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むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2010年8月1日
前回のむささびジャーナルの最後の部分で、Bがつく英国の会社にはろくなところがないと書きました。石油のBP、航空会社のBA、そして通信のBT。いずれもBはBritish。でもなぜかそう言わない。詳しく書く場所ではないので書かないけれど、私と妻の美耶子が大損害を被っているがBTです。このむささびジャーナルもまともに送れるものやら。詳しくは英文セクションに書かせてもらいました。
目次

1)Free Schoolはうまくいかない
2)「65才=定年退職」が許されない時代
3)無意味に厳しいアメリカの犯罪対策
4)むささびの友だち:アメリカ人女性が英国に感じる「壁」
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声

1)Free Schoolはうまくいかない

前々回のむささびジャーナルで、キャメロン現政権が推進しようとしている教育政策の一つにfree schoolsの奨励があると紹介したと思います。きわめて簡単に言ってしまうと、教育熱心な親たちが集まって自分たちの学校を作りたいと思えば、中央政府がお金を出してくれる・・・というアイデアであります。その場合、これまでの学校のように地方自治体の教育委員会(Local Education Authority: LEA)のお墨付きは要らないし、学校運営についてもLEAの支配は受けないというものであったわけです。

スウェーデンがこの方式を採用して成功していると言われているのですが、最近のBBCのサイトで、英国教育学会(Institute of Education)のSusanne Wiborgという比較教育(comparative education)の専門家の意見として、このシステムの採用で得をするのは、どちらかというと高学歴者を親に持つ家庭であり、実際には社会的な分離現象が起こる可能性もある(Swedish-style free schools in England could increase social segregation)という反対意見を述べています。

そもそもキャメロン政府がなぜこのやり方を推進しようとしているのかというと、子供たちの教育をお役所の支配から解放し、両親や企業、NPOのような民間の自由な意思や力に任せることによって、競争も起こりその結果として教育水準も向上するであろうということであるわけです。free schoolを設立・運営するための資金を中央政府が出すというのは、矛盾しているようにも思えるけれど、福祉国家のスウェーデンではそれで成功しているというのが政府の言い分です。

これに対してWiborg博士は、スウェーデンにおける「成功」をよく観察すると、高学歴層の家庭にはある程度成果があがっているかもしれないが、これまで教育程度が低かった家庭や移民の子供たちにとっては、フリースクールの影響は「ほとんどゼロ」(close to zero)なのだそうであります。

キャメロン政府の考えによると、free schoolの制度によって両親が学校運営に参加できるということになっているのですが、Wiborg博士によると、英国の親が子供の学校運営などに興味を持っているのかが疑問であるとのことです。スウェーデンには確かにそのような伝統があるけれど、英国には親がそれほど学校運営にまでかかわるという伝統がない。というわけでfree schoolの運営は、企業が行うということになるだろうということです。スウェーデンではJohn Bauerというドッグフードのメーカーがfree schoolを27校運営しているとのことです。

英国文部省の関係者は「英国では貧困家庭の子供たちが最悪の教育しか受けられず、富裕家庭は子息を私立学校を通わせて質の高い教育を受けさせている」(In this country, too often the poorest children are left with the worst education while richer families can buy their way to quality education via private schools)として、政府が進めるfree schoolの強みについて、教師が自主的に設立できる点を強調して次のようにPRしています。


教師自身が新しい学校を設立できる制度によって、子供たちに対して、これまでは富裕層のみが享受していたような教育へのアクセスが可能になる。つまり学級規模が小さくて、教師も優れ規律もしっかりしている教育である。By allowing teachers to set up new schools we will give all children access to the kind of education only the rich can afford - small schools with small class sizes, great teaching and strong discipline.

キャメロン政府のfree school計画には、すでにドバイ系の企業が参加希望を表明しているのですが、Wiborg博士は、

英国におけるfree school計画に欠けているのは、子供たちの教育に参加することで、公的なお金を使いながらも潜在的には企業の利益を増大につながるようなことを誰が許されるのかということについての根本的なディスカッションである。What was lacking was the "fundamental discussion" of who should be allowed to educate children and potentially boost their business interests with public money.

