musasabi journal 208
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美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2011年2月13日
ようやく埼玉県にも雪らしい雪が降りました。北海道や東北の人々には笑われるような量ですが。でも何やら初雪のような気分になりました。初雪や 二の字二の字の 下駄のあと・・・俳句です、盗作ですが。
目次

1)菅さんには「古代人」がついている!?
2)英国人と受刑者の人権
3)反発が大きい国有林の売却計画
4)エジプト:民主主義の可能性
5)Kazuo Ishiguroの「長崎」
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声

1)菅さんには「古代人」がついている!?


2月3日付のThe Economistによると、菅直人さんは抜け目ない政治家(canny politician)かもしれないけれど、演説は下手くそ(clumsy speaker)で小泉さんのような派手さもない。が、ひとつだけ彼にとって有利と思われることがある。それは「いつもの政治」(usual politics)に対する国民的な欲求不満が高まっているということなのだそうです。

この記事のイントロは「追い詰められた首相が経済改革で大きな賭けに出ている」(A beleaguered prime minister takes a big gamble on economic reforms)というもので、言うまでもなく消費税の値上げと環太平洋戦略的経済連携協定(TPP:Trans-Pacific Partnership)への加盟です。The Economistとしては菅さんのやっていることに賛成しているのですが、菅さんが「勇敢な政治家なのか単なるムチャクチャ人間なのか」(Bold, or plain reckless)が良く分からないのだそうであります。

TPP締結も消費税の値上げも「日本にしては珍しく(a novelty in Japan)」経済政策としては正しいけれど、民主党内にも反対意見が多いし、野党の自民党(いまの日本のどうしようもない状態を招いた張本人)は断固として菅政権の打倒に向かっている。自民党が予算成立を阻止するようなことになると、菅さんも彼の政策もすぐに忘却の彼方に霞んでしまうだろう(both Mr Kan and his proposals will soon be history)とのことであります。

が、The Economistによると菅さんには強い味方がいる。それは経団連と読売新聞なのだそうです。経団連は特にTPPには熱心なのだから当然としても、こんなところで読売新聞の名前が出てこようとは思わなかった。「日本最大の新聞がTPPと消費税値上げのメリットを1000万読者に訴えている」(The country’s biggest newspaper, the Yomiuri Shimbun, is also promoting the merits of TPP and a higher consumption tax to its 10m readers)わけです。さらにいうと読売新聞の高齢会長(ancient chairman)である渡邊恒雄氏は、菅さんが消費税値上げのために閣僚として招いた、あの与謝野さんとは盟友(an ally)の仲であり、与謝野さんが菅内閣に参加した途端に読売新聞が菅さんに対して「あからさまに親切」(notably kinder)になったのだ、とThe Economistは申しております。

▼読売新聞の渡邊会長のことをancient chairmanと表現しておりますね。ancientというのは「古代」という意味で使われるケースが多いけれど、人間に使う場合は「アンタ、まだ生きてたんですか!?」というニュアンスを持った高齢者のことですね。小沢一郎さんが民主党の代表であったときに、このancient chairmanが自民・民主の大連立なるものを仕掛けたのですよね。あの折、小沢さんは「党に持ち帰って検討する」と言ったのですが、ニュアンスとしてはMr ancientの言うことを受け容れたはずだった。それが党内に図ってみたら大反対の声が強く、大連立がぽしゃるとともに小沢さんも代表を辞めたと記憶しています。おそらく「大反対」の中心に近いところにいたのが菅さんであったはず。それがいま事実上の大連立みたいなことをやってancient chairmanのお気に入りになったりしているわけですね。小沢さんの追い出しも図ったりして。


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2)英国人と受刑者の人権


最近、英国下院である動議が圧倒的な多数で可決されたことが2月10日付のBBCのサイトに出ています。如何にも英国らしいと思われる可決です。で、何が可決されたのかというと、刑務所の受刑者にも選挙の投票権を与えなければならないという欧州人権裁判所(European Court of Human Rights)の英国における適用に反対するという動議です。つまり現在のところ英国では受刑者に対する選挙権は認められていないことについて「それで結構」という動議が勝ってしまった。それも234対22という圧倒的大差です。

