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むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2010年11月21日
とうとう今年も11月の末ということになってしまいました。 時の流れのはやさ加減にため息をつくということは、如何に自分が年寄りであるかを語っているようなものですね。とにかくここから年末までがさらにはやいのであります!上の写真は我が家の一員になって1か月のワンちゃんです。カメラを見ているのがボーダーコリー、横で眠っているのがGerman Short-haired Pointerという種類のワンちゃんであります。
目次

1)The Times:ノーベル平和賞と中国
2)ロシアの「過去」は忘れたい?
3)フィンランド外相が語る「冷静・沈着」外交政策
4)中国のキャメロン
5)もしゴア大統領だったら・・・
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声

1)The Times:ノーベル平和賞と中国


11月20日付のThe Timesが「中国の民主主義(Chinese Democracy)」と題する社説を掲載しています。中国人の活動家、劉暁波氏へのノーベル平和賞授賞に関連するもので「世界はノーベル平和賞に関連した脅しに屈してはならない(The world must not be bullied over the Nobel Peace Prize)」というサブタイトルがついており、このことについての中国政府の対応の仕方は「下手くそにして恥知らず(cack-handed and shameless)」と決めつけています。

ノーベル賞は受賞者本人かその家族に贈られることになっているのですが、本人も家族も中国政府によって足止めされてしまっており、場合によっては授賞そのものが取りやめになることもあり得る。中国政府のこの戦術は、1936年にドイツの平和主義ジャーナリストがこの賞を受けることになった際にヒットラーが採用したものなのだそうです。

The Timesによると、今回の受賞については中国国内のメディアではほとんど報道されておらず、唯一報道したのはGlobal Timesという政府系の英字新聞で、それによると劉暁波氏は「刑務所入りしている犯罪人」(an incarcerated Chinese criminal)」であり、ノーベル平和賞は「中国を怒らせることを意図したもの」(meant to irritate China)と伝えられているのだそうです。

ノルウェーにある中国大使館が他の大使館宛てに授賞式をボイコットするよう要求する手紙を書いたことについては、本来ならすべての国が、そのような手紙は嘲笑って無視すべきであるにもかかわらず、ロシアをはじめとする6カ国がボイコットに賛同しており、事実上の「反民主主義枢軸(orming what is in effect an axis against democracy)」を形成している、としています。

中国政府のやり方は、国内におけるグロテスクな全体主義におとなしく従うよう世界に脅しをかけているのと同じだとして、次のように結論づけています。


もし中国政府の圧力で受賞式が行われないことになったとしても、中国はいかなる意味においても勝利したことにはならないだろう。むしろそのことによって、中国は国際社会の入口のドアのところまで来ていながら、その中でどのように振る舞うべきなのかが殆ど(もしくは全く)分かっていないということを示すことになる。あたかも宴会に招かれたチンピラ暴漢のように、である。
If there is not, China will in no sense have won a victory. Rather, it will have shown that it has arrived at the doors of the international community but, like a thug invited to a banquet, still has little or no idea of how to behave inside.

▼ロシアが中国政府の呼びかけに応じて受賞式への不参加を決めたということを聞いたとき、冷戦時代に戻りつつあるような気分になった。ただロシアと中国が本当にどの程度仲がいいのか?

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2)ロシアの「過去」は忘れたい?


月刊誌The Prospectの11月号に「ロシアの過去を記録・・・乗り気でないメドベージェフ」(Remembering Russia’s past: Medvedev drags his feet)という見出しの記事が出ています。

この記事によると、いまロシアでは国内の各地で、ソ連時代の初期のころに革命政府によって行われた粛清の数々を忘れずに伝えようというので、記念博物館を作る動きがあるけれど、政府の方がこれらのプロジェクトにいまいち乗り気でないのだそうです。

St Petersburg(サンクトト・ペテルブルグ)の郊外にKovalevsky Forestという森があるのですが、ここにはロシア革命の直後に革命政府によって行われたRed Terror(赤の恐怖)と呼ばれる政治弾圧によって殺されたとされる4500人の墓場がある。いまここに、ソ連時代の政治的弾圧を記録しておくためにKovalevsky Memorial Museumという博物館を建てようという運動があり、メドベージェフ大統領も署名までしてこの運動への支持を表明した。それがおよそ1年前のことだそうです。

