musasabi journal 215
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美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2011年5月22日
まだ5月だというのにまるで夏ですね。昨年の夏のような酷暑となって、しかも計画停電というのでは確かに参りますね。ひたすら団扇かに頼るしかないということ。勤め人はムリですが、私のような人間には水風呂という手もあるか。

目次

1)女王のアイルランド「和解」訪問
2)SNPの勝利とスコットランド独立
3)ビン・ラディン殺害とTargeted Killing
4)移民へ門戸開放する勇気を
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声

1)女王のアイルランド「和解」訪問


むささびジャーナルは、大震災、原発、ビン・ラディンなどに気を奪われて英国についての報告が多少おろそかになっていたわけでありますが、当然ながら英国でもいろいろと大きなことが起きています。そして英国メディアに関する限り、日本の大震災や原発事故はほとんどニュースにならなくなっています。で、直近の大きなニュースと言えばエリザベス女王のアイルランド公式訪問(5月17日~20日)でしょうね。なにせアイルランドと英国の間には多くの微妙な「過去」があって、1921年にアイルランドが英国から独立してから英国の君主が国賓としてアイルランドを訪問するのはこれが初めてというのだから実に画期的な出来事であるわけです。

英国によるアイルランド侵略および支配は、ヘンリー2世なる人物が1171年にダブリンに攻め込んだことに端を発し、1801年にアイルランドが併合され、そして1921年の独立まで英国の一部として支配されていた。今年(2011年)も含めて、この両国の間の歴史的な出来事は1がつく年に起こっているというのも不思議ですが、いずれにしても20世紀後半から現在にいたるまで、どちらかというと英国人がアイルランドに対して歴史的な後ろめたさのようなものを感じながら過ごしてきたのかしれない。

で、今回の公式訪問ですが、まず興味深いと思うのは、女王の訪問がアイルランド側からの招待によるものであったということです。かつての被支配者の側から支配者であった側に対して「和解」(reconciliation)の手を差し伸べたということになる。The Economist(英国側の支配層が読んでいる雑誌)によると、アイルランド人の94%が北アイルランドに対するアイルランドの憲法上権利を放棄した方がいいと答えたりしており、北アイルランドにいるアイルランド人に比べると対英感情は柔らかいといえます。

今回の訪問で最も注目されたポイントは、エリザベス女王がアイルランドにおける英国の「過去」に関連して、どのような言葉や行動で「和解」の気持ちを表すのかということだった。The Economistによると、女王がダブリンにある戦没者追悼墓地(Garden of Remembrance)においてアイルランド独立のために英国と戦った兵士たちの記念碑に花輪を捧げたこと、同じくダブリンにあるCroke Parkと呼ばれるスポーツ競技場を訪問したことが行動による和解の表現だった。Croke Parkではいまから91年前に英国の軍隊の発砲によりアイルランド人が14人殺されたことで知られています。

言葉による和解のシンボルとして最も注目されたのが訪問2日目の5月18日に行われたアイルランド大統領主催の公式晩さん会におけるスピーチでした。エリザベス女王とマカリーズ大統領(President Mary McAleese)の二人がスピーチを行ったのですが、BBCがポイントとした部分をそれぞれ一か所だけ紹介します。

女王のスピーチですが、まずアイルランド側をあっと言わせたのが、スピーチの出だしがアイルランド語であったことでした。"A hUachtarain agus a chairde"と言ったのですが、これは"President and friends"(大統領閣下ならびに友人のみなさま)という意味で、たったこれだけとはいえ、英国の君主が公式の場でアイルランド語を使うなど考えられないことだった。スピーチの中身でBBCのサイトが紹介しているのが次の部分です。

"To all those who have suffered as a consequence of our troubled past I extend my sincere thoughts and deep sympathy. With the benefit of historical hindsight we can all see things which we would wish had been done differently or not at all."
我々の困難に満ちた過去の結果として、苦しみを味わった人々すべてに対して、私は心からの想いと深い同情を捧げるものであります。いまになって歴史を振り返って見ると、私たちは"あのようなやり方をしなければよかったのに"とか"あのようなことはしなければよかったのに"と言うことができます。


▼私(むささび)の訳が下手くそなのでちょっと分かりにくいかもしれないけれど、要するに「英国はやってはならないことをやってしまった」と言っているように思えます。BBCの王室担当記者は、これは謝罪の言葉ではないが「それにかなり近いもの(pretty close)だ」と言っています。

