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美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2011年4月10日
埼玉県飯能市でもついに桜が満開です。あちこちでお花見だの催しものがキャンセルされているようですが、飯能市にある神社でも今年のお花見大会は取りやめになったと回覧板に出ていました。

目次

1)日本人は怒った方がいい
2)「原子力発電の危険性が誇張されすぎている」?
3)世界初の原子炉重大事故
4)どうでも英和辞書
5)むささびの鳴き声

1)日本人は怒った方がいい


3月24日付のThe Economistに掲載されてJapan's disaster(日本の災害)という記事は、次のようなイントロで始まっています。

The many-headed catastrophe points to deeper-seated problems in governing Japan
(地震・津波・原発事故という)多重大災害が明らかにしたのは、日本の統治におけるより深刻な問題であった。

この記事によると、1995年の神戸大震災の際の当時の日本政府(自民党)の対応に比較すれば、菅首相は福島原発の危機的状況にもかかわらず冷静さを保っているし、現在の日本政府は神戸の震災のころの政府に比べれば透明度は高いとしながらも、あのころの政府と比較するのは、比較の尺度が余りにも低すぎる(that is setting the bar very low indeed)としています。「神戸」のときには韓国の援助活動の方が早かったし、最初に被災者に暖かい味噌汁を配布したのはヤクザだったというわけです。それくらいお粗末であったということです。

そして神戸の大震災によって新しい市民の力(civic-minded energies)が台頭したし、菅首相はもともと市民運動家であった。その意味で「神戸」は自民党の長期政権をも揺さぶることになった。しかしながら

Yet, this month’s disasters underscore how much more the system still needs to change--along with the politicians guiding it.
とはいえ、今回の大災害は、日本の統治制度や統治者としての政治家には、まだ変革が必要であることを示している。

として、福島原発事故によって明らかになったのは、原子力産業と政府の癒着構造(cosy ties between the nuclear industry and government)であり、それによって原発の安全性についての議論が封じ込められ、東電によるへまが隠ぺいされ、リスク評価もあまりにも楽観的なものになっていたと言います。東電における危機管理上のリーダーシップの欠如は驚くべきものであり、菅首相は「いったいどうなっているのか」(What the hell’s going on?)と詰め寄る場面もあった、とThe Economistは伝えています。

さらに地震・津波の被災者救済よりも原発事故への対応が優先したとして、その例として石油会社による備蓄石油の放出要請が政府によってなされたのは震災発生から10日も経ってからのことだったことを挙げています。菅首相は最初から非常事態宣言を出すべきだった。

The Economistは、未だにこの危機を乗り切るための明確な指揮系統が確立されていない(Even now, clear lines of authority for handling the many-headed crisis have not been properly established)として、これまでの日本では、首相が入れ替わり立ち替わり現れては消えていき、あまりにも長きにわたって効果的なリーダーシップなしに過ごされてきたとして、今回の危機がその失態を容赦なく浮き彫りにしたと批判しています。そして次のように結論しています。


Mr Kan, who has promised political change, now needs to bring it about. Japan’s people can help, adopting a different attitude to their government. Stoicism -- however good for coping with adversity --is bad for bringing on change. Time for the Japanese to unleash some righteous anger on a system that has let them down.
菅首相は政治改革を約束していた。いまこそそれを実現する必要がある。そして日本人は、政府に対するこれまでの態度を改めることで政治改革を助けることができる。ストイシズムは、災難に対処するためには結構であるとしても、変革をもたらすには役に立たないのだ。いまこそ日本人は、自分たちを打ちのめしたシステムに対して正当な怒りを向けるべきなのだ。

▼righteous anger(正当な怒り)であるかどうか分かりませんが、私は災害・原発事故の報道に接しながら、第二次大戦中の「大本営発表」のことを想っていました。敗戦が濃厚になっても「日本軍は連戦連勝である」という趣旨の報道がなされていたという、あれです。敗戦当時、私は4才だったから「大本営発表」のことは直接には知らないけれど、私の両親の世代の人々が接したもので、私が知っているのは戦争が終わってから多くの人々が「軍部にだまされた」と怒っていたことだけです。福島原発事故に関連してテレビに出る学者さんたちはほぼ例外なく「ダイジョウブです」を繰り返すのですが、きっと「大本営発表」というのはこのようなものであったのだろう、と私は推察するわけです。

▼日本人のストイシズム(規律と礼儀の正しさ、勤勉、優しさ等々)は悪いことではないけれど、原発作業員を劣悪な労働環境や放射能測定器の不足にもかかわらず働かせたりする東電とそれを放置しておく保安院のアタマはどうなっているのか?これこそThe Economistのいう東電と政府(保安院)の癒着ということなのでしょうが、作業員の「ストイシズム」を食い物にしているだけに本当に許し難い。

