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むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2010年12月5日
上の写真は今年12月のロンドンではありませんが、この冬も英国は雪に見舞われているそうです。さすがに埼玉県は未だ雪は降っていない(と思います)。それどころか今日(12月5日)はとても暖かい、いい天気でありました。
目次

1)ワールドカップをロシアにとられて・・・
2)メディア強国、日本!?
3)「悪者」扱いされる中国の言い分
4)「望ましい死に方」政策とは
5)公立学校の私立化
6)英国はwellbeing社会を目指す
7)どうでも英和辞書
8)むささびの鳴き声

1)ワールドカップをロシアにとられて・・・


イングランドが2018年、日本が2022年のサッカー・ワールドカップの開催地として立候補していたのにFIFAの大会でそれぞれロシアとカタールに決まったことについて12月3日付のThe Timesの記事を読んでいて、ニュース報道なのかエッセイなのか分からなくなってしまいました。書き出しからしてかなり感情的というか・・・

FIFAは昨夜、イングランドがFIFA の理事会メンバーによって拒否されたことで、国際的な抗議の波に直面した。Fifa last night faced an international wave of protest after England’s crushing rejection by members of football’s governing body.

となっているけれど、記事を読んでも「国際的な抗議の波」が具体的に書いていない。カタールに負けたアメリカのオバマ大統領が、「FIFAの決定は間違っている」(wrong decision)というコメントを発表したのが、唯一の英国人以外の発言で、あとはキャメロン首相の「非常に失望」(bitterly disappointed)、デイビッド・ベッカムの「我々なら最高のワールドカップができたのに」(we would have been the best World Cup)、ボリス・ジョンソン(ロンドン市長)の「FIFAは現在の形式では続かない」(Fifa can’t last in its current form)等々、どれもこれも英国の関係者の嘆き節ばかり。


日本とアメリカが敗れたカタールについては

石油でリッチになっているアラブの小国で、ワールドカップそのものに出たことがない。夏の砂漠の酷暑と人権問題について憂慮されていたのに2022年の開催国となったことは驚きだ。
Qatar, the tiny oil-rich Arab state which has never qualified for the World Cup finals, was the surprise winner of the 2022 tournament despite concerns about the summer desert heat and human rights.

と、ほとんど失礼と思われるような伝え方をしている。

ただこの記事に関する限り、勝ったロシアについては特に悪口めいたことは言っておらず、投票を前にしたプーチン首相が「一部の国がメディアを使ってアンフェアなことをやっている」とコメントしたということを伝えている程度で終わっています。

そのメディアですが、ご存じの方も多いかと思うけれど、Sunday TimesとBBCという英国を代表するメディアがFIFAの委員による不正について報じたことがありましたよね。特に話題になったのが、BBCの看板番組であるPanoramaというドキュメンタリーで、これがFIFAの会議が開かれる4日ほど前にFIFA内部の不正について詳しく報道したことで、FIFA関係者の心情をいたく傷つけてしまったのがまずかったのだそうです。

Sunday TimesとBBCの報道については、キャメロン首相やウィリアムズ王子までもが「英国への誘致に不利になる」と批判的な発言をしていましたね。ただこの件については、GuardianのコラムニストであるSimon Jenkinsが「ジャーナリズムの仕事は暴露にある」として、FIFAの理事会による英国メディアの批判を反批判しています。


▼英国という国もよくばりですね。2012年にオリンピックがあるのに、それから6年後のワールドカップもですか?

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2)メディア強国、日本!?


11月22日付のThe Economistのブログが柳田法務大臣の辞任について論評しています。題してThe joke that fell flat、「冗談のつもりで言った言葉が命取りになった」という意味です。柳田さんがなぜ辞任に追い込まれたのかについては、日本のメディアがさんざ報道しています。広島市内で開かれた自身の法相就任を祝う会という集まりで「国会軽視とも受け取れる発言」をしたのですよね。何を言ったのかというと、The Economistの英文つきで再現すると

法務大臣というのはいいですね。二つ覚えておけばいいですから。「個別の事案についてはお答えを差し控えます」とね。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったら、これを言う。(この言い回し)で、大分切り抜けてまいりましたけど、実際の話はしゃべれないもんで。あとは「法と証拠に基づいて適切にやっております」。この二つなんです。
"Being a justice minister is easy, as I only have to remember two phrases, either of which I can use in parliament whenever I'm stuck for an answer: 'I refrain from making comments on a specific issue', and 'We are dealing with the matter based on laws and evidence'."