次にアイルランド大統領のスピーチですが、BBCのサイトが触れているのは次の部分です。

"The harsh facts cannot be altered nor loss nor grief erased but with time and generosity, interpretations and perspectives can soften and open up space for new accommodations."
厳しい事実を変えることはできません。また喪失感や悲しみを消し去ることもできません。しかし時間と寛容の気持ちがあれば、(歴史的な事実の)解釈や見方が柔らかなものとなり、新しい展望のためのスペースを開くことも可能になるでありましょう。

英国が植民地支配者(the colonisers)であり、アイルランドが被支配者(the colonised)であったという事実を変えることはできないけれど、過去を振り返ると苦々しい分裂や意見の違いのみが見えてくる(the past is a repository of sources of bitter division)というわけで、お互いに歴史の新しいページを開こうと呼びかけている。「アイルランドもまた過去にこだわる時代ではない」と言っているように響きます。

The Economistの記事は英国とアイルランドが如何に近い存在かを示す事実をいろいろ紹介しています。例えば英国内で暮らすアイルランド系の人口は約600万人。全人口の約10%であり、アイルランドの人口(約400万)よりもはるかに多い。またアイルランドは英国にとって5番目に重要な輸出市場であり、アイルランドにとっては英国が最大の輸出先です。英国のアイルランドへの輸出はブラジル、インド、ロシア、中国への輸出を足したものよりも大きいのだそうです。

▼女王と大統領のスピーチを読んで私が感じるのは、「分かりやすさ」です。上に引用した女王の言葉の中のmy sincere thoughts and deep sympathyという部分などは、日本の首相がよく使う「極めて遺憾に思う」などよりも普通の言語に近い。「遺憾」なんて日常生活では絶対に使わないけれど、sincere thoughtsとかdeep sympathyなどは普通に使う言葉です。説明の必要がない。

▼さらに面白いと(私が)思うのは"With the benefit of historical hindsight..."以下の部分です。「いまになって歴史を思い返せば」と前置きしてから「あんなことしなければよかった」と言っている。「いまから思うと悪いことしてしまった」と言っているわけで、「その当時は分からなかったし、分からなかったことについて、当時の人々の気持ちとしては無理もない部分もある」という意味でもある、というのは私の解釈にすぎないけれど、それが正しいとすると、女王の言葉は非常に率直に響きませんか?確かに「かなり謝罪に近い(でも完全な謝罪ではない)」コメントですよね。


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2)SNPの勝利とスコットランド独立


5月5日、英国の政治に注目すべき動きがあったのでお知らせしておきます。二つあって、一つはスコットランド議会の選挙でスコットランド愛国党(Scottish National Party :SNP)が勝ったこと、もう一つは選挙制度の改革に関する国民投票があり、 alternative vote (AV)と呼ばれる新しい制度が否定され従来の完全小選挙区制が維持されたということであります。

まずスコットランド議会の選挙について。英国では1999年、ブレアさんが首相であったころに地方分権が行われ、スコットランド、ウェールズ、それに北アイルランドがそれぞれ独自の政府と議会を持つようになった。と言ってもロンドンの政府から独立したわけではなく、教育・福祉など国内問題の分野でそれぞれの地域が決定権を持つようになったということです。で、今回のスコットランド議会の選挙ですが、SNPは選挙前の議席から23議席増やして69議席となった。議会の全議席数が129だから絶対多数の与党となったわけです。以下、労働党が7議席減らして37議席、保守党がマイナス5で15議席、自民党がマイナス12で5議席などとなっており、SNPの一人勝ちということになったわけです。SNPは前回(2007年)の選挙で労働党を破って最大議席数をもつ与党になったのですが、絶対多数を占めるのは議会ができてから初めてのことであります。

SNPの勝利で当然話題になっているのがスコットランドの英国(United Kingdom)からの独立です。SNPの選挙マニフェストでも4年以内に独立に関するスコットランドの国民投票を行うことが約束されている。ただスコットランド人を対象にした選挙直前の世論調査では「独立賛成」は29%にすぎず、58%もの人がこれに反対という数字が出ています。つまりSNP人気=独立賛成ではないということです。