尤も今回の動議が可決されたからといってそれが通用するわけではありません。下院の議決には拘束力がない。この問題については、2005年に欧州人権裁判所が英国のような状態は法律違反という判決を下し、それに基づいて欧州議会が英国政府に対して事態を改善するように強く勧告していた。これに従わない場合は英国は欧州人権条約の署名国としての義務違反ということになるし、受刑者から損害賠償の訴えを起こされることもあるのだそうです。そうなると、とてつもない経済負担になる。

いずれにしても、政府はこの4月までに欧州議会の勧告に応えなければならず、その場合でも人権条約から脱退する以外は、勧告そのものに全面的に反対する選択肢はない。というわけで、ぎりぎりの譲歩として「懲役4年以内の囚人に限って選挙権を認める」という案が検討されているようであります。

一方、受刑者の選挙権とは別の話として、現在英国政府が進めている社会政策の一つに刑務所に収監される犯罪者の数を減らすというのがあります。

Ken Clarke法務大臣を中心に推進しているもので、英国の刑務所人口は現在のとこと8万5000人ですが、むこう年間で少なくとも3000人は減らしたいというのが法務大臣の意向。The Economistなどによると、この考え方の基本になっているのは犯罪者の収容は政府にとってお金がかかりすぎるということにあります。犯罪者はできるだけ社会奉仕に従事させたり、罰金刑にしたりする方が合理的ということです。

当然、反対意見もあります。1990年代の半ばあたりから刑務所人口は増えているのですが、同じ時期の数字を見ると犯罪件数が減っていると指摘する人もいる。Clarke大臣によると、英国の刑務所人口は他の欧州諸国に比べるとかなり高いのだそうです。英国法務省のサイトによると、人口10万人あたりの刑務所人口は、英国(イングランドとウェールズ)の場合は139人ですが、欧州でこれより高いのはチェコ、ハンガリー、ポーランドなど東欧諸国やバルト諸国などとなっていて、ドイツ(96人)、フランス(85人)、オランダ(93人)、スイス(69人)などと比べると英国の刑務所人口は確かに高い。

Clarke大臣の刑務所人口削減策には反対の声がかなり高いのだそうで、特に大衆紙のThe Sunなどは猛反対の社説を掲載している。そうなると選挙の票にも影響してくるというわけで、The Economistによるとキャメロン首相やオズボーン財務相でさえも乗り気でないとされています。

▼受刑者に対する選挙権に対する拒否について、私は「如何にも英国らしい」と言いましたが、同じことが刑務所人口削減策への拒否反応にも言えると思います。犯罪者に対する処罰意識が極めて高いのが英国人である、と私は思っているわけです。これについて論じ始めるとタイヘンなのですが、基本的に言えるのは「法と秩序」(law and order)というものへの意識が高いということ。その意味では保守的な考え方が基盤として存在しているとも言えるわけです。「保守的な考え方」って何?を論じ始めると収拾がつかなくなるのですが、私なりに表現すると「コミュニティ意識が強い」ということになる。これ以上は止めておきます。

▼ちなみに日本では受刑者に選挙権は認められておらず(公職選挙法11条)、日本における刑務所人口は、10万人につき48人で、英国よりはかなり少ないのですが、アジアの他の国を見ると、インドネシアが29人、インドは28人となっています。

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3)反発が大きい国有林の売却計画


キャメロン政府が国有林の民間への売却を計画していることが反発を呼んでいます。英国(イングランド)には現在約63万7000エーカー(坪に直すと約77億坪)の国有林があり、Forestry Commission(森林管理庁)というお役所が管理しています。政府の計画によると、これを向こう10年で民間に売却しようというもので、結果として約2億5000万ポンドが政府の収入になる。

