな」と私が自分でもわけのわからないことを口にしたところ、フレーザーが非常に意外なことを言いましたね。「植物と動物は違う。草はいくら刈っても構わない」というのであります。「道理でアンタ、この間、除草剤をまいていたよね。あれは残酷だ」と私が非難したりして、あとは何やらカンカンガクガクという感じで、ついにマーサが「ジロウ、貴方にあげたいものがある」と言って、持ち出してきたのが、やたらと分厚い聖書だった。「無理とは言わない、絶対に。でもこれを読んでくれたら私は嬉しいと思うわ」というわけで、「初めに言葉ありき(In the beginning was the Word)」という有名な言葉で始まるヨハネの福音書から読むように勧めてくれました。

というわけで、夕食会が思わぬ討論会のようになってしまったわけでありますが、マーサもフレーザーも東洋人とこのようなディスカッションをしたのは初めてのことで、それなりに楽しんでいたようであります。やはり自分たちの世界だけで考えているよりも私のようなよそ者の話を聞くのも面白いと思ったのではないか、と私は勝手に想像しております。で、日本へ帰ったら禅の本を送るから、と約束しておきました。おそらく禅の教えでは、人間が四足動物の守護者であるということはないと思うし、草花なら殺してもいいとも言っていないであろう、と言うのが私の言葉でありました。

リンゼイ夫婦の家そのものは、いまのところはワンルームですが、敷地の広さは少なくとも3000坪はある。実に広大で日本なら絶対にアパートか別荘を建てると思うけれど、ここではお役所の許可が絶対に下りないのだそうです。現在、フレーザーが自分の敷地を整備中で、あと数年すると素晴らしい庭園が出来上がります。石積みからすべて自分でやっているのですが、プロ級の腕前であることは間違いない。「アナタは一体、何なのですか(What are you?)」と聞いたら笑っているだけでありました。工事中の彼の敷地にはなぜか「(有)堀江建材工業」という日本の土建屋さんの名前が書かれたショベルカーが置かれてあります。中古市場で手に入れた宝物なのでしょう。


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5)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら

call signs:コールサイン

外資系の会社とか航空会社の人と電話で話をすると、アルファベットを正確に伝えるためにコールサインが使われますね。例えば「むささび:musasabi」の場合、「メキシコのM、ユナイトのU、スペインのS・・・」という具合です。いきなり「メキシコ・ユナイト・スペイン・・・」とか早口に言われてまごつくこともある。いずれにしても電話で伝える場合、SなのかFなのか、PなのかTなのか分かりにくいので誤解をさけるためにコールサインが使われるわけでありますね。で、実際に国際的に通用するアルファベットのコールサインがPhonetic alphabetというサイトに出ているのですが、私などが勝手に使っているのとは全く違いますね。私の名前(HARUMI)を自己流コールサインで言うと左のようになりますが、国際的に通用するのは右側なのだそうです。

H HONG KONG HOTEL
A AMERICA ALPHA
R ROME ROMEO
U UNITE UNIFORM
M MEXICO MIKE
I ITALY INDIA

ぜんぜん違いますね。HのHOTEL、IのINDIAあたりはいいとしても、ALPHA、ROMEO、MIKEあたりになると思いもよらない。


car park:駐車場

car parkというからクルマをテーマにした公園でもあるのかと思ったら駐車場のことでした。Finstock村の近くの町のスーパーの駐車場は非常に広くてゆったりしているのですが、場所によって駐車していい時間に違いがあります。1時間、3時間、9時間の3種類があるのですが、当然のことながら制限時間を超えて駐車すると罰金をとられる。あとになって気がついたのですが、このcar parkを管理・経営しているのはスーパーではなくて、West Oxfordshire County Councilというお役所(日本でいうと県庁)なのですね。妻の美耶子の経験によると、10分超過しただけで、罰金35ポンド。クルマに戻ってきたら、それらしきおっさんが駐車違反のチケットを切っているところだったので「10分くらいカンベンしてもらえません?」と抗議したのですが、違反は違反というわけで、許してはもらえなかった。

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6)むささびの鳴き声


▼我々が暮らしている村からバスで40分、電車だと20分弱のところにオックスフォードの町があります。このところ大学主催の夏季講習に参加するために毎日電車通学をしています。私が参加しているのは、どちらかというと外国人向けのコースで、英文学研究コースと政治・歴史コースの二つがあります。私が参加しているのは後者の方なのですが、参加者は2コース合計で約120人、圧倒的多数がアメリカの学生さんで、このコースに出ることによって単位がもらえるのです。

▼で、何をするのかというと、大学が用意したゼミの科目の中から二つ選ばなければならない。一つではダメ。私の場合は「1900年~1945年の英国政治」(British Politics 1900-1945)というのと「変わりゆく英国」(Changing Face of Britain)の二つですが、他にも「人権」「グローバリゼーション」「中東研究」「非植民地化の流れ」「EU研究」等々いろいろある。そしてゼミは小さな部屋で6人程度の学生と講師がテーブルを囲むような形で授業をする。これが2時間です。

▼もう一つ、毎日あるのが大教室での「講義」(lecture)です。これには政治・歴史コースの全員(約60人)が参加します。まずは講師が1時間半ほど話をし、そのあとで質問を受け付ける。これも全体で2時間です。テーマは「EUのこれから」「戦争はなぜ起こるのか」「金融危機についてのフランス人の見方」「イスラエルと中東」等々、国際政治や経済が中心です。つまりゼミ+講義=4時間を3週間続けるわけです。参加費用は、私の場合で約13万円(1000ポンド)ですが、大学の寮に宿泊していないので多少安い。アメリカ人たちは1400~1500ポンドくらい払っているようです。

▼ゼミや講義以外に夜の催しとしてディスカッションや読書会というのもある。参加しているアメリカ人の殆どがオックスフォードや英国が初めてというわけで、彼らのための観光企画も用意されています。パブ巡り、シェイクスピア生誕の地で劇を見るツアー、ロンドンの博物館を見て回る会・・・要するに3週間びっしりオックスフォードと英国文化を体験してもらおうというわけです。

▼なぜここまで詳しく紹介するのかというと、この夏季講習が大学にとっての大切な収入源になっているであろうと思うからであり、「知」を売りものにした大学ビジネスの典型例であろうと思うからです。さらに(私からすると)驚異的なのは、オックスフォードの中心部を歩く観光客の群れです。ガイドさんに連れられて博物館などを見て回るのですが、コースの中に私が毎日通っているExeter Collegeという大学のキャンパスも含まれている。おそらく各Collegeの歴史とか有名な卒業生などについてのエピソードを語ったりしているのでしょう。

▼大学のみならず町全体が、オックスフォードの「知」によって人を惹きつけ、それによって生きているわけですね。夏季講習に参加していると、大学側の必死さ加減がうかがえます。参加者を納得させるような内容にすることで、リピーターが増え、口コミで参加者が絶えないという状況が作れるのですから。

▼講習が終わるまでに約2000語のミニ卒論を提出することが求められている。大学生の場合、これをやらないと単位がもらえない。私の場合は面白半分で参加しているにすぎないので単位がとれてもとれなくても関係ないし、言葉のハンディと知識不足もあってゼミの授業に追い付いて行くのが精一杯というところですが、卒論だけは提出しようと思っています。学生さんには単位がかかっているけれど、私には意地がかかっている!

▼長い間お付き合いをいただき有難うございました。今回のむささびジャーナルは発行が遅れました。それもこれもBTという英国版NTTのような通信会社のドジのお陰でインターネットができない状況が続いてしまったからです。BT、BA、BP・・・英国系の大企業にはろくなものがない!
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