The Economistなどによると、確かに選挙マニフェストに書かれてはいるけれど、そもそもスコットランドの独立が具体的にどのような形をとるのかがSNPの中でもはっきりしていない部分がある。例えば北海油田の石油やガスによる収入をスコットランドのものにするというのはよく言われることではあるけれど、例えば防衛問題となるといまいちはっきりしなくなるのだそうです。国としては独立しながらも防衛に関しては英国軍の活動と維持のシェアをスコットランドが持つということにするのか、スコットランド独自の軍隊を持つのかというような問題です。

このあたりのことについて、ストラスクライド大学のJames Mitchell教授が調査したところでは、SNPの議員の間でさえも、英国との「限りなく緩やかな連携」(“an ever-looser union” with Britain)を望む声が圧倒的に強いとのことです。The EconomistはSNPのAlex Salmond党首(スコットランド首相:Scotland’s first minister)は次のように言っています。

Mr Salmond, however, is in no rush to leverage his popularity into a bid to break away from Britain. And the kind of independence he might eventually seek could be much less of a break-up than many now imagine.
サーモンド氏は自分の人気を背景にして大急ぎで英国からの脱退を推進するようなことはないし、彼がいずれは追求することになる「独立」も、今現在多くの人々がアタマに描いているようなbreak-up(脱退)という色彩のものではないだろう。

▼私、霧の彼方の歴史にはうといのでありますが、イングランドとスコットランドが合併したのは1706年にイングランド議会で、1707年にスコットランド議会で、それぞれ成立したActs of Unionという法律に基づいているのだそうです。いまから約300年前のことで、日本では江戸時代のちょうど真ん中の元禄時代直後の「宝永」と呼ばれていた時代だった。

▼英国という国はイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの地域から成っているのですが、人口を比較するとイングランドが全人口6200万のうちの5000万を有している。2番目に大きいスコットランドでも500万でイングランドの10分の1にすぎません。500万というとフィンランドと似たようなサイズということになる。仮にスコットランドが英国から分離・独立したとすると、英国の人口はおよそ5700万になる。EUの中ではドイツ(8200万)、フランス(6500万)、イタリア(6000万)に次いで第4位ということになります。私のような外国人からすると、いまさらスコットランドの英国からのbreak-upなんてありえないハナシですよね。せいぜい「限りなく緩やかな連携」ですね。ちなみにウェールズの人口は300万、北アイルランドは170万です。

▼日本の百貨店などで「英国フェア」という売り出し企画をやることがありますよね。その際に作られるポスターの絵柄を見ると大体においてスコットランド風のタータンとかバグパイプなどがあしらわれ、売っているものもスコッチウィスキーが中心であったりする。となると面白くないのはイングランドの人たちです。人口が自分たちの10分の1にも満たない「地方」が「英国」を代表するかのように扱われるのですからね。

▼それから選挙制度の変更についての国民投票ですが、およそ7:3の割合で「現状通りでオーケー」という意見が勝ってしまいました。言われていた以上に新しい制度に対しては否定的な意見が多かったわけです。alternative voteについてはむささびジャーナル206号で説明されていますが、現在の連立政権を作るにあたって自民党サイドがキャメロン保守党に対して選挙制度についての国民投票の実施を約束させたものだった。自民党はそれくらい力を入れていたわけで、今回のぼろ負けでNick Clegg党首(副首相)の面目が丸つぶれ。党内からは党首交代の声まで出始めています。

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3)ビン・ラディン殺害とTargeted Killing


London Review of Books (LRB) のサイト(5月7日)でオックスフォード大学のJeremy Waldron教授が "Targeted Killing" という概念について語っています。日本語に直訳すると「目標殺害」ということになるけれどこれだと何のことだか分らないかもしれないですね。ウィキペディアによると "deliberate, specific targeting and killing, by a government or its agents, of a civilian or of an unlawful combatant" という定義になっている。「政府もしくはその代理機関が民間人または無法な戦闘家を具体的に目標を定め意図的に殺害すること」というわけです。要するにアメリカによるオサマ・ビン・ラディン殺害のことを「専門用語」(?)ではTargeted Killingというらしい。

Waldron教授によるとTargeted Killingには2種類ある。一つは(例えば)爆弾を仕掛けようとしているテロリストもしくはテロリストに爆弾を仕掛けるように命じている人間を殺すことであり、もう一つはテロ集団などのカリスマ的な指導者を殺すことです。後者の場合、指導者本人はテロ行為にかかわっているわけではないけれど、これをそそのかすという役割を担っている場合にこれを殺害する。