というわけであります。

日本では2006年に小泉さんが辞めて以来、安倍・福田・麻生・鳩山・菅という具合に5人もの人が新首相になっている。5年弱で5人です。The Economistによると、この間、農水大臣は11人、財務大臣8人、防衛大臣7人、外務大臣6人も交代している。これでは一貫した政策形成などできるわけがない。

なぜこのようなことが起こるのか?The Economistによると、首相のリーダーシップ不足が大きな理由だそうで、菅さんが柳田さんを守れなかったことがそれを表している。さらに日本におけるメディアの力(power of the press)の強さがあり、その例として度重なる「内閣支持率」の世論調査を挙げています。2009年に鳩山さんが首相になって以来、新聞社がそれぞれ10回以上も世論調査なるものを行っており、やる度に支持率が下がっていく傾向があるとしています。

この世論調査と政治家のリーダーシップの関係は、いわゆるcatch-22状態、つまり「ジレンマ的な状態」になってしまいがちです。支持率が落ちると、野党に対して弱腰になりがち。弱腰になると野党はますます攻めまくる。ますます首相が弱く見えて、世論調査ではさらに支持率が落ちる・・・こういうことの繰り返しになる。そして大臣や首相が退陣に追い込まれると有権者は「ダメな政治や政治家をやっつけた」といい気分になる・・・というわけで、The Economistのブログの結論は


昨年、民主党が(自民党による)半世紀もの間の一党支配を終わらせたとき、有権者が望んだのは、まさにこのような「脳なしかつ自己中心的な古い政治」を止めさせるということだったはずである。が、どうやら(民主党による)新体制もこのような政治の虜になってしまったようである。
When the DPJ ended half a century of one-party rule last year, voters had hoped that this sort of brainless, self-obsessed politics as usual would be the first thing on its hit list. Whereas increasingly, it looks like the new order has been captured.

となっています。

▼私のカンにすぎませんが、このエッセイを書いたのは日本人なのではないかと思いました。非常によく分かっているという感じだからです。筆者が誰であるかはともかく、この人がメディア各社による世論調査なるものを批判的に取り上げているのは面白いですね。何度も言うようで気が引けるのですが、メディアというメディアが同じようなこと(例:小沢一郎は説明責任を果たしていない)を言うことでリンチを行ったうえで世論調査を行う。結果はメディアの言っていることを反映したようなものになる。このようなことの繰り返しです。このような状況のことをbrainless(脳みそが欠けている状態)と呼んでいるわけです。

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3)「悪者」扱いされる中国の言い分


北朝鮮が韓国のヨンピョンドを砲撃した事件についての中国の対応について、Financial Times(FT)のサイトで面白い記事を二つ読みました。一つは同紙の北京特派員からの報告、もう一つはMinxin Pei(裴敏欣)というカーネギー国際平和財団の研究者による「欧米が中国を悪者扱いすべきでない理由」(Why the west should not demonise China)というエッセイです。

まずGeoff DyerというFTの北京特派員の記事はTies bind China and its awkward ally(中国とその奇妙な同盟国を結ぶ絆)という見出しで、中国共産党と中国政府が金政権に肩入れをしていることは明らか(Beijing has clearly thrown in its lot with the Kim family dynasty)である・・・としている一方で、今回の砲撃事件については、北朝鮮に対する批判的な意見が中国国内のブログなどで表明されているとも伝えている。


▼このような蛮行をいまだに許容することなど、どうしてできようか。How can you still accommodate this kind of desperado?
▼我々が北朝鮮にまともな行動をとらせることができないようなら、(北朝鮮と)同盟関係を保つことは価値がない。If we cannot ensure predictable behaviour by North Korea, then the alliance is not worth it.
▼今回は、北朝鮮は中国が救ってくれるなどと期待しない方がいい。この狂犬のおかげで中国は平和なときを過ごすことができないでいるではないか。This time I hope North Korea won’t expect China to save her again. This mad dog at the gate, why can’t it give us a moment of peace?