▼前回もちらっと申し上げたのですが、オックスフォードでの夏季講習ではミニ卒論の提出が求められており、私もお粗末ながら「教育と階級」というテーマで提出しました。これを作成する過程においていろいろな本や調査結果に触れることができたのですが、確かにこの国における教育は貧富の差というものに抜き差しがたく影響されているようです。このあたりのことについては別にもう少し詳しく紹介させてもらいますが、キャメロン政府のfree school計画が行き詰まること間違いなしであることはWiborg博士の言葉を待つまでもないと思います。

▼それは上に紹介した文部省の担当官のコメントでも明らかです。このコメントは現在リッチな家庭の子供たちが受けている教育が素晴らしいということが前提になっていて、貧しい家庭の子供たちにも「さあ、アナタたちもお金持ちみたいな学校生活ができるのよ!」と言っているのと同じです。しかしいま上流・中流階級の子供たちが受けている教育は本当にそれほど素晴らしいものなのか?英国が捨て去ろうとしてきた「階級」なるものを知的な部分で支えてきたのが、イートンであり、ウィンチェスターであったのではなかったのか?

▼英国のfree school計画はともかくとして、いまの日本における教育格差はどのようになっているのか?ある記事を読んでいたら、日本は英国のような階級社会ではないというのは実はウソで、第二次世界大戦に敗れて戦前の価値観や制度が根本的に崩れたと思っているとしたら大間違いであると書いてありました。

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2)「65才=定年退職」が許されない時代


7月29日付のBBCのサイトによると、英国における定年退職の年齢制限が間もなく取り払われるとなっています。これまで英国では、従業員が65才になると、雇用主である企業が年齢を理由に何らの補償金も払わずに解雇することが許されてきた。これを雇用不履行引退年齢(default retirement age)というらしい。

▼defaultという英語のはっきりした意味が私には理解できないのですが、おそらく雇用主の側が従業員に対して雇用義務を履行しないで済む状態のことをいうのではないかと、私なりに勝手に想像して「雇用不履行引退年齢」という漢字だらけの日本語にしてあります。要するに雇用主が従業員を「正当に」解雇できる年齢ということです。

政府の方針としては、来年(2011年)の10月をもって企業が従業員に対して雇用不履行引退年齢を強制することを禁止するということであります。つまり65才を過ぎても本人が希望すれば仕事を続けることができるということでもある。

これまでの労使関係では、雇用主は従業員が65才の誕生日を迎える6か月前に定年退職について話し合わなければならないとされているのですが、これは間もなく65才を過ぎる従業員に対しては6か月の期間さえ与えれば企業の都合で定年退職とすることを通告できるという意味でもあった。

定年退職(retirement)に関する法改正は、保守・自民の連立政権合意事項に含まれているものなのですが、今回の改正については、年齢差別主義反対の運動を行ってきたNPOなどは歓迎しています。だたこの改正は、これまでも進行している公的年金の支給年齢の引き上げと抱き合わせで考えないと、よく分からないことになる。

連立政府の方針としては、男性の場合の公的年金の支給時期を現在の65才から66才に引き上げる方針なのですが、引き上げの時期は男性の場合は2016年以後、女性については2020年以後とされている。

BBCによると、英国において積立による公的年金制度(contributory state pension)が導入されたのは1926年のこと。その当時は65才まで生きるとされた人の数は男で全体の3分の1、女性は半数に過ぎなかった。現在、65才まで生きた人の平均寿命は、男性が86才、女性は89才。つまり定年退職後、さらに20年以上生きることになる。

そこで考え出されたのが、年金支給開始を遅らせると同時に、強制的な定年退職制度を禁止するということです。BBCによると、公的年金の支給開始を1年遅くすると全体で年間35億ポンドの節約になる。65才になったという理由だけで退職を強制されないとなると、仕事を続けるわけで、65才以後も所得税を払い続けることになるので、政府の税収も増えるというわけです。

65才を過ぎても自動的に定年退職扱いできないという、今回の改正について、英国経済連盟(CBI)は、企業側を代表して「もう少し準備期間が欲しい」とコメントしています。