なのに博物館建設用地さえも法的には確保されていない。地方政府やモスクワの政府が了解すればできることなのに、双方ともに法的な手続きに入っておらず、このままだと博物館建設用地に住宅団地が建設されることにもなりかねないのだとか。

The Prospectの記事はまたSt Petersburgの市内にあるPeter and Paul 要塞(fortress)という場所についても触れています。この要塞はロシア革命の前は牢獄だったところで、革命によって解放されたというので、革命政府によって「ロシアのバスチーユ」(フランス革命のシンボルとなった牢獄)と呼ばれた場所なのですが、ロシア革命後にソ連国民が大量に銃殺された場所でもある(とThe Prospectは言っている)。The Prospectの記事によるとPeter and Paul 要塞は観光名所になっているのですが、ソ連の人々が銃殺された場所であるということは一切知らされておらず、発掘調査も行われていないのに駐車場にされてしまったようなところもあるのだそうです。


▼ロシア革命の結果、1922年に世界初の社会主義国として成立し、1991年に解体されるまで70年間も維持された「ソビエト社会主義共和国連邦」という体制とそこで行われた諸々に現代のロシア人たちがどのように考えているのか、大いに関心があります。確かサンクトト・ペテルブルグという町も、昔はロシア革命の前はペトログラード、革命後はレニングラードと呼ばれていたのですよね。

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3)フィンランド外相が語る「冷静・沈着」外交政策


フィンランドのAlexander Stubb外相が先日(11月11日)、ロンドン大学(London School of Economics: LSE)で演説を行い、EUの外交政策について「新しい現実に対応しよう」(EU must react to the new realities)と訴えたとのことです。ロンドンにあるフィンランド大使館のサイトに出ています。

中国、ロシア、ブラジル、インドなどの台頭がある一方でギリシャ、ポルトガル、スペインからアイルランドなどで経済危機が叫ばれて、ユーロやEUの影が薄くなっているという現実の中で、Stubb外相が訴えたのは"a dignified foreign policy based on listening, dialogue and mutual respect"即ち「相手の言うことを聴き、対話を進め、お互いを尊重する態度に基づいた冷静・沈着な外交姿勢」というものだった。これだと何のことだかよく分からないけれど、外相によるとEUが留意しなければならない「三つの戒め(three commandments」があるのだそうです。

戒めの1:Put our own house in order(自分たちの足元を固めよう)。貿易であれ人権であれ、他の国々に対して影響を与えたいと思うならば、自分たちで範を垂れるような政策を遂行しなければならない。新興国の市場へのアクセスを望むのなら、自分たちの市場も開放的なものにしなければならないし、人権についても同様で、中国に対して少数民族の人権を守るように要求するのなら、ヨーロッパも自分たちの間の少数民族の人権を守ることが必要だというわけです。


戒めの2: EU must speak with one voice(統一した意思表明をしよう)。いろいろな加盟国がそれぞれに違うことを言っていたのではEUの立場は弱まるばかり。2009年に発効したリスボン条約の下に団結しようということで、具体的にはロンパウ常任議長、バローゾ欧州委員会委員長、アシュトン外交・安全保障政策上級代表らのEUの代表を全面的に支持すること。

戒めの3:Speak softly and carry a big carrot(ものごとは慎重に、攻撃的にならずに行うことだが妥協はしない)。ヨーロッパの価値基準を他者に押し付けることはできない(European norms and values cannot be universally dictated to others)時代なのであり、EUはそのような状況に自らを適合させる必要があるというわけです。外相が強調するのは「ヨーロッパが大切にしているもの(民主主義や人権尊重の精神)を捨て去ることなく、しかも相手を尊敬し理解しようと努力すること」です。

