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2011年6月5日 |
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とうとう6月になってしまいました。関東地方は一昨日まではかなり寒かったのに、昨日、今日あたりはほとんど夏です。216回目のむささびジャーナル、ハナシのタネにでもなってくれれば光栄なのですが・・・。上の写真をクリックすると大きくなります。 |
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目次
1)内閣不信任案:菅さんがやるべきだったこと
2)こころのケアは必要だ
3)英国人のインテリ嫌いと保守性
4)英国版「本音と建て前」
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
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1)内閣不信任案:菅さんがやるべきだったこと
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結局あれは何だったのでしょうか?菅内閣への不信任案というあれ。民主党は不信任案が否決されて面目を保ったかもしれないけれど、菅さんは鳩山さんに辞任を約束させられた(と鳩山さんは言っている)挙句、自民党の大島理森という人に「趣旨説明」という形で延々個人攻撃された。自民党は不信任案を否決されたけれど民主党の分裂というお土産をもらった。だから自民党の勝ちってこと・・・?と思っていたら6月2日付のThe
Economist(電子版)に「日本の政治危機:勝者なし(Japan’s political crisis:No one wins)という分析記事が出ていましたので紹介します。
記事はまず不信任案の議論の前に行われた民主党の代議士会で菅さんが辞任をほのめかすような発言したことに触れて「あれが国家的な危機状況の最中に担当能力不能政権が数か月も続くことへのお膳立てを整えた」(That sets the stage for perhaps months of lame-duck rule in the midst of a national emergency)のであり、日本人の忍耐力にも限りがあることを示す出来事になったと指摘しています。
漠然と辞任をほのめかすような発言をした菅さんへの批判で始まっているのですが、記事が批判しているのは、辞任をほのめかしたこと対してであって、自民党や民主党の一部の人たちが言っている菅批判とは全く逆の立場からの批判であるとも言えます。
The LDP has attacked Mr Kan’s handling of the nuclear crisis, even though it was responsible for the lax oversight of the nuclear-power industry during its five decades in power prior to 2009.
自民党は菅氏の核危機対応を攻撃しているが、2009年以前の50年間にわたって権力の座にあって原子力産業(のあり方)を傍観してきたことは自民党の責任なのである。 |
▼不信任案の趣旨説明の中で自民党の大島という人が菅さんについて「行政職を信用せず、口を挟ませないことが政治主導であるという間違った考え方をしている」と非難しています。「役人を怒鳴りつけるだけで上手く使っていない」と批判しているわけです。自民党は役人を上手く使いこなし、産業界とも仲良くやっていた・・・お陰で現在の東電や保安院があるということです。 |
というわけで、今の時期に不信任案を提出したことは、菅さんが最近、電力業界の規制緩和や脱原子力発電をほのめかすような発言をしたことと関係がある、と言う人もいる、とThe
Economistは報告しています。また上智大学の中野晃一教授のハナシとして、最近、東電が国会議員を訪問する姿が見られており、(この事故が)電力業界全体に及ぼす影響を最小限度に食い止めようと必死になっている(TEPCO
has been visiting lawmakers and they’re serious about trying to limit the
damage and the threat to the electricity industry in general)というコメントを紹介しています。
The Economistによると、不信任案をめぐるごたごたが如何に震災復興の妨げになっているかを理解しない政治家の自己中心主義に対して日本中(特に被災地)が絶望的な怒りを露わにしているとして、この怒りを菅さんがなぜ自分のために集約できないのか理解に苦しむと言っています。そして結論は
Had he clearly described the old guard both inside and outside his own party for what it is -- petty, out of touch with reality, and a bunch of bad losers -- he might have emerged stronger from the ordeal. He hasn’t. Nor, sadly, has Japan.