▼The Economistは、これまでの日本が「長きにわたってリーダーシップなしに過ごしてきた」(Japan has gone without effective leadership for so long)と言っています。「ダメな首相」が出ては消え、出ては消えの数十年であったというわけで、菅首相についてもリーダーシップが問われたりしている。が、「むささび」が繰り返し思うのは、民主的な選挙を通じて選ばれた政府を信用するべきだということです。民主的に選ばれた政治家をダメ呼ばわりすることだけでメシを食ってきた政治メディアの言うことは信用しない方がいいということであります。


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2)「原子力発電の危険性が誇張されすぎている」?


4月4日付のGuardianのサイト(科学欄)にMelanie Windridgeという人が福島原発の事故について「原子力発電に対する恐怖は実際のリスクに比べて度を越している」(Fear of nuclear power is out of all proportion to the actual risks)というエッセイが載っています。書き出しは次のようになっています。

Pollution from coal-fired power plants is responsible for more than 100,000 deaths per year, whereas the crisis at the Fukushima nuclear plant is unlikely to kill a single person
石炭による火力発電所がもたらす大気汚染によって毎年10万人以上の人が死んでいる。その一方、福島原発の危機によって一人でも死者が出る可能性は低いのだ。

Melanie Windridgeは科学関係の評論家(science communicator)であり、ロンドンのインペリアル・カレッジで客員研究員として核融合の研究をしている博士です。このイントロからもはっきりしているように、この博士は原子力発電に賛成という意見を持っています。

博士はまず、半世紀も前に設計された福島の原子炉が設計時に想定されたものよりもはるかに大きな地震にも耐えたではないかということで、今回の災害によって原子炉が「如何に安全であるか」が示されたと言います。ただ原子力発電所にとって最悪のシナリオは冷却のための電源が失われることであり、福島原発ではそれが起こってしまった。博士によると、最近の原子炉には電源がなくても冷却ができるシステム(passive systemsという)があるのだそうです。

一般的な意味での放射能漏れについて、Windridge博士は深刻なことであることは疑いがない(undoubtedly serious)としながらも、人間どのみち自然界の放射能にさらされているとして、その例としてイングランドのコーンウォール地方には花崗岩が豊富にあり、そこで暮らす人々はテムズ・バレー(オックスフォード近辺)あたりに住む人よりも多くの放射能にさらされていることを挙げています。

Windridge博士はまた放射能汚染の問題について「あまりにも用心深すぎる規制は不必要な警戒を生む」(precautionary limits can cause unnecessary alarm)として、一時は東京で出された飲料水摂取に関する制限について、「あの値の東京の水を1年間飲み続けることで摂取する放射能の量はコーンウォール地方で1年間暮らすよりも少ない」(radiation dose received by drinking Tokyo water for a year would have been less than that from moving to Cornwall and living there for a year)と言っている。

Windridge博士はまた立入禁止区域を広げたり、住民の避難を呼びかける場合は、避難そのものに伴うリスクとバランスを考えなければならない(Calls to widen the exclusion zone or to evacuate must be weighed against the risks of evacuation)と主張します。高齢者や幼児には避難することがタイヘンな負担になって死につながることもあるということです。

過去45年間にわたって電力の30%を原子力に頼ってきた日本における原子力発電については、

Is it reasonable to decry nuclear power because of a crisis that has killed no one, caused by a natural disaster that killed thousands?
誰も死んではいない危機、それも何万人もの命を奪った自然災害によって惹き起こされた危機を理由にして、原子力発電そのものを否定し去るのはまともなことと言えるのだろうか?

と言っている。「他のエネルギー源に比べると核燃料は最も安全なものの一つである」(Compared with other sources of energy, nuclear power is one of the safest)として、Windridge博士は「放射能については心配するのに化石燃料による空気汚染は平気で受け容れる」(We worry about radiation but are happy to accept air pollution from fossil fuels)という世の中の常識を皮肉っています。

▼いつものことですが、私はこの記事が言っていることだけではなくて、それについて読者が何を言っているのかにも注目します。「博士は原子力業界のまわし者だ」という意見の人が多い中で「福島原発の事故についての記事がセンセイショナリズムに走り過ぎている中で、この記事は物事を客観的に語っている」と褒めている人もいます。