と言った具合で、この種の意見がインテリの間のみならず普通の人のブログなどにも多く見られるのだそうです。FTの特派員の見るところでは、外交関係の学者たちはいずれも北朝鮮と緊密な関係を持っていることが中国の国際社会での立場を弱くしていると主張している。つまり中国政府、特に中国共産党による対北朝鮮政策については、疑問視する声が中国内にもあるということですね。

一方、裴敏欣という学者(在アメリカ)は、国際社会において中国が感じている被害者意識と反発のようなものに触れています。書き出しは次のとおりです。


いまや中国と「自己主張」は同意語のようになっている。欧米のメディアにおける中国像は不快なものと決まってしまっている。「中国は不公平な貿易で利益を得るために自国の通貨を安く押さえている」、「領土争いで隣国を脅してばかりいる」、「危険極まりない北朝鮮の体制を押さえるためには何もしない。それどころか援助まで与え続けている」等々である。
Nowadays China and “assertiveness” have become practically synonymous. The portrayal of the Middle Kingdom in the western press is uniformly unflattering. It is maintaining an undervalued currency to gain unfair trade advantages; it is bullying its neighbours in territorial disputes; it is doing nothing to rein in the dangerous North Korean regime and, despite its escalating aggression (including the latest artillery attacks on South Korea), continues to pump aid into Pyongyang.

しかし、裴敏欣氏によると、中国国内の普通の人々の間では「中国政府は充分に自己主張をしていない」(Most ordinary people believe the Chinese government is, if anything, not assertive enough)という意見が圧倒的なのだそうです。彼らによると、現在の中国指導部は意気地がない(spineless)し、欧米による中国批判は不公平かつ偽善的であるということになる。

人民元が安すぎるというアメリカの言い分については、「中国経済をダメにするだけでなく、アメリカ経済の回復の役にも立たない理屈で中国をいじめている」と解釈されているし、尖閣諸島をめぐる日本との争いについては、ほとんどの中国人が「欧米の日本寄りの姿勢は不公平」(the west has unfairly sided with Japan)と感じているのだそうです。

国際社会における中国の行動について、欧米と中国人の間でこれほど見方が異なったことはこれまでに例がないとのことで、その理由として裴敏欣氏は中国国内におけるナショナリズムの高まりがあるとしており、その背景には国家が行う愛国教育と中国共産党によるメディア規制があると言っています。中国人の多くが、国内問題についての政府メディアによる報道は信用していないのに、外国における中国の振る舞いに関係した報道になると簡単に信用してしまうのだそうです。愛国教育によってナショナリズムを助長しておきながら、柔軟な外交政策を追求するという中国政府のやり方には無理がある、と言っている。

裴敏欣氏の解説によると、一方で中国共産党が「中国が国際社会において尊敬されるパワーになったのは共産党のおかげ」と主張し、もう一方では政府が欧米との不要な摩擦を避けるために柔軟で現実的な外交政策を遂行しようとしている。この二者の間の緊張関係が柔軟な外交を不可能(untenable)にしているのだそうです。

「中国は世界の大国として抑制的であると同時により大きな責任を負うことが求められている。が、民主的な国家と異なり中国は何をやっても常に懐疑的な色メガネで見られる。その結果、国際的な紛争などでも欧米は常に中国の相手側に同情するようになる。平均的中国人にしてみればそれこそが差別だということで怒りを爆発させることになってしまう」とのことで、裴敏欣氏はこれを中国が直面するトリプル・スタンダードであると言っています。

このような状態を放置しておくと、共産党と政府の間の緊張関係がますます鋭くなり、紛争にまで発展しかねず、そうなると国際社会は地球規模の問題についての中国の協力が得られなくなる。北朝鮮の行動に関連して、中国に対する欧米からの圧力が高まっているけれど、中国と欧米の間にある不信感と厳しい感情からして、中国が何もしないという態度をとることで、欧米は中国をいじめて(bashing)おきながらお願い(begging)するという矛盾を見せつけることになってしまう。

裴敏欣氏は「このような相互のイメージギャップのようなものを小さくするためには中国と欧米の双方が努力する必要がある」としており、中国政府に対しては、国営メディアによる報道をより客観的なものにし、愛国心を煽りたてることを止めるべきだと言います。そして欧米の政治家やオピニオンリーダーは、中国批判をする際には、それが正当な批判であるとしても、やり方に気をつけなければならない。つまり「物事を中国人の立場に立って見る」という姿勢が大切であるとのことです。そのような穏健なやり方で現在のギャップが解消することはないかもしれない。しかし現実問題としてそれしかないとも言える・・・というのが裴敏欣氏の主張です。