菅首相が自分の党の内外にいる古い勢力の本質を明確にあぶり出していたなら、この混乱から強力に脱出することができたかもしれないのだ。古い勢力の本質とはちっぽけで、現実を見ず、しかも負け方も情けない人間たちということである。しかし菅さんはそれをやっていないし、悲しいかな日本もまたそれができていない。
▼内閣不信任案を討議する衆議院で自民党の大島理森とかいう人の感情的・情緒的としか思えない「趣旨説明」を聴きながらestablishmentという言葉が頭に浮かんできたですね。「体制」とか「支配層」という意味ですよね。鳩山由紀夫、小沢一郎、谷垣禎一、大島理森、石原伸晃等々、皆さん、両親や親戚に高名な政治家がいる、政治の世界のサラブレッドのような方々です。鳩山さんの前の首相、憶えていますか?麻生さんです。その前は福田、安倍、小泉・・・みんなサラブレッドです。
▼この人たちの中で菅さんだけが社会運動の出身です。あの不信任案を巡るごたごたは、政治の世界の名門のお坊ちゃんたち(The Economistはそれを「古い勢力:old
guard」と呼んでいます)が、社会運動出身の身の程知らずなヤツをいじめまくる儀式であったということであります。その手助けをしたのがメディアというわけです。それも(私の推測ですが)東京のメディアです。The
Economistは日本の行き詰まり状態におけるメディアの役割には触れていません。それは「自分たちもメディアの世界に住んでいるので、仲間のことを悪く言いたくない」ということなのか、「メディアの影響力など知れており、わざわざ語る必要はない」ということなのか・・・。
▼民主的な手続きを経て選ばれた人が、何かの拍子にメディアに悪者扱いされて消えていく。それは菅さんだけではない。鳩山・麻生・福田・安倍・小泉・・・何十年もの間同じことが繰り返されてきた。これで菅さんもアホ扱いされて消えていき、別の誰かが後を継ぐわけですね。そしてその「誰かさん」もまたいずれはメディアにこき下ろされて消えていく。私が心底気持ち悪いと思うのは、政治家をこき下ろしている政治メディアの世界にいる人たちだけは誰からも非難も批判もされることがないということです。アンフェアというのはこのようなことを言います。
▼いずれにしても、この際もう一度言っておきたい。がんばれ、菅さん!
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2)こころのケアは必要だ |
むささびジャーナル214号の「むささびの鳴き声」で、NHKがやっていた震災被災者の心のケアに関するディスカッションについて書いてあります。テレビのスタジオで、被災者でもない人々が「被災者の心の問題にはこのように対処しましょう」と語りあったするのは、「楽屋話」をおおっぴらにしているようで、私(むささび)は違和感を覚えてしまうという意味のことを書いてあります。この記事について、ある「心のケアの専門家」が下記のようなコメントをくれましたので紹介します。この専門家は日本人ですが、アメリカでこの種の仕事をしています。
東日本大震災からもう2ヶ月が過ぎましたが、震災をうけ、メンタルヘルスおよび「心のケア」のエキスパートとして自分も何か書かなくてはと思っていましたが、暇な時間がほとんどないため、いまだに書けずじまいでいました。で、最近のむささびジャーナルでこのことについて、「テレビなどで"心のケア"について取り上げることには違和感を持つ」という趣旨のことを書いてあったので、自分も何か言ってみたくなりました。
このような報道についてむささびが持つ「違和感」というのは、スタジオにいる人たち(キャスター、ゲスト、専門家)は誰も「被災者」ではない、つまり「あんたたちにいったい何がわかる?」という考え方によるものなのでしょうか?実は、ここダラス(テキサス州)に引っ越してくる前に、僕は半年ほどアイオワシティの退役軍人専門の医療施設(VA)で働く機会があり、延べ100人以上もの退役軍人さんたちと話す機会に恵まれました。その半数近く(またはそれ以上?)は、50歳後半から60歳代半ばで、ベトナム戦争に行った軍人さんたちでした。そしてその中の大半が「カウンセリングには興味がない」「戦争の体験を語るんだったら軍人以外とは話したくない」という人たちばかりでした。
つまり「軍人でもなければベトナムにも行かなかった奴らに何が分かるんだ」という心理なのでしょう。むささびの言う心のケア報道への「違和感」が「あんたたちに何が分かる?」ということからくるのだとすれば、それは軍人としか話したくないというベトナム戦争の退役軍人と同じような心理なのかもしれません。
で、「テレビ・スタジオにいる人たちは心の傷とは無縁である」というむささびの「結論」は、必ずしもあたっているとは言えないのではないかと思います。確かに同じ災害の「被災者」ではないかもしれませんが、こういった災害によって起こる感情や思考というものには、誰にでも理解できる部分が少なからずあるのではないかと思います。