▼最近たびたび引き合いに出すAndrew Rosenの本によると、いまから約130年前、1881年の英国では、65才を超えた男性の73%が有給の仕事(paid work)をしていたのだそうです。100年後の1980年の英国で65才以上の男性で給料をもらって仕事をしている人はわずか13%にまで下がっている。

▼いまの日本の定年退職年齢は何才なのでしたっけ?私の場合は60才であったのですが、その後いろいろなところに拾われて、結局、67才くらいまで給料をもらう生活をしていたわけです。給料をくれるのは有難かったけれど、できることなら何もしないで給料をもらえないものかということはいつも考えておりました。


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3)無意味に厳しいアメリカの犯罪対策


The Economistの7月22日号にCrime and punishment in America(アメリカにおける犯罪と罪)という記事が出ています。イントロが「アメリカは不必要に多くの人々を刑務所に入れすぎている。ほとんど犯罪とは言えない行為で収監されるケースもある」(America locks up too many people, some for acts that should not even be criminal)となっており、刑務所に入れられる人の数の国際比較でアメリカがダントツで多くなっている数字が示されています。

国民10万人あたりの収監者(inmates)数
アメリカ 748人 中国 120人
ロシア 600人 カナダ 117人
ブラジル 243人 フランス 96人
イラン 223人 ドイツ 87人
英国 143人 日本 63人


The Economistの記事は、大したことでもないのに刑務所に入れられてしまった例をいくつか挙げています。

4人のアメリカ人がロブスター(えび)の尻尾をビニール袋に入れてホンジュラスから輸入しようとして逮捕されて刑務所入りしたのが10年前の2000年のこと。未だに刑務所に入っているというケースがあるのだそうです。その当時のホンジュラスの法律では、ロブスターの持ち出しにはダンボールの箱を使うことが義務付けられていた。そしてアメリカには、アメリカ人が外国で狩猟や釣りをする場合には、その国の法律を破ってはならないという法律(Lacey Act)がある。それにひっかかったというわけなのですが、それにしても、そんなことで刑務所入りというのはどうかしている、と指摘しているのがThe Economistの記事であるわけです。別の例としては、絶滅の危機にあると言われる蘭の一種を外国から買ってしまった収集家が、手錠をかけられ逮捕されたうえに懲役17か月で刑務所に入れられたというのも報告されています。殆どお笑いとしか思えないような話ですが、実際に行われてしまっているのだそうです。

法律違反に対する投獄率(incarceration rate)が目立って高くなったのは、40年ほど前からなのだそうで、アメリカだけに見られる現象ではない。同時期、英国におけるincarceration rateは倍増しているし、日本でも50%ほど上昇している。が、The Economistによると、アメリカにおける増加率が4倍にもなっている。

これには社会的・政治的な背景がある、とThe Economistは言います。1970年代に犯罪件数が増加したときに、取締まり強化の世論が極めて高くなって政治家にそれを要求するようになった。そうなると世論受けを意識した政治家が「犯罪に厳しい」という姿勢をとるようになる。具体的には法律違反を厳しく取り締まる法律の制定に走るようになった。それでも犯罪がなくならないともっと厳しい姿勢を示すことで受けようとするし、犯罪が減ると、厳罰化のお陰だということになった。ある種の悪循環(rachet effect)ですね。

例えば麻薬取締法に違反して逮捕、収監された人の数は、30年前の1980年に比べると13倍に増えている。これだけ見ると深刻な数字に見えるけれど、収監者のうち世の中に深刻な害を与えそうな犯罪者がどのくらいいるのか?The Economistによると、多くがそうではない。にもかかわらず重罪扱いされる人が増えるのは、裁判官に対して、犯罪者に厳しくあたるように義務付ける「最低懲役法」(mandatory minimum sentences)という法律が存在しており、情状酌量の余地をなくしてしまっているということがある。

Percocetと呼ばれる痛みどめのクスリを販売していた女性がボーイフレンドとの不仲が原因で悩むようになり、そのクスリを一日に20錠も30錠も飲むようになって逮捕されて7年の刑に服しているというケースは、刑を言い渡すに当たって裁判官自身が被告に対して

私としては、この刑は公正ではないと考えている。私にその力があるのであれば、あなたの場合は長くても1年、その後は治療に充てるようにしたであろう。I don't think this is fair. Had I the authority, I would send you to jail for no more than one year and a treatment programme after that.