ビン・ラディン殺害をTargeted Killingとして正当化するためには、それが正当な戦争行為(legitimate act of war)であることにしなければならない。ホワイトハウスのスポークススマンは、あの殺害を「正当な自衛行為」(legitimate act of self-defence)としたわけですが、Waldron教授によると、この場合の「自衛」は刑法でいうところの自衛ではないはずです。刑法で「自衛」が成り立つためには差し迫った危険(immediate threat)がなければならない。「過去において危険な人物であり、将来も危険人物であり続けるはず」(they have been dangerous in the past or may be in the future)というだけで「自衛のために」殺すということは許されない。アメリカによるビン・ラディン殺害を「国家としての自衛行為」(national self-defence)だとすると、これに触れている法律らしきものとしては自衛のための戦争について規定する国連憲章第51条しかない。

はっきり禁止されているのは「正義や報復のために」(for the sake of justice or vengeance)殺すことなのですが、アメリカ政府はこの二つとも殺害正当化の理由として使っている、とWaldron教授は主張しています。オバマ大統領は演説の中でビン・ラディンの殺害によってJustice has been done(正義は為された)と謳ったわけですが、Waldron教授は殺害を正義と呼ぶことは原始的な報復を助長するものであり、「文明社会が誇りとしている法の支配から完全にかけ離れている」(utterly dislocated from the rule-of-law processes that the civilised world prides itself on)と言います。

Waldron教授は、ビン・ラディン殺害についてはカンタベリー大司教を含む多くの英国人が「極めて不快な気持ち」(very uncomfortable feeling)にさせられたとしています。この場合の「不快」(uncomfortable)は「不愉快」というよりも「このようなことが許されていいのだろうか?」という不安感に近い感覚だと(むささびは)思います。

なぜ ‘a very uncomfortable feeling’なのか?一つには、アメリカが自国の安全や国益のために脅威と目される人間(ビン・ラディン)を殺すことが許されるならば、ロシアがチェチェンのテロ活動家を殺害することも許されるのか?中国がチベットの活動家を殺すことも「自衛戦争」と見なされるのか?という問題が出てくる。

教授は

We defend targeted killing when the targets are terrorists, but the term ‘terrorist’ was used almost reflexively by colonial or repressive governments to apply to insurgents or enemies of the regime.
テロリストを殺すためのtargeted killingなら許されるというかもしれないが、これまで「テロリスト」という言葉は、反政府勢力や政府の敵を表現するために植民地支配者や圧政政権によってさして考えもせずに使われてきたのである。

というわけで、かつての南アフリカではネルソン・マンデラはテロリストと呼ばれていたし、1950年代~60年代の英国は植民地に反対する活動家はどれも「テロリスト」呼ばわりしたではないかと言っています。さらに北アイルランドの「テロリスト」であるIRAに対して、アメリカがアルカイダに対して取っているような「自衛のために殺人もあり」というような態度をとっていたら、北アイルランド和平などあり得なかったはずだ、とも言っています。

Sometimes one has to refrain from ‘decapitating’ an organisation so that there is somebody left to talk to.
(テロ集団と呼ばれていたとしても)一つの組織を壊滅することには慎重である必要がある。話し合いができる相手というものを残しておく必要があるからである。

というのが教授のメッセージです。

▼オサマ・ビン・ラディンというと遠い存在のように思えるけれど、ひょっとするとアメリカ人にとっては、日本人にとってのオウム真理教の麻原彰晃のようなものなのかもしれない。麻原彰晃は逮捕され裁判にかかっているわけですが、あのころの日本の雰囲気からするとTargeted Killingの対象になっていても不思議ではなかったかもしれない。Waldron教授はアメリカによるビン・ラディン殺害は「法の支配」からの逸脱であると言っており、「法の支配」こそは我々の社会がこれまで誇りを持って守ってきたものだと主張しているわけです。麻原彰晃を「目標殺害」したとしてもオウムはなくならないし、自分たちが「法の支配」という文明の知恵を放棄するだけだと言っています。