特に、この道の「専門家」というのは、カウンセリングなどの仕事を通していろいろ似たようなケースと向き合ってきているものです。また場合によっては、間接的にではありますがカウンセリングを通してそういった人たちと同じ体験をしてきているともいえると思うし、そうでないと務まらない場合もある。だから、簡単にテレビ・スタジオにいるキャスターや専門家が、東日本大震災の被災者とは「無縁」であると決めつけてしまうのはおかしいと僕は思います。
確かにこういった(心のケアに関する)ディスカッションを単なる「楽屋話」としか受け取らない人もいるかもしれません。しかし、全員が全員そうだとは思いません。むしろ、どうしたらいいかわからなくて困っている人たちの中には、こういった「心のケア」の情報をありがたいと思う人もいるのではないでしょうか。もちろん、震災直後には、心のケアの情報などよりも、家族は無事なのか?食べ物はどうするのか?といった「死活問題」に関する情報のほうがありがたいかもしれませんが。
また子供たちの心のケアについて、NHKの番組が「親の不安は子供に伝わるから"大丈夫だよ"と何度でも声に出して伝えてスキンシップを大切にしよう」というコメントを報道していたことについて、むささびは”「母ちゃんがダイジョウブと言ってもホントは母ちゃんも怖いんだ。でも"こころのケア"のために強がりを言っているのだ。ホントはダイジョウブでもなんでもないのだ」と思いますよね”と言っています。でも子供たちは本当にそんなことを思うでしょうか?年齢にもよるかもしれませんが、例えば6歳~7歳前後のお子さんたちに、そこまで「母ちゃん」の心理を読み取る能力があるとは僕にはとても思えない。思春期の中学生や高校生だったらともかく…。
「心のケア」ということからすると、テレビ番組で「楽屋話」を聞くよりは、個別に会って話をする方が適切かもしれません。テレビでのディスカッションとなると、どうしても楽屋話的になってしまうのは仕方がないことなのかもしれません。でも、だからといって「心のケア」という話題をまったく取り上げる必要がないとは言えないと思います。
むささびは「心のケアというのは手足に負った傷の治療とは違う」と言っています。そのとおりだと思います。ただ、楽屋裏(つまり心のケアの問題など)をまったく見せないようにするというのは、ある意味この種のことを「タブー視」するようなもので、それはそれで心の傷を負った人たちをますます孤立化させることにもなりかねないと思います。 |
▼というわけであります。この記事には私(むささび)が見落としていたことがいくつか書かれています。まずスタジオにいるキャスターとか専門家は被災者本人ではないのだから、被災者の心のことなど分かりっこない、という前提そのものについて「必ずしも当たっていない」とのことであります。普通の人々は同じ災害経験はないかもしれないが、ある程度の察しはつくはずであり、ましてや専門家は、「カウンセリングを通してそういった人たちと同じ体験をしてきているともいえる」と言っています。後の部分は全く気が付かなったし、前の部分については、同じ体験をしないと理解できないというのが極論であって現実的ではないということですね。
▼また最後の部分で、心の問題を全く取り上げないと、「心の問題」がタブー視されることになり、心の傷を負った人を孤立化することにつながる・・・と言っている。なるほど・・・これは言えますね。
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3)英国人のインテリ嫌いと保守性 |
BBCのニュース番組、NEWSNIGHTのプレゼンターとして(英国では)有名なJeremy Paxmanが書いたTHE ENGLISHという本を読んでいたら、英国人の特徴の一つとして「インテリ嫌い」があると書いてありました。本のタイトルから明らかなように、この場合の「英国人」とはイングランド人のことをさすのですが、そういえば英語の世界にはインテリ(intellectual)をバカにするような表現がありますね。eggheadsは、「アタマでっかち」という意味だし、ivory towers(象牙の塔)はそのeggheadsが立てこもる館だし、「自分のアタマの良さをひけらかすような態度をとる」ことをtoo clever by halfと言ったりする。
Paxmanが英国人のインテリ嫌いの例として挙げているのが、フランス生まれの文学博士であり哲学者でもあるGeorge Steinerの経験です。パリ、シカゴ、ハーバード、オックスフォード、プリンストン、ジュネ-ブのような超有名大学で教えた経歴を引っ提げて英国のケンブリッジ大学で教授の職に就こうとしてはねられてしまった。大学との面接の際に次のような発言をしてしまったことが理由なのだそうです。
I said that to shoot someone because of a disagreement with him over Hegel was a dignified thing to do. It implies that these things matter.