ただ世論調査では84%が国有林の売却には反対という結果が出ています。理由としては民間企業に売却すれば、森に生きる野生動植物が絶滅しかねないし、国民的なレジャーの場としての森林に国民の立ち入りができなくなるなどが挙げられます。Forestry Commissionというお役所が設立されたのは第一次世界大戦直後のことで、主として木材生産の場としての森の管理を目的にしていた。しかしいまではForestry Commissionは、乗馬、マウンテンバイク、ウォーキング、音楽コンサートなど、アウトドア・レジャーの場を提供する最大の組織となっている。

森林売却を担当するCaroline Spelman環境大臣は、次のようにコメントしています。


森林の国家管理は第一次世界大戦のころに始まったもので、当時と今とでは時代の要求がまるで違う。政府が材木生産や森林管理に関与する理由はどこにもない。政府は後ろに下がって、イングランドの森林管理に最も深くかかわっている人々がより大きな役割を果たすようにすべきだ。大きな政府ではなく大きな社会という考え方で進めるべきだ。
State control of forests dates back to the First World War, when needs were very different. There's no reason for the Government to be in the business of timber production and forest management. It's time for the Government to step back and allow those who are most involved with England's woodlands to play a much greater role in their future. We want to move from a Big Government approach to a Big Society one.

この売却計画は、政府が予想した以上に世論の反発が強く、政府としても売却ではなく、150年契約によるリースにすれば、林業への監視がやりやすくなるとか、コミュニティ、チャリティ、地方自治体なども購入・リースが可能であると説明したりしている。Spelman環境大臣の言う「大きな政府ではなく大きな社会」とは、森林管理を、政府ではなく民間のNPOのような組織に任せるという発想のことでもある。

英国における森林といえば、ハンプシャーにあるNew Forest、グロスタシャーにあるForest of Deanが有名ですが、森林関係のNPOであるThe Woodland Trustも、これらの森については「政府からの資金援助なしには長期間にわたる管理は不可能」と言っています。

ちなみに国連機関の調査によると、2年ほど前の数字ですが、イングランドの森林率(国土に占める森林の割合)は8.7%、英国全体では11.8%となっています。日本は68.2%、フィンランドは73.9%、中国でさえ21.2%だから、イングランドの森林率は非常に低いということになる。


▼イングランドの田舎を走っているとWoodlands for sale(林売ります)という看板を見かけます。私はForest of DeanにもNew Forestにも行ったことがないのですが、イングランドにも林らしきものは結構あるのですよね。ただ私の知る限りではいずれも人間の手が入った場所なので、純然たる自然という感じではない。

▼英国で森林率が最も高いのはスコットランドの17.2%、次いでウェールズが13.7%で、いちばん低いのは北アイルランドの6.5%となっています。北アイルランドはもともとが岩盤地帯だから不思議はないのですが、イングランドが低いのはかつてはあったのに伐採してしまったということです。

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4)エジプト:民主主義の可能性

結局ムバラク大統領が辞任してしまったエジプトですが、1週間ほど前のThe Economistのオンライン版が読者参加のディベート企画をやっています。テーマは「エジプトが1年以内に民主主義の国になる(Egypt will become a democracy within a year.)という意見に賛成か反対か」ということです。英国・ダラム大学アラブ研究所のAnoush Ehteshami教授とアメリカ・スタンフォード大学にあるフーバー研究所(Hoover Institution)中東フォーラムのDaniel Pipes研究員の二人の専門家が意見を述べ合う中で読者が投票したり意見を述べたりするという企画です。1週間ほど前の時点でのディスカッションなので、ムバラク大統領が辞めないかもしれないことも想定に入っています。

1年以内の民主化は可能だというダラム大学のAnoush Ehteshami教授の主張は、今のエジプトが「変革の列車がすでに駅を出発してしまった」(the train of change has already left the station)のであって、エジプトを統治する政治そのものが変わってしまったのだというわけです。そしてこれから政治への大衆の参加が進む過程において、これまでムバラク派によって独占されてきた政府や官僚機構の中に改革派の影響が、岩石の割れ目に水が沁みこんでいくように入り込んでいく。