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4)「望ましい死に方」政策とは

政策提言集団、Demosがまとめた報告書(Dying for Change:死に方の変革)によると、いまの英国ではほとんどの人が「いい死に方」(good death)に恵まれていない、即ち自分の望む死に方ができないのだそうです。11月14日付のThe Observerに出ています。この組織の調査によると3分の2の英国人が死に場所として「自宅」を望んでいるのに、ほとんどの人が病院やケアホームで死を迎えるとのことであります。

現在英国の病院のベッド数の20%が、いわゆる終末ケア(end-of-life care)の患者で占められているのですが、ベビーブーマーが高齢者になる2012年以後はこれがさらに高くなるものとされている。現在のところ英国では毎年約50万人が亡くなっており、その60%が病院で死を迎えているのですが、実際に病院を望む人は7%しかいない。2030年には年間の死去数が59万人にまで増えるとされているのですが、自宅で死ねる人は10人に一人になるとのことです。

Demosの報告書はHelp the Hospicesというチャリティ組織からの資金提供を受けて制作されたものなのですが、現在終末ケアに使われている国民保健(NHS)支出の2.5%(約5億ポンド)を投資すれば、半数の人たちが病院を出て自宅もしくは自宅付近のコミュニティ・ホームのようなところで死を迎えられるような体制ができるとしている。Demosでは、この投資によって病院に入院する人数も期間も少なくなるのだから、10年程度でもとがとれるはずとしています。

推定によると英国で死ぬ人の半分が2030年までに85歳を超えており、65歳以上となると86%にまで上るだろうとされているのですが、Demosの調査によると、病院で死にたいという人は7%、ケアホームと言う人は1%しかいないとのことです。

Help the Hospicesでは、報告書の発行を機に「なるべく多くの人たちに死ぬということや人生の終末におけるケアの問題について考え、語り合ってもらいたい(We want to get as many people as possible thinking and talking about dying and about care at the end of life)」とコメントしています。

またこの報告書の著者であるCharles Leadbeater氏は

これからはゆっくりとしたペースで進行する死が多くなるだろう。この報告書は、なるべく多くの人々が現代的で、良い死に方を選ぶことができるように変革する必要性の理由と道程を示すものだ(Death is increasingly a drawn-out process of gradual loss. This report is about why and how we should change that to give more people a chance of dying a modern, good death)

とコメントしています。報告書(Dying for Change)は136ページで、ここをクリックするとダウンロードできます。

▼報告書の著者のコメントにあるa modern, good deathという言葉が気になります、というより気に障る。good deathは、いちおう「幸せに死ぬ」という意味であろうと察しがつくのですが、modernてえのは何なんですかね。死ぬのにモダンも時代遅れもないと思うけれど・・・。大体、Demosという政策集団は昔から「時代の最先端をいく」みたいなことを好みすぎるきらいがある。結局お笑いで終わってしまったブレアさんたちのCool Britanniaもこのthink-tankの発案だったのですよね。紹介しておきながらこんなこと言うのもおかしいのですが、自分の死に方までthink-tankにとやかく言われたくない。

▼それから「自宅で死ぬ」というのはdying at homeなのですが、The Observerの記事にはdying in their own bedsという表現が使われています。全く同じことなのですが、「自分の布団で死にたい」と言う方が趣がありますね。


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5)公立学校の私立化


英国のMichael Gove教育大臣がFree Schoolという構想を打ち出したことは、むささびジャーナル192号で紹介されています。手短に言うと、その気としかるべき能力があれば、誰でも小・中学校を開校することができるというものでしたよね。学校運営に要するお金はロンドンの中央政府から下りることになっており、これまでの公立学校のように地方教育委員会(Local Education Authority: LEA)によって管理されることなく学校を運営できる。中央政府は「カネは出すけど口は出さない」というのが理念であったわけであります。

11月25日付のThe Economistによると、この構想はいまいち受けが良くないらしく、ことし6月に発表されて以来名乗りをあげたのはたった25校だそうです。Gove大臣はまた現在の公立学校でもLEAの管理から抜け出して、独自の教育を行いたい学校については、academyという資格の学校になることで中央政府から直接お金を受け取ることができるというアイデアも持っていたのですが、こちらは正式発表にさえ至っていない。