▼Waldron教授は、英国人の多くがビン・ラディン殺害について納得していないという趣旨のことを述べていますが、YouGovの調査では、「ビン・ラディンは生きて捕捉して裁判にかけるべきだった」と考えているのは37%で、半数以上の54%が「たとえ抵抗をしなくても殺してしまったのは正しかった」と考えています。教授が言うほどには、英国人はビン・ラディン殺害を否定的にとらえていないように見える。しかしギャラップ調査によるとアメリカ人の93%が殺害は正しかったとしており、「正しくなかった」としているのは5%にすぎない。これと比較するならば、英国人はアメリカ人よりは殺害を疑問視する人がかなり多いということになります。

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4)移民へ門戸開放する勇気を


ちょっと古いけれど、いまから10年前の2001年にBBCが移民に関する調査を行ったことがあります。そのときの数字では英国の全人口5700万のうちの430万人(7.5%)が「外国生まれ」(つまり移民)だった。それを40年ほど遡った1971年の数字では、全人口が5250万で外国生まれは約240万人(4.55%)だった。つまり40年間で「外国生まれ」の割合が4.55%から7.5%にまで上がっている。一方、Migration Informationというサイトに出ていた資料によると、2004年末現在の日本における外国人登録者の数は197万人で全人口の1.6%となっています。

5月5日付のThe Economistのコラム、Bagehotが移民問題、特に東欧諸国からの移民問題を取り上げています。タイトルはBritain's got (foreign) talentで、foreign(外国の)という言葉がカッコ内に入っているところがミソですね。「英国には優れた才能を有した人がたくさんいる・・・但し外国人だけど」ということです。

労働党政権時代の1997年から2009年の13年間で、移民として英国へ入ってきた人の数から出て行った人の数を差し引くと約220万人になる。つまり220万人の移民人口の増加ということです。ただこれは全世界からの移民です。東欧諸国ということに限るならば、2004年が節目の年となります。この年にかつての共産圏であったポーランドなど東欧7カ国がEUに加盟したのですが、英国はそれと同時に労働市場も開放してしまった。

2004年に英国のような開放政策を採用した国としてはスウェーデンとアイルランドがあるのですが、同じ時期、ドイツはむしろ移民規制的な態度で臨んだとされている。それから約6年間、東欧諸国から移民として英国へ向かった人の数は150万人と推定されている。その人たちが全て英国に定住したわけではなく、実際には半数が英国でお金を稼いでから本国へ帰ったと推定されています。

労働市場の開放は別の言い方をすると、英国人が働きたがらないような職場、働くだけの技術を持ち合わせていないような労働市場の空白を外国人労働者で埋めるということでもある。移民担当大臣であるDamian Greenによると、本来は英国人労働者を職に就かせるような政策を打つべきであったのに、労働党政権は失業手当のような福祉制度を寛容に適用して英国人に働く気を失わせ、そうして生まれた労働市場のギャップを移民で埋めようとする「大きな誤り(huge mistake)」をやってしまった、と言っています。実は野党である労働党のミリバンド党首までもがかつての労働党政権が「ポーランド移民の数を少なく見積もり過ぎたことは明らか(clearly underestimated the number of people coming in from Poland)」と発言したりしています。

要するに与党も野党も「移民規制」を進めようというわけですが、The Economistはそのような傾向に疑問を呈しています。例えばポーランドからの移民の多くが配管工という仕事に就いて好評なのだそうですが、「ポーランド系の配管工を労働市場から締め出せば英国人の配管工技術が向上するのか」(excluding Polish plumbers for the past seven years would have improved British craftsmanship)という疑問があると言っている。また移民労働者が安い賃金で働くので英国人の賃金が下がっているという指摘については、英国経済・社会問題研究所(National Institute of Economic and Social Research)が2004年以来の賃金を調査したところでは、そのようなことが起こっているのは賃金が最も低い分野の職業に限られており、しかも賃金の下落率も、過去7年間で0.36%に過ぎないのだそうです。

The Economistがさらに指摘しているのは、2004年に東欧の7カ国がEUに加盟した際、EU加盟国のすべてが新加盟国の国民に対して入国と居住の権利を与えたけれど労働権だけは与えなかったということです。入国と居住の権利を与えておきながら、労働だけはダメというわけですが、結果として起こるのは不法労働者の増加です。これが起こったのがドイツで、英国などに比べれば労働市場への移民の参入にはかなり厳しい規制をしているにもかかわらず約40万ものポーランド人が労働者として働いていると推定されている。しかも厳しい規制が故にドイツは移民については「閉ざされた国(closed country)」というイメージが定着している。そうなると、東欧諸国の若くて、教育程度も高い人たちはドイツを敬遠して英国へと向かうことになる。ボンにある労働研究所(Institute for the Study of Labour)のKlaus Zimmermannという人によると、東欧の若い人たちにとって英国は「開放的な国」として知られているのであり、優秀な労働力獲得という点では「英国の勝ち」(a British win)なのだそうであります。