さらに対外的な圧力もある。ムバラクが現在の危機を乗り切ったとしても、彼の政権が外国からの支持を得るためには反ムバラク派との対話が必要になる。そうなると反対派に譲ることもあるし、反対派の地盤固めにもつながる。そして結局は後戻りができない状態になる。経済的な側面もある。エジプトにとって海外との貿易と投資は欠かせない。そのためには国内の安定が必要になる。インターネットによって覆されるような政府では外国企業からの投資は望めない。というわけで、国内的な経済改革や透明性が進み、ますます改革にはずみがつく。そして


エジプトは対外的な圧力から自らを孤立させることはできず、その圧力が制度の自由化や民主化をさらに推進することになるだろう。Egypt cannot isolate itself from external pressure and that pressure now is for liberalisation and democratisation.

というわけで、

これからの数か月で改革と民主化の力が圧倒的に強くなるだろう。そしてさまざまな後退もあり、悲劇もあるだろうが、一年後には、エジプトは民主主義への道を歩んでいることだろうと、私は信じている。 I believe that the forces for reform and democratisation will become so overwhelming in the next few months that in a year's time, and despite setbacks and more tragedies on the way, Egypt will be becoming a democracy.

というのが結論です。

一方、フーバー研究所のPipes研究員は、「エジプトが1年以内に民主主義の国になるなんてことはありっこない(out of question)」という意見です。民主主義というものは単に選挙をすれば成立するというものではなくて、国民の間における抑制の文化(culture of restraint)、価値観の共有、異なる意見の尊重、市民としての責任感などが行き渡り、報道の自由、成熟した政党などが存在することも必要である。このような意味での民主主義の確立は数か月、数年で出来るものではなく、数十年はかかるのが普通であるというわけです。

で、エジプトのこれからですが、三つのシナリオが考えられる。一つはムバラクがこのまま政権の座のとどまるということ。可能性は薄いけれど全くゼロというわけではない。そうなると政権はこれまで以上に専制(tyrant)的になる。二つ目はOmar Suleiman副大統領が大統領になって、軍がこれまで以上に自己主張をするようになるというセン。この場合は国民の政治参加はほとんどない。前例として1992年のアルジェリアで軍がバックアップした政府はイスラム教徒を抑圧したということがある。

三つ目の可能性はイスラム主義者が政権に就くということですが、そうなると1979年のイラン革命のような路線を歩むだろう。すなわち神の主権が国民の政治参加よりも優先するということだ。イスラム主義運動そのものが本来的に反民主主義的な性質を持っているのであって、彼らが選挙を行ったとしてもそれは彼らが権力を握るためにそうするだけだ。というわけで、どのシナリオを歩んでも民主主義だけはないというのがDaniel Pipesの意見です。

また、エジプト人と思われる読者からの投稿は


民主主義への移行はすでに始まっているのであって、それが12か月かかるのか24か月なのかはどうでもいいことだ。民主化が始まったということだけが大切なことなのだ。ローマは一日して成らずと言うではないか。Whether transition to democracy takes 12 months or 24 months is not the real issue. What really matters is that the process has begun. Rome was not built in one day.

と言いながら、民主化が可能な根拠として「報道の自由が存在する」「1952年の革命以前、50年にわたって自由な選挙による議会が存在した」等々を挙げています。ただこの読者が強調しているのは

我々が望むのは真に国民のための民主主義であって企業のための民主主義ではない。その種の民主主義こそが欧米のほとんどの国の政治をダメにしてきたのだから。What we want however is a real "people's" democracy, not a "corporate" democracy which has damaged politics in most countries in the West.