私が言ったのは、ヘーゲル(哲学者)についての考え方が違うという理由で人を打ち殺すことは高貴なことであるということだった。つまり思想や哲学というものが大事であるという意味だ。
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英国人が嫌う(とPaxmanが言う)「インテリ」というのは物事を抽象的に考える人々のことで、「思想家」「哲学者」のような人々のことを言うのですが、主としてヨーロッパ大陸に多いですね。私(むささび)が聞いたことがある「考える人」の名前を挙げてみてもカント、ヘーゲル、マルクス、ルソー、キルケゴール、ニーチェ、サルトル、ボボワール、カミユなど、いずれも「人間とは何か」というような事柄について思考を巡らせた哲学者であり、その多くがヨーロッパ大陸の人たちですね。
George Steinerは結局、ケンブリッジの特別研究員のような立場を与えられたらしいのですが、イングランドについて次のようにコメントしています。
this land is blessed with a powerful mediocrity of mind. It has saved you from communism and it has saved you from fascism. In the end, you don't care enough about ideas to suffer their consequences.
この国は強力な精神的平凡さによって祝福された社会なのだ。そのことによって英国は共産主義にもファシズムにも陥ることがなかったのだ。結局のところ英国人は思想というものを真面目に取り過ぎた結果として起こることによって苦しめられることがなかったということなのだ。 |
イングランド人であるJeremy Paxmanによると、英国人は思想(イズム)というものを信用していない(the English distrust isms)のだそうで、かつてブレアさんが信奉したとされる「第三の道(the Third Way)」もpragmatism(現実主義・実用主義)の選挙スローガンとしてしか受け取られることがなかった。
Paxmanの本によると、19世紀の半ばにイングランドを訪れたフランスのHippolyte Taineという哲学者が英国の名門パブリックスクールがフランスの名門校に比べて読書よりもスポーツに力を入れていることに注目して「英国の学校は本能的に保守的な人物を生み出すようにできている」(English schools tend to produce people who are instinctively conservative)と語ったのだそうです。「思索」という行為を重視する国では革命思想が勃興するし、反体制的な考え方も流行ったりする。そこへ行くと、スポーツに力を入れる英国の名門校の出身者は(例えば)英国国教会のような体制に反対・反抗するのではなく、これを守る傾向にあるということです。ドイツの音楽家、ワグナーはイングランド人のことを「食べモノを求めて野原のにおいを嗅ぎまわる羊」と呼んだとも言われている。
「深い思考」よりも「常識」を好む(the country’s preference for common sense over deep thinking)のが英国の伝統であり、 英国人のアタマには「思想が人々を動かす」ということがないのですが、最近のThe Economistによると、時としてそれが英国の弱点になることもある。例えばイスラムの原理に命を投げ出すradical Islamistsの思考方法というのが英国人には理解できない。英国人のアタマでは、過激イスラム思想も「貧困や差別」がなくなれば影をひそめるはずだ、となる。労働組合運動はあるけれど、思想としての共産主義は英国には縁がない。縁がないから分からない。国際政治の世界ではそれが弱みになったりするというわけです。
が、それが最近、特に政治の世界で変わってきているというのがThe Economistの指摘です。首相官邸に社会心理学者が呼ばれて記憶と人間の行動の相関関係についての講義を行ったりしている。火付け役はキャメロン首相のアドバイザーであるSteve Hiltonという人で、内閣府に「人間行動の研究」(behaviourial insight)を基盤とする政策立案チームを作ったりしているのだそうです。確かにキャメロンのBig Societyは、人間の中にあるボランティリズムとかチャリティ精神のようなものに基盤を置く社会を作ろうというのだから思想運動的な側面を持っているし、それはブレアさんの「第三の道」についても言える。