さらに11月12日付のFinancial Timesによると、教育関係の予算配分をラディカルに変えることを考えているとのことであります。それによると、これまでは「文部省→地方自治体(教育委員会)→学校」という具合に、中央政府からの教育予算は一括して地方自治体に送られ、それを地方自治体が各学校に配布するというやり方だった。つまり地方自治体が中央政府になり代わって学校にお金を割り振っていたのですが、現政権が考えている新しいシステムによると、「文部省→教育資金機関→学校・地方自治体」という流れになる。中央政府からのお金は「教育資金機関」(Edcuation Funding Agency)という特殊な組織を通じて学校と地方自治体に提供されるわけですが、これまでとの違いは、「教育資金機関」という機関を通じてとはいえ、学校が地方自治体を通さずに直接、中央政府からお金を受け取るということです。地方自治体もお金は受け取るのですが、それは教育面における彼らの責任を果たすためのお金であって、学校に交付するものとは関係がない。

Free Schoolといい、Academyといい、さらには予算配分システムといい、何かと言うと目の敵にされているのが地方教育委員会であり、Gove教育大臣はこれを無視・弱体化することが英国の教育を良くすると考えているような印象を持たざるを得ない。英国における地方教育委員会(LEA )は第二次世界大戦が終わる直前の1944年にできた教育法(Education Act 1944)によって作られたものであり、各地方において教員を採用したり、校舎を建て替えたり・・・要するに教育全般を司る地方自治体の機関として存在しています。1944年の教育法の精神は国民に平等な教育機会を提供するということにあり、教育委員会もその趣旨に沿って作られたものだった。

ところが公立学校の成績が上がらないということもあって、サッチャーの保守党政権が誕生した1979年あたりから事情が変わってきた。大きな地方自治体の多くが労働党によって牛耳られており、これを敵視するサッチャーさんの自治体いじめが始まった。そして戦後教育のバイブルであった1944年教育法に代わって1988年教育法ができて、全国規模でのテストを行ったり、学校が希望すれば地方教育委員会ではなく、ロンドンの中央政府(教育省)から直接お金を受け取ることができる制度も作られたりして、教育の中央集権が推進されるに伴って教育委員会の権限も大幅に縮小されてしまった。

が、さらに10年後の1997年にブレアの労働党政権ができて、地方教育委員会の権限が復活して現在にいたっているわけです。

The Economistによると、英国の私立学校の教育はきわめて質が高いのですが公立学校の質はかなり劣る。オックスブリッジのような有名大学への入学者数は圧倒的に私立の出身者が多い。しかし授業料が高いということで、私立学校へ通う子女は全体のわずか7%に過ぎない。1997年から13年続いた労働党政権下で公立学校の教育予算は倍増したにもかかわらず、成績という点では公立・私立の差はむしろ広がってしまったとのことであります。

Gove大臣が目指しているのは公立学校の成績向上であるわけですが、最近打ち出したのが、教師に教育の主導権をゆだねようという改革です。私立学校の場合、教師の力が極めて強いのだそうです。ビジネスコンサルタント会社のマッキンゼーが最近出した教育の国際比較報告書によると、成績のいい学校はいずれも教師の質がいいこととやる気があるところであり、そのほとんどが私立校であるという結果が出ているとして、The EconomistなどはGove大臣による教育の私立化には好意的な見方をしています。

▼教師に教育の主導権を与えようという理念は正しいと思うのですが、第二次世界大戦後の英国の教育は、全員に平等な教育を与えようという考え方(労働党)と伸びる力を自由に伸ばそうという考え方(保守党)の間で、時計の振り子のように右へ行ったり、左へ寄ったりの繰り返しであったように思えます。それはいまでも続いている。

▼公立学校が崩壊状態という点では(噂に聞く)日本の教育と同じですね。もっと同じなのは「自分の子供だけはいい教育を受けてほしい」という親の欲望が強く働いているということ。そのような欲望を子供に託すことを、親が全く当たり前のこと思っている。ノスタルジアになりますが、かつての日本では受験校に子供を通わせることに必死になっているなんてかっこ悪いとされていたように思うのですが、それは私の誤解だったのでしょうか?