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3)世界初の原子炉重大事故


いまから54年も前の1957年10月10日、イングランド北西部のウィンズケール(Windscale)というところにあった軍事用プルトニウムの生産工場で火災が発生、16時間燃え続け多量の放射性物質を外部に放出するという事故が起こりました。ウィキペディアによると火災は原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱によって起こったとされているのですが、避難命令が出なかったため、地元住民が多量の放射線を受け、白血病で死亡するという事態にまで発展したとされています。これが「世界初の原子炉重大事故」だそうです。ウィンズケールはいわゆる「湖水地方」のカンブリアにあります。

2007年10月5日付のBBCのサイトが「事故後50年」を機に制作された特別番組のことに触れています。その中で特に印象的なのが消火チームを指揮したTom Tuohyという副工場長の

Mankind had never faced a situation like this; there's no-one to give you any advice.
人類が経験したことのない状況だったから、誰もアドバイスなど与える人がいなかったのだ。

という言葉です。福島原発の事故と異なり、前例とか教科書のようなものがなかった。

このまま火が燃え尽きてしまうと英国中の広い地域に放射能が拡散することになるし、かと言って原子炉に水をかけると原子炉自体が核爆弾のようになって作業員は全員死亡することにつながる・・・というジレンマ状態にあったのだそうです。Tuohyは自分のボスである工場長に電話、 'look, I want to turn on the water'(水をかけて消火したいのです)と伝え、結局そのようにして辛うじて消火に成功した。

付近の住民に「避難命令が出なかった」という件ですが、事故の2日後(10月12日)のWest Cumberland Newsという地元紙は「住民に危険性はないという(政府の)声明」("No Public Danger" announcement)という見出しの記事を掲載しています。火災発生後に同紙の記者が工場付近へ出かけてみても、原子炉から200ヤード(約180メートル)のところでは地元の婦人が庭の手入れをしており、きわめてのんびりした風景で、「心配ではないのか?」という記者の質問にも「ぜんぜん心配なんかしていない(No, why should I be?)」と答えていた。West Cumberland Newsは地元は静かだという記事を掲載していたわけですが、ロンドンの政府がBBCからの問い合わせに応じて「何も心配していない」とコメントした根拠がこのWest Cumberland Newsの記事であったわけです。つまり地元の人たちは全く知らされていなかったということです。

▼当時のWest Cumberland NewsとWhitehaven News地元紙の記事はここをクリックすると読むことができます。

ウィンズケールの原子炉は原子力発電所のそれではなくて、ここにあった水素爆弾の製造工場の原子炉だった。なぜ英国が水爆生産工場を作ったのか?BBCの記事によると、それはアメリカとの「特別な関係」を手に入れるための政策だった。ハロルド・マクミラン率いる保守党政権は、英国が水爆を保有すれば核保有国としてアメリカと対等の同盟国として核兵器生産に関する秘密を共有する「特別な関係」を組むことができると考えた。しかし科学者たちはウィンズケール工場には技術的な欠陥があることを指摘していたのだそうです。

ウィンズケールの火災事故は、マクミラン首相がアメリカとの間の同盟条約(Declaration of Common Purpose:共通目的宣言)を作成中に起こってしまった。マクミランが怖れたのは、もしウィンズケールの事故が工場そのものの不備によるものであるとなると、アメリカの議会がDeclaration of Common Purposeなど承認しなくなるだろうということだった。

火災事故後、マクミラン政府は核兵器の権威と言われるSir William Penneyに調査を依頼したのですが、彼の報告書は大幅な検閲を受けて変えられてしまった。Penneyは火災がウィンズケールの工場自体の不備によるものとしていたのですが、政府の報告書ではこれがスタッフによる「判断ミス(an error of judgement)」ということになってしまった。マクミランの孫であり伝記執筆者でもあるLord Stocktonは、この点について「マクミランが隠ぺいしたということだ。それは単純かつ明白なことだ」(he covered it up, plain and simple)と語っています。


▼英国の歴史家でウェールズのユニバシティ・カレッジの元学長であるKenneth Morganは、彼の代表作であるPeople's Peaceという本(戦後英国史)の中で、マクミラン首相が火災の前に起こったウィンズケール原子炉からのストロンチューム90の漏洩のニュースも握りつぶしてしまった(The Prime Minister himself ensured that news of an earlier escape if Strontium 90 from Windscale in the spring of 1957 was hushed up)と語っています。

▼World Nuclear Associationという組織のサイトによると、英国の発電のためのエネルギー源はガスが44%、石炭が28%、原子力は18%(原子炉は19基)となっており、残りは風力が2.5%、地熱1.3%、その他の再生可能エネルギーが3%だそうです。