ちなみにStubb外相は、フィンランドの隣国、ロシアについては楽観的でベドベージェフ大統領は「リベラリズムと民主主義を基盤にした、新しい価値基準で考える人物」(a representative of the new way of thinking whose norms are based on liberalism and democracy)であると評しています。外相の演説原稿はここをクリックすると出ています。



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4)中国のキャメロン

英国のキャメロン首相の中国訪問(11月8日・9日)は日本のメディアではほとんど話題にならなかったですよね。The Economistによると、彼の中国訪問には50人のビジネスマンが同行して、どちらかというと貿易促進ミッションという感じだったのでありますが、実は製品輸出という意味では英国の対中国貿易は大した数字をあげていないのですね。2008年の数字ですが、英国の対中輸出は95億ドルで、ドイツの558億ドルにははるかに及ばないし、フランスの156億ドル、イタリアの116億ドルよりも低い。

Oxford Economicsというコンサルタント会社のAndrew Goodwinによると、要するに中国が必要とするモノが英国では作られていないということなのだそうです。だからと言って中国が英国にとって大切なビジネス相手ではないという意味ではない。英国の強みはモノではなくサービスにある。今回、キャメロンが最初に立ち寄ったのが英国系のスーパー、Tescoだったこともそれを示しています。現在中国全土で100店舗を展開している。

英国のサービス産業といえば、たとえば金融機関があるし、ちょっとシャレた小売店などもある。それに何と言っても大学を中心とする知的サービス産業の存在は大きい。これらの産業にとっては、これからますます「中流階級」が増えるであろう中国やインドがお得意先になってくるわけです。

今回の訪中のようなビジネス・ミッションを外交の中心に据えることは、いろいろな国でやっており、英国の産業界も歓迎しているのですが、それが勝ち過ぎると外交面における倫理性が失われることを危惧する声もあります。キャメロンは、中国人の活動家、劉暁波氏へのノーベル平和賞授賞が発表された後、中国を訪問する欧米諸国の最初のリーダーであっただけに彼が中国要人との会談の席上でこのことを持ち出すかどうかが注目された。

が、キャメロンがそれらしきことに触れたのは、北京の大学における演説の中で、"これからの中国にとっては、民主主義と人権擁護が「繁栄と安定のための最善の保障」(the best guarantor of prosperity and stability)となるだろう"と述べた部分だけだった、とThe Economistは伝えています。

今回の訪中にはキャメロンの閣僚であるMichael Gove教育大臣も同行していたのですが、The Economistによると、キャメロンもGove大臣も以前に中国の人権について名指して批判したことがあった。特にGove大臣は、昨年中国をジョージ・オーウェルの小説『1984』に出てくる全体主義国家になぞらえて批判したばかりだった。

キャメロン政府が世界における英国のビジネス促進を望むということは、どうしてもこのような言葉上の綱渡りをすることに慣れてもらうしかないということだ。His government’s intensified desire to promote British business around the world means that this is the sort of verbal tightrope the prime minister will have to get used to walking.

とThe Economistは言っています。

▼北京の大学におけるキャメロンの演説テキストはここをクリックすると読むことができます。

▼通商外交に力を入れようとすると、どうしても人権とか民主主義などは二の次になってしまうけれど、そこを適当な言葉で乗り切るべし・・・と言っているのですよね、この雑誌は。「綱渡りをする」というのはそのようなことですね。

▼ジョージ・オーウェルの小説『1984』は、仮想舞台がスターリンのソ連になっています。常に国家に監視される全体主義社会の恐怖を描いている作品です。

▼英国がサービス産業で中国やその他の発展市場と付き合うという考え方は正しいと思います。日本の場合、これからの生き方の問題としてサービス産業をどこまで重要視しているのでしょうか?