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6)英国はwellbeing社会を目指す


wellbeingという言葉は、私の英和辞書によると「幸福・福利・健康」という日本語になっています。肉体的にも精神的にも満ち足りた状態のことを言うのですが、実際にはhappinessと同じような意味で使われます。

11月25日付のBBCのサイトによると、キャメロン政府の方針として英国のwellbeingの度合を統計的に調査することになっているのだそうです。「社会の進歩を経済成長だけで計るのは不完全で、人々の暮らしの質も考慮に入れるべきだ」(economic growth is an "incomplete" way of calculating progress, and that it should also include quality of life)というのがキャメロンの発想で、来年4月から英国統計局( Office for National Statistics: ONS)が全国的にwellbeing調査を実施することになっているのだそうです。

wellbeing調査は200万ポンドの予算を使って行われ、かなりの長期にわたるものなのですが、キャメロンとしてはその調査結果をこれからの政策に生かしたいと考えているようです。実はキャメロンが保守党党首に就任した2005年当時からwellbeingを政策ビジョンの中心に据えることを言っており、ある演説で次のように語っている。


Wellbeingはお金で測ることも市場で取引きされることもできないものです。それは我々の環境の美しさであったり、文化の質であったり、何と言っても我々同士の人間関係の強さに関係するものなのです。社会としてのwellbeing感覚を向上させることこそがいまの時代の政治的挑戦の中心に据えられるべきなのであります。
Wellbeing can't be measured by money or traded in markets. It's about the beauty of our surroundings, the quality of our culture and, above all, the strength of our relationships. Improving our society's sense of wellbeing is, I believe, the central political challenge of our times.

「幸福感」というのはきわめて個人的なものであるということで、政府が行う統計調査にはそぐわないのではないかと思われ勝ちですが、wellbeingという概念を政策にとり入れるという考え方は、ノーベル経済学賞のJoseph E. StiglitzやAmartya Senのような経済学者によって提唱されており、フランスのサルコジ政権などは経済指標の一つとして採用しているのだそうですね。

現在は国力を計るうえでGDPの数字を使うのが一般的ですが、Stiglitzらによると、GDPはあくまでもその国の経済活動を示す数字であり、社会としての健全さなどを示すものではない。にもかかわらずいつの間にかGDPが大きいことが国として進んでいるかのように言われるようになってしまった。石油消費が大きい国はGDPも大きいかもしれないが、交通渋滞も空気汚染もひどいという事実はGDPの数字には表れない、ということがStiglitzらの主張なのですね。例えば仕事と生活のバランス(work-life balance)とか持続性(sustainability)等々の要素も社会が目指す指標と考えるべきであるということです。

それにしてもwellbeingであれhappinessであれ、人によって価値観が異なるのだから一般化して政策に役立つような統計にするためにはどのようなことを質問するのか?がポイントです。このことについてBBCのサイトは次のような例を挙げています。


1)最近、どの程度生活に満足していますか?
How satisfied are you with your life these days?

2)昨日はどのくらいハッピーでしたか?
Overall, how happy did you feel yesterday?

3)生活の目標をどの程度持っていますか?
How much purpose does your life have?

4)職場や家庭で男と女が公平に扱われていますか?
Are men and women treated fairly in the workplace and home?

これらの質問に対して10段階に分けて答えてもらう。ゼロは「全く否定的」で10は「全く肯定的」というわけです。この種のアンケート調査を繰り返し行うことで、国のwellbeing度が客観的に統計としてとれるのではないかということであります。

▼英国メディアによると、経済の回復が至上命題とされている今の時期に「経済がすべてではない」というニュアンスのwellbeing推進を持ち出すことについては、キャメロン周辺でも大いに疑問視する声があったのですが、キャメロンが押し切ってしまったのだそうです。

▼私の解釈によると、wellbeing推進を持ち出すのは、一種の精神運動なのではないか。価値観を変えようという呼びかけともとれる。それを政府がやるのは大きなお世話だ・・・という意見が多いであろうということは想定のうえで、あえて政府が税金を使ってやる方向に進んでいる。これまでの保守党単独政権とは違うということかもしれないけれど、私は単独・連立には関係なく「キャメロンのやり方」なのではないかと考えています。

▼世界第2位の経済大国の座を中国に譲りかけている日本で暮らす我々の場合、wellbeingを持ち出すというのは単なる「負け犬の遠吠え」ということになるのか?英国も日本も製造産業からサービス産業に移行しているという点では似たような経済構造なのだろうと思うのですが、我々の首相が「GDPだけが国力ではない」というわけで、国民のwellbeing度を調査する費用として2~3億円の予算を計上したらどうなるでしょうか?「事業仕分け」にひっかかってアウトですかね。

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7)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら

dog:イヌ

アメリカの作家、ジョン・スタインベックの作品に『チャーリーとの旅(Travels with Charley)』という旅行記がありますね。1960年代に書かれたもので、副題が「アメリカを探して(In Search of America)」となっており、自分が題材としてきたアメリカという国を、愛犬チャーリー(フランス・プードル)とクルマでまわりながら印象を記すというものだった。そのスタインベックのイヌ論を語る言葉として

I've seen a look in dogs' eyes, a quick vanishing look of amazed contempt, and I am convinced that basically dogs think humans are nuts.