などと述べたりしたそうです。

アメリカにおける収監者の数は約240万人と推定されています。つまりおよそ100人に一人が刑務所に入っているという勘定になる。これに保釈中の人などを加えると31人に一人が有罪者扱いされていることになる。いまから40年前の1970年の収監者数は国民400人に一人であったのだから、タイヘンな増加ということになる。お陰で連邦刑務所の収監者数は収容能力を6割もオーバーしており、州刑務所の場合も似たような状況にある、とThe Economistは言っている。

カリフォルニア州の場合、収監者一人あたりのコストは年間5万ドルだそうですが、収監者の数が増えれば増えるほど、軽犯罪で収監される割合も高くなると考えるのが普通です。つまり1年に5万ドルも使って服役させる方が損という場合もある。アメリカでも例外的なところもあって、ニューヨーク州などは全国的な傾向と違って1997年~2007年の10年間で投獄率が15%低下しているのですが、暴力犯罪の数は40%も減っているのだそうです。

オランダなどでは刑務所ではなく保護観察処分というのが増えており、それに伴って刑務所人口はもちろん犯罪件数も減っているという数字が出ている。さらに英国のキャメロン政府でも犯罪者を刑務所に入れるのではなく、コミュニティ活動などに従事させようという方向に向かっているのだそうで、The Economistは


非常に危険な犯罪者は刑務所に閉じ込める必要があるが、アメリカの各州は軽い犯罪については社会復帰の方向で考えるべきであり、そのために犯罪者には学問や労働の機会を与えてこれを奨励すべきであって、選挙権をはく奪するというような無意味なジェスチャーは止めるべきだ。
The most dangerous criminals must be locked up, but states could try harder to reintegrate the softer cases into society, by encouraging them to study or work and by ending the pointlessly vindictive gesture of not letting them vote.

と主張しています。

▼投獄率が40年ほど前から高くなったというThe Economistの指摘は当を得ていますね。英国でサッチャー政権、アメリカでレーガン政権、日本で中曽根政権ができたのが、およそ30~40年前のことです。いずれも「小さな政府」を謳う一方で犯罪に対しては厳しい態度で臨むというやり方だった。私が持っている素朴な疑問の一つがこれで、小さな政府を掲げる政権に限って愛国心を鼓吹したり、軍事力を強化したりして、案外国家主義的なのです。別の言い方をすると経済政策では「小さな政府」ではあるけれど、人々を統治するやり方は「大きな政府」というわけです。サッチャリズムというのがそのようなものであるとするならば、おそらく今の中国は最もサッチャー風な国ということになる?

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4)むささびの友だち:アメリカ女性が英国に感じる「壁」


Finstock村の村紙、Finstock Newsは隔月発行で発行部数は約500部。A4で8ページほどのスペースに、教会の牧師さんからのメッセージ、住民によるエッセイ、村の催しもののお知らせなどが結構びっしり入っています。もちろん広告も。各家庭に配達されているほか2軒あるパブ、それから1軒だけある何でも屋さん(village shop)にも置いてある。もちろん無料です。

Finstock Newsの編集長をやっているのが、アメリカはコロラド生まれのジョイ・マーフィーさん(上の写真左)であります。年齢はあえて聞かなかったけれど、「現役引退の身」というのだから60過ぎってところなのでしょう。アメリカで巡り合って再婚した英国人の旦那さん、ニックとFinstockに住み始めたのが約15年ほど前のことです。Finstock Women's Instituteという村の婦人会の会合で、かつて存在した村の新聞を復活させようと提案したのが10年前。村の空き地を畑にしてご近所さんときゅうりだのネギだのを育てる、日本でいうと「日曜菜園」、英語でいうとallotmentで知り合った仲間たちも加わって発行にこぎつけた。言いだした本人ということもあって編集長にはジョイが就任。モットーは「グローバルに考え、ローカルに行動しよう」(Think globally. Act locally)で、要するに「自分の足元を見ながらも、空の彼方のことも考えて生きましょうよ」ということであります。