ただ最近の傾向としては、保守党も労働党も移民締め出しの方向に進んでいることは明らかで、2007年にEUに加盟したブルガリアとルーマニアからの移民については厳重な労働規制をしいており、彼らはおそらくスペインやイタリアに向かうのではないかと言われている。キャメロン首相は4月14日に行った演説の中で、移民政策について次のように語っています。

Yes, Britain will always be open to the best and brightest from around the world and those fleeing persecution. But with us, our borders will be under control and immigration will be at levels our country can manage. No ifs. No buts. That's a promise we made to the British people. And it's a promise we are keeping.
もちろん優れた才能(the best and brightest)を有する外国人や迫害を逃れてやってくる外国人に対しては、英国はこれからも常に開かれているだろう。が、保守党に関する限り、英国の国境はしっかり管理され、移民は英国が受け容れることが可能な範囲にとどまるだろう。我々の態度には"もしも"も"しかし・・・"もない。移民を管理すること。これは英国民との約束であり、我々はこれを断固として守るものである。

The Economistは「東欧諸国の国民に英国を開放することが正しいやり方だ」(Opening Britain’s doors to east European workers was the right thing to do)と主張しており、英国の政治家に「勇気を持て」(If British politicians were braver, they would be proud)と要求しています。

▼移民の問題に関しては、英国と日本ではあまりにも歴史と環境が違い過ぎて、英国の移民政策など日本には関係がないと思われるかもしれません。が、私は必ずしもそうではないと思っています。東日本大震災から10日後の3月21日付のFinancial TimesのサイトにHarvard Business SchoolのRobert Pozenという先生がJapan can rebuild on new economic foundations(日本は新しい経済基盤で復興できる)というエッセイを寄稿 しており、「とてつもない規模の復興作業を遂行するためにはアジアからの若い建設労働力が必要となり、彼らがやがては日本に家族として定着する可能性もある」と言っています。そしてこれらのアジアからの若い移民の流入によって少子高齢化という日本の人口構造にも変化が現れるのではないかと言っています。

▼日本の移民政策研究所という組織の坂中英徳所長は「日本の人口危機を救うために1000万人の移民受け入れを提唱している」のだそうです。日本記者クラブのサイトに出ています。何やら途方もないハナシのように聞こえるけれど、進むべき方向としては間違ってはいない。もちろん坂中さんの意見には、「異文化に違和感を抱かないか、治安の悪化を招かないか、教育・福祉コストが高くつかないか・・・」という疑問の声があります。このあたりのことは英国は経験済み(経験中?)であり、普通の英国人(白人労働者階級)からは「移民はもうたくさんだ」という声が上がったりもしているし、そのような声に支持されて勢力を伸ばしているのが極右政党のBNP(British National Party)です。しかしBNPの勢力拡大に眉をひそめる人が多いのも事実です。

▼確か昨年のことだと思うけれど、英国のBNPの代表が日本に来たときの発言として「日本の移民政策は素晴らしい」というのがありましたよね。英国も日本のように純血を守って外国人を締め出す政策をとるべきだ、というわけですね。「がんばろう、日本」というスローガンをむげに否定する気はないけれど、それがこれまでの日本にありがちな「日本人だけが日本を作れる」という発想に流れてしまうことだけは止めてもらいたい。先日、テレビを見ていたら、日本にいるビルマの難民の人たちが被災地でボランティア活動をやったというニュースが流れていました。こういうことがもっと起こってほしいですよね。「国際化」というのはそういうことを言うのだから。

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5)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら

wise:賢明な

wiseと似たような言葉にcleverというのがありますね。Cambridge Advanced Learner's Dictionary という辞書によると、この二つの言葉は次のように説明されています。

wise: having or showing the ability to make good judegements, based on a deep understanding and experience of life.

clever: having or showing the ability to learn and understand things quickly and easily.