ということであります。

▼ダラム大学のAnoush Ehteshami教授も1年後のエジプトが完全な民主主義社会になっているだろうとは言っていない。来年のいまごろはEgypt will be becoming a democracy・・・すなわち民主主義の国に「なりつつあるだろう」と言っているにすぎないわけです。紹介しておいてケチをつけるのもヘンなのですが、そもそもこのディベートは何を称して「民主主義」と言っているのかという定義のようなものがなしに議論されているので、議論が噛み合わない部分もある。そもそも一国の将来について「高みの見物」をしながら「インテリごっこ」をしているみたいで不愉快ですね。特にフーバー研究所のPipes氏の悲観論にはその趣がある。

▼ムバラク辞任を受けて2月11日付のBBCのサイトがWoodrow Wilson Centerという研究所の中東アナリスト、Roger Hardyのエッセイを掲載しているのですが、ムバラク辞任=エジプト危機の終わりでは決してないとのことです。今回の辞任はムバラクが混乱の収拾を軍に任せて逃げてしまったというだけのことなのだそうです。つまり軍がムバラク以上に上手に国民をまとめることができるかどうかは全く分からないし、軍自体がこれまでのような結束を維持できるかどうかさえ定かではないと言っています。

▼私にとって一番納得が行くのは、最後に紹介したエジプト人読者の意見です。民主主義というのは、「客観的」に出来るとか出来ないとか語るのではなく、自分たちがそれを目指す気があるのかどうかを語るべきだからであり、当事者でない場合でも、エジプトが民主化することは自分にとって好ましいことかどうかを語るべきであると思うからです。

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5)Kazuo Ishiguroの「長崎」


2月6日付の日曜紙、The Observerのサイトに日系英国人作家のKazuo Ishiguro(長崎生まれ)とのインタビューが掲載されていて、自分が日系人であることについて語っている部分がありました。面白いと思うので紹介すると・・・。

Even though I spent the first five years of my life in Nagasaki, going to Japan can be really difficult. Even if they know I've been brought up in the west they still expect me to understand all the subtleties of their culture and if I get it wrong it matters much more than if a British person gets it wrong. I find it intimidating.
私は5才になるまで長崎で過ごしたわけだけど、日本へ行くのが実に面倒だと思うことがありますね。日本の人々は私が西洋育ちであることを分かってはいるのですが、それでも私が日本文化の細かいところまですべて理解しているはずだと思っているわけです。だから私が間違ったりすると、英国人が間違えた場合よりもはるかに大きな問題になってしまう。これが怖ろしいわけですよ。

外国育ちの日系人であれば、おそらく誰でも抱える悩みですね。

で、彼が長崎生まれであることで原爆について何か言っているかもしれないと思ってネットを探したら、いまから20年以上前の1987年に出版されたConversations with Kazuo Ishiguroという本(ミシシッピ大学出版局)に行き着きました。Ishiguroとの対話集なのですが、その中に長崎の原爆について語っている部分があった。1954年生まれだから、この対話は彼が30才くらいのときのものということになるのですが、アタマの中のほぼ100%が英国人であるけれど、ほんのわずかとはいえ日本人的な部分もあるはずのIshiguroの原爆観が見えるようで非常に面白いと思うので、紹介させてもらいます。

彼はまず、自分が8~9才になって百科事典で知るまで、原爆投下そのものが大したことではないと思っていた( I didn't actually think it was a big deal)として、原爆が投下された場所が地球上でたった2か所であることさえ知らなかったと言います。そして次のように語ります。


It was a peculiar sense of pride that I discovered that I come from Nagasaki, one of only two places in history to have suffered this.
自分がその長崎出身であることに奇妙な誇りの感覚を覚えたのですよ。歴史上でも原爆の被害にさらされるという体験をした、たった2か所のうちの一つで生まれたということですね。

なぜそのような誇りのような感覚を覚えたのかについては語っていないけれど、両親も長崎の人々も原爆投下をそれほどとてつもないこと(momentous)として語っていなかったと言っている。彼の記憶によると、みんな原爆投下をあたかも自然災害(natural disaster)であるかのように語っていた。何かにつけて「原爆前」とか「原爆後」とか言ったして、まるでカレンダーのマークであるかのように語っていたのだそうです。