そのジョイに会ってぜひ聞いてみたいことがあった。それは「アメリカ人から見た英国、英国人」ということです。私、個人的にはアメリカにも英国にも知り合いがいて、彼らが日本について感じていることは話題になるけれど、彼ら同士がお互いをどのように感じているのかについては余り知らない。言語が同じということが大きな理由であると思うのですが、私の感じ方によると日本人、英国人、アメリカ人が一緒にいたとすると、英米人の間は距離が狭くて、日英・日米間は距離が大きい、二等辺三角形のような図式になる。

というわけでFinstock村のパブでランチを一緒にすることに。その際に彼女が10年ほど前にアメリカ人向けに書いたエッセイを持ってきてくれた。彼女なりの英国観が書かれています。まず「英国好きのアメリカ人」の典型について、第二次大戦直後に英国に駐留した米国軍人たちのことを挙げている。この種のアメリカ人にとって英国は「静かで丁寧、霧と雨の国」(quiet, polite island of fog and rain)」と映ったのだそうです。

しかし英国人がアメリカ軍人たちに対して抱いていた感情は、Over paid, Over sexed, and Over hereという言葉で表現される。金持ちで、セックス好き・・・そんな奴らがOver here(やって来た)というわけです。ジョイによると、その当時の米国軍人の行いが悪かったというわけではなく、「英国人たちが昔から持っている恵まれた者への抵抗感」(the English traditionally resent the better off)のなせる業であった。

また彼女の見るところによると、英国人はアメリカ人のことを「物質主義的で宗教純粋主義」(materialistic and Puritanical)であると考えており、それ以外にもアメリカ人については「微妙な文化やアイロニーが理解できない」、「極端にオープンかつフレンドリーで平等主義的」等々さまざまな否定的な見方をしている。おそらく英国人とアメリカ人は愛憎共存関係(love/hate relationship)にあるのであろうとのことであります。

実は先日、地元の英国人たちの昼食会に招かれて日本について話をする機会があったのですが、その中で私が日英共通の話題として「アメリカ」という存在があるとして、「私の知り合いのアメリカ人(ジョイのこと)が、英国人はアメリカ人のことを"物質的かつ宗教純粋主義"だと考えている、と言っていたけれど、それは本当か?」と聞いてみた。彼らの反応は「賛成!」が圧倒的だった。宗教的な純粋さはともかく、アメリカ人が「物質的」(成金的と表現した方が適切かもしれない)であることは間違いないのだそうです。

私と同じような年ごろの男性が「この国はアメリカに守ってもらうしかない。いやでもそういうことなのだから、どうしてもアメリカに対する見方はcynical(斜めに見るような態度)になってしまうのだ」とため息交じりに言っていました。

ジョイのことに話を戻すと、彼女はエッセイの中で「自分の祖先がイングランドを去った理由が私には分かる(I know why my ancestors left England)」としたうえで

彼らは自由になりたかったのだ。イングランドに欠けていると感じるものがあるとするならば、それは自由ということだ。
They wanted to be free. If there is one thing you do not feel in England it is free.

と断定している。「イングランドのどこに自由の欠如を感じるのですか?」(What makes you feel that England does not have freedom?)と聞いたところ、至る所に設置された監視カメラ(Finstockには設置されていないと思う)のことを挙げて「常に監視されているのよ」と言う。彼女の場合、米民主党の海外組織であるDemocrats Abroadの活動にも参加したりしているので「監視」を感じるのであろうと思います。

自由の欠如の話になった途端にいろいろと英国批判が出てきたのは、彼女が「自由の国」としてのアメリカに対して抱いている愛着心の表れなのかもしれない。彼女によると、英国では恵まれた家庭に生まれると優れた教育や立派な職業が約束される。「イングランドには古い階級制度がいまだに生きている」(The old class system is alive and well in England)とのことであります。「でもあなた自身が差別されたわけではない?」と質問すると、


私もいろいろなことを言われたけれど、英国人と結婚したということで他のアメリカ人とは違うという扱いだったわ。彼らによると、英国へやってきて英国女性と結婚するアメリカの男と私は違う。社会学的に言うと、よそ者がコミュニティに侵入してきて女を盗む・・・そういうことへの反発があるのよ。
One example of the things said to me was -- you married a Brit, that makes a change from all the Americans that came over to England and married British women. Resentment on the sociological level manifested by the outsider coming into the community and stealing the women!