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5)もしゴア大統領だったら・・・


2000年に行われたアメリカの大統領選挙を憶えていますか?共和党のジョージ・ブッシュと民主党のアル・ゴアが争い、超僅差でブッシュが勝利した、フロリダ州においてあと約270人の人がゴアに入れていたら彼が大統領になっていた、あの選挙です。

で、私が前々から気になっていて、未だに気になるのは、あの選挙でゴアが勝って大統領になった状態で2001年9月11日の同時多発テロが起こっていたら、アフガニスタンやイラクはどうなっていたのか?ネットをいろいろ当たっていたらScott Shusterというアメリカのコラムニストが2005年に書いたエッセイに行き当たりました。タイトルは、ずばりWhat If Gore Had Won(もしゴアが勝っていたら)。

かなり長いエッセイで、ゴアが大統領になっていたら「9・11」そのものが起こっていなかったということにかなりのスペースが割かれています。ご記憶のとおりアル・ゴアはクリントン大統領時代の副大統領だったわけですが、クリントン政権が誕生直後の1993年にニューヨークの世界貿易センターでテロ事件が起こっています。98年にアフリカにある米国大使館が襲われたときは(Shusterによると)クリントンが適切に報復措置をとっている(retaliated appropriately)。そしてクリントン政権末期の2000年10月に米海軍の戦艦USS Coleが襲われたときには、クリントン大統領が情報長官のRichard Clarkeに対して、アルカイダ攻撃の周到な計画を準備させ、これをブッシュ大統領に遺したのですが、ブッシュはこれを破棄してしまった。

ゴアが大統領だったとしたら、このクリントン計画を破棄しただろうか?というのがShusterの問いかけであり、それに対する彼なりの答えは「破棄したかもしれないが、(アルカイダ攻撃を)実施したかもしれない」(Perhaps. Or perhaps he would have IMPLEMENTED IT!)。少なくともブッシュほど単純に破棄することはなかっただろうと言っている。

他にも9・11前における「ゴアならこうしただろう」という事柄がブッシュ批判というニュアンスでいろいろと挙げられています。9・11後の行動はどうか?ゴアが大統領だったとしてもイラク攻撃を行ったか?(Would President Gore have invaded Iraq?)について、Shusterは「しなかったと思う」(I think not)と書いており、その根拠としていわゆるネオコン組織であるProject for a New American Century(PNAC)が1998年1月26日にクリントン大統領あてに書いた手紙を挙げています。この組織はアメリカの世界的なリーダーシップ(American global leadership)を確立することを目標としており、クリントン宛の手紙では

We urge you to articulate this aim, and to turn your Administration's attention to implementing a strategy for removing Saddam's regime from power.我々は大統領に対して我々の狙いとするところを実施し、サダム政権を権力の座から追放するための戦略実施に政府として注目することを強く訴える。

としています。

▼Shusterのエッセイはここをクリックすると読むことができますが、私にとって不満なのは、イラク戦争については触れていてもアフガニスタンについては全く触れていないこと。イラク戦争についても「ブッシュとネオコンが悪い」と言うだけで「アル・ゴアならやらなかったはず」という根拠が、いまいち説得力に欠けるということです。ゴアが環境保護論者でリベラルな政治家であるということが、なぜ「イラク戦争はやらなかっただろう」に結びつくのか?

一方カリフォルニア大学のEd Telfeyanという教授のブログによると、ゴア大統領ならばアフガニスタン攻撃は行ったかもしれないが、イラク攻撃はやらなかっただろうとしています。それはゴアが副大統領を務めたクリントン政権の国務長官だったMadeleine Albrightがカリフォルニア大学で行った演説に基づいている。彼女によると、サダム・フセインのイラクは完全に封じ込まれていて戦争などする能力がなかった。したがって9・11後の行動もアフガニスタンにおけるオサマ・ビン・ラディンの捕捉に集中すべきであった。

もちろん、そうしたとしてもオサマ・ビン・ラディンの捕捉やアルカイダ壊滅はできなかったかもしれないが、そのことは別の問題として論ずるとして、はっきりていることは、ブッシュがイラク戦争を行うことを決定したことがアメリカの歴史に否定しがたい影響を与えたということである。 I’ll leave that imponderable (of whether bin Ladin and al Qaeda can ever be defeated) for another day. Suffice to say that the course of America’s history was unalterably affected by the Bush decision to make war in Iraq.