すなわちwiseには「思慮深い」というようなニュアンスがあるのに対して、cleverは、たとえば試験の点数がいいとか、英語の単語を沢山知っているとか・・・いわゆる「お利口さん」のことであります。前者は世の中の指導者に求められる資質であり、後者は兵隊さんとか官僚に求められるものとも言える。

おそらくめちゃくちゃにアタマが良かった(clever)であろうAlbert Einsteinという人の言葉に次のようなものがあります。

A clever man solves a problem; a wise man avoids it.
利口な人間は問題を解決するが、賢人はそれを回避する。

Einstein自身は原子力発電や原爆開発には直接の関係はなかったようですが、物理学者として原子力の利用には警鐘を鳴らしていたのだそうです。この言葉のproblemに「原子力発電」をあてはめると真実性を帯びてきます。

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6)むささびの鳴き声

▼毎日新聞のサイトに「金言」というコラムがあるのですが、5月13日付の同コラムには『現代文明の深い闇』というエッセイが出ています。大震災と原発事故について語っているのですが、筆者の西川恵さんによると、福島原発の事故が世界に与えた衝撃はチェルノブイリよりもはるかに大きいのだそうです。何故か?チェルノブイリは「共産主義体制の欠陥に根差した出来事」というのが世界の見方であった。が、「福島」は「安心・安全・信頼では世界屈指の日本」で起きた。つまり自分たちの国でも起こり得る事故であるということを世界中が認めざるを得ないような事故であった。その分だけ衝撃は大きいわけです。

▼もう一つ西川さんが指摘しているのが1995年のオウム真理教事件です。同じ年に神戸で大震災があったのですよね。「オウム」もまたあの豊かで安全な国(日本)で・・・!?という衝撃を世界に与えた。コラムによると、このときアメリカ政府が「対テロ調査団」なるものを日本に派遣してこの事件の背景を調べていたのだとか。オウムのテロは「01年の9・11(米同時多発テロ)における国家対組織の非対称戦争を先取りした事件となった」というわけです。

▼福島原発の大事故とオウムのテロが起こった日本という国は、チェルノブイリのソ連や9・11のアメリカのように世界の大国を自負している国ではなく、「ロー・プロファイル(目立たず)の国」であるにもかかわらず「現代文明が抱える深い闇を予兆させるような出来事をまれにだが引き起こす」として「我々の効率一辺倒の生き方が、何か本質的なものを脇に追いやってしまったからなのか。安心・安全・信頼が表面的なものにすぎないからなのだろうか」と自問しています。そして3・11以後は、西川さんの心の中で「なぜ日本が」という問いも続いているのだそうであります。

▼私も以前に書いたと思うのですが、1995年(神戸大震災とオウムの年)が「日本は安全」という自信が崩壊した年であると個人的に考えて来ました。特にオウムは衝撃であったわけですが、西川さんのコラムによると、逮捕されたオウムのメンバーが「震災の混乱に乗じる狙いがあった」と語ったのだそうですね。そして2011年、まさに『現代文明の深い闇』という状況、暗い闇を前にして日本人全体が立ちすくんでいるという感じでしょうか。

▼ただ、西川さんは「なぜ日本が」と言うけれど、原子力発電という現代文明に頼って生活をエンジョイしてきたのは日本人だけではないし、その原発の危険性に恐怖を覚えているのも日本人だけではない。地震や津波で辛い目にあわされているのも日本人だけではない。アメリカ人の中には竜巻に立ちすくむ人たちがいます。もちろん自分たちの社会そのものが生んだ(ように見える)テロリズムにおびえるのも日本人だけではない。

▼このような立ちすくみ状況から脱却するためには、そろりそろりと手探りで歩き出すしかない。「極端」に走らず、前進することも止めず、内向きにもならない・・・極めて抽象的ながらそういうことだと思います。「効率一辺倒」のライフスタイルを見直して「本質的なもの」を求めるべきだ・・・ということはよく聞くけれど、その場合の「本質的」というのがどこか生活離れしていることがよくある。「自然に帰ろう」とか「ふるさとを大事に」とか「がんばろう、日本」とか・・・。この際、衣食住ともそこそこ(完全ではない)安全で安心の生活が送れるようにできればいいわけで、それは日本だけ、日本人だけでは出来ないし、急にもできないということでありますね。

▼この際、世界で立ちすくむ人々と連帯しながら進みたい、というようなことを多少は意識しながら英文むささびジャーナルを書きました。手始めに原発など止めた方がいいかもね。

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