という答えでありました。嫁に来るのはいいけれど、嫁を取りに来るのは許せないってこと!?ジョイが好きな言葉に

You accept what you cannot change and you change those things you cannot accept.

というのがある。「どうしても変えられないものは甘んじて受け容れ、どうしても受け容れることができないものは変革する」という意味ですね。アメリカ人の夫と離婚、子供を4人育て(うち一人は死亡)たあとで現在の夫と結婚して英国にやってきたわけですが、「いまさら夫に合わせて自分を変えることはできないわ」(I cannot change myself into an English man)と言っている。

彼女自身はブッシュ大統領のイラク戦争には大反対であったわけですが、それを理由に英国人がアメリカ全体を批判するかのように言うのは不愉快だそうで、ブッシュがアメリカのすべてではないし「アメリカと言えば何でも悪いとは言えない。アメリカのことは私の方が知っている」(You cannot simply say that all things American are bad. I know better)というようなことを英国人に言うと、あまりいい顔をされないのだそうであります。そんなときにジョイは「自分はやはりアメリカ人なのだ」(I am still an American)と感じてしまうのだそうです。


ジョイとニックのマーフィー夫妻が暮らす家は、我々のCedar Cottageと同じHigh Streetにあるのですが、家の構えもしっかりしていて大きいし、庭はおそらく500坪くらいはある。そこに樹木や草花がにぎやかに植わっている。樹木はニック、草花はジョイの担当らしいけれど、私などから見ると両方とも植えすぎという気がしないでもない。


▼英国で暮らすアメリカ人のジョイが感じる(ように見える)英国や英国人に対する「壁」のようなものは、私などには分からないですよね。英国という国に対して、観察の対象としてお付き合いしているけれど、その社会に溶け込まなければならないという立場にはない私のような人間には、壁など感じる余地がない。ただ、アメリカという国が「物質的」という言葉では語りきれないような大きさと複雑さを持っているというジョイの言葉についてはその通りだと思います。

▼それから、英国人が持つ(とジョイが考えている)「アメリカ人は宗教的な純粋主義者」という見方ですが、オックスフォードの先生が面白い比較をしておりました。英国でキリスト教会の礼拝に参加する人の数が劇的に減少しているのは、国教会という存在のお陰なのだそうです。つまり英国国教会の関係者が全く布教の努力をしなくなったということです。英国国教会には、布教活動などしてもしなくても「我々は国の宗教なのだから潰れっこない」という甘えがある。それに対してアメリカでは国教会の存在そのものが憲法で許されていないので、それぞれの宗派が信者獲得のためにいろいろな努力をしているということがある、とのことです。


▼アメリカ人が宗教的に純粋(Puritanical)というのを別の言い方で表すと「狂信的」ということでもある。オックスフォードの先生によると、アメリカのテレビ伝道とかメガチャーチのようなものは、おそらく英国では根付かないであろうとのことでした。伝道師のビリー・グラハムが英国のサッカー場のようなところに人を集めて説教をしたことがある。物珍しさにそれなり人数は集まったけれど、まったく長続きしなかったそうです。インターネットから宇宙工学、遺伝子工学まで世界の最先端を走っている金持ちである一方で、ダーウィンの進化論はキリスト教の教えに反するということで学校で習うことを禁止している州もある・・・そのようなアメリカは、現代の英国人には付き合いきれないという部分もあるということです。


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5)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら

punctuality:時間をきっちり守ること

アイルランドの首都、ダブリンにある通勤電車の駅にpunctuality=90.36% reliability=100%という見出しの貼紙がしてあります。punctualというのは時間を守ることであり、reliabilityは信頼性という風に訳されますよね。貼紙によると今年6月21日から7月18日までの1か月弱の間におけるこの通勤電車サービスを採点すると、時刻については9割以上、「信頼性」については10割であるというわけです。