この教授によると、アメリカがイラク攻撃をしていなかったならば、オバマ大統領の誕生もなかったであろうとのことであります。

▼Scott ShusterとEd Telfeyanの意見に共通しているのは、イラク戦争はともかくアフガニスタン攻撃は間違っていなかったとしている点です。これはオバマさんも同じでしたよね。彼が上院議員であったときの演説で同じようなことを言っている。

▼私、数年前にある大使館の人を囲んで昼食をとったときに「もしゴアが大統領になっていたら・・・」ということを話題にしてみたところ、同席していた日本の国際問題ジャーナリストに「そんな仮定の問題には答えられないな」と一蹴されて、座をしらけさせて情けない想いをしたことがあります。最近読んだ英国のJeremy Blackという歴史家のWhat if?という本は、歴史学における「もし・・・だったら」のことを語っています。このような観点から歴史を考えることをcounterfactualismというのだそうですね。「反事実主義」とでも訳すべきなのか?

▼What if?を考えることは、現実に起こったことの意味を考えることでもあると私などは思っているので、あの日本の「国際ジャーナリスト」のように「仮定の問題=考える価値なし」というようには思えない。

▼「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら・・・」とか言われるとあまりにも歴史が古すぎてピンとこないけれど、1992年に行われた英国の選挙などは考えるに足るWhat ifだと思う。この選挙では、ニール・キノック率いる労働党が、ジョン・メージャーの保守党を破るというのが圧倒的な下馬評だった。でもそうはならなかった。あのとき労働党が勝っていたら、5年後(1997年)の選挙でブレア党首の労働党が圧勝する事態が生まれていたか?キノック率いる労働党政権であったなら、ブレアの「新労働党(New Labour)」ほどには、イラク戦争に肩入れはしなかったと思います。


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6)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら


affection:愛情

愛情と言ってもloveではない。「いつくしみ」とか「優しい思いやり」という「愛情」です。生臭くない。The Timesのバックナンバーを見ていたら、アメリカの作家、マーク・トゥエインが1907年、英国に招かれて、ロンドンのサボイ・ホテルで行った演説というのが出ていました。The Pilgrimという上流階級のクラブ主催の昼食会で行ったものです。

Praise is well, compliement is well, but affection - that is the last and final and most precious reward that any man can win, whether by character or achievement, and I am very grateful to have that here in England -- as in America.
称賛も有難いし、丁寧な褒め言葉もうれしいものです。が、愛情、それこそ性格が理由であれ、何らかの業績が理由であれ、人間が獲得できる、最後にして最も貴重なる報酬であると言えるでしょう。私はイングランドにおいて、アメリカにおけるのと同じような愛情を頂いており、そのことに大いに感謝しているのであります。

そのマーク・トゥエインがアメリカ人と英国人の違いについて次のような言葉を残しています。ここでいう「英国人」はイングランド人という意味です。

An Englishman is a person who does things because they have been done before. An American is a person who does things because they haven't been done before.
英国人は物事を行うのに、これまでにみんながやってきたということを理由にする。アメリカ人はこれまで誰もやったことがないということを理由に物事を行う。

前例・伝統・しきたりなどが行動規範になるのが英国人であり、アメリカ人の行動規範はそれらを否定するところから始まっているというわけです。

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7)むささびの鳴き声

▼日本の新聞のウェブサイトには読者による書き込み(投稿)欄がないということは、前回のむささびジャーナルでも言わせてもらいました。そのことに関連して、11月11日付の朝日新聞に掲載された『海保ビデオ―独断公開が投じた課題』という社説を紹介させてもらいます。「尖閣ビデオ」がYouTubeに流れた問題を語っているのですが、インターネットの発達と情報発信について次のように語っています。

これまでは社会に情報を発信する力は少数のマスメディアにほぼ限定されていた。メディアが表現の自由や報道の自由を主張できるのは、国民の「知る権利」に奉仕して民主主義社会を発展させるためとされ、その裏返しとしてメディアも相応の責務を負った。

▼つまりこれまでは、情報を発信するという機能は新聞社や放送局だけに許されたものであったのに「ネットの発達によりマスメディアが情報発信を独占する状況は崩れた」というわけです。YouTubeがその例です。