ところで日本のインテリについて、小田実さんが『日本の知識人』(1969年・筑摩書房)という著書の中で「日本という社会は、みんなが比較的よくものを知っていて、とびきり「非知識人」もいなければ、と言って、極端な知識人もあまりいない社会だと思う」と述べています。小田さんによると、普通の人々の知識レベルを比較すると日本人の方が英米よりも優れているのですが、
「インテリ」と呼ばれている人たちの知識水準は、西洋で「知識人」という名で呼ばれている人たちに比べて、平均して言えば概して劣るようだ。と言っても、私がここで問題にしているのは、個々の人間がもっている専門知識のことではない。それはたぶん遜色ないだろう。専門知識以外の知識---それは日本の「インテリ」は西洋の知識人ほど広くもなければ、また深くもない。 |
ということになります。
▼Paxmanの本が書かれたのは10年以上前のことですが、2011年のThe Economistは、少なくとも政治の世界においてはインテリが受けていると報告している。私は、政治の世界でも日常生活の世界でもやはり英国における主流は実用主義であり、「常識」であるように思います。終戦直後に労働党が唱えた「福祉国家論」、サッチャーさんの「マネタリズム」、ブレアさんの「第三の道」、キャメロンの「大きな社会」等々、いろいろあるけれどどう見ても政治の世界だけの話であり、サルトルの実存主義とか、マルクスの共産主義のような「アタマでっかち」というか「深遠な思想」という感じはない。「我思う。故に我あり」(デカルト)、「人間は考える葦である」(パスカル)、「人間は自由の刑に処せられている」(サルトル)等々、どれも英国人には似合わない、というのは私の偏見?でも、抽象論よりも現実論や「常識」が幅を利かせている英国という国の方が、私などには住みやすいような気がしますね。
▼小田さんの指摘は的を得ていますね。日本の庶民と英国の庶民を比較すると、前者の方がいろいろなことについての知識が豊富で判断もバランスがいいのではないかと(私などは)考えるのですが、インテリとか知識人とか言われる人々を比較すると、日本には「物知り」はいるかもしれないけれど、適切な判断力、独創性、バランス感覚そして「常識」などの点ではどうか?おそらく英米のインテリ(学者やジャーナリストや官僚のような人たち)が家庭からしてエリートと呼ばれる世界の人たちであるのに対して、日本の場合は「受験戦争の勝者」のような人たちが多いということなのかもしれないですね。
▼欧米の知的エリートが階級社会の産物であり、日本のそれは非階級社会における競争の産物である、と私などは考えてきたのですが、それが現在も当てはまるかどうかについては自信がありません。いまの日本では知的な世界に住む人々とそうでない人々の間に埋めがたいギャップのようなものが生まれていて、一種の「階級社会」のようなものになっていると言われているからです。
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4)英国版「本音と建て前」 |
The Spectatorという雑誌の5月16日号にAnglo/EU translation guideという小さな表が出ています。英国人と他のEU加盟国の高官らが話をする際に誤解を生む言い回しのサンプルを紹介しているのですが、英国人の言うことを言葉通りにとってはならないということの例文集でもある。The
Economistのブログでも同じような話題が取り上げられているのですが、こちらの場合は「英国流の婉曲表現(British euphemisms)のサンプルという言い方でいろいろと紹介されている。日本にも「本音と建て前」というのがあるけれど、これは「英国版の本音と建て前集」みたいなものですね。
私でも知っている例として”I hear what you say”というのがあります。文字通り訳すと「アンタの言うことは聞こえていますよ」ということになりますよね。何かの議論をしていて私の意見を言うと返ってきたのがこの言葉だった。私はてっきり「キミの言い分は分かるよ」という意味で、私の言うことに賛意を表すに近い表現だと思ったのでありますが、The Spectatorによると、”I hear what you say”は"I disagree and do not want to discuss it further"(アンタの言うことには反対だし、これ以上話したくない)という意味なのだそうです。そう言われてみると、私の個人的体験でもこの言い回しのあとにほぼ必ずと言っていいほどbut...という接続詞が続いたっけ。「アンタのいうことも分かる。でもねぇ・・・」というわけです。反対なら反対とはっきり言えよ、このお!