イヌの眼をみていると驚きと軽蔑が入り混じったような表情がちらっと見えるときがあるのだそうです。そしてスタインベックが確信しているのは、イヌは人間が基本的にアホであると考えているということであります。私はむしろイヌの方がそうなのではないかと疑っているのですが、ひょっとすると彼らに言わせると「家の中でウンチをした程度でそれほど怒るのはアホ。出るものは出るんだから」というわけで、それをとやかく言う人間がどうかしているということになるのかも・・・。


tongue-in-cheek:皮肉を込めた冗談

2018年のワールドカップの候補地争いでロシアに敗れたイングランドの招致チームの代表(名前はAndy Ansonという人)が、2022年の大会がカタールで開かれ、高温対策としてサッカースタジアム全体を冷やすことになっていることについて、「それならその次の2026年は、南極の暖房入りで観客ゼロのスタジアムで(in Antarctica with heated stadiums, fan-free)やればいい」とFIFAに対してtongue-in-cheek suggestionをした、とThe Timesの記事が伝えております。ほとんど八当たりです。

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8)むささびの鳴き声

▼実にいろいろなことがあるものですね、世の中には。それだけ考えたり、語り合ったりすることが多いのだから有難いといえばそうかもしれない。WikiLeaks(ウィキリークス)による情報漏えいが大々的な問題になっています。23才になるアメリカ国務省の職員が、25万通もの国務省のメールをダウンロードして、ウィキリークスの編集長さんに提供した。

▼あのサイトに掲載された情報にはアメリカ国務省関係者50万人がアクセスできるのだそうですね。それでも「国家機密」なんですか?NHKを見ていたら、ウィキリークスが「暴露」したのは「公電」と呼ばれるものだと言っておりました。でも「公電」って何?に対する説明はなかった。和英辞書によるとofficial telegramとなっているけれど、いまどきtelegram(電報)なんて結婚式の祝電以外に使わないだろう、と思ったら、英国の新聞などではウィキリークスが入手したものをcableと言っていた。The Economistの記事によると、要するにgovernment e-mailのことらしい。

▼英国のコラムニストのサイモン・ジェンキンスによると、ウィキリークスが入手した情報は米国国務省という政府機関が、財布を開けたまま公園のベンチに置き忘れたようなものなのだそうで、悪いのは国務省であってウィキリークスではないとのことであります。ウィキリークスは入手した情報を「暴露」(disclose)するという、ジャーナリズムであるならば当たり前のことをやっただけなのだそうです。

▼discloseという言葉は、disという接頭語にcloseという言葉をつけたものですね。closeは「閉じる」という意味だからdiscloseは、閉じられていたものを明るみに出すことで「暴露する」という意味になる。discoverは、coverが「覆う」という意味で、disをつけて「覆いを取り除く→発見する」ということになりますね。disintegrateのintegrateは「統合する」とか「まとめる」という意味です。だからdisintegrateは「ばらばらになる」ということに・・・。どれもウィキリークスが巻き起こした社会現象です。

▼ウィキリークスによるdisclosure(暴露)は、日本でいうと「尖閣ビデオ事件」ということですよね。お役所が抱えている情報をお役所の職員が外部に洩らしてしまって大騒ぎになっている。「大した秘密情報など何もない」という人もいるけれど、今後は外交のやり方を変えねばならない、と深刻な顔をする専門家もいます。「尖閣ビデオ」のときも思ったけれど、インターネット時代に慣れていないのですよね、我々は。グーテンベルグが印刷機を発明したときも似たようなことがあったのでは?

▼ところでThe Economistによると、国務省の職員から情報を提供されたウィキリークスは、最初にドイツのDer Spiegel、スペインのEl País、英国のGuardianというメディアに送りつけたのだそうですね。なぜかGuardianはアメリカのNew York Timesにパスしたとされています。なぜドイツ、スペイン、英国のメディアだったのでしょうか?情報の出どころであるアメリカ、ウィキリークスの編集長さんの国、オーストラリアのメディアには送っていないのは何故?

▼ついに12月に入りました。長々とお付き合いをいただき誠にありがとうございました。
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