言葉にこだわるアイルランドの人たちの性癖なのか、punctualityとreliabilityの定義まで書いてある。

punctuality the percentage of trains arriving no later than five minutes after scheduled arrival time(遅延5分以内で電車が到着した率
reliability the percentage of trains which ran as planned(電車運転のキャンセルなしで行われた率)

punctuality=90.36%ということは、10回に一度くらいは5分以上の遅れを出したという意味でもありますね。でもそれをこうやってPRの材料に使うということは「5分くらい遅れたってどうってことない」と考えているふうにもとれる。reliabilityについては「とにかく走ったのだからいいではないか」と言っているようにも見える。皮肉で言っているのではありません。池袋の地下鉄の駅のように2~3分遅れた程度でアナウンスが謝罪の言葉をがなり立てるのは却ってうるさいし、reliabilityについては英国人を見習えと言いたい。1時間に一本しか走らない電車を当日になってキャンセルされるような仕打ちを受けても黙っている、この忍耐強さは人間業とは思えない。


Summer Time:サマータイム

サマータイムという制度、日本はやっていないけれど英国はやっています。英国のサマータイムのことはBritish Summer Time (BST) といいます。今年(2010年)の場合は3月28日から10月31日までがサマータイムの実施期間で、3月27日に午前7時であったものを、時計を1時間進めて午前8時に設定、11月1日がくるとこれを1時間戻して午前7時にする。もとに戻った時間のことを「グリニッジ標準時:Greenwich Mean Time (GMT)」ともいう。

ということを前置きにして・・・私は毎晩、BBCのRadio Fourというラジオ番組を聴きながら眠るのでありますが、夜中の12時を過ぎるとこれがBBC World Serviceという国際放送に変わる。World Serviceは全世界で聴かれているので、時間を告げるときはGMTを使う。つまり「夜中の12時」というのはGreenwich Mean Timeの12時のことであり、実際の英国はBritish Summer Timeの午前1時であるわけです。

これ、結構ややこしのです。World Serviceを聴いているうちに眠ってしまいますね。眼を覚まして聴くとIt's four o'clockと言ったりする。この場合の午前4時は、まだWorld Serviceを放送中の「午前4時」(つまりGMT)です。それからまた1時間ほどウトウトして目を覚ますとIt's six o'clockとくる。これはRadio Fourに戻った状態の時間、すなわちBSTです。

前にも書いたけれど、私はサマータイムなどという面倒なものは止めた方がいいと思っているのですが、英国でLighter Later(より明るく・より遅く)という運動に取り組んでいる人々は、あろうことか現在の冬時間(つまりGMT)は止めにして、冬季をいまのサマータイム時間、夏になったらそれをさらに1時間早めるべきである、と主張しております。冬はGMT+1、夏はGMT+2というわけです。

この運動のリーダーであるケンブリッジ大学のElizabeth Garnseyという博士によると、これが実現されたあかつきには二酸化炭素の排出量が減り、交通事故は減少、観光産業は潤う・・・といいことずくめなのであります。ただ、なぜそうなるのかが読んでも読んでも分からない。しまいに頭がクラクラしてくる。というわけで、博士の言い分に興味がおありの方はここをクリックしてあげてください。
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6)むささびの鳴き声

▼前回のむささびジャーナルで、隣で暮らす熱心なクリスチャン夫婦と捕鯨の話をしたときのことを書きました。繰り返すと「人間は動物たちの守護者なのだから絶滅の危機に瀕している鯨を捕獲するのは良くない」というのが彼らの説でした。あれから2週間ほどして「通学先」のオックスフォードでノルウェーから来ている中学校の先生(男性)と話をする機会がありました。ノルウェーとアイスランドは日本と同じような捕鯨国ですよね。

▼で、もうすぐ60才かなという見かけのこのノルウェーの先生に「人間は動物たちの守護者・・・」という英国のキリスト教徒との「激論」の話をしてみたところ、彼は「その英国人の言うことは正しい。私もクリスチャンであるが、確か旧約聖書のどこかに神・人間・動物の関係について書いてあった。人間は動物を守るべきだ」とのことでありました。