他にもいくつか例をあげましょう。英国人が次のような言い回しをした場合には気をつけた方がいい。
1) That's not bad
「悪くない」というのは、実は「素晴らしい!」(That's good)という意味であったりする。これは日本語にもある。
2) That is a very brave proposal
そのまま訳すと「勇気ある(思いきった)ご提言ですな」ですが、実際には「アンタ、アホか」(You are insane)を丁寧に述べただけ。
3) I'm sure it's my fault
言葉上は「私が間違っていたに違いありません」と言っておきながら実際には「あんたが間違ったのさ」(It's your fault)と言っている。イヤですねぇ、こういうの。陰険だよね。
4) I almost agree
「ほとんど賛成」というのだから、もう少しで自分の言い分が通るのだと思ったら大間違い。「全く賛成しかねる」(I don't agree at all)ということらしい。だったらそう言えや!と言いたい。
5) Correct me if I'm wrong
「私が間違っているのならそう言ってください」という意味ですが、英国人がそれを言うときは「私の方が正しいに決まっているのだから、アンタ、反対なんかしない方がいいよ」 (I know I'm right--please don't contradict me)という意味なのだそうです。疲れるな、こういうのって!
6) You must come for dinner
訳すと「一度是非お食事にお出でください」ですね。でもこう言われて「やれ、うれしや」ってんで、「喜んでお伺いします。いつにします?明日ですか?来週の土曜日ですか?」などと言ったりすると相手がまごつく。単に社交辞令で言ったつもりなのだから。日本にもありますね。引越しの通知など貰うと必ず「近くへお越しの際は、ぜひお立ち寄りください」なんて書いてある。
7) QUITE good
「すっごくいいね!」という意味だと思ったら甘い。実は「ちょっとがっかりだな」(A bit disappointing)という意味なんだそうです。quiteという言葉にアクセントを置いているから。反対にquite GOODとgoodにアクセントがおかれた場合は文字通り「素晴らしい」(excellent)というほめ言葉になる。 |
▼実は私、この種の「言葉のウラを読む」という作業が、日本語で英語でも一番の苦手でありまして、「いつか食事でもご一緒に・・・」と言われると、つい真に受けて情けない想いをしたりする。妻の美耶子によると、このあたりが私のどうにもならない(死ななきゃ治らない)部分なのだそうです。
▼5番目のCorrect me if I'm wrongは、私自身よく使った言い回しです。でもそれがI know I'm rightの婉曲的表現だったなんて今の今まで知らなかった。私としては、文字通り「私が間違っているかもしれない」というつもりで言ったわけですが、英国人には「傲慢なヤツ」と思われていたってこと!?