▼インターネットが発達する前の時代だったら「尖閣ビデオ」を入手した保安官はどのような行動をとっていたのでしょうか?何十万、何百万の人に知ってもらいたいと思ったら放送局や新聞社に「特ダネ」として持ち込む以外に方法がなかったはずです。で、ネタを提供されたマスメディアはどのように扱ったのでしょうか?朝日新聞の社説は次のように語ります。

情報の真偽に迫り、報道に値する内容と性格を備えたものかどうかを見極める。世の中に認められる取材手法をとり、情報源を守る。時の政権からの批判は言うまでもなく、刑事上、民事上の責任も引き受ける――。

▼提供されたビデオが本物であることがはっきりした場合、朝日新聞ならどうしたのでしょうか?特ダネとして新聞で紹介したのでしょうか?テレビ局が同じような状況になったとしたらビデオを独占放映したのでしょうか?朝日新聞の社説は、この海上保安官の行動について「現時点での外交関係を踏まえた政府の高度な判断を、一職員が独自の考えで無意味なものにしてしまっては、行政は立ちゆかない」と言っている。この保安官のやったことは間違っているということです。法律違反の方法で入手したネタをメディアが使うということは保安官の間違った行為に手を貸すことになる、だから使わないということになるのでしょうか?

▼今回のゴタゴタが示したのは、従来のマスメディアがこのような悩ましい立場に置かれることがなくなったということです。Googleがあるからです。そのことの良し悪しは分からない。いい時もあるし悪い場合もあるとしか言いようがない。でも普通の人たちがインターネットという情報発信の手段を持つことは悪いことではない。

▼朝日新聞の社説はネット時代について、「情報が広く流通し、それに基づいて国民が討論して決める機会が増える」のはいいことであるが、「一人の行動によって社会の安全や国民の生命・財産が危機に陥りかねない」というわけで、「難しい時代に私たちは生きている」と言います。そして

この状況を国民一人ひとりが自分の問題として認識し、政府が持つ膨大な情報をどこまで公開し、どこを秘匿するか、発信する側はどんな責任を負うのか、絶えざる議論が必要になる。

と言っています。

▼で、最初の部分に戻るのでありますが、朝日新聞のウェブサイトに掲載された社説には、読者からの書き込みを可能にする欄が全くないのです。朝日新聞自身が「絶えざる議論が必要」と言っており、私もそのような議論をする中でバランス感覚に優れた意見が生まれると思います。だからマスメディアのサイトはその「絶えざる議論」のための場を提供するべきだと思うわけです。もちろんリスクはあるのですが、それをやるのがマスメディアだと思うわけです。日本のマスメディアにはそれをやるつもりは全くなくて、読者は自分たちが提供する情報を黙って受け取る存在であるとしか考えていないようです。

▼今回の騒ぎは、そのような一方通行メディアの時代が完全に終わっていることを改めて教えてくれたのだと思いませんか?「尖閣ビデオ」の問題を単に「公務員の守秘義務違反」ということだけで終わらせようとしているようでは、お話になりません。

▼「尖閣」とは関係ないけれど、「ゆき. えにしネット」というサイトがあります。福祉と医療の問題を取り上げており、実にいろいろ載っているのですが、最近面白かったのは、厚生労働省の村木厚子さんという人の冤罪に絡んで、メディアがどのように報道したかの検証ディスカッションです。ここ出ているので、ご一読を。新聞は検察によるリーク情報を基に記事を書くケースが多いのですが、そのことについて、ある記者が「記者はリークで記事を書くとラクなんです。デスクも説得できるし、訴えられることもない」と言っている。この中の「訴えられることもない」というのは痛烈ですね。要するに「お役人が言っていることを書いていれば安心」ということです。

▼この記者の言うことを「尖閣ビデオ」問題にあてはめると、あのテープがマスメディアに流されたとしても、編集者によって無視されただけだったかもしれないですね。ビデオ提供も情報のリークであるわけですが、リーク元が一介の公務員であって検察や警察のような「当局」ではない。そんなものを使ったら訴えられる可能性もある。

▼今回もお付き合いをいただき有難うございました。

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