▼で、「そうですか・・・つまりノルウェーは捕鯨国であるけれど、アナタは鯨の肉なんか食べないってことですね」と念を押したところ「いや食べますよ、ちょっと高いけれど」とあっさり言われてしまった。「牛肉や豚肉と違って、鯨肉のいいところは、お腹にたまらないってこと。日本にはクジラ料理のレストランはないの?スーパーでは売っていないのか?」と問い詰められてしまった。「いや、レストランがないってわけではないけれど、それほど一般的ではないし、スーパーには売っていないと思う」と、妙な成り行きに多少しどろもどろになる私。彼によると、そもそも鯨が絶滅の危機に瀕しているということがウソなのだそうであります。

▼鯨をめぐっていまのところ三つの意見があるということでありますね。

1)英国人+ウガンダ人の夫婦=絶滅する動物を守ってあげるのが守護者である人間のつとめであり、鯨は絶滅の危機にある。だから捕鯨は良くない。食するなどとんでもない。

2)ノルウェー人の教師=人間守護者説は正しい。が、鯨は絶滅の危機にあるわけではないのだから、捕鯨は許される。食べるとなかなか美味しい。

3)むささび=人間守護者説は間違っている。「絶滅の危機」が本当かどうかは分からないし、そんなことはどうでもいい。どうしても食べたければ遠慮すべきではない。が、食べるときにちょっとだけでいいから「申し訳ない」と思うべきである。

▼この中で、我ながらいまいち筋が通らないように見えるのが3)ですね。「申し訳ない」と思いながら食べろというわけですからね。筋を通すためには、申し訳ないと思ったら食べないという態度こそが正しいはず。でも、人間そもそも筋が通らないような存在なのである・・・などと言うと「その筋を通すのが人間のつとめだ」とか何とか言いやがるだろな、キリシタンたちは・・・。


▼捕鯨には関係ないけれど、たった一泊するためにアイルランドの首都、ダブリンへ行ってきました。目的はただ一つ、アイルランドのフォークソングを生で聴くこと。あらかじめネットで調べたところ毎晩、フォークソングを生で聴かせるパブというのがあって、食事込みで50ユーロ、歌を聴くだけだと25ユーロとなっていた。歌を聴くだけで約3000円というのは高い。

▼で、結論だけ言うと、そのパブではなく、別のパブへ行くことになったのであります。さして大きくもないパブに入ると客がビール片手にワイワイガヤガヤ立ち飲みしている。ほとんど立錐の余地もなしという感じであったのですが、何とかカウンターへたどり着き、ギネスを注文してちびちび飲み始めたら、パブの片隅でいきなりバイオリン、ギター、笛、アイルランド風ドラムなどの合奏と一緒に歌も交えた演奏が始まった。


▼全部で7~8人というグループだったのですが、ステージがあるわけではなくて彼らも客と同じレベルのイスに坐って演奏している。それぞれの前にはビールのグラスがゴチャゴチャ置いてある。つまり彼ら自身も客なのですが、好きもの同士が楽器を持ち寄ってセッションを楽しむ。それを私のような聴衆が楽しむという風情です。

▼大体、夜の8時過ぎになると集まってきて演奏するらしいのですが、素晴らしいと思ったのは演奏している人たちの年齢ですね。いちばん若くて30代後半、平均年齢は50~60才。プロの音楽家なのか、アマチュアの同好会なのか・・・いずれにしても聴衆を感動させる迫力がありました。そのセッション自体が店の入口付近のコーナーでやっていたので、演奏家も客も入れ替わり立ち替わり出たり入ったり。何も飲まずにタダで演奏だけ聴こうと思えばできてしまう。私自身、払ったお金はギネス一杯分だけだから、たぶん3~4ユーロ(400~500円)程度であったはずです。

▼O'DONOGHUE'S(オドノヒューズ)という名前のパブで、ダブリンでもやや場末風のところにあります。アイルランド音楽好きならおそらく誰でも知っているThe Dublinersという、有名フォークグループはこのパブでのセッションがきっかけで生まれたものなのだそうです。彼らの演奏を聴いていると、ブルーグラスと呼ばれるアメリカのカントリーソングと非常に似ていることに気が付きます。ブルーグラスそのものが、アイルランドからの移民がふるさとから持ってきた音楽なのであろうと思われます。またO'DONOGHUE'Sで彼らの歌を聴いていると、日本にも昔はあった民謡酒場を想い出す。「大漁唄込み」「ソーラン節」「佐渡おけさ」などが聴かれた、あの場所です。
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