▼念のために繰り返しておきますが、これらはいずれも「英国人」の本音と建前でありまして、私の知っているアメリカ人によると「英国人は言うことと思っていることがまるで違うことが多すぎる」と文句を言っています。さらに英語を母国語としないけれど便宜上英語を使っている人にも当てはまらない(とThe Economistは言っています)。この人たちを相手にする場合はQUITE goodもquite GOODもない。両方ともquite goodだそうです。
▼「言葉のウラを読む」のは苦手ですが、婉曲的表現がその場を和らげる効果があることも認めるし、直接的な表現を使い過ぎると相手が傷つくかもしれないという思いやりは悪いことではない。「キミの意見には反対だ」(I
don't like your idea)というよりも「別のやり方も考えてみませんか?」(Could we consider some other
options?)の方がいいですよね。ケンカにならずに済む。 |
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5)どうでも英和辞書 |
barking:吠える
「吠えるイヌは噛まない」というけれど、必ずしもそうではないのだそうですね。オーストリアの動物学者でノーベル医学賞を受けたこともあるKonrad
Lorenzの言葉に
Barking dogs occasionally bite |
というのがある。「吠えるイヌもたまには噛むこともある」ということですね。で、この先生はこれに続けてbut laughing men hardly
ever shoot(しかし笑っている人間が銃を撃つことは滅多にない)と言っています。言えてる・・・。
ところで、ウチにはイヌが2匹いるってこと、言いましたっけ?そのうちの一匹はボーダーコリーという種類なのですが、なぜかテレビを観るのが好きなようなのであります。特に野球中継。テレビの前を通り過ぎようとして、野球をやっていると、立ち止まってじっと見ている(左の写真)。困るのはセンターからのカメラがピッチャー、バッター、キャッチャーをうつすと、「ウーッ」と唸り声を出し始め、ピッチャーが投球モーションに入るや否や「ワン、ワン、ワン!!!!」と大声を挙げてテレビ・スクリーンにとびつくってことです。私には画面が見えなくなるのでありす。メジャー・リーグでイチローが打者だったので私も見たかったのに、ジョイス(イヌの名前:メス)のお陰で何も見えずじまい。あの「ワン、ワン、ワン!!!!」は何なのですかね。ひょっとするとピッチャーに向かって「バカッ、そんなところでカーブなんか投げるんじゃねぇ!打たれるに決まってるだろが、バカ、やめとけ!」とでも言っているのではないか。女にしてはひどい言葉遣いですが、いずれにしても迷惑このうえない。
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6)むささびの鳴き声 |
▼「福島原発の1号機が実はとっくにメルトダウンしていた」、「海水注入は実は続けられていた」、「放射能拡散について未公表のデータがあった」等々のニュースが流れるたびに「政府・東電に対する批判が高まっている」というニュアンスの報道がなされる。ヘンだと思いません?実は東電や保安院のミスなのに「菅政権にも責任あり」とされる。もちろん東電や保安院はけしからん、でも一番の責任は菅直人だよな、あの人が信頼されてないからこうなるのだ・・・というわけです。しかしこれら全てが東電の経営者や保安院の役人による意図的な「菅降ろし」作戦だったとしたら辻褄が合いますね。
▼あの不信任案が否決されたことはBBCのサイトが英国時間の6月2日朝の6時半、日本時間の午後3時半には伝えていました。見出しは"Japan Prime Minister Naoto Kan survives challenge"であったのですが、同じニュースの中に谷垣さんのコメントとして"I'm telling you to quit - once you leave, there will be many ways for us to revitalise Japan"というのも出ていました。意味としては「もういい加減にお辞めください。アナタさえいなくなれば、日本を再生するだけの多くの道が開けるのです」ということですね。ずいぶん単純なハナシです。
▼むささびジャーナルがたびたび引用するアメリカの世論調査機関、Pew Researchが4月8日から27日までの3週間、日本人700人に電話で調査した震災・原発事故関連のアンケートの結果を発表しています。6月1日付のサイトに出ています。それによると、95%の人が被災地における自衛隊の活動に拍手を送っており、アメリカによる支援については「非常によくやっている(great
deal)」が57%、「よくやっている(fair amount)」が32%というわけで、9割の人が好意的に評価しています。
▼しかし菅政権の震災・原発事故対応について「よくやっている」(responded well to the crisis)と言う人は20%、東電の対応に関しては10%にすぎないと伝えています。自衛隊や米軍には感謝するけれど、菅さんはダメということですね。でも考えてみると被災地に自衛隊を10万人も派遣する決定をしたのは菅さんであり、米軍からの支援をアレンジしたのも菅政権だったのではないですか?
▼Pew Researchのアンケート調査結果では「メディアについては半数を少しだけ超える54%が好意的な反応を示している」(A modest majority -- 54% -- give the media favorable marks)となっています。メディアへの「支持率」(と呼べるものかどうかわからないけれど)54%というのが高いと見るべきなのか、低いとするべきなのか分かりませんが、アンケートの中にメディア評価を入れたことは非常にいいことだと私は思います。
▼最後にもう一つだけ。むささびジャーナルの中の英国関連の記事と「むささびの鳴き声」について、バックナンバーを整理してリスト化しました。よろしければご覧ください。今回もお付き合いいただき有難うございました。
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