彼はさらに自分の祖父(母親の父)が原爆の放射能が理由で死んだとされることについて「私の母はそのこと(父親の放射能による死)について苦々しげに語ったことが一度もなくて、私にはそれが不思議でならなかった」(my mother has never spoken about it in any kind of bitter way and I've often puzzled over this)と言いながら、原爆に対する日本人の感覚についての自分の印象を次のように語っています。


The Japanese on the whole don't seem to be very bitter about the atomic bomb. They're very passionate about pacifism and the nuclear issue but I don't get the impression they regard the atomic bombings as atrocities. That's curious.
日本人全体として原爆に対してそれほど苦々しく思っていることがないように見えるのですよ。日本人は平和主義とか核兵器の問題については実に熱心なのですが、私の印象によると、原爆投下を非道な残虐行為という風には見なしてはいないようだった。不思議なことです。

ころで、Kazuo Ishiguroとは関係ありませんが、前回のむささびジャーナルで、英国のコメディ風クイズ番組が広島・長崎の二重被爆者をおちょくったようなトークをやってロンドンの日本大使館が抗議したという記事を載せました。その後のBBCの報道によると、この番組の司会者であるStephen Fryというコメディアンが、予定されていた日本訪問を取りやめたとのことです。BBCの別のドキュメンタリー番組で日本をカバーする部分があって、Fryさんが日本で撮影をすることになっていたのですが、あの番組のおかげで日本の世論が硬化していると判断してのキャンセルである、とBBCは伝えています。

▼原爆に関するIshiguroのインタビュー(ここをクリックすると読める)の中で、私自身が最も面白い指摘だと思ったのは、彼の印象として、原爆を落とされた「日本人がそれをatrocitiesとは見なしていないようだ」と語っている部分です。atrocityは意図的に犯す大量殺りくのことで、英米のメディアが挙げる例としては、ドイツによるユダヤ人殺害、日本人による南京虐殺、サダム・フセインによるクルド人迫害などがある。ベトナムやアフガニスタンへの爆撃によって多くの市民が死んだことについては、なぜかatrocitiesという言葉は使わない(と私は思っています)。

▼Ishiguroは、日本人が憲法第9条の平和主義とか核兵器廃絶などを語ることには熱心であるのに、自分たちが犠牲になった原爆投下については「自然災害であるかのように語る」ことに首をかしげている。日本人が、原爆投下を地震や台風のような「自然災害」と同じように思っているということはないと思うけれど、Ishiguroの眼にはそのように写っている。

▼さらに日本人は広島や長崎のことを悲しみをもって語ることはあるけれど、苦々しさ(bitterness)は感じていないようだ、とIshiguroは見ている。bitternessは「怒り」という日本語をあてはめてもいいような言葉です。日本人がbitterness感を持たず、原爆投下をatrocityとも見なしていないように見えることを、Ishiguroは「不思議だ」(curious)と言っている。日本生まれで英国育ちのIshiguroはそのような印象を持っていたということですね。Ishiguro自身は原爆投下がatrocityだと思っており、投下された日本人はなぜ怒らないのだろう?と不思議に思ったということなのかもしれない。

▼いまから4年ほど前に防衛大臣だった久間章生さんが、日本に原爆が落とされたのは「しょうがない」と発言したというので、非難轟々、結局辞任したということがありましたよね。あのときのメディアの報道ぶりはリンチ以外の何物でもなかったと思うのですが、久間発言の約30年前(1975年)に同じ趣旨のことを天皇陛下が言ったときにはメディアは何も批判しなかった。このあたりのことはむささびジャーナルの114号も語っています。久間さんをさんざ叩きのめしたメディアですが、原爆投下という行為そのものについて「アメリカは謝れ!」ということを主張したメディアはあったのでしょうか?