4)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら

recovery:復興

「復興」という日本語の意味を辞書でひくと「一度衰えたものが、再び盛んになること」と書いてあり、「復旧」は「壊れたものや乱れたものがもとの状態に戻ること」とある。東北の「復興」を一つの英単語で表すとなるとrecoveryとかrevivalあたりが適当なのではないかと思うし、「復旧」はrestoreかなと思ったりする。似たような言葉にretrieveなどがあるようなのですが、英語の世界でも違いがはっきりとは言えない部分もあるようです。

ただ「復興」という言葉には精神的な立ち直りという意味があるので、東北大震災からの「復興計画」という場合はa recovery projectと言った方がピンとくる。でもrising from the ashes(廃墟からの復活)というようなサブタイトルと一緒に使わないとパンチに欠けますよね。「日本の復興」という場合も、Japan's revivalとかrecoveryという英語が当てはまるとしても、震災以前の状態に戻るという意味ではないということは明らかなのだからcreating a different nationというような説明的見出しも必要になりますね。

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5)むささびの鳴き声

▼NHKラジオのニュースを聴いていたら福島第一原子力発電所の事故に関連して、ドイツ政府が原子力政策の見直しに着手していると報道していました。それを聴きながら「おやっ?」と思ったのは、メルケル政府が原子力の利用とリスクについて検討するべく「倫理委員会」なるものを設置しており、それには政治家、産業人、環境学者らとともに宗教家や哲学者も参加しているという部分だった。NHKのサイトによると、メルケル首相がこの「倫理委員会」は初会合で「原子力エネルギーを利用するにあたって危険性はどこまで許容できるのか」について話し合うと述べたのだそうである。

▼なぜ原子力政策の見直しを検討する委員会が「倫理」なのか?なぜ原子力の危険性を考えるのに宗教家や哲学者の意見を聴く必要があるのか?エネルギー政策を検討するのに道徳や倫理は関係ないし、参加者といえば政治家・官僚・産業人・環境保護運動家・技術者・エネルギー関係の学者のような人たちであり、宗教や哲学は関係ない(と私などは考えていた)。

▼いろいろとネットをあたってみたけれど、私の疑問(好奇心)に答えるようなニュース記事は見当たらなかった。ドイツ語に弱いので、Frankfurter AllgemeineやSpiegelのような新聞の英語版を見てみたけれどこれといった答えはなかったですね。そこで私としては「原発の危険性をどこまで許容するのか」を検討するということは人間の生命の価値を考えることでもある、つまり宗教や哲学にもかかわる問題である、だから宗教家や哲学者も参加するべきだ・・・とメルケルさんは考えていると想像することにしたわけです。

▼日本でもこれからエネルギー政策の見直しや東北地方の復興計画などについて「XX委員会」のようなものができると思うけれど、私は人選にあたってはドイツのマネをしてもよろしいのではないかと思うわけです。これから原発反対の世論が盛り上がる一方で「原発抜きでは日本の経済はもたない」という「現実論」も出てくる。そして後者の意見にはそれなりの説得力がある。原発のお陰で電力が十分に与えられる。これがなければ新幹線も、蛍光灯が異常に明るい100円ショップも、銀座のネオンも、クーラーや暖房も・・・なにもなくなるんだぜ。あんた、それに耐えられるのか?あんた自身が耐えられたとしても日本全体はどうなんだ?等々。

▼第二次大戦後の日本が「もう戦争はこりごりだ」というので平和憲法を受け入れたはずだったのに、長い年月を経て「非武装中立は非現実的」「中国や北朝鮮が攻めてきたらアメリカが守ってくれるか」等々という「現実論」が勝ってしまったのと似ている。

▼原発であれ震災復興であれ、行き着くところその国で暮らす人々の生き方にかかわるのであり、日本人が自分たちの国のあり方を考えるということは、自分の生き方や価値観について想いをめぐらすということでもある。これまでの日本はトヨタ、ソニー、パナソニック等のふるさとであることを誇りにしてきたし、おそらくこれからもそうであり続けるのだろうとは思うけれど、これからの日本や日本人が外国に誇るべきなのは、従来の意味での経済力や技術力ではなく、自然との無難な付き合い方とか、苦しさを生き延びる知恵のようなものなのだろうと思ったりする。

▼というわけで、耐震設計だの「津波に強いまちづくり」もいいけれど、人間の英知には絶対的な信頼はおけないことをイヤというほど知らされた日本人が、生きていく場所としての日本のあり方を考えるためには「倫理」や「価値観」(何が大切で、何がそれほど大切ではないと判断する態度)があるべきだと思うし、そのようなことを考えている人たちが「XX委員会」に参加、発言してもらうのは全く悪いことではない。メルケルさんの意図は分からないけれど、日本の「復興」には「倫理委員会」があった方がいいことは間違いない。

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