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6)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら

match-fixing:八百長

BBCのサイトにJapan's sumo hit by match-fixing claimsという見出しの記事が出ていました。「日本の相撲が八百長の噂に襲われる」という意味。この場合のclaimは噂とか評判という意味の名詞形ですね。BBCの記事によると「相撲は宗教儀式が源になっており、力士は厳格な行動規定を守らなければならない」(Sumo has its origins in religious rites and wrestlers are expected to observe a strict code of behaviour)としたうえで、

It has been dogged by match-fixing claims for decades, but they have always been firmly denied.(何十年にもわたって八百長の噂につきまとわれてきたが、そのたびに断固として否定されてきた)

書かれている。match-fixingといえば、昨年夏の英国はクリケットの八百長事件で天地がひっくり返るような騒ぎになりました。クリケットは、私などにはさっぱり分からないスポーツなので全く興味がないのですが、It's not cricketという英語は聞いたことがある。 「フェアでない」という意味で、It's not cricket to kick a man when he's downは「人の弱みにつけこんでひどい仕打ちをするのはフェアでない」ということになる。

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7)むささびの鳴き声

▼「八百長相撲があったから春場所を中止」ということに、何だかヘンだと居心地の悪さを感じているのは、もちろん私だけではないですよね。ただ何がヘンなのかについては意見や感覚が違うかもしれない。「全員を調べて膿を出し切るまでは相撲をお見せするわけにはいかない」と相撲協会の理事長さんが言っていました。協会関係者の全員を徹底的に調査するのに時間がかかるので、とても春場所には間に合わないということのようであります。

▼が、その膿を出し切った状態というのはどのような状態のことを言うのでしょうか?相撲の世界が何から何までやましいところは皆無の「清く正しく美しい」状態になること?そんなことが(相撲に限らず)この世の中にあり得ると思っているわけですか?全員調査して「シロ」の人だけで相撲をやろうってことですよね。でもそのような「クリーン」なんてどのくらいの期間維持できると思っているのでしょうか?八百長をやってしまった(と現段階で言われている)力士だけが、そのつど責められればいいんじゃないのですか?

▼テレビのニュースを見ていたら「相撲記者会・会友」とかいう、かなりのお年寄りと見られる元ジャーナリストが「日本の伝統文化に対する冒とくです!」とカンカンに怒っておりました。その顔を見て、私は心底、気味が悪いと思ってしまった。この人たちとだけは食事を一緒にはしたくないとも・・・。自分の感覚を自分で分析するならば、あれは狂信者に対する私なりの拒否反応なのではないか、というのが一つ。「相撲の世界にだけは不正があってはならない。国技なんだから」という信仰に対する狂信です。

▼もう一つの可能性として「偽善」に対する拒否反応ということもある。八百長なんてこれまでもあったし、これからだって絶対になくならない。でもそれを言うわけにはいかない。とりあえず無難なことを言っておこう。オレたちもこれで飯食ってるんだから・・・というヤツ。ただ、この可能性は低い。あの顔はそれほどの悪ではなかった。やはり狂信の方が可能性としては高い。だからなおさら気味が悪い。

▼相撲協会の理事長さんの記者会見をテレビで見ながら「膿を出し切る・・・」という言い回しも、「申し訳ありませんでした!」と言ってカメラや記者たちに向かって深々とアタマを下げるやり方も、何だか「マニュアルどおり」という気がしてしまった。ひょっとすると、これも「相撲記者会・会友」の方々によるアドバイスがあってのことかも?

▼相撲にからんだスキャンダルで、文部科学省が日本相撲協会の公益法人としての認可を取り消すかもしれないということが何度も報道されています。が、「公益法人」が何なのか、その認可を取り消すとどういうことになるのかということに関して具体的な説明した報道が一つもありませんでした。公益法人というのは株式会社などと違って、税金が低くなっているというようなことだろうと想像はするのですが、どの程度の低さなのか等についての解説が全くない。私の見落としでしょうか?

▼今回もまたお付き合いをいただき心より感謝いたします。もうす春ですね。

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